21.大変不味い
結局、プレゼント勝負は引き分けに終わった。
片や粉々に砕け散った魔石、片やペット用の首輪。どっちが勝者か問われても、僕には全く判断できない。いや、惜しかった。魔石が爆発しなければ勝ってた。
でも、爆発したから――!!
なかなか痛かったよ!? 喉元で爆発したからね! ある? 誰か、喉元で何かが爆発した経験ある!? ないでしょ!! しかも、街中のエルフから白い目で見られちゃったし!
ただ、唯一良かったのは……。
ミキサが店に事情を説明したら、新しい魔石と交換してくれたこと。
「これで、よしっ! グルメ様! 取り付け完了です!」
「……もう爆発しない?」
「安心してくださいっ! あのお店で、いっちばーん質の良い魔石と交換してもらいましたから! まぁ、交換というか……買った方は跡形もなくなっちゃったので、新品をくれたも同然ですが。つまり、これでいくらでも叫んで大丈夫ですっ! 多分」
「多分!?」
「いくら高純度な魔石でも、永久に使える訳ではありません。さすがに使用限界があります。このくらいの大きさだと、100回は余裕で耐えられるはず。ただ、200回を超えるとなると……」
「ははっ。さすがに200回も叫ばないって!」
「ですよねっ!」
そんな、200回も不味いなんて叫ぶはずないじゃん! まさか! 有り得ないって! その前に、美味いものを見付けてるでしょ!!
いや、まさかね……?
「それにしても、親切な店主さんで良かった。『無』と新品を交換してくれるなんて」
「当然ですよ! 元は粗悪品を売っていた向こうが悪いんですから! たった1回で爆発するなんて、絶対におかしいでしょう!」
「うーん……叫び過ぎた僕に非がないとは言い切れない」
「甘いですっ! だって、一歩間違えたら大惨事だったかも……あぁ、グルメ様の首に赤い跡が……。本当に、ごめんなさいっ! 私のせいで……」
「いやいや、気に病まないで! ミキサのせいじゃない! 僕が断言する! これくらい、大したことないって」
「グルメ様……やっぱり、優しい……」
ミキサは僕のために、良かれと思って魔石をプレゼントしてくれたのだ。
今回の一件は、不慮の事故。偶然が重なってしまっただけ。
ならば、彼女を責める道理がない。これで良しとしようではないか。
「ねぇ、ミキサちゃーん。次はどこ行くぅ~?」
「クリム! ちょっとは空気を読んで!?」
「うえっ? どーしてですかぁ、グルメさん? 魔石も取り替えたし、一件落着じゃないですかぁ~。店主さんはビクビクしていましたけどぉ」
「ビクビク?」
確かに、店主は青い顔で慌てふためきながら、新品と交換してくれた。不良品を売ってしまったから? お客様に怪我を負わせてしまったから? どちらもしっくりこない。
もっと、恐ろしい魔物でも見たかのような狼狽っぷりだったが……。
その答えを知っていたのは、ミキサだった。
「店主さんが何に驚いていたか? ふっふっふ……決まってるでしょ! 私は管理局で働いてるのよ! それを知っていたのに、売ったのが粗悪品だった。もしも私が上司にチクったら、どうなることやら。ただ……お店で一番質の良い魔石を出されちゃあ、黙って受け取るしかないわよね?」
「ミキサちゃん、しょっけんらんよ~?」
「濫用じゃないっ! 正当な実力行使! 悪いのは向こうなんだからね!?」
おおう。そういう裏事情があったとは。まぁ、なんだ。とっても頼もしい仲間が増えた。味方で良かった。敵に回した日には……村から追い出されそう。
ニンマリと悪い顔をするミキサをよそに、クリムは耳をピョコンさせながら、目を丸くして喋り出した。
「グルメさん、痛いですかぁ?」
「いや、痛くないから。心配しないで。あっ、痛いっ!! そうやって、触ると痛いからっ! やめて! 触らないでぇー!?」
「あっ、良いことを思い付きましたぁ!」
「今のどこに閃きの要素が!?」
分からない。僕にはクリムの思考回路が分からない。種族の違いとか、そういった次元の話じゃない。
しかし、当の本人はウキウキ気分で笑顔を満開に咲かせている。
「ふふっ。決まりましたよぉ! 次に行く場所が!」
「えっ? どこに行くの?」
「グルメさんの痛いのを癒しに行くんですっ!」
「まさか……病院!?」
「どぉーしてそうなるんですかぁ!? 病院は遊ぶ場所じゃないですよ!」
「それは知ってるけど……ええっ? ヒントちょうだい」
「温泉ですっ!」
「答え言っちゃったよ!!」
あぁ、なるほど。痛そう→傷を癒す→温泉っていうロジックか。案外マトモな思考回路だった。失礼なことを思ってごめんなさい。
「待って、温泉!? 温泉って……もしかして、あの温泉!?」
「もしかしないっ! そもそも、他にどの温泉があるんですかぁ?」
「いや、温泉は温泉なんだけど……」
ひょっとしたら、いつか訪れるのでは。この世界に来た時から、そんな淡い期待を抱いていたが……早くも到来するとは! これが噂に聞きし、温泉回――!?
飽くまで僕の偏見だが! 異世界といえば温泉! どれだけ文明が未発展な世界であろうと! 何故か絶対に、温泉の文化だけは存在する――!!
本理論は、九割の異世界に通じると思う。
「温泉か……ホントに温泉なのか……!?」
「もぉー、訳の分かんないこと言わないでくださーい! 温泉は温泉ですよぉ。ミキサちゃんも、いいよねぇ?」
「もちろんっ! グルメ様と一緒なら、火の中、水の中、温泉の中っ!」
「温泉の中……?」
ミキサも、めっちゃ乗り気だ! 僕の勝手な想像だけど、なんで異世界の住人はみんな温泉好きなんだ!?
何だろう。物凄くドキドキしてきた! 温泉って……マジで温泉ですか!? 温泉に行っちゃうんですか!? もう、今からドキドキしてきたああああァ!!
いやいやいや! 落ち着け、落ち着け……鎮まれ僕の精神。別に温泉といっても、一緒に入る訳じゃないんだから……。
「えへへー。温泉も久々だなぁ~。じゃあ、グルメさん! 一緒に入ろっか!」
「……えっ!?」
今、なんて言った……?
……幻聴かな? 不味いものを食べ過ぎて、精神的に疲れちゃったのかな? うん。多分、そうだ。そうとしか考えられない。絶対そう。
はははっ。さすがに有り得ないって。全く、僕は何を考えているんだ。
「ごめん、クリム。最後の言葉、もう一回言ってもらえる?」
「一緒に入ろっか!」
「聞き間違いじゃなかった!!」
聞き間違いじゃ! なかったァ――!!
えっ、何!? どういうこと!? 混乱してるよ!! 今の僕、スッゴイ混乱してるよ!? 頭上にハテナマークが浮かんでるでしょ!?
もしや、ペットなら許されるのか!? 一緒に温泉入っても許されるの!? それも一理ある! ペットだからしょうがないね! 否、許されざる――!!
例え、この世界の神とクリムが許しても! カスタさんが許さないッ!!
「あのですね。クリムさん」
「うえっ? まーた別人格の裏グルメさん?」
「裏グルメ!? いや、さすがに不味いですよ。大変不味い。絶対に不味い。スライムよりも不味い」
「ふふっ」
「笑いごとじゃないって!! 一緒に温泉は不味い! いくらペットでも! 不味い限度がある! それを遥かに超えてるよ! 何より、恐らく僕の精神が持たない――!!」
「えぇー? なんでー?」
「なんでも!! ねぇ、ミキサも何か言ってやって!」
良識のあるミキサならば、クリムをたしなめてくれるはず。そう信じて、彼女へ話を振った。
しかし、その期待は裏切られることに。
ミキサはきょとんとした表情を浮かべ、僕に言い放った。
「えっと、何か不味いのですか?」
「ええぇ……」
「ミキサちゃんも、3人で仲良く一緒に入るよねぇ~?」
「そりゃあ、入るわよ?」
「マジで!? 嘘でしょ!? 信じてたのに――!!」
一緒に!? 3人で一緒に入るの!?
「あの、クリムさん……? ミキサさん……? 冗談ですよね? ドッキリだったら、ネタばらしの時間ですよ? あっ、待って。引っ張らないで。まだ心の準備が。心の準備がァ――!?」
動物病院へ嫌々連れて行かれるペットさながらに。僕は二人に無理矢理引っ張られていくのだった――!!
覚悟を! 覚悟を決めなければっ!!
☠
街の中心部より少し外れた場所に、それは存在した。
名を、「メシマズの湯」。温泉までメシマズなのか。だが、そんなことに突っ込んでいる場合ではない。
僕は絶賛! クリムとミキサと一緒に! 3人で温泉に入っていた――!!
「ふぅ~。どうですかぁ~? グルメさーん。気持ちいいでしょう?」
「あっ、はい。とても気持ちいいです」
「グルメ様っ! 宜しければ、お背中流しましょうか?」
「やめて。ビショビショになっちゃうから」
最後の最後まで渋っていたけど。今だから思う。ここへ来て、本当に良かった。この世界に、こんなにも快適で極楽な空間があったなんて。
「ふふっ。グルメさんも、温泉が気に入ったみたいですねぇ」
「確かに、気に入った。でもね、クリム。一つだけ言わせて?」
「うえっ? 何ですかぁ?」
「これ温泉じゃなくて!! 足湯――!!」
せっかく覚悟を決めたのに! なーんかおかしいと思ったんだ! よこしまな期待をしちゃったじゃないか! 二人して、男心をもてあそんで! 僕のドキドキを返せっ!
「でもでもっ! 足湯だってれっきとした温泉ですよねぇ? ちゃんと3人で温泉に入っているじゃないですかぁ。足だけ」
「足だけ!! それを最初に言って欲しかった!!」
温泉なのは間違ってないけど。成分は温泉なんだろうけど。足湯のことを温泉って呼んでるのは、多分この世界だけ!
「っていうか、全然熱くない。温泉なのに。川のせせらぎに足を浸してる気分」
「当たり前じゃないですかぁ。熱い温泉はあっち。今は暑い季節だから、定番はひんやり温泉ですよぉ~」
「ひんやり温泉とは」
わざわざ熱い源泉を冷たくしているのか。この方が夏はウケが良いのだろう。それは身に染みて分かる。だって、めっちゃ気持ちいいもん。
暑い木漏れ日を浴びつつ、ガツンと身体の芯から冷やされる。こんな贅沢が他にあるだろうか。続々と湧き出す白濁色の清流。心地良い流れに身を任せ、もとい膝から下を任せ。忙しなく動き続ける街を優雅に眺める。この場所だけ、時間がゆっくり進んでいるみたいだ。
強い硫黄の匂いが、より一層温泉らしさを醸し出す。これは、効く。絶対に良い効能がある温泉。手で掬ってみると、ヌメリが一切ない。絹のように柔らかな手触り。
「あぁ~、効くぅ~。このままゴロンと寝っ転がって、一眠りしたい気分。想像とは違ったけど、これはこれで乙なものだなぁ~」
「あら、グルメ様。一体何を想像されていたんですか?」
「べっ、別に何も!!」
「ふぅん……」
あっ、これは察してる。ミキサは完全に察したようだ。ちなみに言うまでもないが、クリムは何一つとして察してない。
早急に話題を替えなければ!
「そっ、それで! このまま温泉を掬って、首に塗り付けちゃっていいの? 怪我に効果があるんだよね?」
「はいっ! 直に塗って大丈夫です。メシマズの湯には、切り傷や火傷を癒す効果がありますから」
「温泉が塗り薬の代わりになるとは。ちょっと新鮮」
「効能は一級品だと保証しますよ。実のところ、この村の交易品として、メシマズの湯は他種族からも人気なんです! 薬としても、温泉の素としても。みーんな温泉は好きですからね。もちろん、人間の村でも流通しています」
「へぇー。メシマズの湯が人気なんだ……」
名前が最悪でも! 効能が良ければ売れる! 凄い! よくぞ、この名前で売り出そうと思った! それで売れてるんだから! 口コミの影響力って強い!
こんなにも人気な名湯の源泉に浸かれるなんて。僕は幸せ者だなぁ。
では早速、患部に塗ってみよう。
「おぉ~。効いてる……? ひんやりさらさらで快感だけど、効いてる? 治った? いや、さすがにまだか。塗って一秒で傷が治ったら逆に怖いもん」
「あっ! 言い忘れていましたが、絶対に飲んだらダメですよっ!!」
「分かってるって。どうせ、クッソ不味いんでしょ?」
「違います」
「えっ、違うの!?」
「不味いかどうかは、分かりません」
「分からない?」
「つまり、飲んだら数秒で死に至ります」
「 死 ぬ の ! ? 」
また不味いのかと思ったら! 死ぬの!? えっ、死ぬの!? 不味いかどうか分からないのは! 飲んだ人みんな死んでるから!? でも、多分不味いって!!
死ぬほど不味いのは許容するけど! マジで死ぬのは勘弁――!!
この世界へ来た時、近くに温泉が湧いてなくて本当に良かった。
「ええぇ……死ぬのかい……」
「即効性の劇毒です」
「この村の名産が劇毒でいいの……? メシマズじゃ済まされないよ?」
「ご心配ありませんっ! 飲んだら危険なものは、他にいくらでもありますからね。それに、これを毒物として使用するには……匂いが強すぎます。こんなに臭ければ、飲む前に異常を察知されちゃいますよ!」
「なるほど」
こんな酷い匂いだと、野生のモンスターですら飲まないだろう。強いて言えば、スライムくらいか。
そして、同時に理解した。どうして温泉が足湯までなのか。
うっかり口に入ると死ぬから! 肩まで浸かれない――!!
こうして、温泉=足湯という概念が定着してしまった訳だ。ということは……少なくともこの村では、これ以上の温泉回は訪れない! ちょっとだけ無念。
「はぁ……でも、スッゴイ気持ちいいから許す! もう、全てがどうでも良くなっちゃう。昨日の不味いもの、今日の不味いもの、ぜーんぶ忘却の彼方へ消し去ってくれそう。うーんっ……」
思いっ切り伸びをして、足湯に浸かったまま後ろへ倒れ込んだ。瞬間。
――ピキッ
「ん? 何か不吉な音がしたんだけど……?」
魔石を確認するが、異常は見当たらない。もっと別の何か……?
「おいおい、若い兄ちゃん! 困るんじゃよ~! ワシの大事な売り物なのに!」
声の方を振り向けば、ご年配のエルフが頭を抱えていた。彼の指差す先には――ヒビの入った卵。
「もっ、もしかして! 僕が……!?」
「そうじゃよ~?」
割っちゃった! 売り物の卵を割っちゃった! 伸びをした拍子に!
いや、どうしてそんな場所で卵なんて売ってるの!? しかも、チョンとしか触れてないよ! この卵、めっちゃ割れやすい!
あっ、なんか見覚えがある! 割れやすい卵!!
しかし、割ってしまったものはしょうがない。過失は僕にある。ならば、選択肢は一つ。
「せっ、責任をもって食べますっ!」
☠
結局、クリムに卵を買ってもらって事なきを得た。
「まさか、あの衝撃で3つもヒビが入ってたなんて……どんだけ割れやすいのさ……」
「もぉー、グルメさんはおっちょこちょいですねぇ~」
「ごめんなさい。僕の我がままを聞いてもらって、ありがとうございます」
ますますクリムに頭が上がらない。恩返しできる日は来るのだろうか?
「さすが、グルメ様っ! 私たちも3人だから、1人1個でピッタリです! そうそう、私もちょうど温泉卵が食べたい気分だったんですよ!」
「仕方ないですねぇ。私も食べるの協力してあげますよぉ~」
「二人とも優しい……次から気を付けます」
道理で温泉の近くで売っていると思ったら、温泉卵だったのか。恐らく、前に目玉焼きもどきを作った時と同じ卵だろう。大きさ然り、割れやすさ然り。
ただ、二つだけ気になることがある。
「ねぇ、クリム。これは何の卵なのかな……?」
どうか、ヤバイ生き物の卵ではありませんように。虫の魔物の卵とかじゃありませんように。マジで切実に。ゲテモノは無理だから。
「知らないで使っていたんですかぁ? これはですねぇ……」
「これは……?」
「グエグエさんの卵です」
「グエグエさんの卵」
誰だ! グエグエさんって誰だ!?
いや、エルフのことじゃない。クリムは生き物をさん付けで呼ぶタイプなのだ。スライムさんとか、マイコニドさんとか。つまり、グエグエという名の生き物――
「あっ! あれか! あの変な鳴き声の鳥か! 確かにグエグエ言ってた!」
「それですっ! グエグエさんはグエグエ鳴くからグエグエさんですよ」
「頭がこんがらがること言わないで」
いやはや。鳥っぽい生き物の卵で良かった。
そして、もう一つの懸念。個人的にはこっちの方が重要。
「ミキサは、この温泉が劇毒って言ってたよね? その……温泉卵なんて作って、大丈夫なの……?」
「大丈夫ですっ! 管理局としても厳重警戒対象となっています。それこそ、正式な認可がなければ絶対に売れませんからね」
「よかったぁ……」
「それに、今年はまだ一人も死者を出していないので」
「 今 年 は ! ? 」
じゃあ、去年は!? 待って。怖くて聞けない……。
「ふっふっふ……ご安心を! これが割れちゃったのは、売っている最中です。温泉に浸している時にヒビが入っていなければセーフ。販売前の水洗いも義務付けていますから。死者だけは出すまいと、売る側も極めて慎重を期しているはずです!」
「慎重を期してなかったら?」
「死にますね」
「そんな……ガチのロシアンルーレットの食べ物みたいな……」
運が悪いと、死ぬかもしれない。
ただ、ミキサを信じるならば――可能性は低いはず。
しかも、卵を割ってしまったのは僕なのだ。二人は協力して一緒に食べてくれる。僕だけ食べないなんて……そんな訳にはいかないっ!
ここで温泉卵から逃げるくらいならば! 死んで本望――!!
「いやぁ……最初はかなり焦ったけど、ヒビだけで済んだのは不幸中の幸い。お陰で中身は無事。恐らく、生卵ならアウトだった」
「グエグエさんの卵は割れやすいですからねぇ。そーっと持つんですよぉ? ちょっと強く握ると、ベチャってなっちゃいますよ?」
「うん。知ってる」
クリムとミキサは、慣れた手付きで卵のてっぺんの殻だけを綺麗にカットしている。僕も真似して殻に穴を開ける。あっという間に、卵型の入れ物が完成。
中を覗き込めば、トロットロの白身。
これはガチの温泉卵だ! よく温泉地で売られている温泉卵は、もっとゆで卵のように白身が固まっている場合が多い。白身まで柔らかい温泉卵というのは、不思議なことに温泉地でも滅多に売られていないのだ。
しかし、これは絶妙なトロトロ具合! 分かってる! 温泉卵の何たるかを分かってる!
スプーンで掬う必要はない。卵を傾けるだけで、穴からツルンと中身が飛び出すこと請け合い。こんなにもとろける温泉卵が存在したなんて!
鼻を近付けても、硫黄臭は全く感じられない。問題なく食べれそう。お湯から引き揚げたばかりなのか、まだほんのりと温かい。
「美味しそうですねぇ……じゃあ、お先にいただきますっ! あーむ……んんーっ! 美味しい~! とってもトロトロですぅ~!」
「なら、私も。はむっ……あ! 本当に美味しい! グルメ様っ! 美味しいですよ! 温泉の塩気がうっすらと染み込んで、まさに理想的な温泉卵ですっ!」
また二人とも美味そうに食べるなぁ。躊躇なく卵を頬張ってる。毒に当たるのが怖くないのか?
……いや、違うな。危険だからこそ、美味い。
上手く例えるならば、猛毒を持ったフグのようなもの。
日本でも古来よりフグは食べられてきた。毒があると知ってなお、人々は食べることを止めなかった。江戸時代にも、フグは鉄砲に例えられたそうだ。当たるかどうかは運次第だが、当たったら確実に死ぬ。
こんなにも危険なフグが! どうして人々に親しまれてきたのか! それはもちろん、美味いから――!!
命を賭けても食べたい! そう思えるほどの美味であることは……ふぐ刺しを食べたことのある人ならば理解できるだろう。
単なる美味いではない。覚悟をもって食べるからこそ、より一層美味い。危険を冒すからこそ、背徳的に美味い。もし、フグに毒がなければ、恐らくここまでの人気は出なかった。
温泉卵も同じこと! 可能性は限りなく低いが、食べると死ぬかもしれない! 誰もが命を賭けるほどの美味さ! 不味かったら、絶対に命なんて賭けない!
目玉焼きが不味かったのは、僕の料理が下手だったから。
今回は心配ない。その道のプロの作った一級品の温泉卵。
ならば! 命の一つや二つくらい! 賭ける価値があるだろう――!!
トロリと殻から飛び出す卵を、僕は勢いよく吸い込んだ。
――チュルッ
………
……
…
「グエエエエエエエエエエエエエエエエエエェ!? おがァ! オエエェ!! んなぁ……うっげ! ブベェ!! マッズ!! 大変不味いッ!! 断言する!! こんなクッソ不味い卵のために! 命を賭ける価値は無いッ!! だって、クッソ不味いから!! この世でも屈指の最悪の死に方! それが、不味いものを食べて死ぬ――!! 哀し過ぎるよ! 最後の晩餐くらい美味い飯を食わせて! があああっ! 全てが不味い! とろけると聞いていたのにィ! イメージと違う! 固まった脂を噛んでる気分! 確かにちょっととろけるけど! そうじゃないんだよなぁ!? 硫黄の匂いはしなかったのに! 味は硫黄そのもの――!! 完璧に腐った卵の味っ! 温泉が悪い方向に染み過ぎたァ! 口に入れた直後、異常を察知!! 僕の脳が警報を発する! これは絶対に劇毒――!! 不味くて死ねるレベルゥ! オゲエエエェ! 不味さの海で溺死するぅ~!! 卵はもうこりごりだぁ!! ぐええぇ……」
思うがままに、積もり積もった怨嗟を叫び切った。これには悪魔も裸足で逃げ出すだろう。
ただ、温泉に入っている他のエルフたちは、誰も気付いていない。
音声吸収魔石が! 音声吸収してくれた――!!
「グルメ様! 今度こそ成功ですよ! さすがは質の良い魔石ですっ!」
「それは喜ばしいことだけど! やっぱり嬉しくない! 根本的な解決になってないから! うえぇ……不味いよぉ……黄身が悪ければ、白身も悪い……」
「むぅ~。グルメさん、やっぱり舌がおかしいですよねぇ? こんなに美味しいのに、勿体なーい。パリポリ」
「……えっ!? 殻まで食べてる――!? そういうもんなの!?」
「あっ! クリムっ! バカッ!! 死にたいの!? 殻は食べちゃダメでしょ!! すぐ出しなさいっ!!」
「うえっ!? 死にたくないですぅ~!! ぺっ! ぺっ!」
うん、だよね。殻は食べないよね。だって、水洗いしたとはいえ、劇毒に浸してたんだから。ビックリしたぁ……。
やっぱりクリムって、食い意地が張ってる!
「死んじゃうんですかぁ!? 私、死んじゃうんですかぁ~!?」
「……そんだけ元気なら大丈夫よ。これは即効性の劇毒。裏を返せば、食べて少し経っても元気ならセーフ」
「ふえぇ……良かったぁ。まだまだ美味しいものを食べたいですからねぇ」
「さすがは食い意地の権化」
「うえっ!?」
こうして、温泉回は無事に幕を閉じたのだった。
僕の口の中は無事じゃないけどな!!




