第十二話:核防衛者
重い。
大気そのものが質量を持ったかのように、全身を押し潰しにかかってくる。
「……来るぞ。気を引き締めろ」
廉が低く呟く。
二人の眼前に立ち塞がる それ は、辛うじて人の形を留めていた。
だが、明らかに異質。
巨躯。歪んだ輪郭。半透明の身体の内側を、回路のような光が脈動しながら流れている。
そして――。
胸部の中央には、禍々しくも美しい輝きを放つ 核 が鎮座していた。
「――侵入者、排除」
地の底を這うような、重厚な響き。
その一言が放たれた瞬間、周囲の空間が悲鳴を上げるように軋んだ。
「あれが……追い求めていた 核 なのですね」
「いや」
廉は短く首を振った。
「あれはただの 守ってる側 だ。あの奥にある本物を隠すための、生体金庫だよ」
その言葉が終わるよりも早く、防衛者が動いた。
消える。
「――っ!?」
網膜に焼き付く暇さえない、超速の移動。
だが。
(……視える!)
廉の右目が火を噴くように熱を帯びる。未来の奔流が脳内へ流れ込む。
右方からの圧殺。骨が砕ける衝撃。
「右だ、来るぞ!」
「はい!」
ジャンヌが即座に反応し、光の盾を構える。
だが。
ドンッ!!
凄まじい衝撃。
「――っ!!」
防げたはずのジャンヌの身体が、抗う術もなく後方へと吹き飛ばされた。
「な……!」
廉の目が見開かれる。
(避けたはずだ。盾の角度も、未来の最適解に合わせたはずだぞ……!?)
未来は確かに視えていた。回避も防御も、成立していたはずだ。
それなのに。
「……ズレてやがる」
廉は歯噛みして、その違和感の正体を理解した。
「視えた結果が、物理的に 上書き されてるんだ。因果が捻じ曲げられてやがる」
防衛者が、感情の失せた瞳でゆっくりと二人を振り返る。
「――未来固定領域、展開。不確定要素を排除」
空間そのものが、粘り気のある闇のように歪んだ。
その瞬間、廉の右目に映る未来視が、泥水が混じったように激しく濁り始める。
「……チッ。最悪の相性だな」
「九条さん……これ、未来が……!」
ジャンヌが立ち上がり、自身の掌を凝視する。
「未来が……書き換えられません。奪った力が、発動を拒否されています……!」
「だろうな。アイツの周囲は、すでに 確定した未来 しか存在を許されてねえ」
つまり――。
(奪う余地がない。勝敗が決まった後の台本を読まされているようなもんだ)
「……厄介極まりねえな」
ジャンヌが、血が滲むほどに拳を握りしめる。
「どうしますか。このままでは、一方的に削り取られます」
廉は、肺の中の毒を吐き出すように短く息を吐いた。
「簡単だ」
右目を細め、領域の境界線を凝視する。
「外す。それしかねえ」
「……え?」
「アイツを 範囲外 に引きずり出すんだよ。土俵が腐ってるなら、土俵ごとぶっ壊して外に放り出す」
その言葉に、ジャンヌの瞳に光が戻る。
「……あの絶対領域から、引き離すということですね?」
「ああ。中にいる限り、俺たちに勝機はねえ」
防衛者が、再び無機質に駆動した。
「――排除。完了プロトコルへ移行」
今度は真正面。逃げ場を塞ぐ、圧倒的な質量の暴力。
「来るぞ!」
「はい!」
ジャンヌが深く踏み込む。
正面から、その突進を受け止める。
ドンッ!!
火花が散るような衝突。
だが。
「――っ!!」
足元が砕ける。完全に力負けしている。
領域の加護を受けた防衛者の力は、理不尽なまでに増幅されていた。
「ジャンヌ、無理をするな! 引け!」
「はい!」
間一髪での後退。
だが、その一瞬の交差で理解する。
(……重すぎる。今の出力じゃ、動かすことさえままならねえ)
絶望的な純粋性能の差。
「……なら、残された手札を切るしかねえな」
廉が、右目の限界を無視して情報の深淵を覗き込む。
「はい。準備はできています!」
ジャンヌが手をかざす。これまでに奪い、ストックしてきた貴重な未来。
「どれを……放ちますか」
「これだ。この一点突破の可能性を寄越せ」
廉が即答する。
――高出力一撃
――領域外への強制ノックバック
――代償:大
「……また代償か。高騰しやがって」
廉は苦く笑いながらも、そのカードをジャンヌの拳に上書きした。
「でも……やるしかありませんから!」
ジャンヌが、決然と覚悟を固める。
防衛者が、死神のような歩調で迫る。
「――排除」
「今だ!」
廉が叫んだ。
「持てるすべてを、その一撃に乗せろ!」
「はい!!」
ジャンヌが、奪った未来を全解放した。
周囲の光が彼女の拳に収束し、激しく爆発する。
身体が悲鳴を上げ、関節が軋む。
それでも。
彼女は一歩も退かずに踏み込んだ。
「――奪います!!」
拳が、因果を断ち切る軌道で振り抜かれる。
ドォンッ!!!
耳を劈く衝撃音。
空間そのものが、ガラスのように派手に割れた。
固定されていた防衛者の身体が、その理不尽な衝撃に大きく揺らぐ。
そして――。
防衛者は、弾丸のように吹き飛んだ。
自らが展開していた領域の外へと。
「……出たぞ! 今だ!」
廉が咆哮する。
その瞬間、重苦しい空気が一変した。
「――固定領域、解除。因果の復元を開始……」
防衛者の声が、初めてわずかに揺らぐ。
「逃さねえ!」
廉の右目が、かつてないほど強く輝いた。
未来の選択肢が、滝のように一気に流れ込んでくる。
(視える……! 今度は逃さねえ!)
無数の枝分かれする可能性。その最奥にある、ただ一つの勝利を掴み取る。
――核の完全破壊
――確定的な勝利
「ジャンヌ!」
「はい!」
「核を……あいつの胸を狙え!」
ジャンヌが、光速の踏み込みを見せる。
その瞳に、迷いの残滓はない。
「――はい!」
防御を捨てた、必殺の突進。
防衛者が、再び迎撃の構えをとる。
だが。
遅い。
「そこだ!!」
廉の叫びが戦場を貫く。
ジャンヌの拳が、光の槍となって一直線に伸びる。
狙いは、ただ一点。
胸部で脈打つ 核 。
「――ぶち壊します!!」
バキンッ!!
空間が静止したかのような錯覚。
硬質な何かが、粉々に砕け散る音が響き渡った。
眩い光が、防衛者の内側から弾け飛ぶ。
その動きが、糸の切れた人形のように完全に停止した。
『――核……損傷甚大。機能……停止……』
無機質な声が、途中でノイズに呑まれ消える。
そして――。
崩壊。
巨大な守護者の身体が、塵となって音もなく崩れ落ちた。
静寂。
不気味なほどの、完全な凪。
「……勝った……のですね……?」
ジャンヌが、激しく肩で息をしながら呟いた。
「ああ。文字通り、ギリギリだったがな」
廉が頷き、彼女へ歩み寄ろうとしたその時。
「……っ!」
ジャンヌが、糸が切れたように膝をついた。
「おい、大丈夫か!」
「……大丈夫、です……。ただ……」
彼女の顔色は、蒼白を通り越して透き通るようだった。
「……未来を……使いすぎました……」
廉の表情が、苦渋に歪む。
(……代償、か。俺の選んだ道のツケが、こいつに来たのか)
分かっていたはずのことだ。
だが――あまりにも、その代価は重い。
「……今は無理をするな。休め」
廉は静かに彼女の肩を貸し、支え上げた。
「……はい。すみません……」
ジャンヌが、小さく力なく頷く。
その視線の先。
崩壊した守護者の跡地に、静かに、しかし力強く脈打つ純白の光があった。
「……あれが……」
廉が、右目を細める。
ジャンヌも、顔を上げその光を直視した。
「はい。間違いありません……」
そこにあるのは、この歪んだ世界の中心。
すべての可能性が収束し、そして始まりへと還る場所。
「…… 核 だ」
二人は、震える足取りでゆっくりと歩き出す。
その一歩が、この世界の結末を、そして自分たちの未来を決定づけることになる。




