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姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています  作者: もちもちほっぺ


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朝から、庭が静かだった。


いつもならリリアーナが花壇の縁にしゃがんで虫を探している時間に、今日は誰もいなかった。

庭師も下がらせていた。噴水だけが、静かに水を落としていた。


クライドは庭の中央に立って、空を見上げた。

よく晴れていた。

春の光が庭に満ちていた。


神殿の術師が来たのは、昼前だった。


白い法衣を着た、六十がらみの男だった。十数年前に封印の首輪を作った術師本人だという。

頭を深く下げて「このたびは」と言いかけたところで、クライドが「結構です」と遮った。

ルシアンが馬車から降りてきた。


「準備はいいか」


「ああ」


「リリアーナ嬢は」


「呼んでくる」


リリアーナの客室の扉をノックした。


「入ってください」


扉を開けると、リリアーナが窓際に座っていた。膝の上に手を置いて、背筋をまっすぐに伸ばして。


首輪に触れていた。


革紐を、そっと指で押さえていた。


「準備はいいか」


リリアーナは顔を上げた。


「……はい」


「怖いか」


リリアーナは少し考えた。


「怖くはないです」と言った。


「ただ、少し」


「少し?」


「ずっとここにあったので」


首輪に触れたまま言った。


「外れた後がどうなるか、想像がつかなくて」


クライドはリリアーナを見た。


「何も変わらない」


リリアーナは立ち上がった。

首輪に手を当てたまま、クライドの後についた。




庭に出ると、ルシアンと術師が待っていた。

術師がリリアーナを見て、深く頭を下げた。


「リリアーナお嬢様、このたびは」


リリアーナは術師を見た。

穏やかな目だった。怒っているわけでも、責めているわけでもない、ただ静かな目だった。


「……お守りだと思っていました」


リリアーナは言った。


「ずっと」


術師は何も言えなかった。


「母が大切にするよう言っていたので」


術師が頭を下げたまま、肩を落とした。

クライドが術師を見た。術師が顔を上げて、小さく頷いた。準備はできているという意味だった。


「リリアーナ」


クライドが言った。


「はい」


「その首輪を、外す」


リリアーナは少しの間、首輪に触れていた。

それから、手を下ろした。


「……お願いします」


クライドはリリアーナの前に立った。

リリアーナの首元に手を伸ばした。革紐に指をかけた。

術師が低い声で何かを唱え始めた。


封印を解く言葉らしく、聞き慣れない言語で、静かに、でも確かに庭の空気に染み込んでいくような声だった。

革紐が、ほどけた。


その瞬間。

光の粒が、リリアーナの首元から広がった。


小さな、淡い光の粒だった。一つ、二つ、それからあっという間に無数に増えて、リリアーナの周りに広がっていった。


春の光の中に溶けるような、柔らかい光だった。

術師が息を呑んだ。

ルシアンが空を見上げた。


「……土が」


ルシアンが呟いた。


「動いている」


庭の土が、かすかに揺れた。

揺れた、と言っても地震ではなかった。


もっと静かな、内側から何かが目覚めるような、そういう揺れだった。花壇の土がほぐれて、石畳の隙間から草が顔を出した。

枯れかけていた木の枝に、小さな芽が膨らんだ。


そして。

虫が来た。

最初は一匹だった。

花壇の土から、芋虫が顔を出した。


次に、草むらからバッタが飛んできた。

それからアリが列をなして、石畳の隙間から現れた。


カナブンが、どこからともなく飛んできた。

蝶々が一匹、二匹、三匹、ひらひらと舞いながらリリアーナに向かってきた。


それから、どこからともなく虫が来た。

次々と、次々と。

庭中から、集まってきた。

リリアーナの周りに、光の粒と虫が満ちた。

リリアーナは動かなかった。


ただ立って、目を丸くして、自分の周りに集まってくる虫たちを見ていた。


「……みんな」


小さな声だった。


「みんな、来てくれたの?」


蝶々が一匹、リリアーナの肩に止まった。

リリアーナの目が、きらきらと輝いた。


芋虫が足元に近づいてきた。リリアーナはしゃがんで、指を差し伸べた。芋虫が指の上に乗った。


リリアーナは指の上の芋虫を見て、それからぺろりと口に入れた。


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