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プロローグ「退屈な毎日」

 獣を狩るのは、狩人の義務。

 当然のことだ。


 廃墟となった古い都市。その交差点跡の真ん中で、巨大な猪だった何かが横たえていた。どうやら、息は無いらしい。


 月も星も見えない真っ暗なお昼時。頭上から降るのは、遠くの照明塔が振りまく薄光だけ。そのわずかな灯りがちらちらと、青い制服に身を包んだ者らを照らし、彼らは円を描くように立ち並んでいる。

 彼らはそれぞれ、内側だけぼんやりと照らす奇妙な白い傘を掲げていた。


 その足元には、血と肉と、もともと何だったのか判別のつかない塊。雪なのか、土なのか、意志なのか、肉なのか、角なのか、炭なのか、誰にも分らなかった。


 猪の屍に、ひとりの人間がしゃばみ込んでいた。

 噛み千切るたび、なんとも不愉快な音がして、闇の中に湿った生臭さが広がった。円をる来る者たちのひとりが、耳の横に小型の機器を当てた。低く押し殺した声が、静かな暗闇にだけはっきりと響く。


「死亡した魔獣一体を確認。周辺に〝呪い〟に汚染された残骸多数。加えs手、独断専行して討伐にあたった狩人の異常行動を確認。おそらく、呪いに感染したものと思われる……指示を」


 しばらくノイズだけが混ざり、やがて機器の向こうから冷たい声が返ってきた。


『狩人の喪失は痛いが、呪われているなら駆除せねばならん。務めを果たせ』

「了解」


 短く答えると、円の中の狩人たちは、静かに構えを整えた。


 細長い棒、腕に沿う鈍い光を放つ紐、白い小銃。


 どれも、手にした者の息遣いと同じリズムで、かすかに軋み、義務的な殺意が宿る。

 その気配に勘づいたのか、肉を貪っていた人物の肩がぴくりと震えた。指先から血と油と黒い液体がこぼれ落ちる。ゆっくりと立ち上がり、よろめくように片足を前に出した。


 瞼の縁を突き破って伸びた角は、目と呼べるはずの場所を占領している。空ろな顔は、ただ真上の闇を見つめていた。


「キミたちには、落ちる神、その赤い怒号が見えるかね」


【プロローグ】


 貴船透は退屈していた。自分にしかできない特別な何かを探していた。魔獣、魔術、四種の人類、礼装、宝物。神秘と恐怖に満ち溢れる世界において、自分は只の女子高生。別にお姫様やヒーローになりたい訳じゃない。


 ただ、何か立派なことをしてみたかった。


 ◆


 携帯端末に映る海の映像は、青く、輝いていた。


 白い粒の水しぶきが宙を舞い、押し寄せる波が砂を洗う。水の冷たさに撮影者の男性が悲鳴を上げ、数歩先を歩いていた女性が振り向いて笑った。水は冷たくとも、暖かい気候なのか、女性は袖が二の腕までしかない服を着ていた。明るい世界は、どこまでも先が見え、水平線の先は空に溶けている――まだ太陽が砕かれていない前の世界が、そこにあった。


 貴船透の吐いた白い息が音が気質に溶けていく。耳の先が空気の冷たさに赤く染まり、ギターの弦にかかる指先の感覚は曖昧なものだった。ふと窓を見やれば、ぽつぽつと雪が窓を小突いている。炭のように暗い空を見るに、分厚い雲に覆われているのだろう。日中を示す月は、いつもより朧気な姿だった。


 そのとき、一羽の黒い鳥が建物から垂れ下がる氷柱に留まった。三本の足が特徴的な三光烏は、その三

本の足を器用に使って氷柱を掴み、赤い嘴を開いて氷を舐めている。昔はゴミ捨て場や森の中でよく見かけたそうだが、今は呪いの影響で数を減らしてきているそうだ。今朝、ニュースキャスターがそれを嘆いていたのを思い出す。


「透さーん、もう午後の授業が始まりますよ~。早く行きましょ~」


 透は震える少女の声に振り向き、イヤホンの片側を外して「すぐ行く」と返す。放り捨てていたケースにギターを仕舞い、携帯からイヤホンを外して、ピックと一緒に制服の胸ポケットに突っ込んだとき、携帯が震えた。


 母からだ。


『進路希望用紙は出したの?』


 透はメールを見るや、眉を顰めて、すぐにポケットに押し込んだ。

 進路希望用紙は、いまだ空欄のままだった。


 ◆


 校舎を出た瞬間、白い風が頬を撫でた。


 軽い雪が舞い、吐く息といっしょにさらわれていく。透は赤いジャケットの襟を少し持ち上げ、ほう、と短く息を吐きながら歩き出した。

 そのとき、背後からの甲高い声が、透の足を掴んだ。


「透さーんっ! 置いてかないでくださいよー!」


 快活な声に振り向くと、マフラーを口元まで巻いた小路が、両手を振りながら駆け寄ってくる。小路の腕には、細長い白い棒――折り畳まれた『秘傘』が抱えられていた。


「……なんだ、まだいたんだ。授業終わってだいぶ経ってるのに」

「透さんを待ってたんですよ! っていうか、これ!」


 小路は得意げにそれを突き出した。


「透さんの秘傘。教室の机の横に置きっぱでした!」

「……あ」


 透は思わず口を開いた。受け取る前に、反射で柄の丸いスイッチに親指が触れる。

 かちり、と軽い感触。次の瞬間、白い棒がぱっと花のように開き、薄い膜が円く広がった。


 傘の内側が、ほのかな日色に満ちる。

 雪の冷たさとは別の、肌に染みるような温もりが頬と指先に落ちた。たったそれだけで、肩の力が一段ゆるむ。


 透は思わず、膜越しに空を見上げた。

 灰色の雲の向こう――そこに“太陽”はない。今となっては、砕け散った太陽の残骸は、秘傘の小間になり、日光を生む道具になっている。いつからこうなったのか、透にとっては生まれたときから当たり前で、当たり前すぎて、映像の中でしか空の青さを知らなかった。


 この秘傘は、ただの雨具じゃない。柄の部分に丸いスイッチと目盛りが付いていて、開けば小間の内側から柔らかな日光が広がる。雪を防ぐため、というより、光の中を歩くための道具だ。


 人類が栄養補給する方法は二通りある。

 まずは食事。これは肉体のためにある。

 二つ目に、光合成だ。これは〝魂〟のためにある。日光に含まれる特殊な〝魔力〟が必要で、これが不足すると体調を崩してしまう。だから皆、端末と同じくらい当たり前に秘傘を持ち歩く。過剰な光を遮るためでも、か細い光を少しでも拾うためでも。どちらにせよ、光なしではまともに一日が回らない。


「忘れてた」


 透がぼそりと呟くと、小路が「しっかりしてくださいよぉ!」と笑った。


「最近、透さんぼーっとしてること多いですもん。気を付けてくださいね」

「はははっ、ご忠告どうも」


 透は秘傘を受け取って、柄の冷たさを掌に感じた。目盛りのゲージは、まだ余裕がある位置を指している。


「お待たせ~」


 小路の少し後ろから、澪と綾香が肩を寄せ合って現れた。小路は後輩で、綾香と澪は同級生の女子だ。どうやら、三人とも自分を追って来たらしい。


「聞きました? 今日、北の魔獣の掃討が終わったんですって!」


 澪が目を輝かせて言う。綾香もうんうんと頷いて続けた。


「ニュースでやってたね! 映像はなかったけど、狩人さんたちが壁や屋根上を走り回ってたとか」

「倒したんならいいことじゃん。なら、北の封鎖も解除ってことか」

「そうですよー、だから今日はお祝いしましょうよー!」


 小路が透の手を握って、ぶんぶんと振り回す。


「方便でしょうが~」と透は揺られながら

「遊び行きましょうよぉ」


 ぴたりと透の抵抗が止まった。おっ、と小路は期待が成就したと確信する。

 しかし、


「……やめとく」


 透は思わず「今すぐ行こう」と快諾しそうになるのを堪え、首を振った。

 なんとなく、今日は出歩くのが億劫で、こんな気分ではしゃぐフリもできそうにはなかった。


「三人で行ってきなよ」


 なんとも歯切れの悪そうな透の返事を聞いた三人は、それぞれ顔を見合わせ、何かを察したらしく、小路はすんなりと透から離れた。綾香と澪も肩をくいっと持ち上げ、小路の両脇を抱え、引き摺るように、というか引き摺って透の傍を通り過ぎる。


「今度こそ一緒に行きましょうね!」


 小路は尚も無邪気な笑顔を讃えたまま、そう言った。透は「はいはい」と手を振る。

 透は三人を見送り、曇り空を見上げた。灰色の空に、いつかの映像で見た海の青がふっと重なる。

 彼女はひとり、静かな通りを歩き出した。


 ◆


 退屈って奴は、ひどい毒だ。


 そいつは脳の奥深くに現れ、ふとした瞬間に神経に沿って根を伸ばし、心の琴線を麻痺させる。大して興味もないことに投資したりね。雑誌で目にした美容師に魅せられたり、ギターの音色に夢中になったりしちゃって、それで高いハサミや楽器をねだって買ってもらい、やってみるけど、すぐに飽きてしまう。そこに熱なんてある訳もなく、だらだらと続けているだけ。


 ハサミは髪ではなく紙を切り、ギターは只のやかましい木工品でしかなく、結局、どれも退屈を紛らわす〝暇つぶし〟でしかなかった。才能があるか確かめる前に、大抵の物事に飽きてしまう。


 夢中になれるような〝何か〟を、透はずっと探している。






 ――探していた。


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