第117話 圧縮の先
合同演習1日目の終了から30分ほど経っても、エイルの身体にはまだ戦闘中の感覚が残っていた。
最終順位は白が132点、青が130点、赤が121点。北西拠点を最後まで守り切ったにもかかわらず、中央拠点を終了42秒前に赤へ奪われ、さらに白が別目標で着実に得点を積んでいたことで、青は僅か2点届かなかった。
悔しくないと言えば嘘になる。
ただ、それ以上にエイルの中へ残っていたのは、今日1日で見た大量の戦い方だった。
レオンは相手へ合わせ続ける《戦脈》によって、時間そのものを自分の味方へ変えていた。アルベルトは能力値で劣る部分を剣の置き方と経験で埋め、ハルドは自分から数百メートル離れた場所へ矢を置くことで敵の進路を制限し、ローディンは剣だけに拘らず全身を1つの武器として使っていた。
ガルムもそうだった。
ハルドへ追いつけないからといって速度勝負へ付き合うのではなく、相手が撃ちたい場所へ自分の巨体を置くことで、追いつく必要そのものを消していた。
数字だけを比べれば見えない強さが、1日の中にいくつもあった。
「疲れてる顔には見えないな」
声を掛けられて振り返ると、簡易宿舎前の長椅子へレオンが座っていた。
赤陣営の軽装はすでに外しており、上着の袖を肘まで捲った姿で水筒を片手に持っている。演習中には何度も鋭く見えた目も、今はかなり緩んでいた。
「疲れてはいますよ」
「その割に、さっきから手を握ったり開いたりしてる」
言われて初めて、エイルは自分が右手を何度も動かしていたことに気づいた。
「ちょっと考えてました」
「嫌な予感しかしないな」
「まだ何もしてません」
「お前の場合、『まだ』が付く時点で信用できない」
レオンが隣を顎で示したので、エイルは少し迷ったあと腰を下ろした。
周囲には演習を終えた兵士や冒険者が行き交っており、医療班へ向かう者、仲間と結果について話す者、地面へ座り込んだまま動かない者までいる。エイルも外見だけならその中の1人だったが、汗で乱れた暗灰色の髪と土埃の付いた頬に対して、目だけは疲労より考え事へ向いていた。
「今日、最後に《高密度強化》使っただろ」
レオンが言う。
「見えてました?」
「中央から北西へ飛んでったのは見えてないが、戻ってきた連中が騒いでた。『まだ上があった』ってな」
「全身では使ってません」
「知ってる。それも聞いた」
レオンは水筒を口へ運びながら、少しだけ嫌そうな顔をした。
「脚と腰だけであれなら、全身に回したらもっと上がるんだろ?」
「多分。ただ、今のまま全身で長く使ったら負担が大きいと思います」
「その判断ができるなら安心……と言いたいところだが、お前さっき何考えてた?」
エイルは少し黙った。
「《高密度強化》って、身体へ流す魔力の密度を上げて強化しますよね」
「名前通りならそうだな」
「じゃあ、その前に《魔力圧縮》したらどうなるんだろうって」
レオンの水筒が口元で止まった。
「……何?」
「流し込んでから密度を上げるんじゃなくて、《魔力圧縮》で先にかなり小さく圧縮した魔力を作って、それを《高密度強化》へ使ったら、同じ場所にもっと多く入れられるかなと思って」
しばらく返事がない。
エイルが横を見ると、レオンは何とも言えない顔でこちらを見ていた。
「それ、普通に考えたら身体の中で魔力が暴れるぞ」
「やっぱりそうですか」
「やっぱり、で済ませるな。高密度強化って時点で通常より濃い魔力を身体へ通してるんだろ。そこへ圧縮したものをさらに押し込んだら、経路側が耐えられるか分からん」
「だから、全身は怖いですね」
「腕でも怖い」
「指なら?」
「実験単位を小さくすれば安全になると思うな」
即答された。
エイルは少しだけ考え、確かにと思って頷く。
「でも、できたら強そうですよね」
「そこは否定しない」
レオンがため息を吐いた。
単純な発想ではある。
しかし、魔力を扱えるからといって、誰もが同じことを試せるわけではない。
《魔力圧縮》そのものを高い精度で扱いながら、その圧縮を解かずに身体強化へ転用し、さらに身体の各部へ偏りなく流す必要がある。少しでも魔力の塊が偏れば、筋肉を動かすどころか内部から強い負荷を掛けることになる。
エイルの《魔力操作》はすでに85まで上がっている。
だからこそ、発想として成立する。
「試すなら医療班に見てもらえ」
レオンが言った。
「今からですか?」
「お前、どうせ止めても1人でやるだろ」
「明日にするかもしれません」
「可能性が残ってる時点で連れていく」
◇
白崎のような専属医療担当がいるわけではない演習場では、各陣営共通の軍医療班が負傷者の確認を行っていた。
エイルがレオンに連れられて簡易診療棟へ入ると、最初に対応した軍医は「どこを痛めた」と訊いたものの、事情を聞いた途端に顔つきを変えた。
「つまり、怪我をしたから来たんじゃなく、これから怪我をするかもしれない実験をしたいと?」
「怪我はしたくないです」
「俺もさせたくない」
軍医の返事は早かった。
それでも完全に追い返されなかったのは、エイルの魔力経路の状態を確認したところ、長時間の戦闘後にもかかわらず深刻な損傷が見つからなかったことと、レオンが「放っておく方が危ない」と横から補足したからだった。
結局、使用するのは右前腕だけ。
出力は通常の《高密度強化》より僅かに高い程度から始め、《魔力圧縮》も普段の戦闘で使う圧縮率より大幅に低く設定することになった。
「痛み、痺れ、熱感、魔力が引っ掛かる感じのどれかが出たらすぐ止めろ」
「分かりました」
「本当に分かってるか?」
「多分」
「帰れ」
「分かってます」
言い直すと、軍医はようやく許可した。
訓練用の小さな部屋へ移動し、エイルは右腕を見ながら深く息を吐く。
まずは通常通り《身体強化》。
そこから右前腕だけへ《高密度強化》を重ねる。
ここまでは今日何度も使った感覚と大きく変わらない。
筋肉の内側へ濃い魔力が通り、握力や腕を引く力が明確に上昇する。
問題はここからだった。
エイルは身体へ流す前の魔力を、掌より少し手前で一度留める。
《魔力圧縮》。
普段なら攻撃や《衝界》へ使うために圧縮する魔力を、今日はかなり小さな量だけ作る。
魔力の塊が縮む。
密度が上がる。
その状態を崩さないまま、高密度強化を維持している右前腕へ少しずつ流した。
「……重い」
魔力そのものに重さがあるわけではない。
それでも感覚としては、細い管へ無理に何かを押し込んだ時のような圧力が返ってきた。
通常の《高密度強化》では、身体の内部へ魔力を広げながら密度を高めていく。
今回は逆。
すでに圧縮されたものを、身体側へ入れようとしている。
魔力経路が広がるような感覚と、その周囲の筋肉が内側から強く押される感覚が同時に来た。
「痛みは?」
軍医がすぐ訊く。
「まだないです。でも、圧力はかなりあります」
「ならそこで止めろ」
「あと少しだけ」
「おい」
エイルは出力を上げたのではなく、圧縮した魔力の一部をほんの僅かだけ解いた。
すると、高密度強化の内部で魔力が膨張しようとする。
その瞬間。
右腕全体の筋肉が一度だけ強く収縮した。
握っていた訓練用の金属棒が軋む。
「止めろ!」
軍医の声と同時に、エイルも魔力を抜いた。
右前腕へ残っていた圧力が急速に消えていく。
痛みはない。
ただし、筋肉の奥には一度限界近くまで力を出した後のような鈍い疲労が残った。
レオンが金属棒を見る。
「……お前、今握っただけだよな」
「はい」
太さ3センチほどの訓練棒。
中央部分が、僅かに指の形へ変形していた。
完全に潰したわけではない。
それでも剣を振ったわけでも、《衝界》を使ったわけでもなく、右手の握力だけで金属へ形が残っている。
「これ、かなり上がりますね」
「その前に腕見ろ」
軍医が触診する。
筋肉の断裂はない。
腱も問題なし。
魔力経路には軽い熱があるものの、損傷と呼べるほどではなかった。
「今のでこの程度なら、低出力では耐えられる。ただし、今の圧縮率をそのまま倍にするような真似は絶対するな」
「倍だと?」
「聞くな。するなと言った」
「はい」
エイルは素直に頷いた。
しかし頭の中では、すでに今起きたことを分解していた。
圧縮した魔力をそのまま流すだけでは、経路への圧力が大きすぎる。
だから少量を入れてから、必要な瞬間に内部で圧縮を解く。
そうすれば、外から大量の魔力を一気に流し込まずに、身体の中で一瞬だけ出力を跳ね上げられる。
問題は。
その瞬間に身体側が耐えられるか。
「……一瞬なら」
「その顔やめろ」
レオンが言った。
◇
少し時間を空け、右腕の状態に異常がないことを確認してから、今度は実際に動かす試験へ移った。
訓練場の隅には、対人では使わない打撃確認用の大型木柱が設置されている。
直径は40センチ近くあり、内部には衝撃吸収用の繊維が詰められているため、普通の兵士が身体強化を使って殴った程度では簡単には折れない。
エイルは右拳を握った。
「殴る前に言っておくが、全力は禁止だ」
軍医が念を押す。
「今の低い圧縮だけです」
「《衝界》も使うな」
「使いません」
「他の技能を途中で追加するな」
「分かりました」
後ろではレオンが腕を組んで見ている。
さらに、いつの間に聞きつけたのか、アルベルトまで入口付近へ立っていた。
「何でいるんですか?」
「レオンが面白いことを始めたと言うから来た」
「俺じゃない」
レオンがすぐ否定する。
「どう考えてもそいつだ」
エイルは少しだけ笑い、木柱へ向き直った。
通常の《身体強化》。
右腕へ《高密度強化》。
そのさらに内側へ、ごく少量だけ《魔力圧縮》した魔力を入れる。
まだ解かない。
圧力を維持する。
木柱まで一歩。
拳を引く。
この状態だけなら、通常の《高密度強化》と大差ない。
違うのは。
当たる直前。
圧縮を。
解く。
拳が木柱へ触れる直前、前腕と上腕内部で圧縮していた魔力が一気に膨張し、高密度強化で作られていた経路へ流れ込んだ。
右腕の出力が、一瞬だけ跳ね上がる。
拳が木柱へ入った。
鈍い衝突音が室内へ響く。
木柱そのものは折れない。
しかし、固定されていた土台が後方へ数センチ滑り、その直後に柱の中央から細い亀裂が何本も伸びた。
エイルはすぐ右腕から魔力を抜く。
「……」
レオンが黙る。
アルベルトも木柱を見る。
軍医だけはエイルの右腕を見ていた。
「痛みは?」
「あります」
「どこだ」
「肘の少し下と、肩」
すぐ確認される。
軽い筋損傷。
腱は無事。
魔力経路にも傷はないが、さっきより明確に熱を持っている。
「今のでこれだ。分かったな」
「はい。連続は無理です」
「そういう意味だけじゃない」
「でも、1回なら使えそうです」
「だからそういう意味だけじゃない!」
軍医の怒鳴り声が訓練場へ響いた。
アルベルトが少し離れた場所で肩を震わせている。
「笑ってます?」
「いや」
「笑ってますよね」
「16歳の冒険者を止める軍医というのも大変だと思ってな」
「他人事だと思いやがって」
軍医の視線がアルベルトへ向いたことで、騎士は素直に黙った。
◇
エイルは治療を受けながら、今の1撃を何度も頭の中で再生していた。
通常の《高密度強化》は、強化した状態をある程度維持できる。
今日のように脚や腰へ限定して使えば、移動や押し合いにも利用できる。
しかし今試したものは、性質がまるで違った。
維持するための強化ではない。
圧縮した魔力を身体の中へ保持し、必要な瞬間に解放することで、一動作だけ通常の高密度強化を大きく上回る出力を作る。
その代わり、身体へ返る負担も跳ね上がる。
今の低い圧縮率ですら、拳を1回振っただけで筋肉へ軽い損傷が出た。
さらに圧縮率を上げれば、威力は増えるだろう。
ただし、自分の身体が先に耐えられなくなる。
「面白いな」
思わず口から出た。
「面白くない」
軍医が即座に返す。
レオンは木柱へ残った亀裂を見ながら、少し真面目な顔になっていた。
「これ、剣でもできるのか?」
エイルは考える。
「多分。でも腕だけじゃなく、肩と腰と脚まで繋げないと、剣を振る速度に身体が負けると思います」
「《衝界》まで乗せたら?」
その問いに。
エイルは黙った。
通常の身体出力。
《身体強化》。
《高密度強化》。
そこへ《魔力圧縮》を使った瞬間解放。
さらに新しい剣は、《衝界》の高出力を通すために作られている。
全部。
重ねたら。
「考えるな」
軍医が言った。
「まだ何も言ってません」
「顔に出てる」
アルベルトも苦笑する。
「さすがに今は試さない方がいいぞ。武器より先に君の肩が駄目になる」
「分かってます」
エイルも今回は本気で頷いた。
今すぐ使える技ではない。
少なくとも、完全な形では。
身体が足りない。
制御も足りない。
圧縮した魔力をどこまで保持できるのか、どの瞬間に解放すれば最も負担が少ないのか、筋肉だけでなく骨や関節へどう力を流すのかも分かっていない。
だからこそ。
育てられる。
【《魔力圧縮 Lv.62 → Lv.63》】
【《高密度強化 Lv.41 → Lv.42》】
【高圧縮魔力を用いた局所強化を確認しました】
【複数技能間における瞬間出力の統合精度が上昇しています】
【未定着技術を確認しました】
最後の表示で、エイルの目が止まった。
技能名はない。
まだ技ですらない。
ただ、システム側が「何か」を認識し始めている。
「何か出たか?」
レオンが訊く。
「まだ名前はないです」
「まだ?」
「多分、完成してないので」
エイルは治療された右腕をゆっくり握り、先ほど一瞬だけ生まれた異常な出力を思い出した。
常に使う必要はない。
むしろ、使えない方がいい。
普段の戦いなら《身体強化》と《高密度強化》で足りる。
それでも。
今の自分では届かない相手が現れた時。
あと一歩。
あと一撃。
そこだけを越えるためのものなら。
かなり使える。
「明日の演習で使うなよ」
レオンが先回りして言った。
「使わないです」
「本当か?」
「今のままだと自分も痛いので」
「理由はともかく、それならいい」
エイルは素直に頷いた。
少なくとも明日は。
まだ。
使わない。
ただし、身体と制御が追いついた時。
《高密度強化》のさらに先にあるものが、自分にとってかなり大きな切り札になる。
その感覚だけは。
もう確かだった。




