第四百五十五話:堪忍袋の緒が切れた
大神殿の中は神秘的な雰囲気で満ちていた。
神様なのだろうか、男女様々な形をした石像が並び、周囲には色とりどりのステンドグラスが張り巡らされ、月明かりを取り込んでいる。
周囲の燭台に照らされた床には巨大な魔法陣が描かれており、これが恐らく勇者召喚の魔法陣なんだなと理解できた。
ただ、少し様子がおかしい。
この魔法陣、床に刻み付けられるようにして描かれているのだけど、やけに汚れている。隙間に何か赤黒いものが挟まっているのだ。床自体は掃除されているようだけど、それでも何か黒い染みのようなものが広がっているし、どう考えても綺麗に使っているようには思えない。
これは、あれかな。何か供物を捧げているということなのかな。
儀式魔法を行う際、術者の魔力も自然の魔力も利用しない場合は魔力が込められたもの、例えば魔石なんかを置くことによって起動するための魔力を補充する。この時、供物は魔法陣の上に置く必要があるので、置くものによっては汚れてしまうことも多々ある。
これは恐らく血だろう。魔物の血は魔力を帯びていることもあるので魔法の触媒として優秀だ。血で魔法陣を描けばそれだけで効力を発揮するものもある。ここではどうやら供物として捧げることで使用しているようだけど。
周囲にはナーゼルや私達を運んできた人を含めて全部で10人ほどの人がいる。皆豪奢なローブを着ているところを見ると、恐らく皆幹部なのだろう。
彼らは皆立ち位置が決まっているのか、魔法陣を囲うように等間隔に立っている。残った人は邪魔にならないようにか、入ってきたのとは別の扉の前に待機していた。
「準備はできているか?」
「いつでもいける。竜め、まさか夜に奇襲をかけてくるとは」
「早く勇者を呼んで退治してもらうとしよう。無事神具に選ばれてくれればよいが」
「なぁに、たとえ失敗したとしても竜を滅することくらい容易い。これはあくまで念には念を入れての事だ」
「まったく、夜に来るなど非常識にもほどがある。私はこれが終わったらさっさと寝させてもらうぞ」
それぞれ声を交わし合う。
聞いた限りだと、随分と余裕があるようで、慌てているのはナーゼルくらいだ。
それほど自信があるのだろう、竜が攻めてきたというのに堂々と寝ようとしている者までいる。
そういえば考慮に入れてなかったけど、神具を持つ人がいるかもしれないんだよね。
神具は昔神様が地上を去る際に人族に残していった武器や防具の事であり、選ばれた者しか使用できない。しかし、もし選ばれたなら、その者は一騎当千の力を手にする、と言われている。
今まで見てきた神具はアリスさんが持つテュールノヴァや勇者が持っていたノートゥングなどがあるが、いずれも固有の特殊な能力を持っている。
詳しくどんな効果があるかはは知られていないけど、聖教勇者連盟はこの神具を集めているという話があるのだ。
まあ、神具を操るのは勇者がふさわしいから、と言うのもあるんだろうけど、どう考えても戦力の独占だよね。一応、他の国にもいくつか神具はあるようだけど、きっといくつかの国では無理矢理奪ったんだろうなぁ。
最も危険だったのは竜殺しの剣と名高いノートゥングなんだけど、あれはすでに先の戦いで失われている。だから、その点では少し安心できるけど、同じような効果を持つ神具が存在しないとも限らない。
ノートゥングのような性能の神具を振るわれたら普通の竜では太刀打ちできない。エルですら不覚を取るくらいなんだから。
だから、そう言った神具がないことを祈りたい。
「それでは、供物をここへ」
「はっ」
神具の心配をしていると、ナーゼルが扉の近くにいた人に指示を出した。
すると、彼らは扉の奥へ消えて行き、すぐに戻ってきたかと思うと、数人のみすぼらしい服を着た人を連れてきた。
アリアが言っていた、例の罪人らしき人だろう。その数は結構おり、10人ほどが手を縄で縛られて繋がれている。
どうやらあの扉の先は牢屋にでもなっているようだ。いつでも勇者召喚ができるように前々から集めていたってところだろうか?
別に勇者召喚をする時になってから呼び出せばいいだけの話な気もするけど……実際、私はこうして後から連れてこられたわけだし。
いや、それはどうでもいい。問題なのは、ナーゼルが彼らの事を供物と呼んだということだ。
供物とは、魔法陣に魔力を供給するために捧げられる魔力の込められた品の事。私は魔法陣の状態から魔物の血が供物なのではないかと予想していたのだが、実際に出てきたのは人。
それの意味するところは、一つしかない。
「(まさか、人間を生贄にするつもりなの!?)」
それは古い風習が残る村などでたまに行われている忌まわしき儀式。
魔力的な触媒として見た場合、人間はそこそこ優秀な素材だ。例え魔法が使えないような魔力が少ない人間でも、Cランク相当以上の魔物と同じくらいの質のいい魔力を持っている。なにより、人間ならそこら中にたくさんいるから数を集めやすいという特徴がある。
人道に反するとか、犯罪だということに目を瞑れば人間を生贄に捧げることは確かに理には適っている。
だけど、それを世界を守るべき聖教勇者連盟が、教会が根幹にある組織がやるというのが信じられなかった。
情報が確かならここにいるのは罪人なのだろう。死刑を言い渡された人なのかもしれない。でも、だからと言って命の有効活用と言わんばかりに生贄に捧げようとするその魂胆が許せなかった。
私はちらりと魔法陣の方を見る。まだ彼らがただ魔力提供のための詠唱役として呼ばれた可能性もなくはない。魔法陣を見れば、詠唱によるものなのか供物を利用したものなのかくらいわかる。
そう思って軽く解析してみたのだけど、そしたら背筋が凍りつくような内容が描かれていた。
「(この魔法陣、竜脈の魔力を利用している!?)」
調べた結果、やはり供物を捧げる方式なのだということはわかった。しかし、そんなことどうでもよくなるくらい、もう一つの供給方式に愕然とした。
それは土地から魔力を吸い上げる方式。つまりは竜脈の魔力を利用する方法だ。
オルフェス王国にある転移魔法陣は同じ土地の魔力を利用する形でも、空気中に存在する魔力を集めて発動する方式だった。しかし、それには満月を待つ必要があり、少し使い勝手の悪いものだった。
しかしこれは違う。土地の魔力を無理矢理吸い上げることによっていつでも発動可能と言う代物だ。
確かに、勇者召喚と言うのはいわば大規模な転移魔法のようなものだ。いくら人間を大量に供物に捧げたところで限度がある。もし人間だけで発動させようとするなら、それこそ数百人、数千人規模の人間が必要になることだろう。
それを少ない数で済むようにしているのがこの方式。竜脈の豊富な魔力を使えば、それくらいは余裕で賄うことができるというわけだ。
しかしこれは諸刃の剣でもある。
竜脈の魔力を吸うということは、すなわちその土地の魔力を著しく低下させるという行為なわけで、そんなことをすれば当然土地にダメージを与えていくことになる。
一度や二度なら竜脈の自己回復能力で何とかなるかもしれない。でも、それを何回も続けていれば当然竜脈自体が弱っていってしまう。
竜脈の魔力をいじくるのは大罪だが、これはもはやそういう問題ではない。これは竜脈を途絶えさせる行為だ。
竜脈が途絶えれば、この星に正常に魔力が行き渡らなくなる。それは魔力濃度が薄いとかの理由で土地が弱るなんてものではなく、文字通りその土地の消滅を意味する。
人間だって、血を失えばその部分が壊死してしまうだろう。それと同じことだ。
消えるのがこの大陸だけならまだいい方で、下手をしたら周囲の大陸まで巻き込んでしまう可能性もある。そうなれば竜の谷はもちろん、オルフェス王国だって無事では済まない。
今までにも勇者召喚は何度も行われていた。それは700年前の魔王騒動からずっと続いている。
いつ竜脈が途絶えるかもわからない綱渡りな状況を、何百万と言う人が死ぬかもしれない行為を、平然と行ってきたのだ。
寒気がする。この魔法陣は存在してはいけない。いや、それだけではダメだ。
この魔法陣を知っている者をすべて消さなければいけないだろう。そうしなければ、いずれまた同じことを繰り返すことになる。
私は怒りで真っ白になりそうな頭でエルに目線を送る。エルもすぐに気付いたようで、指示を待っていた。
『エル、やれ』
『了解しました!』
その瞬間、隷属の首輪はバチンとはじけ飛び、その場に巨大な竜が姿を現した。
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