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向こう側からの帰還②

 狐目の男は静かに立ち上がる。不思議と彼の空間だけが切り離されたようで、現実味がなかった。

 彼が歩き始めると、依頼を受けるための部屋だけ、と思っていた部屋の隅にもう一つドアがあることに気付いた。

 そのドアだけ古い一枚板で作られた木のドアだった。

 

 「桐島さん」

 

 彼がドアの前で立ち止まる。

 

 「これからするご説明を、よくお聞きください」

 

 声色が、少しだけ変わっていた。事務的で丁寧なのに、どこか言葉の圧がある。言葉尻に有無を言わせない強い響きがあった。

 

 「私は、この奥の部屋に一人で入ります」

 ——賢治さんの写真と、お預かりした遺品をお持ちして。

 

 ドアに片手を置く。

 

 「私が部屋から出てくるまでの間、桐島さんはこの応接室でお待ちください」

 「……はい」

 

 私は答えた。

 

 彼は私の目を見た。細い、狐目を真っ直ぐ。

 

 「絶対に、ドアを開けないでください」

 

 声が、ほんの少し、低くなった。妙に頭に響く声。

 

 「物音がしても。あなたを呼ぶような声がしても。返事がなくても。何があっても、開けないでください。覗いてもいけません」

 

 私は、息を止めた。

 

 「これは、私の異能に関わるルールです。あなたにとっても必要なことです……お約束いただけますか」

 

 私は、うなずいた。

 

 「わかりました。約束します」

 「ありがとうございます」

 

 彼はそう言うと軽く頭を下げた。

 それから、ダイバーウォッチを布袋ごと持ち、軽く一礼するとドアを開けて奥の部屋へ消えた。

 ドアが閉まり、応接室には私一人が残された。

 時計を見た。

 午後二時四十二分。

 私は何度もソファに座り直し、膝の上の両手が落ち着かない。奥の部屋からは、何の音も聞こえなかった。

 沈黙が私の心に余計な考えを生んでいた。壁の向こうで何をしているのだろうか、異能にそんな能力があるなんて聞いたことがないとか。

 

 覗いてはいけない、と言われた。

 もちろん覗くなんて微塵も思わなかった。子どもの頃読み聞かせてくれた昔話にそういった話は沢山あった。

 覗いた者の末路なんかも未だに覚えている。小さい頃は思ったものだ、なぜ言いつけを守らず覗くのだろう――と。

 

 今なら少し、分かる気がした。勝手に膨らんでいく妄想を止められなかったのだ。

 連想ゲームのように繋がっていく妄想が不安を、疑心を生んだのだ。

 苦しい感情から自分が解放されたくて覗いたのだ、と。

 

 時計の針が、ゆっくり進んでいく。

 二時四十三分。

 二時四十四分。

 二時四十五分。

 私は、いつの間にかドアだけを見ていて息をするのを忘れていた。自分の手のひらに、汗をかいているのに気づいた。

 ドアが、開いた音がしたのは、それから三分ほど経ってからだった。

 私は顔を上げた。

 ドアの隙間から、男が出てきた。

 その瞬間、私は息を呑んだ。

 おもわず手で、口を覆う。涙が目の奥でこみ上げてきた。こらえるのは無理だった。

 

 「……賢治」

 

 掠れる声が、勝手に漏れた。

 ドアから出てきたのは、賢治だった。

 日に焼けた顔。少し疲れた目。半年前最後に会った、記憶にある通りの姿。

 

 「お待たせしました」

 

 賢治の声が、言った。

 その声を、私は何百回、何千回と聞いてきた。玄関で、リビングで、電話越しで。

 間違いなく、賢治の声だった。

 目の前の人は、賢治ではない。

 頭ではわかっている。わかっているのに、私の体は、わかってくれない。

 胸の奥が、痛いほど熱くなった。

 

 会いたかった。会いたかった。会いたかった。

 ――もう一度だけ、会いたかった。

 

 「いえ、大丈夫です」

 

 私は涙を拭った。

 

 「お願いします。父に、会ってあげてください」

 

 彼は何も言わずに、軽く頭を下げた。


 ◆


 病院は車で三十分の場所にあった。

 私が運転する車の助手席に、賢治が座っていた。肘掛けに右肘を置きながら。

 

 ――あれは賢治じゃない、と頭の中で何度も言い直した。

 

 けれど記憶の中の弟が、元気な姿の弟が今、隣にいる。

 同じ声、同じ仕草、同じ空気感を纏って、私の隣に座っている。

 

 「弟さんは」

 

 彼が、賢治の声で言った。

 

 「ダンジョン探査士になったとき、お父様は何と」

 

 私は前を見たまま、答えた。

 

 「喜んでいました。父は若い頃小説家を目指したけれど、私たちが生まれて諦めてサラリーマンになったんです。弟がダンジョン探査士になったとき、父は昔書いたファンタジー小説の主人公に息子がなったと喜んでいました」

 「それは嬉しかったでしょう」

 「ええ、父が小説を書いていた当時ダンジョンはまだ空想の産物でしかなかったですから。未知の冒険、空想の主人公を自分に重ねて活躍させる。ダンジョンが現実になった時、息子が現実世界で未知の冒険に行く。夢を引き継いでくれた喜びは私には想像できません」

 

 ハンドルを握る手に、少しだけ力が入った。

 彼は、それ以上喋らなかった。質問もしなかった。

 ただ、窓の外を見ていた。

 信号で停まった時に私は横目でそっと彼を見た。

 賢治の横顔。

 賢治の、少し疲れたときの、あの目。

 ふと、ある考えがよぎった。

 

 ――彼は今、どういう状態なのだろう。

 

 彼の「変身する」がどういう異能なのか気になった。

 体自体が変化するのか、それとも幻術で賢治に見せているだけなのか。

 どちらでもない気がした。

 もっと深く――賢治の何かを彼は知っているような気がした。

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