34
夜会から帰った翌朝、クライドはリリアーナを書斎に呼んだ。
リリアーナが扉を開けて入ってきた。
いつも通り、背筋をまっすぐに伸ばして。首元に、革紐がかかっていた。
「座れ」
リリアーナは椅子に座った。
クライドは机の向こうに立ったまま、リリアーナを見た。
「その首輪、何だと思っている」
リリアーナは首輪に触れた。
「お守りのようなものだと思っています。母が大切にするよう言っていたので」
「お前の力を封じるための術具だ」
静かな書斎に、その言葉が落ちた。
リリアーナは黙っていた。
クライドは続けた。
「精霊の愛し子というものがいる。自然の恵みを媒介する、精霊に愛された存在だ。お前がそれだ」
「……私が」
「虫が集まってくる理由、食べても腹を壊さない理由、蜂に刺されても腫れない理由、全部そこに繋がる」
クライドは言った。
「その首輪は、お前が赤子の頃に神殿の術師が作ったものだ。お前の母親が依頼した」
リリアーナはしばらく、黙っていた。
窓の外を見た。
庭が見えた。春の光の中に、手入れの行き届いた庭が広がっていた。
「……お母様が、依頼した」
「ああ」
「なぜ」
「怖かったのだろう」
クライドは静かに言った。
「お前の力が」
リリアーナは窓の外を見たまま、何も言わなかった。
しばらくして、首輪に触れた。
革紐の感触を確かめるように、そっと指で押さえた。
「……だから」
リリアーナはゆっくりと言った。
「虫さんたちが、少ししか来られなかったんですね」
クライドは笑いをこらえようとした。
こらえきれなかった。
口の端が、かすかに上がった。
「……そういう話をしているんじゃない」
「でも、そういうことですよね」
リリアーナは続けた。
「封印があったから、少ししか来られなくて。だからあんなに嬉しそうに来てくれていたんでしょうか、あの子たちは」
クライドはまた笑いをこらえた。
今度はなんとか、こらえた。
「……お前は」
「はい」
「今の話で、一番最初に虫の心配をするのか」
「だって」
リリアーナは首輪を見た。
「虫さんたちのことが、一番気になって」
クライドは額に手を当てた。
「封印を解く」
クライドは言った。
「明日、庭で。ルシアンと神殿の術師が立ち会う」
リリアーナは顔を上げた。
「解いたら、どうなりますか」
「お前の力が戻る。虫が、今よりずっと集まってくるだろう」
リリアーナの目が、きらりと輝いた。
「それは」
「喜ぶな」
「でも」
「喜ぶな」
リリアーナは少し笑った。
それから、また首輪に触れた。
笑いが、少しだけ静かになった。
「……お母様は」
リリアーナはゆっくりと言った。
「怖かったんですね」
「ああ」
「私が怖くて、首輪をつけた」
「ああ」
「それで、遠ざけた」
クライドは黙っていた。
リリアーナは窓の外を見た。
庭の土が、春の光を受けていた。
責めているわけではなかった。
「……明日、解く」
クライドはもう一度言った。
「はい」
リリアーナは頷いた。
「お願いします」
それから少し間を置いて、クライドを見た。
「クライド様」
「なんだ」
「封印が解けたら、虫さんがたくさん来ますよ」
「わかっている」
「本当に大丈夫ですか」
「大丈夫だ」
「芋虫も来ますよ。バッタも。タガメも来るかもしれません」
「わかっている」
「クライド様も——」
「いらん」
「まだ言っていません」
「いらん」
リリアーナは「はい」と言って、立ち上がった。
扉に向かいながら、一度だけ振り返った。
「……楽しみです」
「そうか」
「はい」
リリアーナは笑った。
「とても」
扉が閉まった。
クライドは書斎に一人残されて、しばらく扉を見ていた。
それから窓の外を見た。
庭が見えた。
明日、あの庭が変わる。
クライドは少しの間、庭を見ていた。
それから、小さくため息をついた。




