表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています  作者: もちもちほっぺ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/28

22

その日の朝は、よく晴れていた。

庭の石畳が、朝の光を受けて白く輝いていた。噴水の水が、きらきらと光を弾いた。生垣の緑が、いつもより鮮やかに見えた。


二人で石畳を歩いた。


リリアーナは歩きながら、草むらを観察していた。クライドは石畳の先を見ながら、リリアーナが足を止めるたびに自分も止まった。もはや自然に、そういう散歩になっていた。


リリアーナが草むらでバッタを一匹見つけて、ひょいぱくした。

クライドが視線を噴水の方へ向けた。


「今日のバッタは少し小ぶりですね」


「そうか」


「小ぶりな方が、皮が薄くてサクサクする気がします」


「……そうか」


「クライド様も——」


「いらん」


「まだ——」


「いらん」


リリアーナは「はい」と言って、また歩き出した。


庭の奥へ進んだのは、リリアーナが「あちらの花壇はまだ見ていない」と言ったからだった。


公爵邸の庭は広かった。

いつも歩く石畳の小道から外れた奥に、古い木が何本か立っている一角があった。普段は庭師以外あまり近づかない場所だった。

木々の間を抜けながら、リリアーナが足を止めた。

視線が、上に向いた。


「……クライド様」


「なんだ」


「あれ」


クライドはリリアーナの視線を追った。

古い木の太い枝に、こぶりな蜂の巣があった。


丸みを帯びた灰色の巣が、枝にしっかりとついていた。表面が細かい模様を描いていて、出入り口のあたりに蜂が数匹、ゆっくりと動いていた。


「蜂の巣だな」


クライドは言った。


「庭師に報告しないといけないな、あとで——」


「ハチの子が見えます」


クライドはリリアーナを見た。

リリアーナの目が、巣に釘付けになっていた。

さっきバッタを見つけた時と同じ目だった。いや、それより輝いていた。


「……見えるのか」


「はい。巣の隙間から、白くて丸い子たちが」


リリアーナは目を細めた。


「ハチの子は濃くて甘くて……蜂蜜よりずっと深みがあって、今まで食べた中でも特別なんです」


「そうか」


「あの巣、届きそうですか」


クライドは巣を見上げた。

手を伸ばせば届かないこともない高さだった。


「届くが」


「では——」


「待て」


クライドはリリアーナの腕を掴んだ。

リリアーナが振り返った。


「蜂が、まだいる」


「はい。だから先に蜂を食べてから巣をいただこうかと」


クライドは一瞬、言葉を失った。


「……蜂を、先に」


「はい。蜂はローストしたアーモンドみたいな風味で、それからハチの子を——」


「取るな」


「でも——」


「取るな!」


クライドはリリアーナを巣から引き離した。そのまま数歩、後退した。

リリアーナが「クライド様、少し離れすぎでは」と言った。


「黙っていてくれ」


クライドは巣を見た。

こぶりとはいえ、蜂が数匹では済まないはずだった。巣の中には、もっといる。刺されれば、それなりのことになる。


「庭師を呼ぶ。それまで近づくな」


「でもハチの子が——」


「いいか」


クライドはリリアーナを見た。


「蜂に刺されれば腫れる。痛い。場合によっては危険だ。わかるか」


リリアーナは少し考えた。


「……蜂に刺されたことが、あります」


「だろう。だから——」


「腫れませんでした」


クライドが止まった。


「……腫れなかった」


「はい。痛かったですが、腫れなかったです。不思議だなと思って」


クライドはしばらく、リリアーナを見ていた。

蜂に刺されたのに、腫れなかった。


虫が集まってくる。食べても腹を壊さない。日に日に美しくなっていく。首輪。そして今度は、蜂に刺されても腫れない。

点が、また増えた。


「……いつ刺された」


「ベルテ家の庭で、何度か。気づいたら刺されていて、でも腫れないから特に気にしていなくて」


「何度か」


「はい」


クライドは額に手を当てた。

何度も刺されていた。腫れなかった。気にしていなかった。

この娘は、自分の体に起きていることを「不思議だな」で済ませる。


「……庭師を呼ぶ。それまでここを離れろ」


「ハチの子は——」


「明日、養蜂家に頼む」


リリアーナが目を丸くした。


「養蜂家に?」


「ああ。採取させる。それで満足しろ」


リリアーナはしばらく、クライドを見ていた。

それから、ゆっくりと笑った。


「……気が利きますね」


「うるさい」


「ありがとうございます」


「だから、うるさい」


クライドはリリアーナを促して、巣から離れた。

石畳の小道に戻りながら、頭の中で点と点を繋げようとしていた。


まだ線にはなっていなかった。

でも今度こそ、本腰を入れて調べる必要があると思った。


その夜、クライドは書斎に戻った。

以前開いた文献を、また引っ張り出した。

精霊。加護。愛し子。


今度は、もっと丁寧にページをめくった。

蜂に刺されても腫れない体。虫が自発的に集まってくる現象。食べるたびに美容と活力が増していく変化。


そして、首輪。

母親が怯えた顔で「外してはいけない」と言い続けた、古びた革紐と石。

クライドは文献の一ページで、手を止めた。


精霊の加護を持つ者の特徴として、いくつかの記述があった。

自然の恵みを媒介する存在。精霊に愛される者。その力は封じることができるが、完全には消せない。


クライドは文献から目を上げた。

窓の外、夜の庭が暗かった。

完全には消せない。

封じることができる。


クライドは立ち上がって、書棚の奥から別の文献を引き出した。

術具。封印。


ページをめくる手が、少し速くなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ