頂のドーム 終わりはあっけなく Ⅰ
【『決闘ルール』】
【『決闘の場はこの、造り出された青空と雲の中の、一枚の広大な鏡の上。全ての周辺環境はその一切が両者を害さない、優遇しない』】
【『その身だけで勝負する』】
【『肉体、精神共に、回復はできない。消耗あるのみ。』】
【『逃げることはできない。何一つとして、避けることは許されない』】
【『不眠不休で決着が着くまで戦い続ける』】
【『心を読むのは禁止。推測するのは構わない』】
【『魔法使用禁止』】
【『指定された手段以外での攻撃禁止』】
【『指定された攻撃手段は以下の二つ。』】
【『一つ目。自身の肉体』】
【『二つ目。言葉』】
【『尚、反則判定は契約書自体が行う』】
【『勝利条件は、以下の二つのうち、それかを満たすこと』】
【『一つ目。相手の心が折れる』】
【『二つ目。相手が反則を犯す』】
【『三つ目。相手が降参もしくは、自身の全てを託すと決断した場合に、相手に引導を渡す』】
【『決着が着いた直後、勝者の損耗は回復する。但し、勝者が望んだものに限る』】
"契約の書"の仕込みは完全に起動している。神を名乗る者とのリンクのある"契約の書"に捻じ込んだからこその、決闘成立と、前の決闘での勝利報酬の持ち越しだ。
心が読まれる心配などそもそも一切無かったのだと気付いたのはほんの今であるが。
奴はどうしようもなくて、だからあんな、不意打ちで、"契約の書"に直接触れて干渉し、弄った部分を元通りにしようとしたのだ。
【『勝者はそれに見合った報酬を得る』】
【『一つ目。精神干渉、肉体干渉を受けない。時間的干渉を含む因果律的干渉を受けない』】
【『二つ目。時間的干渉を受けない』】
【『三つ目。勝者は、この書を創り出した者と上記の決闘のルールで戦うことを選択できる。無視・妨害・改竄・先延ばしはできない。タイミングは勝者が自由に決められる』】
【『四つ目。この書を創り出した者がどのような存在であろうが、勝者と同等の存在まで引き摺り下される。その際失った力と、この書を創り出した者と先の決闘の勝者が競い負けた方の存在全てが、残った方の願いを叶えるために使用できる。自身の力とする選択も可能』】
後は、決闘が行われる為の、最後の前提条件を成立させるだけだ。
「では、やろうか。お前にもう逃げ場はない。どうだ? 超常の力など持たない人になった気分は?」
「……」
返事は返ってこない。まるで魂が抜けたように、神を名乗る者は気力を失っている。そうなったのは、私が暗記しておき、読み上げた決闘のルールを聞いてから。
「っ……! なら、もう何も聞くまい」
湧き上がる、言葉にならない憤怒を飲み込み、私は投げ捨てるようにそう言って、距離を取るように、だが、背を向けず、後ろ歩きで距離を取る。
機会は与えた。説明もした。だからもう、条件はあと一つ。
グゥアン、グゥアン、グゥアン、グゥアン――――、グゥ。
「最後に10秒、時間をやろう。カウントしてやる。それが0になると、決闘開始だ。異議があるなら言え。無言による時間切れは肯定と看做す。
そして、最後の仕上げに入る。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0」
ここが最大の山場だった。形だけでも、同意させたということにする。『待て』とでも、いや、言葉などなくても、身体で阻止されれば、決闘成立の最後の条件、前提は成らない。
だから、流石に何かしてくるだろう。そう思っていたのだが……、どうも、神とか全知とか全能とか、自身が超常と騙る者というのは、その根拠を柱を失ったとき、物事がこの上なく自身の思い通りにならないとき、脆いらしい。
グゥアン、グゥアン、グゥアン、グゥアン――――
「これで、終わりだ」
最後まで警戒を解くことなく、スローモーションの世界を保った状態で、後ろに回り込んで、うなだれて、絶望の表情をし、両手をぶらんと力無く垂らし、その場にへたり込んでいる神を名乗った、人に落されたそれに、人の絶望という奴を、たったこれだけで味わうことになる位、愚なるそれに、
ギュゥウ、ボキィィ!
あっけない位すんなりと、引導を渡した。
手を放す。
先ほど神を名乗る者だったそれは、力無く倒れ、動かなくなった。
「……」
必要ない。こいつ何ぞに、手向けの言葉は必要ない。それに、何か言うにしても、嘲笑にしかならない。侮辱にしかならない。
それと、
メキミキッ、ゴッグチャァ!
念の為私は、その頭を踏み砕いた。
別に感傷などない。手折る生暖かい感触も、命を踏み砕いた感じはあるが、それでも。
……。
違う。訂正する。感傷はある。
この、神を名乗る者の有り様、与えられた、どうしようもない役目、死する運命、という、"世捨て髑髏"によって嘗て与えらえた、砕かれる運命の試金石。そして、経緯は知らないが、ああいう風に、自身の役目から目を背けるような、一人遊び、神擬く有り様。
それはとても、虚ろで、愚かで、救いようがない。
死、つまり、消滅以外には。
当然のように、ぴくりとも動かない、死体となり果てたそれが塵になって消えるのを見届けた後、私はそこで暫くじっとしていた。
そして、無為であると分かった上で、口を開く。その、遺骸が先ほどまであったところに向かって、私は言った。
「お疲れさま」
本来、"世捨て髑髏"が掛けてやるべき言葉を、今更ながらに、代弁するかのように、呟いた。
……。
涙も出ない。悲しくもない。笑い声も出ない。楽しくもない。
限りなく諸悪の根源たる者を打ち滅ぼしたというのに……。
そして、私がスポットに立てば、今のところ生死不明、だが恐らくは死んで消滅している"世捨て髑髏"という、残りの諸悪の根源である者も消え、この多層世界の一人遊びが終わる。
……。
行くか。
そのドームにある唯一の他の場所へ続く経路である通路。それは、庭園から一つ目の世界へと続いていた通路と同じ程度の広さをしていた。
遠目にしか見ていなかったので、しゃがんだり、這ったりしないと潜れないようであればどうしようかと、密かに心配していたが、杞憂であったらしい。
……。
いや、違うか。恐らく、神を名乗る者を斃したからこそ、そうなったのだ。
グゥアン、グゥアン、グゥアン、グゥアン――――、グゥ。
そうして、数十メートル歩き続け、トンネルが終わる。
そこは、半径2メートル程度の半球状のドームだった。床は中央に向けて窪むようになっていて、そこが、半径20センチ程度の円状の平らな床になっている。そこだけは、脈打つ木とも血管とも言えないような縦の、放射状の敷き詰められた脈とは、何か別のものでできているように見えた。
そこだけ色が、白だった。石灰岩のような。そんな感じの。
そこだけは、天井から白光が差していて、周囲より目に見えて明るかった。まさに、そここそがスポットであると物語っているかのよう。
これで、この世界ともお別れ、か……。
だが、ここで私は停滞してしまうつもりはない。
グゥアン、グゥアン、コトッ、コトッ。
そこにゆっくり、足を踏み入れた。
白い光は眩さを増し、私の体は、それに溶けていくかのような。
私はやり遂げた、以前の私よ、そして、ティア、他の数々の、私の礎となった者たち。私はその全てを、忘れないでいよう。記録に残そう。外の世界、そう、現実で。
そう、今一度、確認するかのように強く強く、誓った。
ブゥアン!
突如聞こえたそれは、もうすっかり馴染みになった、転移の音。
これが締めくくりか。
その音と共に、視界は暗転する。
恐らく、私は一旦、消失した。
そして、待つ。私が向かうべき先へ着いた証となる、二度目のその音を。
ブゥアン!
そうして、新たな世界が、目前に、像を結ぶ。