夜のサーカス(4)
オクトーバーの合図と共に、囚人たちは一斉に駆け出した。
目指すは武具の山。我が先と一心不乱に地を駆ける。
雄叫びを上げ、縦横無尽に獣の如く。鋭い眼光には明確な殺意が込められていた。
アイリスを除く全ての囚人が行動を開始している。その中にはロリアの姿もあった。
幼い少女も同様に肉を求め、武器を取る。そこには優しさのかけらもない。
ただ、自分の欲望に忠実な一人の狩人と化していた。
各々が武器を取り、血を求め、肉を探し、周囲を見渡している。
ある者は剣を。ある者は槍を。またある者は斧を手に取り、晩餐となる生贄を品定めしていた。
「死ね!!」
「きゃっ!?」
漠然と立ちすくむアイリスへ矢が放たれる。アイリスは咄嗟にそれを避けた。
自分の意識が覚醒する。傍観していた状況に己も含まれていたことに、アイリスはようやく気が付いた。
彼女は弓を放った男を注視する。自分よりも一回りも大きな巨体だ。
獲物を見付けた狩人は舌を舐め回している。
女の肉は柔らかい。何か月も真面な食事をとっていない彼にとって、アイリスは砂漠で見つけたオアシス。
いや、それ以上の存在だった。そして、それは彼以外の囚人も同様の考えだった。
武器を持っていないアイリスは、背中を見せる草食動物。
赤子の手を捻るが如く、命を奪えるだろう。武器を持つ手に力が入った。
男が弓の弦を引く。追撃の予兆だ。アイリスはすぐさま、その場を駆ける。
動く標的に矢を当てることは素人には難しい。弓の武具を使うアイリスにはそれが分かっていた。
止まることなく動くアイリスに男は矢を放てないでいる。
狙い通り追撃を免れたアイリスだが、彼女の影に別の影が重なった。
「――!?」
「クソがッ!!」
振り返ると同時に右へ飛躍。斧を振りかざした男が目に映った。
獲物を失った斧は地へ吸い込まれるように振り下ろされた。
男は舌打ちを鳴らすが、アイリスを追うことはなかった。
彼の額に矢が刺さったのだ。アイリスは、目を見開かせ、先ほどの男を見た。
男は獲物を仕留めた歓喜を押し殺し、アイリスへ弓を向けていた。
「――『光の壁』!」
「な、魔法だと!?」
アイリスが移動する前に男は矢を放つ。
防ぐしかない。アイリスは、咄嗟に防壁魔法を唱える。半透明の光の壁に矢が刺さった。
男は驚愕の声を上げる。しかし、アイリスは休む間もなく、魔法を唱えた。
「『魔法の光弾』!!」
「ぐおッ!?」
右手に光の球体を発動。それを迷いなく男へ放った。
空を斬り、矢より鋭く走る魔法の弾丸はそのまま男の腹部を貫通した。
血を吐き武器を落とした男は、力なく地面に倒れる。
アイリスはすぐに意識を別に移した。
彼女の心に罪悪感はない。きちんと威力は弱めたゆえ、命はまだあるだろう。
それよりも――。
「非道ね……。こんな殺し合いを見て笑うなんて」
客席を見据える。辺りで巻き起こる殺し合いに、観客たる者達は笑みを浮かべている。
アイリスの心に言い知れぬ不快感が満ち溢れた。その顔は怒りと嫌悪に塗れている。
憎悪の感情がアイリスの中を支配した。同時に、アイリスに冷静さを取り戻させる。
傍観を決め込んでいるオクトーバーを見ながら、アイリスは頭を回した。
どうすればいいか。人を殺さずに、ここを抜け出す方法。他の囚人を助ける方法。
彼女が思考する間も、血は流れる。歓声と悲鳴。断末魔と雄叫び。
全ての感情が声となり音となり演奏として会場に鳴り響く。
そこでアイリスは理解した。
「ああ――だから、歌劇なんだ」
ポツリとつぶやいた言葉。それに答えるようにアイリスに声がかかる。
「そういうことですよ。ようやく理解しましたか? 私達が何をしているかを」
「ロリアちゃん……」
目を向ければ、既に何人も殺したであろうロリアの姿。
赤いドレスには、更に濃い赤が付着していた。
彼女の顔を覆う包帯も傷跡も今ではどんな意味を成すか理解できる。
「私達は、ずっとここで歌い、奏でてきました。痛みを声に。喜びを声に。懺悔を声に。私達の歌を聞くとあの方たちは笑うんです。面白おかしく、愉快に」
一歩一歩、ゆっくりとアイリスの元へ歩み寄るロリア。
その右手にはアイリスの武具『聖なる光弓』が握られている。
「私がここに来たのは二か月前。両親に売られて、引き取られたのがここだった。どうして私を売ったの? 私は必要ないから? 言うことを聞かない子だったから? ずっと、ずっと分からなかった。母も父も恨んだ。でも、オクトーバー様は違う。私に優しくしてくれた。私が人を殺して、奏でると皆が喜んだ。その度にオクトーバー様は……フレイア様は褒めてくれた。お前は大事だと言ってくれた」
「ロリアちゃん……」
「だから、アイリスさんも歌って。痛いのなら声を沢山出していいから」
ロリアは弓を構える。魔力を流し、矢を形成している。
「魔法使いだったんだね」
「はい。とはいってもまだ駆け出しですけどね」
「魔法使いなら、それの使い方知っていてもおかしくないか……」
何がおかしいのかアイリスは笑みを零した。ロリアは不審そうに首を傾げるが、弓を下げることはない。
徐々に魔法の矢の光が強まっていく。彼女の込めた魔力に比例して形も歪な物へと変化している。
「では、存分に歌ってください。アイリスさんは特別に埋めてあげますから」
優しい笑み。その脳裏に浮かぶ人物は誰か。ロリアは矢を放つ。
直線状を走り、閃光の弓撃はアイリスを穿たんと風を斬る。
「ごめん。まだ、私は……諦めてないから」
お返しといわんばかりの笑顔を向けて、アイリスは魔を叫ぶ。
「第三流出魔法『雨の渦』!!」
アイリスの声に合わせ、淡い水色の魔方陣が展開される。
彼女の翳した手に大量の水が渦を巻いて召喚された。
ロリアの放った弓がアイリスの腹部を貫通するが、顔色は変えない。
「私は、諦めないし死にたくもない。人も食べないし、歌も歌わない。でも、私はあなたを倒せる……!」
渦巻く水が一斉に天へと登る。そして、一本の巨大な槍を形成させた。
「『降水槍』」
紡いだ言葉と共に放たれたのは巨大な水の槍。
アイリスはそれをロリア――ではなく、彼女の遥か背後に立つオクトーバーへと投槍した。
「なっ、なにを!?」
「私は、あなたの歌を聞きたい。フレイア!!」
空気を鳴らし、軸を回転させ、槍はオクトーバー、いや、フレイアに直撃する。
ロリアは予期せぬアイリスの行動に驚愕した。今の今まで、殺し合いをしていた者も、それを傍観していた観客も目を見開く。
轟きを鳴らし、舞台を破壊し、煙を巻き起こして、槍は溶ける。
誰もが静寂。誰もが硬直する中、ただ一人、アイリスは前に進む。
舞う灰色の中に見える影を目指して。
「『終わりの七日間』フレイア。あなたを捕えます」
「ん~、仮面が壊れちゃったじゃん」
傷一つないフレイアの姿が煙から現れる。アイリスには分かり切っていた結果なのだろう。
その事実に反応はない。
「これ。返してね」
「あっ」
呆然とするロリアから武具を取り上げて、アイリスは先を睨んだ。
破顔するフレイアを前に、恐怖はない。後悔もない。
諦めて殺し合いに参加するくらいなら、せめて抵抗はしたかった。
死にたいわけがない。ただ、それ以上に何もしないで死にたくはない。
無抵抗のまま強者の言いなりになる。それでは、今までの経験が全て無駄になってしまう。
そんなことは御免こうむる。ゆえ、アイリスは足掻く。抵抗する。最後まで。
決意の満ちた瞳にフレイアの顔つきが変わる。
「馬鹿なお嬢様。大人しく適当に殺しておけばこれからも生きれたのに」
「でも、どうせまた同じことをさせられるのでしょ?」
「勿論!」
武具を握る手に力が入る。反吐がでそうになる。この外道を許せない。殺したい。
アイリスは初めて殺意を抱いた。この汚れた感情に身を委ねたい。ただ、ひたすらに。
しかし、ここで冷静さを失ってはならない。
抵抗すると、戦うと決めた以上は、勝つことを信じ、それだけを意識するべきだ。
まだ、負けてはいない。死んでもいないし、殺されてもいない。未来は無限だ。
「私の未来は無限だから、あなたの未来を敗北だけに絞る」
「ぷー、くすくす! そんなの無理無理。お嬢様は私に殺される。そして、肉はそこら辺の変態どもに食われてお終い。それが運命。あなたの可能性分岐はない」
「そんなのやってみなきゃ分からない――!!」
「いいや、分かるよ。すぐに……ね」
――パン、とフレイアは手を鳴らす。瞬間、場を支配する威圧。
おどけた道化はおそろしく冷たい瞳で、アイリスを見据えている。
あの目。全てを見下す温もりを感じない瞳。アイリスには、覚えがあった。
「イビルシャインさんとお同じ目だ……」
初めて出会った時の彼女の瞳。生き物を軽蔑する如き冷たい眼光。
フレイアの目はイビルシャインのそれと同じだった。
「それじゃあ、始めようか。イッツショウタイム。なんてね」
「いい加減しつこいのよ!!」
叫ぶが否や、アイリスは行動を起こす。『聖なる光弓』に魔力を込め、矢を放った。
しかし、フレイアは意図容易く矢を避ける。 つまらなそうに欠伸をすると、フレイアも行動を開始した。
「まっ、少しは楽しませてねん。皆は手出し無用だよー」
「上等っ!!」
フレイアは素早く指を動かし、宙に文字を描く。ゼロ秒で書かれたそれは、アイリスの見知った絵だった。
「魔方陣!?」
「ご名答! ほいっ『空の雷龍』」
展開された魔方陣から放たれる青白い電撃。うねり、生き物の如く咆哮を鳴らして、雷はアイリスへ向かった。
舞台を削り襲い掛かる雷龍にをいなす為に、アイリスも素早く魔法を発動させる。
「『大地の巨壁』!!」
両手を地に当て、唱えれば、アイリスを守らんとする三層からなる防壁が姿を現せた。
視界を遮る程の巨壁に強い衝撃が襲い掛かった。気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうになる。
アイリスの込める魔力が強まる。一層を破壊し、更に二層目も粉砕された。
「ぐっ!?」
アイリスの表情が苦しくなる。これ以上は持たない。破片を撒き散らし、壁は遂に三層目を破壊された。
アイリスは寸前で、地を蹴り、身体を転がし、雷撃を回避する。
しかし、獲物を見失った雷撃は再びアイリスめがけ空を泳ぐ。
「ほらほらー、どうしたどうした」
フレイアは指揮者の様に指を躍らせる。雷撃を操り、己の意思で操作しているのだ。
天空を舞う雷龍は渦巻く奏者。指揮者の導きに合わせ踊る。
ならばと、アイリスは言葉を紡ぐ。
「『同色系統魔法耐性』と『双球の雷撃』!!」
自身が扱える魔法の属性に対しての耐性を上げる魔法。そして、同時に両手から二つの雷撃をフレイアへと撃った。
「おお。同じ雷系統の魔法かー」
フレイアは身を守るべく雷龍を自分の元へ呼び戻す。
アイリスの放った雷撃と彼女の雷撃が衝突する。激しい稲光が舞台を輝かせた。
観客は思わず声を上げている。囚人達は呆然と突っ立っていた。
しかし、アイリスにそれらを意識する余裕はない。
イビルシャインとの特訓のお蔭でここまで命を維持することができた。
以前の自分なら既に死んでいただろう。
アイリスは気を緩めない。今度は、彼女が空中に文字を走らせる。
同じく、フレイアも指を躍らせた。
「『稲妻の切断』!!」
「『稲妻の切断』」
同時に魔の名を叫ぶ。アイリスとフレイアの魔方陣から、鋭い稲妻が糸の様に放たれた。
「同じ魔法!?」
「第三流出程度、使えるに決まっているじゃん」
二本の電撃は絡まり合い、両者に届くことなく千切れる様に消え去った。
アイリスの表情が険しくなる。彼女が使える魔法は特訓の甲斐あって第三流出までに上達した。
勿論、習得していない魔法もあるが、それでも多くの第三流出魔法を扱えるまでになった。
だが、フレイアはおそらくそれ以上に、魔法を扱えるだろう。
彼女の発言から考えるに第四流出以上も使用可能なはずだ。
アイリスは、勝ち筋の薄い勝負に舌を打った。
「どうした~? 終わりかな?」
わざとらしく煽るフレイアは魔法を発動しようとはしない。
アイリスの出方をうかがっている訳でもないだろう。あれは、手加減だ。
余裕があるから、何もせずに、ただひたすらアイリスを待っているのだろう。
アイリスは深く息を吐く。真面に戦っても勝てないだろう。
ならば、彼女が油断している隙に、自身の最高位魔法で仕掛けるしかない。
それしか、フレイアを討つ勝機はない。アイリスは力強く魔法を唱える。
それは、彼女が生涯初めて使う魔法だった。発動方法も普段とは違う。アイリスは、一言一言に魔力を込めて言葉を紡ぐ。
「『私の中で貴女は走る。追いかけても届かぬ光となって貴女は走る。手を伸ばしても届かない光は、いつか私の元から消え去ってしまう。この地を駆ける貴女は誰よりも美しい。寄り添う光になれない私はやがて悔やむだろう。ならばせめて――』」
固有魔法。魔法使いの中でも一部しか扱えない魔法だ。
どれだけ魔力が高くても、才能とセンスがなければ使用することはできない。
そしてその二つが備わっていても、開花する可能性は低い。
では、何故彼女は固有魔法を扱えるのか。
もともとアイリスには魔法の才能もセンスもあった。魔道学院での努力もあり、実力も知識もだ。
しかし、アイリスには開花に導いてくれる師がいなかった。魔道学院の三年間、一度も出会うことがなかった。
だが、あの日イビルシャインと出会い、以降彼女はアイリスの可能性を育んでくれた。
ゆえに、アイリスはイビルシャインに感謝し、尊敬し、友情を抱いている。
例え、実力が圧倒的に離れていても。師ではなく友として、アイリスはイビルシャインを思っている。
「『――せめて、私は残光となって貴女を感じていたい』」
「これは……っ」
アイリスの魔力が激しく流れ出す。今までとは桁違いの魔力量の流出にフレイアは、構えた。
そして、アイリスは叫ぶ。この一撃に全力を乗せて。流出を確固たる魔に変えて。
「『慈悲求める憐れみの光』」
熱を帯びた巨大な閃光が放たれた。視界を奪う発光に誰もが目を瞑る。
舞台を溶かし、一閃の光がフレイアを飲み込んだ。
爆風が全ての破片と血を撒き散らす。轟く爆撃音が鼓膜を劈いた。
アイリスは、震える膝を根性のみで抑えて、前を見据えた。
しかし、その瞳は最悪を映して見開かれる。
「しょぼいなぁ……」
「――なっ!?」
落胆するフレイアの声。晴れた煙から姿を見せた彼女の身体には傷一つなかった。
「なんで……どうして!?」
倒しきれなかったのならまだ理解ができた。しかし、その衣服ひすら汚れを付けられていない事実は、あまりにも絶望的だった。
「そろそろ、いいかな?」
これ以上は楽しめないとフレイアは判断したのか。震えるアイリスの答えを待たずに動き出した。
ゆらりと体が揺れたのは一瞬。神速の速さでアイリスへ肉薄し、腹部へと掌を当て――。
「さっきのお返しだよん。『道化の槍』」
「――……っ!?」
激痛がアイリスを襲った。吐血し、同時に腹部から大量の流血。
頭が真っ白になる。理解不能。何故、自分は血を流しているのか。
情報処理の追いつかないアイリスは、ふらふらと後退する。
「あれれ~。どうしちゃったの!? そんなに怪我しちゃって!!」
「くっ、そういうこと……」
距離を取り、フレイアの姿を確認し、アイリスは納得した。
何故、自分は腹に穴を空けられたのか。その答えは彼女の左手にあった。
フレイアの左手は左手ではなかった。それは槍だった。槍が生えているのだ。
手のひらから一本の黒い無機質な槍が姿をみせていた。
先端を滴る真紅の血。あの槍に自分は刺されたのだろう。アイリスは苦い表情を浮べた。
「もしかして人間だと思った? 同じ人だと思ってたの? ぷーくすすすのす!」
「……身体を変異? 変化? 人間体ってことは悪魔? いや、でも……」
アイリスは、人ならざる者の正体を冷静に分析する。
しかし、あの程度の能力ならばいくらでも該当がある。
痛みを殺しながらアイリスは思考を巡らせた。
だが、激しい流血のせいで思案はまとまらない。
荒くなる呼吸が体力の低下を物語っていた。
「私の正体が分からない? 分からないか~」
「……分かるわよ」
「ほえ~。じゃあ、言ってみな?」
「――もの」
「ん?」
「化け物って言ったのよ!」
フレイアはおどけるように肩を竦めた。やれやれ、と小馬鹿にして。
アイリスにはもう魔法を唱える力はない。話すことすら難しいだろう。
「ではでは、そろそろいいですかね?」
フレイアの手槍がアイリスへ向けられる。破顔する彼女の顔に慈悲はない。
確実に明確にアイリスを殺すだろう。死を悟りアイリスは目を閉じた。
後悔はない。死ぬのは嫌だが、自分は戦った。抵抗した。
結局、彼女と自分には埋まらない溝があった。それは、見上げても姿が分からないほどの差だった。
だが、仕方のないことだ。これが自分の選んだ道なのだから。
ただ、最後に見るのは血の赤ではなく、彼女の瞳の紅が良かった――。
フレイヤは再び、彼女へと接近し、その頭を串刺しにしようと腕を振り上げ――。
「ドッペルゲンガーでしょ? あなたの正体って」
「――ッ!?」
恐ろしく冷たい言葉と共に、フレイアは客席へと殴り飛ばされた。
観客達の悲鳴が響く中、アイリスは閉じた目を開け、網膜に映る真紅に声が零れる。
「あ……」
「随分遅いと思ったら、何かしらこれは。アイリスはもしかして曲芸師志望だったの?」
釈然と佇むイビルシャインが真紅の瞳を輝かせた。




