035
ーー璃州国の使節団が滞在している客殿では、璃州の使節が荷駄をまとめていた。
藍は最後の箱を閉じ、ルシェルの前で深く頭を垂れた。
「ルシェル様ーーこちらまできていただかなくても、私が出向きましたのに…」
藍がソワソワと落ち着かない様子でルシェルに言う。
「あなたは準備でお忙しいでしょう?それに、丁香様にお話があって来たのです」
ルシェルは藍に優しく微笑む。
「…お話ですか?」
「ええ。実は、以前から私の父ーーアストレア公爵に、貴国との取引の際に支援してもらえるように話していたのだけれど、無事に許可が降りたのです。陛下からもすでに交易の許可はいただいています。皇室を通せば政治色が濃くなりますが、アストレア公爵家を介せば“商業取引”として進められる。璃州国にとってもより柔軟な交渉ができるはずです」
ルシェルは少し言葉を区切り、声を落とす。
「こちらからは、ヴェルディアで産出される鉄や銀を。貴国からは茶葉や絹を。この交易が、お互いの不足を補い、長く続く信頼の礎になると考えています。……丁香様、私はあなたを“対等な取引相手”と見ています。どうでしょうか?」
藍は静かに瞳を細め、沈黙ののちに口を開いた。
「……なるほど。皇室ではなく公爵家を通す……ですか。それなら確かに、璃州国内での反発は抑えられそうです。皇室の権威を背にした取引は、時に“従属”の証と映ってしまうことがありますから…」
藍が少し気まずそうに話す。
アストレア家はこれまで、外交においても”宮廷の橋渡し役”として機能してきた。
皇室を通すよりも、公爵家を介した方が商業的な取引として扱いやすく、国同士のしがらみも少ない。
その強みを今回も発揮する形となったのだ。
「ありがとうございます、ルシェル様」
「そんなに畏まらないでちょうだい。私と丁香様の仲でしょう?」
「…ええ、その通りですね」
二人は見つめ合い微笑みあった。
「短い滞在でしたが、ルシェル様と友人になれたことは、私の永遠の誇りです」
「こちらこそ、光栄です」
ルシェルは微笑み、彼女の手を取った。
「今度は、あなたの国に行きたいわ。その時は是非案内してくださいね?」
「ええ、必ず」
そういうと、藍は袖の内から小さな箱を差し出す。
「これは、璃州の職人が作った翡翠の簪です。友情の証にどうか受け取ってください」
「こんなに素敵なものを…いいの?」
「もちろんです。一般的に翡翠は緑色が主なのですが、こちらの簪はラベンダー翡翠と言って、ルシェル様の瞳の色と同じもので作らせた特別なものなのです」
「本当に素敵だわ、ありがとう。とても嬉しいです」
簪を胸に抱き、ルシェルは息を整える。
「私からもあなたに贈り物があるの」
ルシェルはそっと銀糸の刺繍がはいったハンカチをてわたした。
「私が針を通した物です。実は宮殿内の庭園に銀色の美しい蝶がよく現れるのですが……その蝶はなぜかいつも私を見守ってくれているように感んじる不思議な蝶なんです。私は何度も何度もその蝶に救われて来ました。なので、あなたのそばにもいつも私がいるということを伝えたくてーー」
言葉に重さが乗らないように、声をやわらげる。
「まるで、アンダルシアに伝わる伝承の蝶のようですね…」
「…ええ、そうね」
「…あ、いえ…失言でした。決して変な意味ではなく…!その…申し訳ありません…」
藍は宴での失言を再びしてしまったと思ったようだ。
ルシェルはクスッと笑い、「いいのよ」と言った。
「…ありがとうございます。一生大切にします」
藍はほっとしたように、感謝を伝えた。
「…道中、どうか無事で。手紙を書きますね」
「…はい。私もルシェル様に手紙を書きます」
藍は目を伏せ、そっとルシェルの手を取りささやいた。
「月の光が、いつもあなたを照らし、永遠の幸福をもたらしますように」
ルシェルは微かな頷きで返した。




