第百二十話:サクの信じる道
「……確かに、シノノメさんの言う通りかもしれません」
数秒の沈黙の後、サクさんは振り絞るように声を出した。
視線は相変わらず俯いたままで、その表情を窺い知ることはできないけれど、思ったよりも冷静な声に少し安堵する。
「全員が全員、いい人とは限りません。中には、お金目当てだったり、ただ技を盗むためだったり、他の子にマウントを取りたいだけの人だっています。けれど、僕はそれでも、みんなのことを選ぶなんてことはできません」
「ほう、それで死ぬことになってもか?」
「それでもです。元々、俺には何もなかった。父が死んで、弟と一緒に暮らすために、ただ生きたいという理由だけで道場を手放した。それでも、ミーシャさんや、ハクさん達のおかげでようやく父の遺志を継ぐことができた。この道場は、今の俺の生きがいみたいなものなんです」
色々と苦労することはある。嫌な思いをすることもある。
けれど、この道場はアーシェントさんが残した最後の砦だ。ただ生きることしかできなかったサクさんに、生きる意味を与えてくれた。
この道場を守ることはもちろん、父親の剣技を絶やさせてはいけない。だから誰に対しても丁寧に教えるのだ。
死ぬことになっても、と言うのは重すぎだけど、その気持ちはわかる。
「シノノメさんは、多分、弟子は自分と並び立つような猛者にならなければならない、と言う風に思ってるんじゃないですか?」
「なぜそう思う?」
「弟子を選べって言ったからですよ。それを聞いて、俺とは考え方が違うんだなって思いました」
「ふむ」
シノノメさんが言う弟子は、将来は自分と同等、あるいは自分よりも強くなってもらわなければ困るような人物、と言うことなのだろう。
自分の技を教えるからには、それが軟弱な剣であってはならない。それは、教えた自分を貶しているようなものだから。
教えるからには強い者を選びたい。それがシノノメさんの考え方なんだと思う。
でも、サクさんの場合は少し違うのだ。
「俺はみんなに一流になってもらいたいわけじゃありません。俺の技を受け継いで、それを後世に伝えて行ってくれさえすれば、上手い下手は問わないんです」
「それだと、上手く後世に伝わらんのではないか? 弱い者が教えても、説得力に欠ける。剣を使うからには、勝てる剣でなければならない。そんな調子では、他の流派に埋もれるぞ?」
「教えるのに強くある必要はありませんよ。一つでも、自信をもって使える技があるなら、それは立派に教えを受け継いでいると言っていい。たとえ名前などなくても、その技が残ってくれるのなら、構わないんです」
「うーむ、確かに考え方が違うのぅ」
弟子は強くあらねばならない。師匠の剣を教えるからには、その方がいいに越したことはないのだろうけど、教えるだけなら別に強い必要はない。
サクさんの剣には名前がない。仮に名付けるとするなら、アーシェント流とかそんな感じだろうか?
元々、技一つ一つにこだわりはなく、ただ父の遺志を受け継がせたいというのがサクさんの考えである。
サクさんにとって、道場は強い者を育てる場ではなく、技を伝承する場なのだ。
そこに才能なんてものは関係なく、志さえあればいい。
将来一流になれなくても、技が残ってくれればいい。
シノノメさんの考え方とはまるで逆かもしれないね。
「つまり、技を受け継がせることができるなら何でもいいってことじゃな」
「ま、まあ、はい」
「正直、共感はできん。師匠を越えろとまでは言わんが、将来は並び立つような者でなければ教え甲斐がないしな」
「そうですか……」
「じゃがまあ、理解はできる。実際、弟子の選定に迷って、結局技を受け継がせることができなかったという話を知っておるしのぅ。弟子がいないよりは、いた方がいいのは確かじゃ」
確かに、いくら強い者を育てたいからと言って、才能がある者をすぐさま見つけるのは難しい。
そうやって迷っている間にタイミングを逃し、結局誰にも継がせることができないままこの世を去るなんてこともあるのだろう。
いないよりはいた方がいいのは確か。それに、別にサクさんの弟子がみんな才能がないわけではない。中には才能がある人だっている。
教えられるんだったら、両方教えればいいだけの話だ。
「その様子だと、弟子を減らす気はないんじゃろ?」
「もちろんです」
「なら、まず一つの提案じゃが、休みを増やせ」
「えっ……でもそれだと、門下生達を待たせることに……」
「確かに若い時間は大切じゃがな、それ以上におぬしの体の方が大切じゃろ。おぬし失くして、一体誰がこの流派を教えるのじゃ? そこの娘なんかはだいぶ腕が立ちそうじゃが、師範がくたばっては元も子もない。おぬしが体に無理がかかっていると感じるなら、まずはそれを回復することに努めよ」
まあ、その通りだよね。
実際問題、サクさんは働きすぎだ。休養日すら、門下生が待っているからと教えるような人である。そりゃ体を壊すのは当たり前だ。
サクさんの年齢からして、まだしばらくはこの生活でも続けられるかもしれないけど、5年、10年と経ってくれば、こんな生活はできなくなってくるだろう。
今は医療体制がそこそこ確立してきているとはいえ、そんな状態ではいつ死んでしまうかわかったもんじゃない。
技を受け継がせたいなら、長生きしてもらわないと困るのだ。
「弟子のことはそこまで気にしなくてよい。元々、弟子とは師匠について行く者。師匠の無茶振りを通してこそよ。おぬしがいない間、自主練をするくらい訳なかろうて」
「そう、ですかね……」
「いくらおぬしが一人一人に懇切丁寧に教えていると言っても、全部の時間そうしているわけじゃなかろう。おぬしがついていない時、弟子達は何にもしていないとでも思っておるのか?」
「……思いません」
「そういうことじゃ。もう少し、弟子の自主性に働きかけよ。何でもかんでも教えてもらってでは、成長も鈍ろうて」
今の門下生達は、サクさんの方針に賛成的な人ばかりだ。
中には、不満を抱えている人もいるかもしれないけど、それでもサクさんに憧れて、一生懸命学ぼうという気がある人ばかりである。
今のサクさんの現状を説明すれば、門下生達だって否やとは言わないはずだ。
時には師匠が見ていないところで研鑽に励むのも、いいことなのかもしれない。
「後はそうじゃな、他に学ぶ場所を用意すべきじゃな」
「他に、ですか?」
「この道場、狭いわけではないが、人数を考えれば狭いと言わざるを得ん。おぬしがついていない間練習する場所が必要になるじゃろう。簡単に言えば、分家を作ることじゃな」
確かに、この道場で200人を見るのは無理がある。
今だって、曜日ごとに分けているとはいっても、それでもごっちゃごちゃになっている状態だ。
担当の曜日でない時は道場に来ることすらできないだろうし、その間鍛錬する場所は必要。
もっと言うなら、そこで別の先生が教えてあげれば、技術を学ぶことはできるし、ちょうどいいんじゃないだろうか。
大きすぎる一つの組織よりも、ほどほどの組織が複数あった方がリスクも避けられる。
問題は場所だけど、それに関しては後で相談してみるしかないかな。
他にもいくつかの案を上げるシノノメさんに対し、サクさんはきょとんとしながらも頷くばかりだった。
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