第八話 過去
今日も朝の五時に起きる。
「あはようございます」
「今日は起きるの早いですね」
「いろいろ考えてたら、、眠れなくって」
「あの、谷原さんって、私のこと、、どう思ってるんですか?」
「正直に答えないとだめですか?」
「はい」
「、、、、」
「正直、僕にとってあなたは、あの空間を知るためものでしかない。
でも勘違いしないでほしいのです、別に僕はあなたのことが嫌いというわけではない。
むしろ相対的に見たら好きな方だと思います。
でも、まず、僕が人間とかかわる理由は、「確実に正しい事象」である真理を見つけるために必要だからか、本能的に感じてしまう寂しさを埋めるためだけです。
まあ、後者については稀ですけど。
それ以上の価値を他者に向けることは、僕にはないんです」
「なんで、、あなたはそんなに真理というものを求めているんですか?普通の人が感じる、友情とか、愛情とかを捨ててまで求めるに値するものなんですか?」
「、、、、」
「僕がこんな思想になったのは、多分、、この世で事実とされているものを、、受け入れられなかったからだと思います」
ここから先は、俺が彼女に話した内容を要約したものだ。
俺がこういう哲学的なことを考え始めたのは、確か小学三年生ぐらいからだ。
その時、なぜか俺は死ぬのが猛烈に怖くなった。
死んだあと、どうなるのか。
はたまた、どうせ死ぬのに、俺たちはなぜ生きているのだろうか。
そんなことを、ずっと考え続けた。
普通の人はそんな問いを持って数日もすれば、どうせわからないのだから考えるのをやめようと思い、普通に暮らし続けるだろう。
でも、俺は考え続けた。
いや、答えが出ないままにしておくことが、俺にはできなかった。
死について考えていく中で、最終的に、この世に正しいものはあるのだろうかという問いにぶつかった。
みんなが納得すれば、それは正しいのだろうか?
みんなが幸せになれれば、それは正しいのだろうか?
愛ゆえのことならば、それは正しいのだろうか?
そもそも、自分の五感による認識は、本当に正しいのだろうか?
目や触覚が、誤った情報を自分の意識に持ってきているという可能性はないのだろうか?
もしそうだとしたら、それをを知るすべはあるのだろうか?
仮に目で見たものが間違っているとしたら、人々の中で正しいとされている化学も間違っているのではないか?
化学は人間が世界を観察し、それをもとに論理を作っていったものだ。
もし観察によって得られた情報が間違っていたのなら、そこから生まれた論理も当然間違っているはずだ。
では、数学はどうだろう。
1+1=2は本当に正しいのだろうか?
1+1=2が正しいとされているのは、四則演算や、自然数の定義などの、数学的前提を正しいと仮定しているからだ。
しかし、その数学的前提というのは、所詮、人間が作り出したものであり、それを正しいと確定することはできない。
前提は、どこまで行っても前提なのだ。
じゃなぜ、数学や、化学はここまで発展してきたのだろうか。
それは、目で見えるものが正しい、あるいは、数学的前提を正しいと仮定すると、いろいろと使えることが多く、人間が生存するうえで役に立ったからだ。
じゃあ、生きるために必要なことや、人間が生存し続けることに必要なものが正しいのだろうか?
いや、それを肯定することも不可能だ。
そうやって、すべてを疑っていったら、必然、最悪な疑問にたどり着いてしまった。
じゃあ、俺という存在は本当にあるといえるのだろうか?
まず、俺とは何なんだ?
この脳みそが俺なのか?
じゃあ、この脳みそを半分切除して、それを再生させても、それは俺といっていいのだろうか。
この体自体が俺なのか?
じゃあ、切ったつめや、排泄物は俺といえるのだろうか。
俺のDNAが俺なのか?
じゃあ、俺と完ぺきにDNAが同じクローンを作ったら、それも俺になるのだろうか。
俺の経験した記憶が俺を作ったのか?
じゃあ、赤子に俺と全く同じ経験をさせれば、そいつは俺になるのだろうか。
俺が俺だというこの意識が俺なのだろうか?
じゃあ、寝ているとき俺の意識はなくなっているのだから、毎夜毎夜、俺の存在はなくなっているのだろうか。
その時の脳の状態が俺なのだろうか?
じゃあ、俺の脳の状態は常に変化し続けているから、俺は常に生まれて死に、生まれて死にを繰り返しているのだろうか。
もし、人間の自我がそういう不連続な存在であるのなら、すでに自分ではなくなっているであろう未来のことのために、今努力する意味、あるいは、生き続けることに意味はあるのだろうか。
そうやって、苦しみながら、すべてを疑い続けた結果、中学一年生ぐらいのとき、一つの結論に近いものにたどり着いた。
もしかしたら、まだ人間が「確実に正しい事象」である真理をまだ見つけられていないだけなのではないか?
それを見つけるために生きることだけが、唯一人間に許された、価値があるかもしれない生き方なのではないか?
もし一つでも、「確実に正しい事象」があれば、それをもとに論理を広げて生き、たくさんの正しいものを生み出していけるはずだ。
そう思ってから俺は、真理を求めるための自我のみを自分だとし、それ以外の自我、あるいは、感情は俺の体が感じているだけで俺のものではないとするようになった。
そうすることでしか、自分というものを肯定できなかったのだ。
だから、、俺にとって心理を見つけること以外に価値があるものなどない。
だから、、俺は君に価値を感じることはできない。
あとこれは、本筋とはあまり関係ない話だが。
一般的な人間の議論や思考、悩みというのは、ここまで踏み込んだところで行われていないのだ。
努力することは正しいことなんだ。いや、人を幸せにすることが正しいことなんだ。
そんな、正しいか正しくないかもわかっていない前提同士の議論を、それが前提であるとすら気づいていないバカがやっている。
自分が好きなことをやって生きていこうだなんて言葉を、生きるというものが何なのか、好きというものが何なのかも知らないバカが語っている。
ただかっこいいことや、共感できることを、正しいものとして創作物を描くバカもいる。
自分がいいように見られたい、自分が悪く思われたくないなんて悩みを、自分という存在が何かもわかっていないバカがしている。
君が昨日思った、人にそういう目で見られるのが嫌という悩みも、これらと同レベルのものであり、考えるに値しない。
といった感じの内容を、彼女に話した。
こんなことを急に話されて彼女は困惑していないだろうか?
「ちょっと、、考えさせてください」
前から少し思っていたんだが、彼女は結構頭がいいのかもしれない。
俺の話についてこられていたし、今も、俺の意見を聞いて自分で何かを考えようとしている。
さあ、彼女はどんな考えを俺に聞かせてくれるのかな。
「私は、あなたの言った生き方以外にも、価値がある生き方はあると思います。
あなたは言いましたよね、人間がまだ真理を見つけられていないだけだと。
じゃあ、あなたがその生き方を選んだのもそれ以外の生き方を知らないだけなんじゃないんですか?
あなたは、、すべての人々の生き方を知っているのですか?
すべての人が、どんな思いで生きているのかを知っているのですか?
私は、あなたの生き方だけが正しいとは、思いません」
「そうですか、では探して見せてください、僕のとは違う、価値のある生き方を」
「、、見つけてやりますよ、そしてあなたにほかの生き方があるということを教えてあげます」
「、、、なんでそんなことするんですか?僕の生き方なんて、あなたにはどうでもいいことでしょう」
「そういうとこですよ、私には、あなたはただ素直になれていないだけのように見えるんです」
「、、わかりましたよ、じゃあ頑張ってくださいね、今日は僕は学校に行ってあの空間について調べてくるんで、あなたはほかの家族にばれないように静かにここで待っていてください。
ほかの生き方とやらを考えながら」
「じゃあ行ってくるんで、くれぐれもばれないようにしてくださいね」
「待ってください」
「名前を付ける約束、忘れてませんよ」
「、、、、」
そのままを俺は、彼女を置いて外に出た。




