第十五話:奪い合いの始まり
静寂が、肺の奥まで重く沈殿している。
「……フェーズが変わったな」
廉が周囲の異変を感じ取り、低く呟いた。
空間はもはや、あの幾何学的な迷路ではない。
どこまでも平坦に続く、無機質なフィールド。
だが、決定的な違いがあった。
「……視線を感じます。どこから、というのではなく……」
ジャンヌが、身を震わせるように小さく言った。
それは単なる気配ではない。もっと直接的な、剥き出しの 見られている 感覚。
「来るぞ。油断するな」
その警告の直後であった。
「――あー、やっぱりいた。見つけた」
鼓膜を揺らす、鈴の音のような軽い声。
二人が弾かれたように振り返ると。
そこには、一人の少女が佇んでいた。
年齢は、ジャンヌと同じほどに見える。
長く波打つ髪。感情の削げ落ちた無表情。
だが、その瞳だけが――。
底知れない飢餓感を孕んだように、異様に鋭く、輝いていた。
「……あんたも プレイヤー か」
廉が、右目を凝らしながら問う。
少女は、わずかに首を傾げた。
「うん。そうだよ」
肯定は、あっさりと、残酷なほど平坦であった。
「君たちも、同じでしょ? こっち側に来ちゃった 同類 」
ジャンヌが、守るように廉の一歩前に出る。
「……あなたは……何者なのですか」
「名前?」
少女が、わずかに思考を巡らせる。
「……リリィ。そう呼んでくれていいよ」
響きは可憐だ。だが。
廉の右目には、彼女の足元に絡みつく無数の 線 が視えていた。
それは未来。それも、他者から強引に引き剥がされた可能性の残滓。
(……量が、今までの連中と違いすぎる。コイツ……一体どれだけ殺して奪ってきた?)
廉の背筋に、嫌な汗が伝う。
「でさ」
リリィが、ふわりと微笑んだ。
「ちょっとだけ見せてくれない? せっかく手に入れたんだろうし」
「何をだ」
「 核 。君たちが掠め取った、その輝きをさ」
一瞬で、場の空気が凍りついた。
ジャンヌの拳が、白くなるほど強く握られる。
「……見せる理由はないな。悪いが、回れ右して帰ってくれ」
廉が、拒絶を突きつける。
「そっか」
リリィは、意外にもあっさりと頷いた。
「じゃあ、 奪う ね。そのほうが手っ取り早いし」
刹那、空間の圧力が爆発した。
「――っ!」
ジャンヌが即座に反応する。
だが。
(速い! なんだ、この感覚……!?)
未来が、視えない。
正確には、視ようとした瞬間に 読めない ノイズへと書き換えられている。
「九条さん!」
「分かってる、チッ……!」
廉は右目の限界を超え、無理やり未来の情報層を引きずり出した。
断片的。不完全。
それでも。
「左だ、来るぞ!」
「はい!」
ジャンヌが地を蹴り、回避する。
頬をかすめる風が、肌を裂く。
「惜しいな」
リリィの冷ややかな声。
次の瞬間、回避したはずのジャンヌの腕から鮮血が噴き出した。
「――っ!!」
「ジャンヌ!」
朱い飛沫が舞う。
「……読んだよ、今の。君たちの癖」
リリィが、淡々と分析を口にする。
「未来、使ってるでしょ? でも、それじゃあ私には届かない」
廉の表情が苦渋に歪む。
(……見透かされてるのか)
「遅いんだよね、すべてが」
リリィが、退屈そうにため息をついた。
「選んでから動く。その一瞬のタイムラグが、致命的な隙になってる」
廉は、戦慄とともにその正体に気づく。
(コイツ……リアルタイムで 奪いながら戦ってやがる のか)
思考と同時に未来を掴み、即座に消費する。
予知という概念を超えた、反射としての奪取。
「……強い……」
ジャンヌが、傷口を押さえながらも闘志を失わずにリリィを睨む。
「うん。強くなったよ。だっていっぱい 食べた し」
少女の言い方は、あまりに無邪気で。
だからこそ、この世界の狂気を何よりも象徴していた。
「さて」
リリィが一歩、死神のような優雅さで踏み出す。
「もう一回だけ聞くね。最後だよ」
歪んだ微笑み。
「 核 、ちょうだい?」
沈黙。
廉は、ゆっくりとジャンヌの隣に並び立った。
「……何度言わせるな。断る。それは俺たちの 意志 だ」
その瞬間、リリィの瞳が、深淵のような漆黒へと沈んだ。
「そっか。残念」
一拍。
「じゃあ――壊すね」
ジャンヌの目が見開かれる。
来る。
今まで相手にしてきた 防衛者 など比較にならない、純粋な 奪取者 の暴力。
(不味い、真正面から受けたら根こそぎ持っていかれる――)
廉が、魂の底から叫ぶ。
「ジャンヌ!!」
「はい!!」
「 全部は使うな 。相手の土俵に乗るんじゃねえぞ!」
ジャンヌが、一瞬だけ動きを止める。
「……え?」
「消耗戦だ。先に枯れたほうが死ぬ。出力を極限まで絞れ!」
ジャンヌの瞳に、鋭い覚悟の光が灯った。
「……はい、理解しました!」
リリィが、光速を超えた不可視の連撃を放つ。
同時に。
ジャンヌも、最小限の予備動作で動いた。
未来を、ただ一つだけ 最小の点 として掴む。
――一点回避。
それだけ。無駄を一切省いた、極限の節約。
「……へぇ」
リリィが、わずかに驚きに眉を動かした。
「戦い方、変えてきたんだ」
ジャンヌが、荒い息を整えながら剣先を向ける。
「……全部は、使いません。私は私の未来を、あなたに安売りするつもりはありませんから」
凛とした声が、不毛な平原に響く。
「ふふっ」
リリィが、初めて 興味 を湛えた表情で笑った。
「面白い。君、いいよ」
冷たさは消えない。だが、そこには明確な敵意という名の敬意が宿っていた。
「いいよ。ちょっとだけ 遊ぼっか 」
その言葉と同時に、空間が無数の未来の残滓で埋め尽くされた。
奪い合い。読み合い。そして、魂を削り合う消耗戦。
「……行くぞ、ジャンヌ。ここを越えなきゃ、次はない」
「はい、九条さん!」
二人は、同時に地を蹴った。
もはや奪われるだけの被害者ではない。
奪われ、傷ついた果てに、その先を掴み取ろうとする 反逆者 。
「――奪い返して、勝つぞ!」
廉の咆哮が、戦いの始まりを告げた。
プレイヤー同士の、正解のない 本当の殺し合い が幕を開ける。




