首相の悩み
霞ヶ関の首相官邸。松殿首相は一度仮眠のために戻っていた。
疲れ果て、ベッドで横になって意識が飛んでいたが、一時間もせずにドアをノックする音に目がふと開いた。
「どうぞ」
ほんの少しの睡眠でも喉が気持ち悪い感じがした。
(……もう少し寝たかった。でも言っても仕方ないわね)
ベッドから起き上がり、近くの洗面台でうがいをした。
鏡に映る自分は、まるで別人のようだった。
すると秘書が遠慮深そうな顔でヒョコッとドアから顔を覗かせた。
「すみません首相。例のあれ関連で官房長官から緊急入電です」
「長井くんにはすぐ行くと伝えてください」
秘書は頷くと静かにドアを閉めた。
本当にこの世の中はどうなるのだろうか?
ため息を吐きながら首相は身支度を整え始めた。
これは困った。松殿首相は危機管理センターで頭を抱えていた。
先程、熊本ダンジョンに入っていた部隊が帰還したという情報が入ってきた。
そして、全員無事に帰還し、特に変わった様子は無いらしい。ただ、経過観察のために近くの大学病院に入れられている。
そこまでは良い情報だった。問題は彼らが持って帰ってきたものだった。
「これは彼らの文字で書かれた憲法や法律らしいです。何が書かれているかは分かりませんが、独自の憲法や法律があること自体が非常にことを難しくしています。」
長井官房長官が席で難しい顔をする閣僚たちに、タブレットを操作しながら語った。
首相の手にあるタブレットには持ち帰られたであろう本の写真と中身のスキャン画像が映っていた。
「そして、映像を拝見したところ、魔法の存在もわかりました。また、彼らは我らと同等もしくはそれ以上の技術があるかもしれないということも分かりました。」
官房長官は険しい顔で続けて発した。
「つまりですね。これは我が国の中に、突然新たな独立国が誕生して、その国は我らと同等もしくはそれ以上の技術力を持っている、そういう状態になります。」
長井の報告に、閣僚たちは一様に黙り込んだ。
天井を睨む者、タブレットを固く握りしめる者、深く組んだ腕をほどこうとしない者。
それぞれが、それぞれの立場で“この先”を思い浮かべていた。
松殿首相はゆっくり深呼吸した。
「現状、その“国”は友好的なのでしょう?」
沈黙を断ち切った首相の問いに、長井が力強く頷いた。
「じゃぁ、これはどうでしょう。現実的に軍事的なオプションは恐らく取れない。そこで、向こうが友好的ならば──バチカン市国みたいな扱いにすれば良いのではないか?」
室内が再度、静まり返った。
驚愕ではなく、重くゆっくりと“考える沈黙”だった。
「……日本国内に、独立した外国領土を作る。ということになりますね」
外務官僚が眉を寄せる。
「国際法上、どう整理すべきだ?」
誰かが呟く。
波多野防衛大臣兼外務大臣がタブレットをトントンと叩いた。
「しかし……一番現実的にも思えます。武力衝突を避ける意味でも」
松殿首相は目を閉じ、再び深く息を吸い込んだ。
「この件に関しては外務省と法務省を主体とした極秘の対策チームを早急に設置してほしい」
閣僚たちが一斉に頷く。
「そして、安全性が確認とれ次第、向こう側と接触したい。その為のチームも立ち上げてください。メディア対応に関しては・・・」
話を振られた総務大臣が額の汗をハンカチで拭いながら手を挙げた。
「本来でしたら24時間から48時間以内に公表するのが望ましいです。ただ、どこそこのダンジョンではこうだったみたいな具体的な説明を避けましたら、熊本の件は伏せることは可能だと」
「じゃあ、その方向で行こう。事態に対処するために出来るだけ時間を捻出しなければならない。長井くんもその方向性で」
松殿が目配せすると、官房長官が力強く頷く。
「それでは各々、大変だとは思いますが対処のほどよろしくお願いします」




