4、合祀されない人々その2 「畳の上で死んだ軍人さん」
靖国神社は基本的に「戦場で死んだ軍人さん」の御霊の安らかならんことを祈念するための神社です。ということは当然、「畳の上で死んだ軍人さん」は合祀されません。が、この中には結構なビッグネームがいて、え、とびっくりします。
まずは、山県有朋。この方は日本の首相の中で唯一陸軍大将に就任して戦地で戦ったというレコードを持っている人です(もっとも、この方は軍政家としての活動を得手としており、軍指揮官としては……だったようです)。この人も長州で奇兵隊を率いてから日清戦争までを戦った歴戦の軍人さんですが、最後は畳の上でお亡くなりになりましたので靖国には合祀されていません。
また、東郷平八郎さんも合祀されていません。
東郷さんといえば、日露戦争において高名な丁字作戦を立案指揮して当時世界最強と目されていた帝政ロシアのバルチック艦隊を日本海に破った海軍の名将です。また、死後には東郷さん本人を祭神とする東郷神社まで建立されています。これほどの軍人さんでも、畳の上でお亡くなりになりましたので靖国神社では合祀されていません。
また、もう一人上げておきましょう。
東郷平八郎さんと共に日露戦争を戦った乃木希典さんです。乃木大将、といったほうが通りがいいでしょうか。
日露戦争において師団を率い、旅順攻略の天王山と目された203高地での激戦を戦い、続く奉天会戦にあっても勇猛な戦ぶりを見せた将軍です(ここでは乃木さんの戦術家としての手腕などには踏み込みません)。国民的な人気も高く、彼が死んだときには十数万にも上る民衆が参列したと言います。
が、彼もまた靖国に合祀されていません。彼も、畳の上で死んだので……。
ああいやいや、違います。乃木さんの場合は、自決しています。乃木さんは、明治天皇の大葬が行われたまさにその日、腹を掻っ捌いています。遺書によれば、西南戦争のときに連隊旗を敵に奪われたことを償うための自刃だといいます。乃木さんは若かりし頃、陸軍軍人(官軍)として西南戦争に参加しているのですね。
西南戦争で連隊旗を奪われた若き乃木さん、実は何度も自殺をしようとしたらしく、のちの盟友・児玉源太郎さんに自殺を止められた一幕もあったといいます。また、負傷してもなお戦場に赴くさまは、後世の人をして「死に場所を探しているようだった」とも言われます。連隊旗を奪われたというのは、乃木さんにとって深いトラウマらしいのです。
はて。
歴史にもしもはありませんが、もし若き乃木さんが連隊旗を奪われたことを遺憾に思い、戦場を死に場所に定めて西南戦争の露と消えていたら……。ええ、間違いなく靖国に合祀されていたことでしょう。そして、それから数十年を経ても彼は連隊旗の件を述べています。これって、戦場で死んだか死なないかであって、死因は戦争絡みなんだから、靖国神社に合祀ってことでもいいんじゃないかなあ、と思える例ですね。