19.果てしなく不味い
まずは、お店の人に謝罪して。他のお客さんにもお詫びをしてから。僕は、やっと自分の席に戻ってきた。同じ説明を繰り返しているうちに、言い訳が板に付いてしまったぞ……。何だよ、クソ・マーズの呪いって。
別に、料理を食べて「不味い!」と叫んだからって、「この料理を作ったシェフは誰だ!? 出て来いやぁ!」という意味ではない。ただ、純粋に不味いと感じただけ。一切、混じり気のない不味い感情。それを抑え切れず暴発した結果が、これ。
毎度お騒がせして申し訳ない! 歩く風評被害とは、僕のこと――!!
「はぁ……みんな気のいいエルフで良かった。シェフに怒られるかと思ったけど……そんなこともなかった。自分が作った料理を不味いって言われたのに。それどころか、『もっと精進します』って。聖人か。美味かったら絶対に行きつけの店になってた。美味かったら」
「ねっ! 私の目に狂いはなかったでしょう?」
自信満々でお店を勧めたミキサ本人が、誇らしげな表情をする。それに連動して、耳がピョコッと動く。
「ごめんね、ミキサ。一緒に謝罪へ付き合わせちゃって」
「いいえっ! 私は店主さんと顔見知りですから、同席した方がスムーズに話が進むと判断したまでです!」
「それでも、ありがとう。やっぱり、ミキサは優しいね」
「ほっ、褒められちゃった……グルメ様に……うへへ……」
「二人ともおっそーい! やーっと戻ってきたぁ。ご飯が冷めちゃうよぉ~!」
「それに引き替え、クリムはマイペースだなぁ」
「うえっ!?」
さて、ミキサは美味いものを食べさせてくれると宣言したが……果たして、可能なのか。いや、かなりの情報通でも難しいのでは……?
彼女がトップ5に入ると言い切った料理店すら! この有り様なのに――!!
そして僕たちは食事を再開する。
「うーん……不味い。クッソ不味い。未だに脳がバグ処理してる。不味さのデバッグ作業。どれだけ計算し直しても、最後に出力されるのは不味い。致命的で深刻な味覚のエラー。もう、一周回って美味いんじゃないかと錯覚してしまう不味さ。いや、不味いんだけど。他と比べたら、かなりマシな不味さ。さすがは一流シェフの力作。不味さが一味違う」
「だーかーらぁー! 食べながら、不味い不味い言わないでくださいよぉ~! こっちまで不味くなるじゃないですかぁ!!」
「大丈夫。僕の方はがっつり不味いから」
「どこが大丈夫なんですかぁ!?」
あれだけ不味いと叫んだのに。
改めて冷静になって食べてみれば……そこまで悪くない不味さ。一口目は、味と見た目のギャップに打ちのめされてしまった。しかし、純粋に味と食感だけで考えれば。この世界で僕が口にしたは食べ物の中で、断トツで美味い――!!
「不思議な感じだ。表現するならば、美味不味い。部分的には、ちょい美味いか? と思った直後には、強大な不味さで打ち消される。食べれる紙粘土と割り切れば、結構いける。お腹も空いてるから」
「その、無理して食べなくても宜しいんですよ?」
「無理してないって! いや、無理はしてるけど! 今までの無理と比べたら、無理の内にも入らない――!! もっと不味いものを死ぬほど食ってきたからっ!」
「そうなんですか!?」
数々の美味いものを食べてきたと、自慢する人はいるだろう。しかし、数々の不味いものを食べてきたと自慢する人は、ミキサにとっても初めてだと思う。僕もそんな人、他に知らない。ただ、好きで不味いものを食べてる訳じゃないから。その点だけは、誤解しないで欲しい。
すると、クリムが妙な声で静かに語り始めた。これは、精一杯の低い声でドスを利かせてるつもりか? 全然怖くないが。一体、何を企んでいるんだ……?
「そうそう。ミキサちゃんは知らないかもだけどぉ……グルメさんって、実はヤバーイ奴なんですよぉ?」
「ヤバイ奴? あぁ、少し危険な香りがする男もいいわね」
「違いますぅ! 何でも食べちゃうヤバイ奴なんですよぉ!」
「何でも?」
「ドロベチャの実を食べちゃうしぃ……」
「ドロベチャの実を!?」
「ゲチョリ川の水も飲んじゃうしぃ……」
「ゲチョリ川の水を!?」
「スライムさんだって齧っちゃうしぃ……」
「スライムを!?」
「挙句の果てに、マイコニドさんを……」
「いや、待って! それはクリムが間違えてスープに入れたんだよね!?」
「うえっ? そうでしたっけ……?」
突然、クリムは僕の評価を下げる作戦に打って出た!
その理由は、言わずもがな。
ただ、けなされる僕の身にもなって!? 言ったことは全部事実だけど!
「つまり、ヤバーイ奴なんですよぉ?」
「……だから?」
「へっ?」
「食べちゃダメなものを食べちゃったのは、知らなかったから。誰も教えてあげなかったから。過去のことは、もう変えられない。でも、未来は変えられる。だったら、アタシが教えてあげる! 食べられるもの、食べられないもの、そして――美味いもの! グルメ様の未来を、アタシが導いてみせるっ!」
「うええええええぇー!?」
この程度じゃ、へこたれない――!! ただひたむきに一直線!
クリムとはまた違った意味で、マイペース。圧倒的ポジティブ。みんなを引っ張っていくリーダーの資質がある。これは将来、管理局で出世するぞ。
ただ、僕には一つだけ疑問があった。
「ねぇ、ミキサ。ちょっといい?」
「はいっ! 喜んで承ります!」
「まだ何も言ってないけど? その、美味いものを食べさせてくれるのは有り難いんだけど……どこかに当てはあるの?」
「当て、ですか? えっと……もちろん、ありますっ!」
「マジで!?」
無謀な挑戦を口にすることは、誰にでもできる。ただ漠然とした宣言に希望を抱くほど、僕は純真な人間ではない。
だが、当てがあるならば話は別! 希望が現実味を帯びてきた!
「グルメ様は、クリムから私たちのことを、どれだけ説明されましたか?」
「私たち? つまり、この村のエルフのこと?」
「そうです。メシマズの一族について」
「メシマズの一族――!?」
村がメシマズだと思ったら! 一族までメシマズだった!!
少しだけ同じことを考えたけど、さすがにそれはないと思い直した。その最悪の予感が的中! 誰か、嘘だと言ってくれ……。
「もぉー! グルメさん! メシマズじゃなくて、メシマズの一族ですよぉ~! ご飯が不味いじゃなくて、ちゃんとした意味のある言葉なんですからぁ! ほら、ミキサちゃんも言ってやって!」
「はぁ、グルメ様。驚いた顔も素敵……」
「うえっ!? どぉーして、ミキサちゃんポンコツになってるのぉ!?」
「よく君が言えるね」
ただ、一族の名前や村の名前をバカにしちゃいけない。最初からそういう名前なのだ。残念ながら。しかも、今の僕は村に滞在させてもらっている立場。メシマズの一族には大変お世話になっている。悪く言うのはやめよう。
例え、本当にメシマズでも!!
「で、ミキサ。続きは?」
「はいっ! まず、この村に住んでいるのは全てメシマズの一族です。しかし、私たちも一枚岩ではありません。つまり、身分の違いが存在します」
「へぇー、エルフの村に身分制度が……まぁ、あるか」
「本題はここからです。私や、クリムや、この街にいる全てのエルフが、普通の一般エルフ。悪い言い方をすれば――最下層のエルフになります」
「えっ、そうなの!? 知らなかった!」
「へっへーん! 私は知ってたよぉ?」
「アンタは自慢することじゃないっ!」
メシマズの一族でも最下層のエルフ。でも、これがどうして美味いものに繋がっていくのか……。
瞬間! 閃いた! 分かってしまった!
自慢じゃないが、美味いものが絡むと僕は頭の回転が速いっ!
「じゃあ、まさか……君たちより身分が上のエルフたちは、より美味いものを食べていると……!?」
「その通りです。確実に」
「根拠は?」
「二つあります。一つ目、この村の食材の流通は上から下へ流れていきます。より上位のエルフから味の良い食材を選別していって、残った余りものを私たち下位のエルフがお零れにあずかる。そういう仕組みで、社会が成り立っています」
「えっ、僕が今食べているこれも――!?」
「はい。余りものの食材で作った料理です。むしろ、この街の食べ物は全て。二つ目、腕の良い料理人は上位の階級へ引き抜かれる場合があります。ただ、料理に限った話ではありませんが。様々な分野において、トップの存在が集められる。それが上位階級。引き抜かれた方も、身分が上がる訳だから悪い話ではありません」
「ってことは、超一流の料理人が――!?」
「はい。上位のエルフが住んでいる地区には、ごろごろいることでしょう」
目から鱗である。
僕は今まで、最下層のエルフが余りもので作った料理を食べていたのか――!?
なるほど。道理で……何を食べても、僕の舌に合わない訳だ。真に舌の肥えた存在は、上の階級にいる! まぁ、現代社会に則って考えても当たり前か。
今の日本に身分制度は無いが、上流階級は存在するだろう。彼らこそが、舌の肥えた人間の代表格! 僕なんか遥かに及ばない! この世界に来たら初日で死んでしまいそうな人々!
ならば、エルフの上流階級は……それなりに美味いものを食べているはず。少なくとも、僕が満足できるくらい美味いものを――!!
希望は繋がった。
「あっ、ごめんなさいっ! またお仕事モードに入っちゃって! あ、あれっ? グルメ様……?」
「ふふっ。たまーにあるんだよねぇ。グルメさん、ぼーっとして固まっちゃうこと。そんな時は、こう! ぺちぺち」
「痛っ! 急に頭を殴らないで! それは、ぺちぺちとは言わないっ! ボコボコって言うの! 痛いっ! ミキサも真似しないでいいから!」
あまりの衝撃に、我を失っていたようだ。
無事に正気を取り戻した僕の思考は、次の段階へと突入する。
「ちなみに、それは僕でも食べれるの?」
「うーん……正直に言うと、正攻法では難しいですね。ただ、不可能ではありません。方法はこれから3人で考えましょう!」
「もぉー、しょうがないなぁ……グルメさんのために協力してあげるっ!」
「クリム……ミキサ……2人とも、ありがとう! 本当に……ありがとう!」
僕の頭の中には、感謝の言葉しか浮かばない。
これまで、ずっと――!! 優に20を超える不味いものを食べてきた。泣きながら食べた。無心で食べた。そんな日々が、ようやく終わる。
長かった……ここまで長かった……。3日くらいしか経ってないけど。
楽しい日々はあっという間に過ぎるが、不味い日々は時間の流れが遅い――!!
「いいえっ! グルメ様に喜んで頂けるならば、本望ですっ!」
「そもそも、グルメさんは私の使い魔なんですよぉ? もっとご主人様を頼ってもいいんですからねぇ~?」
「何だろう。複雑な三角関係になってきた」
それでも、今日という日を。
2人に出会えたことを。
僕は一生忘れない。断言してもいいっ!
「できれば、今すぐにでも食べに行きたい――!! けど、それは無理な相談だよね。その日が来るまで、この街の料理で満足するしかない」
「安心してくださいっ! 私だって、他にも美味いお店は知ってますから! そこで絶品に巡り会える確率だってゼロじゃありません!」
「そうだね。期待してるよ、ミキサ」
「うへへ……」
「むぅ~」
照れるミキサとは対照的に。クリムは頬を膨らませている。二重の意味で。例え怒っていても、食べる手は一切止めない。逆にスゴイな……。食い意地だけは誰にも負けなさそう。
ならば、そうなることは必然だったのかもしれない。
「ちなみにぃ……グルメさんのそれ、美味しそうですよねぇ?」
「えっ? この、トロケール?」
「そうですっ! 私も食べたいなぁ……? ちらっ」
「いや、あげるから! そんな顔しなくても、食べさせてあげるから!」
「やったぁ!」
「では、3人で料理のシェアといきましょうか」
「おおっ! ミキサちゃん、名案っ! さっすがぁ~!」
……待って。3人で?
もしや、僕も頭数に含まれてない?
いや、みんなで料理をシェアするのは定番だけど。確かに他の料理も美味そうだけど。余り気乗りはしない……。
待て待て。不味いと決め付けるのは、まだ早いぞ。なんたって、この店のメニューを一品しか食べてないんだから! たった一品食べただけで、ここは不味い店だと評価は下せない! 料理店のレビューだって書けない!
偶然にも食べた一品が不味かった。それだけで、全料理が不味いとの烙印を押されては、店としても堪ったものではない。
それに、僕はまだ諦めない。美味い未来の希望が見えたからって、この町に潜んでいる美味いものを全て諦めた訳じゃない!
今こそが! 一世一代の決断の時!
「……よし、分かった。3人でシェアしよう」
☠
僕の前に置かれたのは、さっきまでミキサが食べていた……何だっけ?
「これ、何だっけ?」
「自家製ヌワットと完熟バエルのマゼターノ~オビョビョとポペポポンを添えて~です」
「よく噛まずに言えるなぁ」
確かに、無駄に長い料理名っていうのはあるけれど。コース料理とかで見るけど。今回ばかりは事情が違う。まず、食材が一つも分からない。
飽くまで僕の予想だけど、ここのシェフが自家製で作ったヌワットと、完全に熟したバエルを、混ぜたの? 添えてあったはずのオビョビョとポペポポンは、既に一緒に混ざっちゃって分からない。
ポペポポン……? どっかで聞いたような……?
「ちなみに、ミキサ的にはどれくらい美味かった?」
「私はこのお店で、一番好きな料理ですっ! シェフの気紛れで、具材が変わることもありますが。今回は当たりです! ちょっと癖があって、食べる人を選びますけれど……えっ、グルメ様、本当に食べるんですか?」
「うん。ミキサを信じるよ」
「……はいっ! ご健闘を祈ります!」
ご健闘を祈られちゃったよ! 料理を食べるだけなのに! 死地へ向かう兵士でもあるまいし!
さて、この料理を一言で表現すれば……食べ応えのあるサラダ。野菜かどうか分からないが、大きめに切った具材がごろごろと混ざっている。
この世界のサラダには、良い思い出がないけど。これはちょっと違う。少なくとも、生野菜ではない。一つ一つの具材に、一手間が加えてある。焼いたのか、炒めたのか、蒸したのか。料理に疎い僕では理解不能だが……何かが違う。絶対に生ではない。
赤、黄、緑、紫が、それぞれバランスよく配合された、完璧な色調。明るく華やかな見た目は、写真に撮っても映えること請け合い。有名な絵描きに頼んだって、ここまでの色合いは簡単に表現できないだろう。
どう説明すればいいか……具沢山のカレーを想像して欲しい。そこから、液体と肉を取り除いたら、イメージは近くなる。食べ応えのあるサラダ。
自然の香りだけではない。ツンと柑橘系の酸っぱい匂いが鼻を突く。柚子のドレッシングが混ざっているみたいな。嫌いではない。むしろ、好き。
ガッとフォークで突き刺す。すると、一気に具材が引き上げられた。どうしても、僕に食べて欲しいみたいだ。
現代社会で出されたら、絶対に美味いんだろうな。野菜嫌いな子供でも、喜んで食べるレベル。それほどまでに、サラダっぽくない。メイン料理を張ってるだけはある。
万遍なく、全ての具材を集めて。今、未知なる扉を開く。
――がぶっ
………
……
…
「ノバアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!? なっ、のわぁ……! ギエエエェ……!! ウゴオオオぉ!? マッッッズ!! 果てしなく不味いッ!! 癖が強い――!! 料理としては有るまじき癖の強さァ!! これは人を選ぶっ! 食べる人を選ぶよォ!! そして、僕は! 選ばれなかったァ!! ズンとした酸っぱさが、全身を駆け抜ける! もう、ダメ! コイツは、味を100倍に濃縮した柚子ッ!! お前は表に出てくるな! 料理の柚子は香る程度が丁度良い――!! 具材も具材で! 謎の一手間によって不味さが際立たされているッ!! 生野菜の方が温情あるよ!! しかも、それらが合わさって! 不味さの次元を限界突破ァ! 四種の食材により、不味さ三段階進化っ! 色んな不味さに目まぐるしく変わり、どう不味いのか表現不能――!! この料理は! 不味さの頂きに聳え立つ何かァ! ごばああぁ! 総括して、癖が強いッ!! シェフの気紛れにも程がある! 不ー味ーいーぞぉー!!」
ミキサは僕の隣りで、苦い表情を浮かべるのだった。
「グルメさんっ! 私の食べていた料理の方が絶対に美味しいですって!」
「うげぇ……待って、クリム。僕は今、美味いなんて一言も発してないから」
謎の対抗心を剥き出しにして、次の料理が僕の前へ運ばれる。いや、注文したのは全部ミキサだからね? それで……。
「がはああぁ……これは、何だっけ……?」
「アミノ産のボベリカを使用したゲババのチョイ・ヤイタです」
多分だけど。アミノっていう地方で採れたボベリカを使って、ゲババに仕立てて、ちょっと焼いた?
「やっぱり、ゲババはアミノ産のボベリカが絶品ですよねぇ~?」
「僕に同意を求めないで。知らないから」
クッソォ……どれがボベリカなんだ……!? ボベリカ以外の食材もふんだんに使い過ぎでしょ……。
だが、美味そう。ゲババという名前の不信感すら消え去るほどに、美味そう。一瞬、小さなステーキに錯覚してしまった。どれも野菜のはずなのに。
つまり、複数の食材を厚く輪切りにして、一枚一枚丁寧に焼き上げた。ちょい焼いたどころか、がっつり焼いている気もする。全体的に赤みがかった褐色。本当に野菜なのか? 前世は肉だったのでは? そんな野菜が、三種類。一体全体、どれがボベリカなんだ!? いや、隣りのソースがボベリカなのか!?
「ほらほらぁ、それに付けて食べるんですよぉ」
「このソースに?」
小さなお椀に注がれた、半透明のソース。まるで、コンソメスープみたいだ。何も知らずに出されたら、そのまま飲んでいたかもしれない。
既に残り少なくなっている野菜ステーキの一つを取り、トプンとソースへ投入。よーく絡ませて、持ち上げる。おおぉ……どう見ても塩だれに浸かったステーキ! 僕の本能を呼び醒ます。肉……!! いや、肉じゃないけど……肉っ!!
そういえば、メシマズの村で肉は食べてない。エルフという種族は、菜食主義なのか、祝い事でしか肉を食べないのか。
どちらにせよ、この料理が肉の代用品だろう! これがエルフにとっての肉料理! ゲババのチョイ・ヤイタは、エルフにとっての牛ヒレステーキ!
そして、肉は美味い。安い肉でも美味い。味付けさえ間違えなければ、現代社会の9割の肉が美味い部類に入る。
ステーキを顔の前へ。ゴクリ。塩だれの香りがしてきた。存在しないはずの肉汁が、幻覚となって押し寄せる。これも店の看板メニューだろう。そういえば、同じ料理を食べているお客さんがいた。常連にとって馴染みの一品。
ここまで美味い要素が揃っていれば! 美味いことは確実だろう! 美味さの確定演出! 美味さ確実! 美味確ッ!
さっきまでの不味さも忘れて。待ち切れず、一気に噛み締める。
――モグッ
………
……
…
「ゲババアアアアアアアアアアアアアアアァ!! ふぎゃあああぁ!? あびえええェ!? おぐぁ! ばべぇ……マッッッズ!! 何たる不味いッ!! いやいやいや! 何が、何が起きた――!? 肉じゃないとは、覚悟してたが! 野菜でもねえ! 予想外にも、鉄の味ッ!! 錆びた鉄を、丁寧に焼いて、クッソ不味いソースに付けたァ! 誰が喜んで食べるのか!? ソースと絶妙に絡んで、しょっぱい鉄の味を遺憾なく発揮! ボエェー! しかも硬ってえ! 焦げた肉の硬さ! 否、焼き肉を楽しんだ後の! 焦げ塗れの金網を食んでる気分ッ!! だが、肉の味は一切無し! うげぇ……僕の肉を返せっ! 雨上がりの鉄棒の方が美味いぞ!? 殺す気か! 僕の味覚を殺す気か――!? 客へ料理を出す前に味見せいっ! 二度とゲババを見たくない! ゲババなぞ、知りとうなかったァ――!! げばぁ……」
クリムはきょとんとした顔で、僕を見詰めていた。
「それで、どっちが美味しかったですかぁ? やっぱり、ゲババですよねぇ?」
「待ちなさい、クリムっ! リアクションからして、マゼターノの方が美味かったに決まってるでしょ!?」
「うえっ!? どこがですかぁ……不味そうな反応だったじゃないですか」
「自分の料理を棚に上げて、よく言えるわね?」
待って待って!? これ、どういう状況!? 2人して、どんな対抗意識を燃やしてるの!?
「グルメさんっ! ゲババが美味しかったですよねぇ?」
「グルメ様っ! マゼターノがお口に合いましたか?」
僕に何を求めている――!? 言っておくけど、どっちもどっち!!
「があああぁ……両者、甲乙付け難き不味さッ! 引き分けっ! この不味さ一番勝負、引き分けっ! どちらもクッソ不味いッ!! 勝者、トロケール!」
望んでないのに、日に日に不味さの熟練度が増していく。
どっちが不味いか正しく判定できても! 誰一人として得しないからね――!?
僕は! 美味いサラダと美味いステーキを所望するっ!