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第160話 折り重なる戦域

 統合戦技会の初日は、日の出から間もない時刻に始まった。


 冒険者棟を出たエイルが第2外郭の西部演習場へ向かうと、広大な石畳の上には、すでに数百人の参加者が集まっていた。軍人、冒険者、王立軍学校の候補生、教会防衛局の術師が所属ごとに並んでいるものの、年齢も装備も統一されておらず、整然とした式典というより、大規模遠征の出発前に近い光景である。


 受付で参加証を見せると、第7区画と刻まれた金属札を渡された。


 同じ区画へ割り当てられた者は24人。その中には、昨夜食堂で話したS級冒険者《無帰》カイ・ラグナのほか、《赤楔》の5人、A級射手のミラ・セルン、軍の斥候、教会の治癒術師などが含まれている。


 参加者名簿には、階級による隊長指定や優先権は記されていなかった。


 S級であろうとA級であろうと、戦域内では同じ課題を与えられ、行動と結果によって評価される。階級が高ければ戦闘能力へ期待は集まるが、探索や救助、地形把握まで1人で優れているとは限らないため、運営側も単純な序列だけで役割を決めるつもりはないらしい。


 カイは黒い外套の下へ長剣を差し、参加者たちから少し離れた場所へ立っていた。


 特別な腕章も、専用の待機場所もない。


 ただ、同じS級の《城砕き》ドーガンや《夜渡り》リセラが近くを通った際、互いに短く視線を交わしただけで、周囲の冒険者たちが自然と進路を空けていた。


 階級名が同じでも、積み上げてきた実績まで同じではない。


 カイが未帰還指定区域から7度戻った人物であることを、ここにいる者の多くが知っているのだろう。


「昨夜よりは緊張しているか?」


 カイが隣へ来たため、エイルは前方の転送門から視線を外した。


「まだ何をするのか分からないので、緊張する場所を決められません」


「未知環境戦域で最初に走る連中は、そう考えないらしい」


「標核を先に取った方が有利だからですか?」


「見えているものへ向かえば、判断した気分にはなれる」


 口調は淡々としているが、これまで似た競技や実戦を何度も経験してきた者の言葉だった。


 演習場北側の壇上へ、リディア・オルセが上がる。


「これより、王国統合戦技会の第1戦域を開始します」


 拡声術式によって声が広がると、数百人分の話し声が静まっていった。


「未知環境適応戦域では、内部地形、敵性個体、取得目標を事前に公開しません。制限時間は3時間。戦域内へ配置された標核の確保、救助対象の搬送、危険地域の特定、地形記録などを総合的に評価します」


 敵を倒した数だけで順位は決まらず、他者への妨害や不必要な物資破損は減点となる。


 参加者同士は正式な味方ではないものの、民間人や負傷者を見捨てて得点物だけを持ち帰れば、相応の評価しか得られないという。


「監督官と救護班は各戦域へ配置されています。ただし、すべての事態が運営側の想定内に収まるとは考えないでください。西部の実戦環境では、課題と偶発事態を都合よく分けることはできません」


 説明を終えたリディアが、巨大な転送門を振り返った。


 門の内側には、カルグ旧砦へ運ばれていた戦域構築具が組み込まれており、区画ごとに異なる演習地へ参加者を送り込む仕組みになっている。


「第7区画、前へ」


 24人が転送門の前へ移動した。


 白い光が門の内側を満たし、先に入った者の姿を飲み込んでいく。エイルも《赤楔》の後ろから境界を越えると、足裏へ返る感触が石畳から細かな砂へ変わった。


     ◇


 転送先は、赤灰色の岩壁に挟まれた深い峡谷だった。


 頭上に見える空は細く、左右の岩棚が複雑に張り出している。谷底には水の涸れた河床が続き、数百メートル先では地面が斜めに持ち上がって、巨大な壁のように進路を塞いでいた。


 全員が到着すると、背後の転送光が消える。


 直後、谷の奥にある3か所から青い光柱が立ち上がった。


「標核だ!」


 軍装の参加者が声を上げ、数人が最も近い光へ駆け出す。


 カイは走り出した者たちを止めず、自分も青い光を眺めたまま口を開いた。


「随分分かりやすい場所へ置いてある」


「標核そのものではないと思います」


 エイルが《戦域知覚》を広げると、岩壁、地中、参加者たちの装備、空中を流れる魔力が、半径数百メートルの領域として感覚へ収まった。


 青い光の根元には強い魔力反応がある。


 しかし、それは持ち帰るべき標核ではなく、戦域構築具が作った誘導光にすぎない。さらに、正面へ見える岩壁の位置と、振動が返ってくる方向にも食い違いがあった。


 目では200メートルほど先に見える崖から、足音の反響が異様に遅れて届く。反対に、右手の岩壁からは、見える厚さでは存在するはずのない広い空洞を通った反応が返っていた。


「地形の位置が、見たままではありません」


 エイルの言葉に、A級射手のミラが弓を手に取った。


「幻術ですか?」


「岩自体は本物ですが、場所同士の繋がりが変えられています。真っ直ぐ進んでも、見えている方向へ着くとは限りません」


 ミラは矢へ細い風を纏わせ、青い光の横にある岩へ向けて放つ。


 矢は200メートルほど進んだところで空中から消え、次の瞬間、峡谷の左側にある岩壁へ背後から突き刺さった。


 先行していた者たちが足を止める。


「折層か」


 カイが短く告げた。


「入ったことがあるんですか?」


「似た構造の遺跡へ2度入った。方角と距離を信じて進むと、自分がどこから来たかも分からなくなる」


 《赤楔》のバルサは、すぐ仲間へ杭と縄を準備させた。


「私たちは入口周辺の接続を調べる。縄が途中で切り替わるなら、杭の反応で記録するよ」


「私は上層から射線を通します」


 ミラは風術で身体を押し上げ、岩壁の中腹へ移った。複数の方向へ矢を放ち、消えた位置と再出現地点を携帯地図へ記録していく。


 軍の斥候たちも足跡を残す粉末と魔力標を取り出し、先ほど走った者たちの経路を追い始めた。


 S級のカイがいるからといって、A級や軍人が指示を待つだけにはならない。


 各自が自分の専門分野で情報を集め、戦域の構造を明らかにしようとしている。


 エイルは《分岐予見》を重ねた。


 右側の細道へ入った者が、数秒後には頭上の岩棚へ現れる可能性。正面の斜面へ進んだ者が、谷の入口付近へ戻される可能性。青い光へ向かった者が、接続の切り替わりと同時に地下層へ落ちる可能性が、現在の地形へ薄く重なっていく。


 戦域の接続は固定されていない。


 複数の構築核が一定の周期で経路を組み替え、同じ入口を異なる層へ繋げている。


「地形を動かしている核が、左側の岩壁の裏にあります」


 エイルが示した場所は、標核の光とは反対側だった。


「壊せば道は戻るか?」


 軍の斥候が尋ねる。


「戦域全体が止まる可能性があります。近くまで行けば、接続の順番だけは読めるかもしれません」


「なら、破壊せず調査だな」


 斥候は同行する2人へ合図を送り、《赤楔》も準備を整えた。


 カイは左側の岩壁を一度見たあと、中央へ続く細道へ視線を移す。


「全員で同じ場所へ行く必要はない。俺は中央層を見てくる」


「入口へ戻る経路が変わった場合は、杭へ印を残してください」


「お前が俺へ指示するのか?」


「同じ場所へ戻れなくなるよりはいいと思います」


 カイは不快そうな顔をせず、むしろ僅かに口元を緩めた。


「分かった。見つけたものがあれば残しておく」


 黒い外套を揺らし、1人で細道へ入っていった。


     ◇


 エイルは《赤楔》と軍の斥候3人を伴い、構築核がある岩壁の裏側へ向かった。


 狭い裂け目へ入ると、前方から響いていた足音が右上へ移り、振り返った時には入口が斜め下へずれている。岩そのものが動いた形跡はなく、通路の接続先だけが入れ替わっていた。


 《戦域知覚》も、最初は視界に映る距離を基準に周囲を捉えようとした。


 しかし振動と魔力の経路を優先すると、外見とは異なる戦域の形が見えてくる。目の前の薄い岩壁を挟んだ向こう側が、実際には500メートル先の上層へ繋がり、足元の亀裂は入口付近の河床へ通じていた。


 そこへ分岐予見を重ねれば、接続が切り替わる直前の魔力変化まで追うことができる。


「次の角は、あと10秒ほどで別の層へ繋がります。全員で続けて越えてください」


 《赤楔》の盾役が先に角を曲がり、後続が間隔を詰める。


 最後尾の斥候が通り抜ける前に岩壁が揺らぎ始めたため、エイルは《魔力掌握》を構築具の流れへ伸ばした。


 核の中心には管理者の命令と複数の保護術式が重なっている。そこへ直接干渉せず、通路を切り替えるために流れ込んだ外縁の魔力だけを押さえ、移動を数秒遅らせる。


 岩壁の揺らぎが止まり、その間に全員が角を越えた。


「戦域設備を止めたのか?」


 斥候が振り返った。


「切り替わる時機を少し遅らせました。中心までは動かしていません」


「外側だけでも十分おかしい話なんだがな」


 接続が再び動き始めたため、斥候もそれ以上は尋ねず、先頭へ戻った。


 裂け目を抜けた先には、直径100メートルほどの円形空間が広がっていた。


 中央の岩柱へ、人間の胴ほどある戦域構築核が埋め込まれ、4本の金属枠から峡谷全体へ魔力を送り出している。


 その周囲には、白い補助員用の腕章を着けた6人が倒れていた。


 呼吸は残っているものの、全員の救助信号具が砕かれており、1人は右脚を落石の下へ挟まれている。


「競技用の救助対象ではなさそうだね」


 バルサは大盾を下ろし、倒れている補助員の近くへ膝をついた。


「全員生きている。治癒術師を呼べればいいけど、通信具が使えない」


「落石だけが原因ではありません」


 エイルは天井と外周の岩壁へ感知を向けた。


 岩の表面には、長い爪によって削られた痕が幾つも残っている。さらに構築核の裏側からは、設備のものとは異なる生命反応が魔力経路へ入り込み、空間を折り曲げる力を吸っていた。


 円形空間の外周には、18体。


 別の層にも、さらに大きな反応が1つある。


「魔物が潜んでいます。信号具を壊したのも、おそらくそちらです」


 《赤楔》はすぐ負傷者の前へ半円形の防衛線を作り、斥候も弓と短槍を構えた。


 岩柱の影が不自然に膨らむ。


 現れたのは、体長3メートルほどの細長い獣だった。前脚はなく、2本の後脚と太い尾で身体を支え、頭部には縦方向へ開く4枚の顎を持っている。灰色の皮膚は周囲の岩と同じ模様へ変化し、動きを止めると振動も魔力も薄くなった。


 1体目が姿を現すと、外周の各所から同じ魔物が続く。


 最初の個体が岩壁へ跳び込み、胴体の途中から空間へ沈んだ。


 直後、救助対象の背後へ4枚の顎だけが現れる。


 バルサの大盾が間へ入り、噛みつきを盾の縁で受け止めた。仲間の槍が露出した首へ刺さったものの、胴体は別の層へ残っているため、致命傷には届かない。


「身体が向こう側に残ってる!」


「現れている部分だけを追わないでください。接続先ごと捉えます」


 エイルは《戦域知覚》を深めた。


 円形空間へ出た顎、上層の細道へ残る胴体、構築核の魔力へ紛れ込んだ生命反応が、1体の存在として繋がっていく。


 《分岐予見》には、次に顎や尾が現れる位置だけでなく、その攻撃によって《赤楔》の隊列がどう動き、負傷者へどの程度の危険が届くかまで重なった。


「バルサさんたちは、負傷者の前を守ってください。右側から出る3体は、槍で押し戻せます」


「左と上はどうする?」


「こちらで取ります」


 左の岩壁と天井が、ほぼ同時に揺らいだ。


 エイルは長剣を抜き、《纏刃(エッジ・コート)》によって圧縮した魔力を刃へ沿わせる。


 《遠衝斬《インパクト・スラッシュ》》を左側へ放つと、斬撃は姿を現す直前だった2体の胴体へ届き、接続先の向こう側に残っていた中枢を断った。


 その動きから《空衝歩(エア・ステップ)》で高度を上げ、天井から落ちてきた個体の顎を剣の腹で逸らす。身体を半回転させながら首の根元へ刃を滑らせ、別層へ残っていた胴体の中心へ衝撃を通した。


 右側から現れた3体には、斥候の矢が先に入る。


 矢だけで倒し切ることはできないが、飛び出す角度が変わったことで、《赤楔》の槍使いが関節へ穂先を合わせた。


 魔物が逃げようと岩壁へ身体を沈める。


 エイルは魔力掌握によって、その瞬間だけ接続用の流れを押さえた。


 胴体の半分を別層へ入れた魔物が、境界へ挟まれたように動きを失う。槍と剣が続けて中枢へ届き、3つの生命反応が消えた。


 残る魔物たちは円形空間へ直接出ず、複数の層を移動しながら、負傷者の死角へ回ろうとしている。


 だが、どの経路を選ぼうとしているかは、すでに戦域知覚の中へあった。


 エイルは構築核から各通路へ流れる魔力へ触れ、魔物が通過する瞬間だけ接続を狭めていく。参加者と補助員がいる場所は維持し、敵が次に使いやすい経路だけを順番に塞いだ。


 逃げ道をすべて閉じれば、魔物は別の経路を無理に作るかもしれない。


 正面にある1か所だけは、抵抗を加えず残す。


 移動先を奪われた8体が、同じ出口から円形空間へ押し出された。


 バルサはすぐ意図を理解し、大盾の下部を床へ固定する。


「正面へ集まる! 槍は盾の左右から、後衛は負傷者を動かさないで!」


 先頭の2体が大盾へ衝突し、後続がその背中へ重なった。


 盾を押す力は強いが、《赤楔》は後方から支柱を入れ、5人の隊列全体で衝撃を受け止める。エイルは盾の上を越す角度で遠衝斬を通し、重なった魔物の中枢だけを順番に抜いた。


 最後の1体が床へ落ちると、円形空間から敵の反応が消えた。


 軍の斥候が外周を確認し、ようやく短槍を下げる。


「空間を渡る魔物を、1つの出口へ追い込んだのか」


「通りやすさを少し変えただけです」


「それを追い込んだと言うんだ」


 バルサは会話へ加わらず、すでに負傷者の搬送準備へ戻っていた。


「話は運んでからにしよう。脚を挟まれている人を先に出すよ」


     ◇


 補助員6人は全員生きていた。


 最も重い者は右脚を折っていたものの、《赤楔》と斥候が岩を持ち上げ、バルサの大盾を担架として使うことで搬送できる状態になった。


 意識を取り戻した補助員によれば、彼らは構築核の点検中に魔物へ襲われたらしい。救助信号を発した直後に腕輪を砕かれ、逃げようとした者たちも切り替わった通路へ巻き込まれた。


「安全区域まで戻せるか?」


 軍の斥候が尋ねる。


「来た経路は変わっていますが、安全区域の近くへ繋がる順番を探せます」


 エイルが構築核へ意識を向けた時、遠くから金属が打ち合う重い音が届いた。


 視界上では厚い岩壁の向こうだが、空間の接続を辿れば、円形空間から300メートルほど離れた中央層で戦闘が起きている。


 人間は1人。


 カイだった。


 その周囲には、先ほどの魔物とは比較にならないほど大きな生命反応がある。


「加勢が必要ですか?」


 バルサが問いかける。


 エイルはカイと大型個体の動きを同時に捉えた。


 カイの生命反応は安定しており、負傷した様子もない。大型個体は攻撃するたびに脚を失い、むしろ追い詰められている。


「すぐには必要ありません。先にこの人たちを安全区域へ運びます」


 競技の得点だけを考えるなら、大型個体の討伐へ加わった方が有利かもしれない。


 しかし、カイが1人で戦線を保っている以上、負傷者を抱えたまま全員で向かう理由はなかった。


 エイルは構築核へ魔力掌握を伸ばし、安全区域に近い層を探した。


 魔物が設備の魔力を吸った影響で、2か所の接続が予定された周期から外れている。その乱れを本来の流れへ戻せば、円形空間の西側を監視塔の近くへ繋げられる。


 核の中心へ命令を上書きせず、外側へ漏れた魔力だけを元の経路へ戻した。


 岩壁の一部が水面のように揺れ、その向こうへ草地と白い監視塔が現れる。


「安全区域だ」


 斥候が先に通路を確認する。


「どのくらい持つ?」


「2分ほどです。途中で止まらなければ、全員通れます」


 《赤楔》が負傷者を運び、斥候は前後へ分かれて警戒する。


 エイルは最後尾から接続の変化を見ながら進み、全員が安全区域へ到着したあと、閉じていく境界を越えた。


 監督官と救護班は突然現れた負傷者を見て、すぐ処置へ動いた。


「中央核付近で補助員6人を救助しました。空間を移動する魔物が設備の魔力を吸っています」


 報告を受けた監督官の顔色が変わる。


「連絡が途絶えたのは、ほんの数分前だ。救助信号は確認できなかった」


「ほかの層にも大型個体がいます。現在はカイさんが戦っていますが、構築核への捕食が続けば、区画の接続が崩れる可能性があります」


 監督官は緊急通信術式を起動した。


 術式は一度だけ強く光ったものの、各層へ信号を送る前に魔力を失って消える。


「中央経路を食われている。退避指示が通らない」


 エイルは第7区画全体へ感知を伸ばした。


 戦域内へ残っている参加者は18人。半数は青い誘導光を追い、上層と地下層へ分かれている。地形の異常へ気づいた者もいるが、自分たちがいる層の接続が閉じ始めたことまでは把握していない。


 大型個体が核を食べ続ければ、10分ほどで複数の経路が失われる。


「中央層へ行きます」


「救護班と監督官を同行させる」


「準備している間に、入口が変わります。大型を止めれば通信も戻せますから、先にカイさんと合流します」


 監督官は一瞬迷ったあと、緊急通行用の赤い腕章を渡した。


「競技は中断扱いとする。内部で参加者を見つけた場合、得点物ではなく退避を優先させてくれ」


「分かりました」


 エイルは先ほど通ってきた境界へ向き直った。


 安全区域との接続はすでに閉じているが、《分岐予見》には次に中央層へ近づく経路が浮かんでいた。


 揺らぐ岩壁へ踏み込み、切り替わる瞬間に空衝歩で境界を越える。


     ◇


 中央層へ到着すると、岩山ほどの巨体が峡谷を埋めていた。


 全長は70メートル近く、平たい胴体の周囲から16本の脚を伸ばし、それぞれを異なる空間層へ差し込んでいる。頭部らしいものはなく、背中に開いた円形の口が、戦域構築核から流れる魔力を吸い上げていた。


 カイは巨体の背中へ立ち、長剣を片手で構えている。


 層の境界から太い脚が現れ、死角を作りながら次々に襲いかかっていた。しかしカイは振り返ることなく、空間が揺らぐ直前の音と魔力だけを拾い、現れた関節へ斬撃を合わせている。


 脚が背後から振り下ろされる。


 カイは半歩だけ前へ入り、剣を逆手へ持ち替えながら、頭上を通る脚の内側へ刃を滑らせた。甲殻の継ぎ目が断たれ、巨体が動きを止めるより先に、次の脚へ向けて身体を回す。


 3本の攻撃が別方向から重なると、最初の1本を剣の腹で外側へ流し、その脚を残る2本の進路へぶつけた。衝突によって攻撃の時機がずれたところへ踏み込み、2つの関節を一続きの斬撃で断っていく。


 《剣術 Lv.97》。


 限界へ近づいた技能と、長い実戦経験によって、見えていない攻撃へ対応している。


 エイルのように未来の分岐を見ているわけではない。どの攻撃が来ても、その時点から自分の有利へ変えられる位置と構えを保っていた。


 同じS級でも、公開記録で見たドーガンやリセラとは戦い方がまるで異なる。


 ドーガンなら力と耐久を生かして正面から進路を開き、リセラなら敵に捉えられる前に中枢へ近づくだろう。カイは突出した1つの能力へ頼らず、相手の行動を自分の一手へ巻き込むことで、巨大な魔物を少しずつ追い詰めていた。


「救助は?」


 エイルの到着に気づいたカイが、巨体から目を離さず尋ねる。


「6人全員、安全区域へ送りました。競技は中断されていますが、通信が通っていません」


「こいつが中央の経路を食っている。倒せば戻るだろう」


「中枢が4か所に分かれています。1つだけでは止まりません」


 《戦域知覚》の中では、大型個体の身体が異なる場所へ重なっていた。


 カイが立っている背中。


 地下層へ残された腹部。


 上層の岩棚へ張りつく脚の根元。


 中央核の裏側へ潜り込み、魔力を吸っている器官。


 4つの中枢が別々の層へ分散し、どれか1つを失っても、残る部位だけで活動を続けられる構造になっている。


「同時に斬る必要があります」


「4か所を一度にか」


「僕が同じ斬線へ重ねます。カイさんは、繋がった瞬間に斬ってください」


 カイが初めてエイルへ顔を向けた。


「俺へ合わせるのではなく、戦域の方を動かすつもりか?」


「その方が早いと思います」


「なら、任せる」


 カイは方法を詳しく尋ねず、層喰いの背中へ長剣を深く突き立てた。


 巨体が激しく波打ち、16本の脚が一斉に境界へ沈む。


 攻撃を止めたのではない。


 自分の身体へ刃を入れられたことで、魔物はエイルへの対応より、カイを振り落とすことへ動きを割かざるを得なくなった。


 エイルは地面へ長剣を突き立て、《地鳴り(グランド・ロア)》の経路を各空間層へ伸ばす。


 地形を砕くためではなく、4つの中枢が存在する位置を、同じ振動の中へ置くために使う。戦域知覚が各部位の動きを繋ぎ、分岐予見が数秒先に起こる接続変化を重ねていった。


 自然な周期の中に、4つが同じ線へ並ぶ瞬間はない。


 ならば、現在ある経路を利用して、自分で並べる必要がある。


 《魔力掌握》を戦域構築核へ伸ばした。


 管理者の支配が残る中心部へは触れず、層喰いが食い荒らしたことで命令を失っている外縁の魔力だけを掴む。


 上層を中央へ。


 地下層を右側へ。


 核の裏側を、カイが立つ巨体の背中へ。


 異なる4つの接続を少しずつ動かし、同じ斬線上へ重ねていく。


 峡谷全体が大きく軋んだ。


 岩壁が空中へ浮いて見え、谷底が縦へ折れ、離れた層に存在していた層喰いの部位が半透明に重なり始める。


 魔物も危険を察し、接続から身体を抜こうとした。


 分岐予見へ、4つの中枢が再び離れる未来が幾つも現れる。


 エイルは逃げようとする経路へ外部魔力を集め、《魔力圧縮》によって出口を狭めた。自分の魔力だけを固める時とは異なり、他者の支配が薄れた戦域魔力を保持するため、僅かな乱れも許されない。


 複数の出口が固定され、巨体の動きが止まる。


「今です」


 カイが長剣を抜いた。


 大きな構えも、技名もなかった。


 巨体の背中を蹴って一歩踏み込み、下段から刃を斜めに振り上げる。


 剣は目の前の甲殻へ入り、エイルが重ねた4つの空間層を同じ角度で通過した。


 4つの中枢へ、同時に斬線が走る。


 層喰いの生命反応が急速に弱まったものの、中央核の裏側にあった器官だけが、最後の瞬間に僅かに位置を外した。


 カイの斬撃は外殻まで届いている。


 しかし中枢の奥にある魔力核は残り、層喰いは全身の力を最後の器官へ集め、重ねられた空間を内側から押し開こうとした。


 エイルは地面から長剣を抜く。


 カイが通した斬線へ、《断天(スカイ・セヴァー)》を重ねた。


 別の道を新しく切るのではなく、すでに4層を貫いた剣筋へ衝撃を流し、外れかけた最後の中枢だけへ軌道を修正する。


 細い斬撃が器官の奥へ届いた。


 魔力核が断たれ、16本の脚から一斉に力が抜ける。


 各層へ分かれていた巨体は、元の位置へ戻らない。重なった1つの身体として中央層へ沈み、岩山ほどの死骸が谷底へ横たわった。


 周囲に残されていた空間の歪みが、ゆっくりと元の形へ戻っていく。


 カイは長剣についた体液を払い、鞘へ収めた。


「最後は外した」


「3つはカイさんの一撃で断てています。僕だけでは、4か所へ同時に刃を通せませんでした」


「だが、俺の剣が届く場所を作ったのはお前だ」


 カイは巨体から飛び下り、エイルの前へ着地した。


「昨夜、同じ目的物を取り合うなら先に取った方が勝つと言ったな」


「言っていましたね」


「今日、先に戦域の答えへ辿り着いたのはお前だった」


     ◇


 層喰いが倒れたことで、戦域内の通信は回復した。


 各層へ退避指示が送られ、散らばっていた参加者たちも監督官の誘導によって順次安全区域へ戻っていく。青い誘導光を標核と誤認していた者もいたが、競技中断前に記録した地形や、途中で救助した参加者については、そのまま評価対象へ残された。


 第7区画に死者はいない。


 重傷者も、最初に救助された補助員1人だけだった。


 エイルとカイが安全区域へ戻ると、リディアが記録板を持って待っていた。


「競技初日から、戦域構築核を餌にする未登録個体が侵入していたことについては、運営側の不備です」


「最初に、想定外も起こると言っていましたよね」


「事故の発生を予告したわけではありません」


「そうなんですか?」


「当然です」


 リディアは僅かに眉間へ皺を寄せたものの、すぐ周囲の報告へ視線を戻した。


 《赤楔》は救助者の搬送経路と防衛記録を提出し、軍の斥候は内部で確認した空間接続を地図へまとめている。ミラも上層から得た射線記録を提出し、青い光柱が標核ではなく誘導装置だったことを証明していた。


 途中で競技が中断されても、それぞれの行動まで無効になるわけではない。


「第7区画の暫定評価を伝えます」


 リディアが記録板を開く。


「《赤楔》は補助員6名の防衛と搬送、救助経路の維持により集団評価1位。ミラ・セルンは、上層の射線記録と空間接続図の作成により調査評価1位です」


 バルサとミラが互いへ軽く手を上げた。


「個人総合評価2位、カイ・ラグナ。大型個体の単独抑止、主要脚11本の切断、共同討伐における4中枢への同時斬撃を評価します」


 S級であるカイが2位と告げられても、本人は不満そうな顔を見せなかった。


「1位、エイル・アーネット。戦域異常の早期特定、補助員の発見、接続経路の復旧、全参加者の閉鎖回避、大型個体の中枢統合および共同討伐を評価します」


「討伐そのものは、カイさんの剣がなければ難しかったです」


「共同討伐として記録しています。ただし、分散していた4つの中枢を同一斬線へ重ねた行為と、最後に残った核の処理は、あなたの評価です」


 リディアはエイルの参加証へ新しい印を刻んだ。


「明日の個人戦域では、通常のA級参加者とは異なる組へ移します」


「A級として参加できなくなるんですか?」


「階級を変更するわけではありません。競技上の組み合わせを、S級参加者と特別推薦枠を含む戦域へ変更します」


 エイルが返事を考えていると、隣にいたカイが口を開いた。


「今日の結果を見たあとで、普通のA級だけを相手にさせる方が不公平だろう」


「僕に対してですか?」


「両方にだ」


     ◇


 冒険者棟へ戻ったあと、エイルは個室で状態板を開いた。


【未知の折層戦域を解析しました】


【複数の空間層を単一の認識領域へ統合しました】


【外部構築魔力を利用し、異なる空間接続を同一斬線上へ誘導しました】


【分散した4つの中枢を同時討伐しました】


【Lv.229 → Lv.241】


【HP 6178 → 6614】


【MP 9186 → 9827】


【筋力 8104 → 8668】


【耐久 7342 → 7860】


【敏捷 10196 → 10914】


【器用 8775 → 9396】


【感知 12940 → 13866】


【《戦域知覚 Lv.6 → Lv.11》】


【《分岐予見 Lv.12 → Lv.17》】


【《魔力掌握 Lv.16 → Lv.22》】


【《地鳴り Lv.13 → Lv.16》】


【《断天 Lv.19 → Lv.23》】


【《遠衝斬 Lv.19 → Lv.22》】


【《空衝歩 Lv.27 → Lv.29》】


【《剣術 Lv.100》に蓄積された経験が大幅に上昇しました】


【《魔力圧縮 Lv.100》に蓄積された経験が大幅に上昇しました】


【上位剣技能への昇華条件を一部達成しました】


【既存の剣筋を利用した斬撃経路の再構築】


【複数空間に存在する中枢の同時切断】


【他者が作った斬線との完全接続】


【未達成条件が存在します】


 レベルは12上がり、能力値も前回までより大きく伸びていた。


 《越境》がLv.7へ達して以降、強敵を倒した時だけでなく、複雑な地形を理解し、複数の技能を同時に使って新しい結果を得た時の成長量が明らかに増えている。


 折層戦域では、単に敵の未来を見て攻撃を避けたわけではない。


 戦域全体を認識し、外部の魔力を動かし、4つの中枢が同時に斬れる場所を作った。その経験が《戦域知覚》《分岐予見》《魔力掌握》のすべてへ反映され、剣術と魔力圧縮の上限突破条件にも繋がっている。


 カイの剣技も記憶へ残っていた。


 剣術は97であり、能力値の一部ではエイルがすでに上回っている。それでも、戦場で積み上げた判断と動作の完成度は高く、見えていない攻撃に対しても、相手の動きを自分の剣へ巻き込んでいた。


 同じS級の中にも、能力値、技能、経験、得意とする戦場によって大きな差がある。


 その違いを別の階級名へ分ける必要はない。


 S級はS級のまま、それぞれが異なる方法で、通常の冒険者には届かない実績を積み上げている。


 エイルは今日、その1人と同じ戦場へ立ち、先に異常の構造を見抜き、討伐へ必要な形を作った。


 次の個人戦域では、複数のS級と剣や技能を直接ぶつけることになる。


 能力値だけなら、すでに多くの参加者を上回っている。


 しかし、今日のカイのように、数値では測れない完成度を持つ者もいる。ドーガンの正面突破や、リセラの気配遮断が相手になれば、同じ方法では対応できないだろう。


 それでも、戦えば得られる。


 見たことのない技術も、対処できなかった動きも、《越境》によって次の成長へ変わる。


 エイルは状態板を閉じ、軍都の夜へ響く剣戟へ耳を澄ませた。


 現在の王国で、まだ少し先にいるのは国家英傑。


 その距離は今日だけでも、確実に縮まっていた。


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