夜のサーカス(3)
イビルシャインが違和感を覚えたのは、アイリスが去ってから数十分後のことだ。
すぐ戻るとの言葉を信じ、彼女を待った。しかし、アイリスが姿を見せることは一向にない。
彼女の足の速さなら既に辿り着き、こちらに帰還していてもおかしくはないはずなのに。
「まさか、場所を忘れたのかしら?」
流石にそれはないだろうとイビルシャインは思う。道に迷うこともない筈だ。
であれば――。
「……面倒ね」
なにかあったに違いない。イビルシャインはため息を吐く。
正直な話、あまり問題ごとは起こしたくなかった。
彼女は現在、魔王になるための算段を探り中だ。完璧な方法どころか、第一歩となる手段も検討が付いていない。
冒険者として様々な依頼を熟しながら世界を見る。そうして、勝率のある道筋を探そうと考えていた。
そのため、あまり目立つ行動は正確な目途が立つまで避けたいのが本心だ。
仮にアイリスガ厄介ごとに巻き込まれたとするならば、それはイビルシャインにとって、非常に面倒だった。
それは、彼女を助けようが、見捨てようが同じことだ。
イビルシャインは来た道を凝視し、静かに呟いた。
「『次元移動』」
第七流出魔法次元移動。一度でも行ったことがある場所ならば距離を気にせずに転移が可能となっている。転移系最上位の魔法だ。
やがてイビルシャインの身体は、紡いだ言葉と共にその場から消えた。
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「……ここどこ?」
アイリスは自分が倒れていたことに気が付いた。重い身体を起こして辺りを見回す。
目に映るのは先ほどとは違う光景。真っ黒な床に自分を閉じ込めるが如く、四方を鉄の柵が囲んでいる。
いや、様にではなく、事実この柵は人を閉じ込めるための物だろう。
アイリスの額に嫌な汗が流れる。自分は今、檻の中にいる。
彼女は瞬時にそう判断した。
「はぁ~! どうしよう!? またイビルシャインさんに迷惑かけちゃうよ……。この檻って魔法で壊せるかな?」
深いため息が出る。アイリスは注意深く柵を見つめた。
魔法で破壊できるならまだ脱出の希望はある。しかし、不可能だった場合、どうすればいいのかアイリスには検討がつかなかった。
そもそも、何故自分は囚われたのか。アイリスはそれが解せなかった。
脳裏に浮かぶ白面の少女。笑みを浮かべた彼女の顔には見覚えがある。
アリス・クローバー・セプテムス。舞台でオクトーバーと名乗った少女だ。
彼女がどうしてと疑問はあるが、オクトーバーに捕まったのは間違いない。
アイリスは唇を強く噛む。どうにかしてここをでなければ。
「『光の――』」
「あれ、目が覚めましたか?」
魔法で檻を破壊しようとしたアイリスに声がかかった。
その声は、自分よりも幼い。しかし、何故か優しい声だった。
そこでアイリスは初めてここにいるのが自分だけではないと知る。
良く目を凝らせば、周りには同じくいくつかの檻が置かれているのが見えた。
「あの、どなたですか?」
アイリスは声の主に尋ねる。おそらく今の声は震えていただろう。
彼女の質問にはすぐさま、応答があった。
「申し遅れました。わたくしはロリア・フランティールと申します。ここに連れてこられてから、中々起きなかったので心配しました」
向かって右手前の檻からの声だ。アイリスはそちらに目を向けて思わず息を呑んだ。
彼女の視界に映ったのは一人の幼い少女の姿。
暗闇の中でも目立つ金髪に赤いドレスを着ている彼女からは気品を感じる。
しかし、その姿は不可解だった。顔の半分を白い包帯が覆っているのだ。
檻の中に幼い少女がいること自体が異様だが、彼女の姿は更にそれを強めた。
唖然とするアイリスを不思議に思ったのだろう。
少女は首を傾げてアイリスを見つめている。
「あの、どうかされまして?」
「あ、いや、ごめんなさい。ちょっと、混乱して……。あ、私はアイリス・リリア。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
礼儀正しくロリアはお辞儀をする。アイリスは、それどころではないのか、自己紹介を済ますと再び、辺りを見回した。
檻の中には、自分と同じく囚われたと思われる人達の姿がある。
ここは何処なのか。自分達はこれからどうなるのか。
アイリスの心に不安と焦りと困惑が同時に発生した。
そんな彼女の意中を察してか、ロリアが口を開く。
「ここは闇ギルド『終わりの七日間』が運営する見世物屋ですわ」
「闇ギルド!?」
思わずアイリスは大声を出した。しかし、彼女の反応を見てもロリアに驚く様子はない。
寧ろ、その反応を見慣れたような姿勢だった。
闇ギルド――人身売買、麻薬密売、暗殺を始めとした様々な犯罪を専門とし、冒険者組合に加盟せず、正規ギルドでは行えない依頼を取り扱う裏社会に存在するギルド。
そんなギルドが何故。アイリスは頭を痛めた。
「いや、待って。いま、『終わりの七日間』って言った?」
「はい。アイリスさんがどうしてかは分からないですが、フレイア様……あ、いや、オクトーバー様と言った方が分かり易いですかね? そのお方がここまでお連れになっていましたよ」
アイリスは絶句した。闇ギルド『終わりの七日間』。そのギルド名には聞き覚えがあった。
闇ギルドには計三つの階級がある。起こしたとされる事件やギルドの規模。裏社会への影響力などを鑑みて作られた悪の階級とでも言うべき序列だ。
悪の三階級において、『終わりの七日間』は第一階級に置かれている。
同じく第一階級の闇ギルド『十二戦姫』には元セフィロトの称号を持つ者がいると聞く。
人類の最強が在籍するギルドと肩を並べる。その事実がどのような意味を成すか。
アイリスは身体を震わせた。おそらく自分は逃げることはできない。
「あの、大丈夫ですか? 顔色すごく悪いですよ?」
心配そうに声をかけるロリア。彼女は落ち着いた様子でこの状況を受け入れていた。
そんな彼女にアイリスは疑問を抱いた。何故、ここまでロリアは余裕なのか。
「あの、ロリアちゃんは怖くないの?」
これから自分はどうなるのか。先の見えない暗闇と待ち受ける絶望。
進めど止まれど迎える最悪の結末。その恐怖を前に彼女はどうして平気そうなのか。
「最初は怖かったですよ。でも、今は慣れましたので」
「慣れた? いや、それよりも最初ってどういう意味?」
「すぐに分かりますよ」
アイリスの問いかけにロリアは答えない。ただ、柔らかな笑みだけを見せた。
「すぐに分かるってな――」
アイリスが追及しようとした瞬間、耳の鼓膜を愉快な声が刺激した。
「ん~! レディース&ジェントルメン! 今日も楽しい時間がやってきましたよ~!!」
白と黒のドレスに、腰まで伸びた衣服と同色の髪。軽快な足取りで檻を除く少女。
仮面こそ付けていないが、アイリスにはそれが誰だかすぐに分かった。
「オクトーバー……!」
「おやおや~、いつかのお嬢様ではないですか。どうしてこんな場所へ?」
「ふざけないで! あなたがここに連れてきたんでしょ!!」
「おお、怖い怖い!」
ガシャンとアイリスは鉄格子を掴む。オクトーバーは煽るように大袈裟な反応を見せた。
挑発紛いの態度にアイリスの手に力がこもる。
「まあまあ。その高ぶった感情は舞台で発散していただきますから」
アイリスを一瞥し、オクトーバーは指を鳴らす。
「なっ、何!?」
アイリス達を眩い光が照らした。眩い景色の中でもオクトーバーは釈然と佇んでいる。
そこでアイリスは自分達が今までどこに居たのかに気が付いた。
「ここは……舞台?」
「その通り!」
先ほど呼ばれた舞台と同じ光景が目に映る。アイリスの言葉をオクトーバーは肯定した。
周りには円状に設置された客席がある。そして同じく席には数こそ少ないが座っている者達の姿があった。
アイリスの額に脂汗が浮かぶ。ロリアが言っていた見世物屋の意味が何となくだが分かったのだ。
『それではお待ちかねのショウタイム!! 今日はこの聖国にて、心が満ちる歌劇をお見せしましょう!!』
どこから取り出したのか、オクトーバーは白面を被り、司会者が如く進行を始めた。
彼女の言葉は席に座る者達へ向けたもの。客席の者達は静かな拍手を彼女へ送っている。
唖然とするアイリスを余所に、ガシャンと檻の鍵が外れた。
他の囚われた者達は、その音を合図にぞろぞろと檻から出ていく。
見ればロリアも同様だった。アイリスは檻から走り出し、彼女の元へ向かう。
オクトーバーは一連の様子を愉快そうに傍観していた。
「ロリアちゃん!」
「アイリスさん。いかがなさいましたか?」
近づいてきたアイリスにロリアは笑顔を見せた。暗かった時は分からなかったが、彼女の腕にはいくつもの傷痕がある。
その痛々しさにアイリスは一度、顔を歪ませた。
「速く逃げようよ! そうしないと――」
「あら、どうしてですの?」
アイリスはロリアの手を引こうとする。
しかし、逃げるという行動にロリアは首を傾げるだけで、彼女の手を取ろうとはしない。
思わずアイリスの足が止まる。
「何やってるの!? 早く!!」
「アイリスさん。ここから逃げるなんて無理ですわ」
「え?」
低いロリアの声には先ほどまでの優しさはない。アイリスの足が後退する。
ロリアは困惑するアイリスに笑みを浮かべて――。
「だから、せめて共に生き残りましょう」
「どういう――」
アイリスの言葉は響く声にかき消される。オクトーバーのおどけた声調が場に木霊した。
『では、今宵の宴の説明を始めます。お馴染みの方もいますが、ご新規様もいることですし。それにこういうのは、きちんと説明するからこその楽しさもあるので』
逃げることを忘れ、アイリスはオクトーバーを注視している。
道化紛いの少女は煽るように両手を広げて見せた。
合わせたように舞台袖から現れた大男達が乱暴に何かを放り投げた。
「あれは……武具?」
槍、斧、剣、弓。様々な武器の姿。その中にはアイリスの『聖なる光弓』もあった。
しかし、アイリスに喜びはない。なぜなら、彼女は理解したからだ。
これから、何が起きるのかを。
『この方達には、これより殺し合いをしていただきます! でも、まあ、ただの殺し合いはつまらないので生き残った者達にはご褒美に、殺した者の肉を差し上げたいとおもいます!』
「なっ!?」
オクトーバーの言葉を聞いて室内は歓声に包まれた。しかし、歓喜の発生源は客席ではない。
喜びの声を上げているのは、自分と同じく檻に囚われていた者達だった。
アイリスはロリアへ目を向ける。
「ロリアちゃん……?」
「ごめんなさい、アイリスさん。久しぶりのお肉なので、もしかしたらあなたを殺してしまうかもしれません」
アイリスの背筋に悪寒が走る。おそろしく嬉々としたロリアの顔にアイリスは声を詰まらせた。
『それでは、イッツショウタアアアアアアアアアアアアイム!!!!!!!!』
おどけた声が凄惨な歌劇の始まりを告げた。