15話 モニカ・アブソリュート
いつまでも瞼に残る勇者の印から放たれた光を前に、さすがのクルミといえど僅かな時間目を閉じてしまっていた。そして、未だにチカチカとする視界の中でクルミが目にしたのは数秒前とは別人のようになったモニカの姿だった。
「モニカ・アブソリュート参上、だよ」
はっきりと静かに告げるモニカ。神話に出てくる女神が持つような輝く金色の髪に青色の右目と赤色の左目、身長は過去のモニカ・アブソリュートの時よりも一回り高くなっていた。
モニカ・アブソリュートでありながら、モニカ・アブソリュートではない。
「後は任せたよ、モニカ」
時間停止から解放されたキリカが、力尽きたようにその場で両膝をついた。つい先ほどまで放っていた照り付ける太陽のような魔力が今のキリカからは感じられない。
モニカの変身後の姿が今までに見たことのない理由を察したクルミは、口角を上げて喋りだす。
「あぁ、なるほど……。キリカちゃんの力も、か……。でも私の力の前には、どれだけ力を合わせても同じことだよ」
クルミは、ノア、アルマ、キリカの三人の力を肉体に継承したとされるモニカを前に淡々と告げる。勝負は最初から決まっているのだと信じて疑うことのないクルミは、先ほどと変わらない様子で言った。
「それはどうかな、クルミさん」
アブソリュート状態のモニカの人格は多少強気になる。そう聞いていたクルミは、別人のような気迫を放つモニカを前にしてもただただ落ち着いた笑みを見せ続ける。
「さっきから何度も何度も……。このやりとり、さっさと終わらせようよ。――生命ヲ統ベル理」
魔法陣すら浮かばせることなく超最高位の魔法を使用を宣言したクルミは、軽い動作で前方へと手をかざした。そして、足を浮かせれば十メートルほど距離のあったはずのモニカの背後まで一瞬で回り込んだ。さらに、その手はカルプルヌスを既に振り上げていた。
時間を止められ、さらにはモニカに追いつくことのできないスピードで現れたクルミ。油断することなく確実に相手を仕留めることのできる最善の攻撃方法だった。
「――ばいばい、モニカちゃん」
躊躇なくカルプルヌスを振り下ろしたクルミ。その刃はモニカの魔力を断ち切り、そのまま意識を昏睡させる――はずだった。
「……これは、何の冗談かな?」
その時、今日初めて本気でクルミは焦りの表情を浮かべた。正確には焦りなんてものではなく、肉体が無意識の内に反応して出した大粒の汗なのかもしれない。しかし、確実にクルミにとっては予想できない事態が起きたのだ。
――モニカが背中を向けたままで、空いている左手から出現させたアンナス・セイバーと思われる剣で背後からやってきたクルミの剣を受け止めていた。
「もう負けないよ」
強い意志を感じさせる声でモニカが言えば、アンナス・セイバーがクルミの剣を押し返した。
動揺して思考と肉体の反射が遅れるクルミ。そこから振り返ると同時に右手に持っていた勇者の剣を横に薙ぐ。
キリカより鋭く、ノアよりも重い一撃を前にしたクルミの肉体に張った魔力障壁を揺らし、衝撃を殺すこともできずに地面を転がった。
「ぐっ――」
苦しそうに呻くのはクルミの方だった。腹部にダメージを負ったのか腹を押さえつつ、視線を向けると既にモニカが次の戦闘態勢に移っていた。
「悪しき者を撃ち滅ぼせ! 見参せよ、光の剣っ!」
モニカとは思えない勇ましい声と共にモニカの左右から現れたのは、十本ほどの光の剣。クルミにはその剣は見覚えがあった。アルマの持っていたものだ。
左に五本、右に五本、宙に漂わせた光の剣は刃の先をクルミに向けられる。
「どこから、そんな力がっ――!」
「無駄口を叩いてる暇はないよ、クルミさん」
後方へと退こうとするクルミに表情を変えることもなくモニカは右手を振るった。それが合図となり、宙に浮いた光の剣がクルミに向かって突き進む。
回避をすることが不可能だと判断したクルミはその場で腰を据え、前方から迫る光の剣に意識を集中させれば、高速で接近する光の剣を叩き落す。しかし、一本一本が高密度の魔力だ。叩き落とすだけで、城全体を揺らすほどの魔力による爆発が巻き起こる。
「こんなものっ!」
十本目を叩き落したクルミの視界に影が差した。モニカが両手に剣を持ちクルミへと距離を詰めていた。
つい数分前の余裕が完全に消え去ったクルミは、長年の戦士としての直感から剣を重ねて振るうモニカの剣に己の剣を交錯させる。ぶつかり合うの剣と剣の中で、クルミはモニカの違和感に気づくことができた。
「その力……! ノアちゃんでも、アルマちゃんでも、キリカちゃんのものだけじゃない……! なんなの、その力はっ!?」
何かとんでもない獣がモニカの内から顔を覗かせていることに気づいたクルミは声を荒げた。
自分以上の力を持つ者なんて存在しない。ずっとそう考えていたはずのクルミだったが、今目の前のモニカに力を貸している存在は明らかにクルミと同等かそれを上回ろうとしている。しかし、数年間世界中を回ったクルミからしてみても、自分以上に強い人物なんてましてやモニカに近しい人物で――否、もっと根本的な見落としている人物がいる。
「くっそ……アイツか……。――あのクソジジイかっ!」
※
同時刻。邪王城の外では、数十分前まででは満ち溢れていたモンスター達の姿はなく、適当な岩の上に腰かける樹木神とドラゴンリッターの頭の上で大欠伸をするプリセラだけがいた。
「――へっくしょい!」
「なんじゃ、風邪か?」
体育座りのドラゴンリッターの頭上から降りてきながらプリセラがくしゃみをしたばかりの樹木神に声をかけた。
「樹木神は風邪は引かない……が、今はモニカの仲間になってモニカに力を貸しているからただ人間とあまり変わらないからのぉ。そっちはどうじゃ?」
鼻水をずずずーとすすりながら樹木神がプリセラに聞けば、腕を組んで少し考えてから答えた。
「いいや、わしもモニカに仲間として力を貸してやっているが、くしゃみは出ないわ。……今更じゃが、今回の勇者には甘すぎないか?」
今度は樹木神が考えるように空を見上げれば、すぐに答えがやってきたようでさっぱりとした様子で返答をした。
「いいんじゃよ、孫みたいでかわいいしな」
「……樹木神も甘くなったもんじゃな」
「うっさいわい、小娘ババア。孫達を心配して、ここまでやってきた孫バカには言われたくないわ」
「なんじゃと!? お主こそ、極力干渉しないようにしていたはずの人間達の問題にここまで首を突っ込むなんて甘すぎるじゃろ!」
「それはそれ、これはこれじゃよ!」
「それで済むなら、勇者も樹木神もいりませーん!」
互いに顔を突き合わせて睨み合う二人の老人の姿を横目に、ドラゴンリッターは深く溜め息を吐くのだった。
※
交錯していた勇者の剣とアンナス・セイバーを力いっぱいに前に振るうことで、クルミの体をモニカは吹き飛ばした。
地面に着地したクルミは、先ほどよりもしっかりとカルプルヌスを構える。
「こりゃ勝負は分からなくなったかも。……そりゃそうだ、樹木神の力の一部である勇者の力だもん。本気で樹木神が拒否をすれば、私の時間停止能力なんて無視することも難しくないわよね」
両手でカルプルヌスを握りなおすクルミは、どうやら本気で向かってくる準備ができたようだ。
モニカは自分でも驚くほど冷静な感情の中で、殺気を魔力として実体化させるほどの強い魔力を持つクルミを見据えた。
この長い長い戦いの終わりがようやく見えてきたように思えた。
どうして、いつまで、なんで、尽きない疑問の中でモニカは悩みの中にいた。それでも、今はクルミを止めなければいけない。悩むのはきっと、その先でいい。クルミを止められないなら、もう悩むことすらできなくなるのだから。
先に向かってきたのはクルミだった。今何をすべきか、最良は他にはないのか、そんな考えを一時中断させてモニカはカルプルヌスの刃を勇者の剣で弾き返す。それで止まることはなく、宙で反転したクルミは先に片足だけ足をつけば再び向かってくる。
「さあ、決めようか! この世界を本当に救う勇者はどっちなのか!」
狙いを変え、刃の速度を変化させ、鞭のように己の剣を振り回す。嵐の中心のようなクルミの懐にモニカは飛び込む。
――ギィン、と今まで聞いたことのない低いながらも響く音が聞こえた。それは、アンナス・セイバーが砕かれた音だ。
「まだ、そんなことを言っているの!?」
砕けたアンナス・セイバーに目もくれることなく、すぐさま勇者の剣で突きを行う。
アンナス・セイバーなんて名前があるが、結局のところは魔力の塊を束ねている剣だ。すぐに発生させることのできる剣なため、戦闘に影響を与えることはない。そのため、突きによる一撃を首を傾けて回避するクルミの首へとアンナス・セイバーを再び発生させながら振るうのだ。
「何度でも言うさ! この戦いはこの世界の未来を変える大切なものだからね!」
再びぶつかり合うアンナス・セイバーとカルプルヌス。父と娘、よく似ている漆黒の剣だが、それの本来の所持者とも違う。
皮肉のような剣と剣の争いだが、それでもこの争いの先を見なければいけない。
「未来なんて見ちゃダメだよ! どうして、今を見ようとしないの!? 過去も未来も今があるから存在できるんだよ!」
大きな破壊力のある魔法を使うことはできる。それでも、例え詠唱をしなくても魔法を用意するために少しでも気が逸れれば、それが一瞬の隙になる。だが、例えば同時に複数の思考を持つことができればそれも難しくはなく、戦いの道を切り開く切り札にもなるのだ。
それを実現できるモニカは、宙に発生させた二本の光の剣を両脇からクルミへ向けて放たれる。
「力の使い方うまいじゃないか……!?」
バックステップをするクルミを追うように、数本の光の剣を射出する。
「私がうまいんじゃない! アルマちゃんが作ったこの剣のお陰だよ!」
距離を開けながらクルミが剣を薙げば、そこから魔力の衝撃が発生し、向かっていく光の剣を粉々に吹き飛ばした。
そんな衝撃の波動の中で、モニカはなおも前進を止めない。
足を止めるな、引くな、怯えるな、進め、進め、ただひたすらにクルミへと接近を続ける。
素直な性格なモニカは、ただ愚鈍に突き進むだけだ。そこには勝算もなければ、作戦もない。しかし、そんな愚かともいえる突撃がクルミの中にあったいくつもの攻撃への対応方法を全て無に変えていく。
「そうまでして、この世界を守りたいのかっ!? いつ起こるか分からない悲劇を黙って見過ごせというのか!?」
モニカの剣の一振り一振りが、加速し隙を縫うようないやらしい攻撃になっていく。戦闘の中でモニカが成長していっているのをクルミは感じていた。ただ全員の能力を借りているのではない、モニカがモニカなりに仲間達の力を昇華させているのだ。
「そんなんじゃないよ! 私に力を貸しているノアちゃんやキリカちゃんだって、この世界を嫌いなわけじゃないんだよ! たくさん悲劇があっても、それをどうにかする力があっても、それが間違っているなら求めても望んじゃいけないことなんだっ!」
今、名前を叫んだ二人がさらに前へと接近しろと心の中で告げた。仲間がいるんだという安心感と共にモニカは深く懐へと体を滑り込ませる。
「樹木神様やプリセラさんだって、きっとそう思っているよ!」
アンナス・セイバーが再び砕かれたが、その光の粒子の隙間が目くらましとなり宙を裂いて光の剣がクルミの頬を切り裂いた。届かないはずの攻撃は確実にクルミを追い詰めていた。
「じゃあ、ただ傍観して未来を待ち続ければいいのか!?」
モニカとクルミの視線が混ざり合う。互いによく似た顔で、今すぐにでも泣き出そうな顔をしていた。
「どうして、」
再びぶつかり合う、勇者の剣とカルプルヌス。モニカは言葉を続けた。
「どうして、今の中で戦おうとしないの!? 過去は辛くても、未来に絶望しても、今戦えば今が変わるんだよっ!」
光の剣がクルミを襲い、体勢を崩したクルミ。モニカが軽く飛べば、クルミの頭より高い位置で剣を構え、そして振り下ろした。
「――今を諦めないでよ!!!」
慌ててカルプルヌスをで剣を防ごうとしたクルミの腕に光の剣が突き刺さり貫通した。そして、腕が上がらないことにゾッとしたが、強引な治癒魔法を瞬きするよりも早く腕にかけ、そのまま剣を頭上へと構えて防御の体勢をとる。
「うああぁぁぁ――!!!」
「届けえぇぇぇ――!!!」
振り下ろされたモニカの剣によって、受け止めたはずのカルプルヌスは粉々に弾けた。そして、その全身全霊のモニカの一撃はクルミの体を強く打ちつけたのだった――。




