第159話 軍都の物差し
レネア中継塔を出発した王立軍学校の一団は、軍都ラディアスへ続く旧街道を東へ進んでいた。
候補生たちは前日の戦闘で傷ついた装備を応急修理しながらも、隊列内での役割を崩していない。護衛兵が岩丘の向こうを先行確認し、技術官は古い誘導杭の状態を記録しながら歩き、候補生は前衛と後衛を一定時間ごとに交代していた。
戦技会へ参加する者だからといって、移動中まで特別扱いされるわけではないらしい。
エイルも進行方向が同じため、午前中だけは一団と行動を共にしていた。ただし軍都へ真っ直ぐ入るつもりはなく、午後には旧街道を外れ、古い地図へ記された水脈観測所を確認する予定である。
「軍都まで一緒に来るものだと思っていた」
前方の岩丘を調べて戻ってきたユリウスが、エイルの隣へ並んだ。
「途中に観測所の跡がありますから、少し寄っていきます」
「今の軍用地図には載っていない場所だろう?」
「第55標の記録には載っていました」
「何十年前の地図だ?」
「70年以上前ですね」
「それは、もう遺跡を探しに行くと言った方が正確じゃないか」
否定しようとしたエイルだったが、入口が残っている保証すらないことを考えると、ユリウスの表現も間違いではなかった。
軍都までの距離には余裕があり、受付期限にも間に合う。戦技会へ向かっているとはいえ、地図に残された空白を見過ごす理由はなかった。
周囲を行き交う人間の数は、カルグ旧砦を離れてから急速に増えている。
戦技会用の物資を運ぶ軍の輸送隊、地方から集められた騎士や術師、冒険者の集団、観戦客を相手に商売を始める商人たちが、複数の街道から同じ方向へ進んでいた。
《戦域知覚》を深く広げれば、歩幅、視線、荷車の傾き、周囲を流れる魔力まで、数百メートルの範囲が一度に感覚へ入る。そこへ《分岐予見》を重ねれば、斜面から石が転がる可能性や、先を歩く馬が足を止める時機まで、現在から繋がる短い未来として浮かび上がった。
戦闘中ほど細かく捉えなければ、大きな負担はない。
エイルは歩きながら知覚範囲の濃淡を調整し、自分から遠い場所ほど危険へ関わる情報だけが残るよう、感覚の使い方を少しずつ整えていた。
◇
正午を迎える少し前、街道の先から断続的な警笛が聞こえた。
王立軍学校の一団は直ちに歩みを止め、護衛兵が候補生と技術官を街道脇へ寄せる。実戦教官のオルグは警笛の間隔を数え、救援要請ではなく通行停止を求める信号だと判断した。
「前方で魔物と交戦している。街道を塞ぐほどの規模ではないようだが、何か守るものがあるらしい」
「3キロほど先に石橋があります」
エイルが感知した内容を告げると、オルグは進行方向へ目を向けた。
「敵の数は?」
「橋の上に6体、下に大型が1体います。人間は冒険者が5人と、民間人が68人です」
「橋が狙われているのか?」
「大型個体が中央の橋脚を削っています。このまま橋上で戦えば、避難が終わる前に崩れる可能性があります」
オルグはすぐに先行班を選び、ユリウスを含む候補生4人と護衛兵6人へ前進を命じた。残る者には技術官と荷物の護衛を任せ、無理に全員を戦闘へ送ろうとはしない。
エイルも先行班と共に走り始めた。
1人で先に着くことはできるが、橋上の冒険者たちはすでに避難を進めており、現時点では数秒を争う状況ではない。現場の隊列へ突然割り込むより、追加戦力がまとまって到着した方が、避難や補強へ人を回しやすかった。
◇
問題の石橋は、深い河谷へ架けられた全長200メートル近い構造物だった。
5本の橋脚が石造りの床を支えているものの、中央付近には3台の荷車が止まり、周囲へ商人や旅人が集められている。橋の東側では赤褐色の鎧を着た冒険者たちが魔物を押さえ、西側では2人の仲間が避難用の綱を岩壁へ固定していた。
地上へいるのは、体長4メートルほどの四足獣である。
頭部から太い角を前方へ伸ばし、背中は重なり合う岩状の甲殻に覆われている。前脚は地面を掘るために太く発達しており、橋の石材へ爪を食い込ませながら、民間人を中央へ追い込もうとしていた。
赤褐色の大盾を構えた女性が、先頭の1体を正面から受け止める。
ただし角を盾の中央へ当てて押し合うのではなく、縁へ滑らせることで突進方向を橋の外側へ変えていた。魔物の前脚が床石の端へ寄ったところで、仲間の槍が後脚の関節へ入り、体勢を崩した個体だけを2人の剣士が左右から削っていく。
射手も眼や喉を無理に狙わず、角と甲殻の隙間へ矢を打ち込み、盾役が誘導できる方向を限定していた。
5人がそれぞれ異なる役割を保ち、民間人の退路を空けたまま戦線を維持している。
「A級冒険者団《赤楔》だ」
オルグが橋の手前で速度を緩めた。
「街道護衛と集団防衛を専門にしている。こちらから勝手に隊列へ入るより、現地の指揮へ従うぞ」
大盾を持つ女性も、近づいてきた軍学校の一団へ気づいた。
「増援なら、西側の避難を手伝って! 地上の6体はこちらで止める!」
オルグは候補生を避難誘導へ回し、護衛兵には綱を増設させた。ユリウスたちも魔物へ向かわず、荷車から降りられない老人や、小さな子供を橋の外へ運び始める。
《赤楔》は地上個体だけなら、自分たちの戦力で十分に倒せる。
問題は、中央橋脚の下へ潜り込んでいる大型個体だった。
全長は25メートルほどで、地上個体より幅広い胴体と、岩を削り取る無数の歯を持っている。すでに橋脚の根元へ身体を巻きつけ、周囲の岩盤を半分近く食い進んでいた。
しかも大型個体の背中が、削られた橋脚の一部を支えている。
この場で仕留めれば、生命を失った身体が崩れた瞬間、中央の床石も沈む可能性が高い。しかし放置すれば、魔物が自分から橋脚を食い切り、同じ結果へ至る。
エイルは《戦域知覚》へ橋全体を収めた。
5本の橋脚へ分散する荷重、中央に止まった荷車、人間が移動することで変わる床石の歪み、大型個体が岩盤を削る速度が、1つの領域の中で繋がっていく。
《分岐予見》へ重なった未来では、民間人を一斉に西へ走らせた場合、第2橋脚へ重量が偏っていた。反対に荷車を先に動かせば、中央左側の床石が割れ、避難経路そのものが狭くなる。
「橋の中央では走らせないでください」
エイルはオルグへ告げた。
「20人ずつ西へ移動させて、その間は次の集団を待たせた方がいいです。荷車はまだ動かさないでください」
オルグは橋の傾きを確認したあと、候補生へ避難人数を区切るよう命じた。
移動する人間の数が調整されると、橋へ掛かる荷重の偏りが小さくなり、中央部へ広がっていた亀裂の進行も僅かに遅くなる。
《赤楔》の隊長が、大盾で魔物の角を外へ流しながら叫んだ。
「橋の下を見られるなら、大型の位置を教えて!」
「中央橋脚の北側です。ただ、今倒すと橋脚から身体が外れます」
「放っておいても食い切られるよ!」
「先に、中央へ集まっている重さを残りの橋脚へ逃がします」
エイルは橋の中央へ進み、長剣を床石へ突き立てた。
《地鳴り》の経路を石材の下へ伸ばし、5本の橋脚と両岸の岩盤へ繋げていく。
本来は敵や地形へ衝撃を伝える技能だが、今回は橋を砕くために使うのではない。中央橋脚へ集中している力を拾い、比較的損傷の少ない部分へ分けて流す。
亀裂の入った石材へ無理に力を通せば、魔物が橋脚を折るより先に接合部が外れる。エイルは石の内部を伝う振動と、床から返る圧力を捉えながら、まだ強度を保つ場所だけへ72本の経路を通した。
大型個体が橋脚をさらに削り、橋の中央が僅かに沈む。
旅人たちから悲鳴が上がったものの、落下は始まらなかった。中央へ集中していた重量が4本の橋脚と両岸へ分かれ、石造りの床は低く軋みながらも形を保っている。
「橋は持つ! 避難を続けろ!」
オルグが候補生たちへ声を飛ばした。
《赤楔》も地上個体へ攻勢を掛ける。
隊長の大盾が突進を外へ誘導し、槍使いが前脚を止めると、2人の剣士が同じ継ぎ目へ斬撃を重ねた。甲殻の一部が剥がれ、射手の矢が露出した首筋へ届く。
残る魔物も同じように役割を分けて処理され、最後の1体が倒れた時には、橋上の民間人は残り12人まで減っていた。
「荷車は捨てる! 人を先に西へ渡して!」
《赤楔》の隊長が判断する。
「大型を外へ出せれば、荷車も残せます」
エイルは地中で動き始めた反応へ意識を向けた。
橋脚を削っても床が落ちてこないことに気づいた大型個体が、別の支柱へ移ろうとしている。右から第2橋脚へ回る可能性、地中を通って両岸の接合部を狙う可能性、現在の位置から背中を押し上げ、橋を下から割る可能性が分岐として浮かんでいた。
どの進路を選ばれても、守る範囲が広がる。
エイルは大型個体が身体を動かす前に、《魔力掌握》を岩盤の下へ伸ばした。
魔物の甲殻には、食べた石から取り込んだ地属性の魔力が流れている。それによって身体と周囲の岩を馴染ませ、地中を移動する際の抵抗を減らしていた。
内部へある魔力すべてを奪う必要はない。
進行方向へ集められた流れだけを左右へ分け、頭部へ掛かる力の向きを僅かにずらす。
大型個体が地中で身を捩った瞬間、頭部が予定していた進路から上へ外れた。
橋の北側で岩盤が盛り上がる。
「橋の南側へ寄ってください!」
《赤楔》と候補生たちが、エイルの声に応じて位置を変える。
直後、大型個体の頭部が橋の縁を突き破り、25メートルの巨体が半分ほど地上へ押し出された。魔物自身も意図していなかった場所へ現れたため、太い前脚が床石を掴むまでに僅かな遅れが生じる。
エイルは長剣を石床から抜き、橋の外縁へ駆けた。
《空衝歩》によって巨体の上へ移り、振り上げられた頭部を越える。甲殻は厚いものの、口から背骨へ伸びる魔力の流れを追えば、中枢までの位置は明確だった。
空中で長剣を振り抜く。
《断天》が大型個体の首へ入り、岩の甲殻と骨格、その奥へ守られていた中枢をまとめて断った。
頭部が河谷へ落ちる。
続いて生命を失った胴体も橋脚から外れようとしたが、エイルは甲殻へ残っていた地属性の魔力を掴み、その流れを北側の河原へ向けた。
25メートルの死骸が、橋脚を巻き込むことなく斜めへ滑り落ちる。
河原へ巨体が叩きつけられ、大きな振動が橋まで届いたものの、石造りの床は沈まなかった。
最後の民間人が西側へ渡り切ると、候補生たちはすぐに橋へ戻り、3台の荷車へ綱を繋いだ。《赤楔》も車輪と積荷を調べ、1台ずつ十分な間隔を空けながら西側へ運んでいく。
エイルは地鳴りの経路を維持し、荷車が移動するたび、橋脚へ掛かる力の流れを調整した。
すべての荷車が橋を越えたあと、長剣を床石から離す。
中央部は数センチほど沈んでいたが、橋そのものは残っていた。
◇
《赤楔》の隊長は、バルサ・レーンと名乗った。
赤褐色の髪を短く切った30歳前後の女性で、大盾と同色の胸甲を身に着けている。盾の縁や裏側には幾つもの固定具があり、敵を正面から耐えるだけでなく、攻撃の方向を変えたり、地面へ支柱として打ち込んだりできる構造になっていた。
「橋まで残せるとは思わなかったよ」
バルサは仲間と共に、床石へ入った亀裂を確認していた。
「私たちは避難を終えたら、最後に橋ごと大型を落とすつもりだった。人命を優先するなら、それしかないと思っていたからね」
「地上の魔物を皆さんが抑えてくれたので、橋脚へ集中できました」
「その言い方は助かるけど、死骸を橋の外へ流すところまで含めれば、私たちには真似できない」
バルサは腰へ下げた冒険者証へ手を触れた。
「エイル・アーネット。A級で間違いない?」
「はい」
「中央から名前だけは聞いていたけど、同じA級だと思って比べない方がよさそうだ」
その口調に、自分たちを低く見る響きはなかった。
《赤楔》は地上個体をすべて引き受け、民間人を1人も失わず、橋の状況が変わったあとも即座に荷車の回収へ動いている。正面戦闘でエイルへ及ばなくても、街道護衛の専門家として、十分に高い能力を持つ一団だった。
「皆さんも統合戦技会へ参加するんですか?」
「集団防衛戦域へ出る。個人戦闘でS級と張り合うつもりはないけど、街道や市街地で守るものがあるなら、階級が上の相手にも負ける気はない」
バルサの仲間たちは、戦闘後も避難者の怪我や積荷の状態を調べていた。
護衛依頼は、魔物を倒しただけでは終わらない。
「軍都で会ったら、今度はゆっくり話そう。私たちは、この人たちを次の宿場まで送る」
「分かりました」
バルサは大盾を背負い直し、旅人たちの先頭へ戻っていった。
◇
古い水脈観測所は、地図に示された位置から1キロほど南へずれていた。
施設そのものが移動したわけではない。岩丘の崩落によって元の入口が埋まり、地下水路の圧力が別の場所へ出口を作った結果、地上から確認できる水源だけが移動していた。
エイルは周辺の地形と現在の水源を地図へ記し、観測所の地下へ残されていた記録板も調べた。大半は腐食していたものの、北西から流れる地下水脈の線だけは読み取ることができる。
その日は観測所の跡で野営し、翌朝から軍都へ向かった。
街道へ戻ってからは大きな戦闘もなく、昼を過ぎた頃には、赤い岩丘の向こうからラディアスの外壁が見え始める。
軍都ラディアスは、1枚の城壁へ囲まれた都市ではなかった。
高さ40メートルを超える外壁が三重に築かれ、それぞれの間へ兵舎、訓練場、倉庫、冒険者用の宿泊区画が広がっている。最も内側には黒い岩山を利用した城塞があり、その周囲には巨大魔物を想定した弩塔や術式柱が何十本も立っていた。
外壁を巡回する兵士、空中を飛ぶ騎獣、門へ入る輸送車、各地から集まった戦士たちの反応が重なり、都市全体では数万人分の気配が動いている。
エイルは《戦域知覚》の範囲を300メートルほどへ抑え、北西門の入都列へ並んだ。
門前では一般の入都者と、統合戦技会の関係者が別々に確認を受けている。中央戦務院の招待状を見せると、担当兵は封蝋と冒険者証を照合し、西部館へ向かうための通行札を渡した。
「公開測定を受ける場合は、第2区画の測定院へ向かってください。測定を受けない場合は、西部館で推薦記録と実績の確認を受ければ参加できます」
「僕は後者ですね」
「リディア・オルセ監査官の推薦に加え、《天槍》アーデン・クロス閣下の確認署名がありますので、追加の実技審査も免除されています」
エイルは受け取った通行札へ目を落とした。
「アーデンさんが?」
「はい。署名日はカルグ旧砦防衛戦の当日です」
本人からは何も聞いていなかった。
担当兵も詳しい事情は知らないらしく、次の参加者を呼び、エイルは人の流れに押される前に門を離れた。
◇
西部館へ向かう途中、中央広場の前には大勢の参加者が集まっていた。
広場に設置された巨大な記録石板へ、統合戦技会の参加者が公開を許可した情報が表示されている。
すべての能力値や技能を明かす必要はなく、主要能力だけを選んでいる者もいれば、技能名しか公開していない者もいる。国家機関に所属する者の場合は、実戦能力に関わる項目の大半が伏せられていた。
エイルは人混みの後方から、A級参加者の記録へ目を向けた。
【A級冒険者 バルサ・レーン】
【Lv.246】
【HP 2980】
【筋力 1840】
【耐久 2760】
【感知 1680】
【《盾術 Lv.58》】
【《集団防衛 Lv.53》】
【《衝撃耐性 Lv.49》】
先ほど橋で会った《赤楔》の隊長だった。
能力値そのものは現在のエイルと比べられる範囲ではない。しかし、盾を使った敵の誘導と、仲間を含む防衛技術は数値だけで表せず、街道護衛における実績も高く評価されている。
少し上には、S級昇格候補として紹介されている射手の記録があった。
【A級冒険者 ミラ・セルン】
【Lv.312】
【敏捷 2860】
【器用 3210】
【感知 3370】
【《弓術 Lv.68》】
【《風術 Lv.55》】
【《遠距離観測 Lv.63》】
レベルはエイルより80以上高い。
それでも能力値では、Lv166だった頃のエイルにも届いていない。技能はA級の中では高く、弓術だけならS級候補として十分な水準らしい。
周囲では、A級参加者たちが互いの技能記録を見ながら、小さく言葉を交わしていた。
「弓術68か。ミラは今年中にS級査定へ進むらしい」
「A級で60台後半なら、射手としては上澄みだろうな」
「バルサの盾術58も、集団戦なら数値以上に厄介だぞ」
A級の主力技能は、40台から50台が中心。
60台へ届けば明確な専門家であり、70に近づく者はS級候補として扱われる。これまで旅の途中で会ったA級たちを考えても、その程度が自然な基準だった。
記録石板の中央より上には、S級冒険者の情報が並んでいる。
【S級冒険者《城砕き》ドーガン・バルク】
【Lv.472】
【HP 6820】
【筋力 7350】
【耐久 7010】
【敏捷 3980】
【《槌術 Lv.79》】
【《身体強化 Lv.72》】
【《衝撃耐性 Lv.75》】
【《城壁破砕 Lv.81》】
筋力と耐久へ成長が偏った重戦士であり、都市攻防戦では大型破城兵器に匹敵すると記されている。
主力技能は70台が中心で、最も高い《城壁破砕》が81。
その周囲にいる参加者からも、十分な驚きの声が上がっていた。
【S級冒険者《夜渡り》リセラ・クレイ】
【Lv.541】
【魔力 7150】
【敏捷 7820】
【器用 7460】
【感知 8460】
【《短剣術 Lv.84》】
【《気配遮断 Lv.88》】
【《危機感知 Lv.79》】
【《闇術 Lv.74》】
探索と潜入を専門にするS級であり、感知能力と気配遮断は同階級の中でも高い。単独討伐より、敵地からの救助や情報回収で多くの実績を残していた。
一般的なS級の主力技能は70前後。
80台へ入れば、同階級の中でも明確な上位へ数えられる。
エイルの剣術や魔力圧縮が100へ届いていることが、改めて普通ではないと分かる基準だった。
さらに上段には、通常のS級とは別枠の印が付けられた名前がある。
【S級冒険者《無帰》カイ・ラグナ】
【Lv.708】
【HP 8520】
【MP 8010】
【筋力 9280】
【耐久 8710】
【敏捷 10340】
【器用 9160】
【感知 8890】
【《剣術 Lv.97》】
【《身体強化 Lv.91》】
【《危機感知 Lv.94》】
【《自己治癒 Lv.86》】
【固有技能 非公開】
単独で未帰還指定区域から7度生還し、複数国家から特別契約を提示されながら、いずれにも所属していない。
通常のS級を明確に上回り、一部記録では英傑級に準ずる戦力と評価されている。
それでも、剣術は97だった。
技能上限である100へ近づいているだけで、別格S級として記録石板の最上段へ置かれている。
エイルはカイの数値を見ながら、自分の身体感覚と比較した。
筋力と耐久では、まだ僅かにカイが上。
敏捷と器用も近い。
一方、魔力と感知ではすでにこちらが上回っており、上位技能まで含めれば、総合的に届かない相手とは思えなかった。
記録石板の最上部には、競技参加者ではなく、参考戦力として国家英傑の情報が表示されている。
【国家英傑《天槍》アーデン・クロス】
【Lv.906】
【HP 11680】
【MP 13420】
【筋力 12760】
【耐久 11290】
【敏捷 11980】
【器用 11460】
【感知 10480】
【《槍術 Lv.100》】
【《投擲 Lv.96》】
【《魔力操作 Lv.94》】
【《身体強化 Lv.92》】
【固有技能・奥義・軍務能力 非公開】
周囲の参加者が最も注目しているのは、能力値ではなく《槍術 Lv.100》だった。
「本当に100まで届いているのか」
「王国で確認されている槍術100は、アーデン閣下だけだろう」
「《無帰》ですら剣術97だぞ」
Lv.100は、S級なら当然に持つ技能ではない。
長い時間を掛けて1つの技を磨き続けた者が、人類に定められた上限へようやく触れる。国家英傑であるアーデンでさえ、100へ届いているのは槍術だけだった。
その事実を知れば、エイルの異常さは能力値以上に大きい。
17歳で剣術と魔力圧縮が100へ届き、魔力操作と近域感知は、すでに通常の上限を越えて別の技能へ変わっている。
ただし、アーデンとの差が消えたわけではない。
カルグ旧砦で見た槍は、周囲へ力を散らさず、120メートルを超える巨獣だけを天から貫いた。魔力掌握で触れようとしても、アーデンの支配が行き届いた槍には、こちらが入り込める余白がなかった。
数値は比較できる。
技能レベルも見える。
それでも、長い年月で磨かれた完成度と固有技能、公開されていない奥義まで含めれば、現在はまだアーデンが少し先にいる。
差は遠くなかった。
エイルが記録石板から離れようとした時、背後から低い声が掛けられた。
「自分の記録を探していたのか?」
振り返ると、身長2メートル近い大柄な男が立っていた。
太い腕には金属製の籠手を着け、背中には柄だけでもエイルの身長に近い巨大な戦槌を担いでいる。
《城砕き》ドーガン・バルクだった。
「僕の記録は載っていないと思います」
「濃灰の長衣に、少し長い片刃剣。カルグ旧砦で母蟲の術式を撃ち返したA級だろう」
「軍都では、話が広がるのが早いですね」
「戦技会前の酒場では、今一番多く聞く名前だ」
ドーガンはエイルの腰にある長剣へ目を向ける。
「公開測定を受けないらしいな」
「はい」
「それ自体は構わん。だが個人戦域で当たった時、A級だと思って加減する気もない」
「その方が助かります」
エイルの返事を聞いたドーガンは、少しだけ目を細めた。
「怖がらないのか。若いとは聞いていたが、いくつだ?」
「17歳です」
「……聞かなければよかったな」
ドーガンは額へ手を当てたあと、巨大な戦槌を担ぎ直した。
「参加受付は西部館だ。人の流れへ任せると、軍学校の団体窓口へ連れていかれるぞ」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。戦域で会ったら、剣で返せ」
大柄なS級は、集まった人々の間を抜けて去っていった。
◇
西部館での参加受付は、能力測定よりも実績確認へ時間を使った。
第3調査拠点から送られた防衛記録、脈源外殻の調査報告、カルグ旧砦とレネア中継塔での戦闘記録が、受付官の机へまとめられている。さらにリディア監査官とアーデンの署名まで揃っているため、追加の実技審査は求められなかった。
「参加区分は、個人戦域、未知環境適応戦域、集団防衛戦域の3つへ推薦されています」
「すべて参加しないと、地理院の資料は見られませんか?」
「資料開示申請権は総合評価で決まります。1つだけでも高評価へ届けば取得できますが、複数戦域へ参加した方が評価機会は増えます」
「では、3つとも参加します」
「日程が重なる場合は選択が必要です。初日の選抜結果によって再編されますので、明日の説明会で確認してください」
受付官は参加証へ、エイルの名と現在の階級を書き込んだ。
【A級冒険者 エイル・アーネット】
【公開測定記録なし】
【特別推薦枠】
記録石板へ並んでいた参加者と比べれば、分かることはほとんどない。
「宿泊区画は第2外郭の冒険者棟です。戦技会期間中は、参加証を提示すれば食堂と訓練場を利用できます」
「地理院の一般資料は、戦技会が始まる前でも見られますか?」
「一般公開分は明日から閲覧できます。西部特別収蔵庫については、評価確定後に申請してください」
すべてを待つ必要はないらしい。
エイルは地理院の場所も確認し、西部館を出た。
◇
冒険者棟の個室へ入ったあと、エイルは荷物を下ろし、状態板を開いた。
石橋での戦闘と、その後の移動による成長が反映されている。
【エイル・アーネット】
【年齢 17】
【Lv.220 → Lv.229】
【HP 6178】
【MP 9186】
【筋力 8104】
【耐久 7342】
【敏捷 10196】
【器用 8775】
【感知 12940】
【ユニークスキル】
【《越境 Lv.7》】
【主要技能】
【《剣術 Lv.100》】
【《魔力圧縮 Lv.100》】
【《魔力掌握 Lv.12 → Lv.16》】
【《戦域知覚 Lv.3 → Lv.6》】
【《分岐予見 Lv.9 → Lv.12》】
【《振動感知 Lv.92》】
【《魔力感知 Lv.59》】
【《危機感知 Lv.51》】
【《警戒圏 Lv.66》】
【《衝界 Lv.89》】
【《地鳴り Lv.13》】
【《断天 Lv.19》】
【《遠衝斬 Lv.19》】
【《空衝歩 Lv.27》】
【《纏刃 Lv.18》】
【《剣術 Lv.100》に蓄積された経験が上昇しました】
【《魔力圧縮 Lv.100》に蓄積された経験が上昇しました】
【上位剣技能への昇華条件を一部達成しました】
【複数対象を含む戦場全体と斬線の統合】
【構造を保護し、内部の敵性対象のみを切断】
【未達成条件が存在します】
エイルは中央広場で見た公開記録を思い返した。
Lv246のバルサは、能力値では現在の自分から大きく離れている。
Lv472のドーガンと比べても、筋力、耐久、HP以外ではこちらが上回っていた。
Lv541のリセラに対しては、公開されていた主要能力のすべてで優位にある。
Lv708のカイとは、身体能力の一部で僅かな差が残っているものの、魔力と感知では大きく上回っている。《戦域知覚》《分岐予見》《魔力掌握》まで含めれば、総合的にはこちらが有利だと考えられた。
それでもエイルのレベルは229にすぎない。
一般的な成長であれば、A級の中でもまだ若い部類へ入る数字である。その段階で能力値は別格S級へ並び、技能については、人類の上限へ複数到達していた。
《越境》の成長効率は、レベルが上がるほど周囲との差を広げている。
アーデンの能力値とは、感知を除いてまだ差がある。槍術100の完成度、固有技能、奥義、実戦経験まで含めれば、正面から戦った場合に勝ち切れるとは言い切れない。
しかし、何もできない距離でもなかった。
《戦域知覚》と《分岐予見》なら、槍が放たれる前の変化を捉えられる可能性がある。魔力掌握で槍そのものを奪えなくても、周囲の魔力や地形へ干渉し、アーデンが望む戦場を作らせない方法は考えられる。
現在はまだ、少し届かない。
だからこそ、次に進む場所としてはちょうどよかった。
◇
夜になり、冒険者棟の食堂へ下りると、広い室内にはA級やS級を含む参加者が集まっていた。
《赤楔》のバルサたちも奥の席へ座っている。石橋で救助した旅人を宿場まで送り届けたあと、遅れて軍都へ到着したらしく、エイルを見つけると大盾の脇から片手を上げた。
窓際には《夜渡り》リセラが1人で座り、周囲の会話へ加わらず食事を続けている。別の席では《城砕き》ドーガンが数人の冒険者に囲まれ、酒杯を片手に防壁戦の話をしていた。
食堂の最奥だけは、不自然なほど席が空いていた。
黒い外套を椅子へ掛けた男が1人、壁際へ長剣を立て、静かに食事を取っている。
年齢は30歳前後。
短い灰色の髪と、古い傷が幾つも残る両手。
別格S級《無帰》カイ・ラグナだった。
エイルが料理を受け取った時、カイがこちらへ顔を向ける。
《分岐予見》へ、男が立ち上がる可能性、そのまま食事を続ける可能性、こちらへ声を掛けず視線だけを外す可能性が重なった。
カイは椅子へ座ったまま口を開く。
「濃灰の剣士」
食堂の会話が僅かに小さくなった。
「エイルです」
「明日の初戦域、お前は第7区画へ入るらしい」
「もう組み合わせが出ているんですか?」
「職員が入口へ貼り出している」
カイは机の上へ置いた参加札を指先で回した。
刻まれているのは、同じ第7区画を示す番号だった。
「俺もそこへ入る」
一般の参加者なら、それだけで顔色を変える組み合わせだろう。
エイルは近くの空いた席へ料理を置いた。
「個人戦域ですか?」
「未知環境適応戦域だ。内部の地形も、出される課題も知らされていない」
「それなら、戦うとは限りませんね」
「目的が違えばな。同じものを取り合うなら、先に確保した方が勝つ」
カイの声に挑発する響きはない。
自分が先に取ると、当然の前提として話しているだけだった。
「分かりました」
「怖くないのか?」
「目的物も場所も分からないのに、今から怖がっても仕方ありません」
カイは数秒ほど黙り、やがて僅かに口元を緩めた。
「アーデンが署名した理由は、それかもしれんな」
最初の戦域には、通常のS級すら一目置く別格がいる。
それでも、記録石板で数値を見たあとのエイルには、遠く離れた相手とは思えなかった。
カイのレベルは708。
エイルは229。
数字だけを見れば、比較すること自体がおかしいほど離れている。
その差を無視するように、能力値と技能はすでに同じ戦場へ届いていた。
エイルは食事を始めながら、食堂全体へ《戦域知覚》を薄く広げた。
軍都にはA級、S級、そして国家英傑が集まっている。
ここでなら、自分が現在どこまで来ているのか、実際の戦いによって確かめられる。
同時に、まだ少し先にいる者へ追いつくための経験も、十分に得られるはずだった。




