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魔法劣等生による神式攻略 ――攻略不能レイドは、やる気なしの劣等生に託された――  作者: 龍虎


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第5話 旧校舎地下資料保管庫

 翌日の霞が関高校は、朝から妙に落ち着きがなかった。正確には、魔法科の校舎だけが浮ついていた。


 普通科の生徒たちがいつも通り端末を片手に廊下を歩いている一方で、魔法科棟の掲示板前には、AクラスからEクラスまでの生徒が何人も群がっている。理由は単純だった。

 本日午後、合同の異相災害対応演習が実施される。そう掲示されていたからだ。異相災害対応演習。


 それは、近年増加している新型魔法災害《異相レイド》を想定した実地訓練である。もっとも、学生が本物の異相レイドに放り込まれるわけではない。

 霞が関高校の旧校舎地下には、過去に発生した術式事故や小規模異相災害の記録を保管した資料庫がある。


 そこに保存されている術式ログを使い、異常な魔力波形や空間歪曲の兆候を読み取る訓練を行う、というのが今回の演習内容だった。


「つまり、面倒な校外学習の地下版だな」


 掲示板を一瞥した神代カイは、即座にそう結論づけた。眠たげな目。軽く乱れた制服。片手には購買で買った紙パックのカフェオレ。

 どう見ても、これから魔法災害対応訓練に参加する生徒の顔ではない。隣に立っていた瀬尾リクトが、呆れたように肩をすくめた。


「お前さ、もうちょっと危機感とか持てよ。異相災害対応演習だぞ。評価に入るやつだぞ」

「俺、Eクラスだからな。失う評価が少ない」

「それを堂々と言えるところ、逆に才能だわ」

「褒めるな」

「褒めてねえよ」


 リクトはDクラスの生徒だ。成績は中間。実技も理論もそこそこ。突出した武器はないが、だからこそ教師から雑用を任されやすい。今回もその例に漏れず、地上側監視班の補助要員として呼び出されていた。


 一方、カイは完全に部外者だった。今回の突入班に選ばれているのは、Aクラスの白羊院ユイカ、Bクラスの久我ハルト、Cクラスの早見ナツメ。各クラスから一名ずつ選ばれた、実力と専門性のある生徒たちである。Eクラスのカイに出番などあるはずがない。


「じゃ、俺は教室で寝る」


 カイが自然な流れで踵を返した瞬間、リクトがその肩を掴んだ。


「待て待て待て」

「なんだよ」

「俺、今日、機材運搬もあるんだよ」

「頑張れ」

「ケース三つ」

「腰を大事にしろ」

「一個、二十キロ」

「業者呼べ」

「呼べないから俺が呼ばれてんだよ!」


 リクトは半泣きの顔で、カイの肩を揺さぶった。


「頼む。地下まででいい。荷物運びだけでいい。終わったら帰っていいから」

「俺が行く意味ないだろ」

「ある。俺の腰が守られる」

「それ、魔法科の教育目的に入ってるのか?」

「友情教育だよ」

「嫌な教育だな」


 カイは本気で断るつもりだった。旧校舎地下。過去の術式ログ。異相災害対応演習。その単語の並びが、あまり好きではなかったからだ。異相レイドは、ニュースで語られる時だけは整った災害名になる。


 異相封鎖型星律災害。局所的な星律の歪み。神式核の異常駆動。専門家たちは、そういう言葉で現象を分類する。


 だが、カイにとってそれは分類名ではない。赤い警報。崩れる床。ノイズだらけのAT表示。兄の手の感触。現実は、リトライできない。あの声が、耳の奥に残っている。


「カイ?」


 リクトの声で、カイは意識を戻した。


「……地下までだぞ」

「助かる!」

「あと、重い方はお前が持て」

「そこは友情で何とかならない?」

「ならない」


 カイはため息をつきながら、リクトについて歩き出した。魔法科棟から旧校舎へ向かう渡り廊下は、昼前だというのに薄暗かった。

 霞が関高校の新校舎がガラスと白い複合材で作られた近未来的な建物なのに対し、旧校舎は古い石造りの外壁を残している。


 魔法教育の黎明期に建てられた施設で、現代の術式端末ではなく、杖、札、印章、巻子といった旧式魔法具の保管・研究に使われていた場所だ。階段を下りるたび、空気が冷たくなる。


 地下へ続く廊下には、星素濃度を安定させるための結界灯が等間隔に並んでいた。淡い青白い光が床を照らし、壁面には古い魔法陣の痕跡がガラス越しに保存されている。


「うわ、雰囲気あるな」


 リクトが小声で言った。


「心霊スポットにありがちな感想だな」

「魔法科の地下って、心霊スポットより怖いだろ。実際に変なもん出そうだし」

「出ないだろ。演習用の資料庫だぞ」


 そう言いながらも、カイは壁の結界灯を見た。光がわずかに揺れている。空調のせいではない。星素の流れが微妙に乱れている。

 通常なら気にするほどのものではないが、同じ場所に長年術式ログを保管していれば、星素の癖くらいは残る。


 ゲームなら、侵入前に警告ログが出るタイプのマップだ。カイはそう思って、すぐにその考えを頭から追い出した。地下資料保管庫の前には、すでに数人の生徒が集まっていた。


 まず目についたのは、白羊院ユイカだった。高い位置で結ばれた淡金色の髪が、地下の青白い光を受けて白に近く輝いている。背筋は真っ直ぐで、制服の上からでも無駄のない身体の軸が分かる。

 Aクラス。しかも国家認定星紋家門群アストラル・ラインの一角、白羊院家の令嬢。昨日の模擬戦で見せた加速術式は、素直に化け物じみていた。


 その近くで腕を組んでいるのが、久我ハルトだ。Bクラスの実力者で、熱量系術式を得意としている。鋭い目つきと、どこか常に張り詰めた雰囲気。努力で上位に食い込んできたタイプに特有の、他人の怠慢を許さない空気があった。


 そして少し離れた位置で、複数の携帯端末と巻子型の補助デバイスを確認しているのが、早見ナツメだった。Cクラスの解析特化生。昨日、カイの呟きに気づいた唯一の生徒だ。ナツメはカイの姿を見つけると、ほんのわずかに目を細めた。


「……神代くん?」


 声をかけられ、ユイカとハルトもこちらを見る。カイは即座に、面倒な流れを察した。


「荷物運びです。終わったら帰ります」


 先に言った。だが、ハルトはその言葉を聞いて鼻で笑った。


「Eクラスまで呼ばれたのかと思ったが、雑用か」

「正解。じゃ、雑用は雑用らしくケース置いて帰るんで」

「待ちなさい」


 ユイカが静かに口を挟んだ。


「あなた、昨日の模擬戦で観戦席にいたわよね」

「観戦席に人がいるのは普通だろ」

「そういう意味じゃないわ。あなた、何か言っていた」

「寝言じゃないか?」

「起きていたでしょう」


 ユイカの目は真っ直ぐだった。昨日、自分のチームが崩されたことを、彼女は偶然で片づけていないらしい。前に出すぎた。三秒後に後衛が孤立する。カイの呟きは、観客席の喧騒に紛れたはずだった。


 だが、ナツメだけでなく、ユイカも何か引っかかるものを感じていたのかもしれない。カイは肩をすくめた。


「Aクラスの人に覚えられるようなことはしてない」

「私が覚えたのよ」

「それはご愁傷さま」


 ユイカの眉がぴくりと動く。その横で、ハルトが苛立たしげに言った。


「白羊院、相手にするな。演習前に時間を無駄にする必要はない。こいつは昨日も今日も、やる気がないだけだ」

「正論だな」


 カイがあっさり肯定すると、ハルトは逆に不快そうな顔をした。ナツメだけが、じっとカイを見ている。その視線が、カイには一番嫌だった。


 見下すでもない。怒るでもない。ただ、観察している。昨日のわずかな異常を、まだ手放していない目だった。


「神代くん」

「なんですか」

「昨日、あなたが言ったこと、本当に偶然?」

「何の話か分からない」

「三秒後に後衛が孤立する、って」


 空気が一瞬止まった。リクトが「えっ」と小さく声を漏らす。ユイカの目が鋭くなり、ハルトの表情が露骨に険しくなった。カイはナツメを見返した。


 早見ナツメ。解析職。情報の違和感を拾うタイプ。ゲームで言えば、ログを見るのが上手いプレイヤーだ。こういうタイプは、目立つ火力職より厄介な時がある。


「聞き間違いじゃないか」

「私、聴覚補助を入れてたから」

「じゃあ補助がバグってたんだろ」

「補正ログも残ってる」

「怖いなCクラス」


 カイは冗談めかして流したが、内心では舌打ちしていた。失敗した。昨日の自分は、少しだけ気を抜きすぎていた。見れば分かる盤面だった。


 ユイカの突破速度に後衛がついていけていない。敵チームの伏兵が横に流れている。三秒後に支援線が切れる。その程度、昔なら誰でも読めた。


 だが、ここはゲームではない。読めても、言う必要はなかった。教師が手を叩き、生徒たちの注意を集めた。


「全員、静かに。これより異相災害対応演習の事前説明を行う」


 資料保管庫の扉の前に立つ教師は、魔法災害対策局から出向している実務経験者だった。灰色のスーツに、携帯型の戦術巻子。腰には短い導杖。学生相手の授業とはいえ、油断のない装備をしている。


「本日の演習では、旧校舎地下資料保管庫に保管されている過去ログを用い、異相化兆候の検出、通信途絶時の報告手順、簡易結界内での役割分担を確認する。突入班は白羊院、久我、早見。地上側補助は瀬尾を含むDクラス班。神代、お前は……」

「荷物を置いたら帰ります」

「……なら、扉の内側まででいい。ケースを第三保管棚の横へ運べ」

「了解です」


 カイは余計なことを言わず、リクトと一緒にケースを持ち上げた。


 重い。中身は旧式の符式端末、予備結界タグ、解析用の中継器あたりだろう。実戦用ではなく演習用だが、数があるとさすがに腰にくる。資料保管庫の扉が開く。中は、巨大な地下書庫だった。


 壁一面に並ぶ書架。ガラスケースに保存された巻子AT。古い紙の本と、薄膜フィルムに記録された術式ログ。天井には結界灯が走り、床には星素制御用の細い銀線が幾何学模様を描いている。新校舎の清潔な実験室とは違い、ここには古い魔法の匂いがあった。

 カイは息を止めた。懐かしい、とは思わない。嫌な感じがするだけだ。


「すごい……」


 ナツメが小さく呟いた。


「第三世代以前の術式ログが、こんなに」

「早見、見学じゃないぞ」

「分かっています」


 ハルトに返事をしながらも、ナツメの目は書架に吸い寄せられている。解析職にとって、ここは宝の山なのだろう。ユイカは周囲を確認しながら、足元の銀線を踏まないように立っていた。


 さすがに名門だけあって、こういう古い術式環境での立ち振る舞いは慣れている。リクトはケースの重さに負けて、半分泣きそうな顔だった。


「カイ、こっち、こっち置けばいいんだよな」

「第三保管棚の横って言ってたな」

「第三ってどれだよ。全部同じ棚に見えるんだけど」

「番号書いてあるだろ」

「古い字体すぎて読めねえよ」

「勉強不足」

「お前にだけは言われたくない」


 カイはリクトと二人で、指定された場所にケースを置いた。


 これで終わり。


 帰れる。そう思った瞬間だった。背後で、こつん、と乾いた音がした。誰かが何かを落としたような音。全員が振り返る。書架の奥、誰も立っていない場所で、一冊の本が床に落ちていた。

 

 古い革張りの本だった。表紙には文字がない。だが、金属の留め具だけが妙に新しく、そこに刻まれた紋様が淡く光っている。


「誰か触ったか?」


 教師の声が低くなる。誰も答えない。ナツメがすぐに端末を操作した。


「いえ、接触ログなし。書架の固定術式も……あれ?」

「どうした」

「一瞬、保管番号が消えました。いま復帰しましたけど……」


 カイは、床に落ちた本を見ていた。嫌な沈黙だった。ゲームなら、ここで絶対に触ってはいけない。こういう時に出るオブジェクトは、たいていトリガーだ。

 近づいた瞬間にイベントが始まる。親切な説明が表示されて、選択肢を間違えると全滅する。カイはゆっくり息を吐いた。


 違う。これはゲームじゃない。ただの古い資料保管庫だ。教師もいる。管理結界もある。演習用の安全装置だって起動している。だが、床の銀線がわずかに光った。カイの背筋に、冷たいものが走る。


「先生」


 ナツメが緊張した声を上げた。


「星素濃度、上昇しています。通常変動じゃありません」

「全員、下がれ。白羊院、前に出すぎるな。久我、熱量系は起動待機。早見、地上班へ報告」

「はい!」


 ナツメが通信を繋ごうとする。その直後、彼女の端末にひどいノイズが走った。


「……っ、通信に混線。いえ、これは……外部じゃない。内部から割り込まれてる?」


 カイは一歩、後ろに下がった。帰るべきだった。いや、そもそも来るべきではなかった。リクトが不安そうに声を潜める。


「カイ、これ、やばいやつ?」

「知らない」

「知らないって顔じゃないぞ」

「知らない方がいい顔だ」


 床に落ちた本が、ひとりでに開いた。ページがめくられる。一枚、二枚、三枚。そこには文字がなかった。ただ、無数の細い線が走っていた。

 

 地図のようにも見える。魔法陣のようにも見える。迷路のようにも見える。そして最後に、ページの中央へ一文だけが浮かび上がった。


『閲覧者を確認』


 カイのATが、勝手に震えた。演習用の通知ではない。もっと深い層から、何かがこちらを見ている。教師が導杖を抜いた。


「全員、即時退避――」


 その言葉は、最後まで続かなかった。床の銀線が、一斉に光を放った。

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