神秘庭園 偽天球壁 底 闇底骨廟 彼が夢想したものは Ⅰ
「【今のとこ、あの偽神はここへ干渉して来てはいないぜ。で、あの偽神が初動でそうして来ていないから、大丈夫だ。どうやら、俺たちを暫くは遊ばせておくつもりということらしいぜ。それに、もし奴が気が変わってここへ攻め入って来ようとも、手は打ってある】」
「そう言われても……」
正直不安だった。それは"夢想家"の油断ではないかと、思えてならなかった。いつ時限が付くか分からない猶予の時間、それは、時間が限られていて、しかもその終わりがいつ来てもおかしくないと言っているようなものだ。なら、焦らなくてはならないだろう。最低限必要になる情報は教えて貰っていないと、神を名乗る者に私の刃は届かないかも知れない。
「【知ってるだろう? "急いては事を仕損じる"。だから、一旦、落ち着け】」
「……」
「【なら、俺から話せる部分だけでも先に話しちまおう。だが、重い話だこれは。だから、できる限り俯瞰して、軽い感じに聞くといい。受け流すように。それでも心に負担は掛かるだろうから。だが、目を耳を背けることだけはしないでくれ】」
「ああ。頼む」
彼も私も椅子に座って、向き合っている。"世捨て髑髏"は物凄い勢いで何か呟いている。それは早口過ぎて、何を言っているのかは全く分からない。数倍速度での音楽の再生のよう。
私も"夢想家"もだから、彼を放置し、私は"夢想家"から事実を語られる。それは、"夢想家"が私に施していた仕掛けについて。
「【俺はお前の中にずっといた。お前が覚えてるかどうか分からんが、お前の意識がお前の体の操り手でなくなったとき、一度だけ、俺が干渉できるだけの力を置いて】」
「一度だけ?」
「【ああ。偽神が最初に干渉するのが何処か、それが俺には分かっていた。しかもそれは、全ての失敗を保障する、全てを奴の思い通りにする、土台形成のタイミングであると俺は知っていた。例外なくな。俺以前のあらゆる失敗した者たち、俺の前任たち全てで例外なく、偽神が俺たちに絶対の失敗を確定する呪いを刻み込んだタイミングは同じだった】」
随分、分かりにくい言い回しだ。大体言いたいことは分かるとはいえ。きっと、"夢想家"はそれだけ深く重く、事態に取り組み続けていたのだということがひしひしと感じられてくる。
落ち着いた、早口でもなく、声を荒げた訳でもない口調だというのに、そうだと感じられる。伝わってくる。神を名乗る者の思い通りに絶対にさせない、自身を贄とすることになろうが、滅びを齎してやるという、決意。まるでそれは、復讐者のそれだ。
きっと、"夢想家"には踏みにじられた何かが、あるのだ。
「【奴は必ず、自身の駒としてこの世界に存在形成させて固定した者を意志を縛らぬままでいさせ、そして、一つ試練を与え、それを乗り越えられた場合に契約を結ばせようとしてくる。自由契約と言いつつ、一方的な隷属契約を、な。生み出した成果の全てを霞め取る、な。で、そうでない場合はさっと消して次を喚び寄せる。偽神はそれを、まるで全能の神の如く、延々と繰り返している】」
「"世捨て髑髏"からそれを貴方は知った訳か。貴方の怒りは、神を名乗る者の自身以外に対する行いの結末も、含んでいる、ということなのだろうか」
「【……、ああ】」
"夢想家"の返事はとてもとても重く感じられて……、そう間に口を挟んで、余計なことを言ってしまったということに今更ながら、気づいた……。
「だが、それについて話すの後だ。順序立てて、しっかり理解して貰わなくてはならないのだから。一方的になるだろうが、兎に角、今は、俺の話を唯、聞いてくれ】」
「【偽神がリソースを割いてくるのは、契約がなされる前。不平等で一方的な契約に有無を言わさず判を捺させるそこだと俺は見定めた。契約というのは、一度結んでしまえば、容易く破れはしない。それは、相手の署名という同意を以て、ある意味省エネで注いだ力以上の何かを可能にする。そういう、便利な都合のいい鎖付けとして、力の増幅機構として、偽神はそれを使う。それが、最も効率の良い手段だからだ。俺であってもそうする。そして、俺の予想は当たっていた。……。やはり、覚えていないか、こういう場面だったんだが】」
彼が私の方に向かって手を翳すと――――ああ、これは、あのときの、"契約の書"を最初に触れ、読み、浮かんできた文字。
それは、自分で思い返して見るよりもずっと鮮明だった。
【案ずるな。】
【汝の望み、失われし記憶と共に封ず。】
【汝、歩みを進めよ。】
【汝唯みで、四つの世界の魔を滅せ。】
【折れること無く成し遂げよ。】
【然すれば得る。】
【以前の汝が望みし褒美。】
【現の汝の渇望との合致を我は保障す。】
最後まで読み終わったところで、手の裏から光が漏れていることに気付いた私はすぐさま、その光の発信源であろう本の表紙を確認すると、
【 "savior hastily constructed" 】
最初に現れていた金文字は消えており、代わりにそういう文が金字で刻まれていた。背表紙にも同じものが刻まれていたことからして、これがこの本の表題らしい。
訳すと、"急造救世主"か。
で、前に書いてあった金文字が何であったか思い出せない。つまり、この辺りから、私は無意識下での神を名乗る者の制御下に入れられた、ということ、か?
っ……、頭に、痛みが……。
確かにあのときと同じような痛みの走り方。
バタッ……。
そうして、私は倒れるが、そのときと違うのは、そこから私は自身の体から幽体離脱するかのように抜き出されて、場を、まるで第三者視点で俯瞰することに。
【……。】
【湧き上がる、強固な意志。】
【ああ、そうだ。捨てよう。降りよう。消えよう。この俺が、従順な羊であることなど、意思なき操り人形であることなど、あってはならない。】
「【今表示されているそれは、お前が浮かべた言葉ではなく、俺に精神が切り替わっていたことを示している。そして、俺は、どうすると思う? しっかり見ておくといい】」
ああ、確かに私はあのとき、そう思っていた。はぁ……。何だこれは、このざまは……。目に光は宿っておらず、虚ろ……。
操る際の命令が、あの光と共に表示された文字に加え、"それに従うという意志を持って印を捺せ"、だとするなら、頭に走った痛みと、意識飛ばしが、その証だとするなら……。
明らかに正気でなく、操られた状態。そして、その記憶は私にはない。こういうことが起こっていたということだ。
コト、コト、コト、ガッ。
だが、中身が"夢想家"にスイッチした状態だったから、その命令に真っ向から逆らうように、そう、半円の湾曲部先端に立ち、 "savior hastily constructed" を摘んだ左手を放した。
……。私の体も、それに伴い、下へ落ちて……。
フゥオン!
そんな間の抜けるような音と共に、過去の再生は終わった。
「成程。そういうことか」
闇の底に落ちて無事なのは、落ちた先に存在していた"夢想家"と"世捨て髑髏"が何やらの干渉を、神を名乗る者に気付かれない形で行った、ということだろう。
そういうことにしておいて問題無い。大事な部分はしっかり見せて貰った。
「【ああ。こっからは、口を挟んでくれて構わねえ。疑問があれば、横道に逸れないものでなければ答える】」
「ああ。何かあれば尋ねる」
「【頼むぜ。で、だ。お前があの"契約の本"に、契約前の段階で操られそうになったとき、それを防ぐ為に、あの本を投げ捨てる。そうしさえすれば、一方的な隷属契約は防げる。俺はそう判断し、お前の中に俺からの一度限りの干渉を残すことにした。"世捨て髑髏"もそれなら上手くいくだろうと同意した】」
「"世捨て髑髏"自身から言い出したのではなく、貴方から? そこがどうも引っ掛かる」
「【それは簡単だ。あいつは言葉通り、世捨て人なんだよ。一人では何もするつもりがもうない。そういうことだった訳だ。だが、俺に力を貸す位には、偽神の横暴に嫌悪は感じていた。そういうこった】」
「私には分からない感覚だが……、唯の傍観者。そういう在り方もあるのか」
「【ああ。奴曰く、そうあることは、生きながらに死んでいるようなもの、らしいぜ。痛くも苦しくもないが、唯ひたすらに虚しい、らしい。俺にも分からねぇ感覚だ。だから奴の言葉をそのまま借りたが、そういう感じらしいぜ。俺に奴が手を貸したのは、俺が、"世捨て髑髏"と同じように世捨て人となって存在し続けそうだったからというのと、でもって、偽神による消失に曝すには惜しいと思ったからだとよ。奴にとって、俺は、枯れた自分の目の前に現れた至極の希望、だったらしい。訳分かんねぇけど、あいつは確かにそう言ったよ、俺によぉ】」
そうして、私も"夢想家"も、"世捨て髑髏"の方を向いたが、依然として、"世捨て髑髏"は色々ぶつぶつ高速で呟くのを続けているようだったので、再び放置する。
「【っと、話が逸れたな。俺による干渉を一度だけとしたのは、俺や"世捨て髑髏"といった背景がお前の後ろにあるということを偽神に悟られないようにする為だ。あれは神でありながら、不完全だからな。鋭いとはいえ、隙を突けばごまかしは利く。偽神は何やらの目的があって、それの為に大量の自走する贄を用意した訳だからな、俺やお前という】」
「では、私が、貴方に必要な知識だけを、まるで自由に索引できる本だけを持たされて、経験は無いがあらゆる知識を持つ、無垢な何かとして、私をこの世界に貴方の体に入れられた状態で降り立たされたのは、"世捨て髑髏"だということだろうか? で、"世捨て髑髏"は貴方以上の力を持つ、下手をすれば、神を名乗る者以上の力を持つ、この世界における超常の何かなのだろうか? いやだが、そうだとするなら、どうして、"世捨て髑髏"は世捨て人でいる? で、何を以て、貴方に希望を抱いて、こんな回りくどい仕込みをした?」
それは簡単にできる推論だ。"夢想家"だけの力でできない、別の者の手による、干渉。それをやる存在は、私がこれまでに得た情報からして、できそうなのは二人。私が葬った"靄の悪魔"か、それとも、"世捨て髑髏"か。
二択であるそれは、事実上、"世捨て髑髏"一択。神を名乗る者に憎しみを向けていた"靄の悪魔"には、憎しみを向けていたのに、すぐどうにかする手段を、力を持っていなかった。そんな、神を名乗る者にばれないように力を行使できる可能性があるのは、"世捨て髑髏"だけ。
なら、きっと、"世捨て髑髏"は、自我はあるが志向性を持つ気のない、力の塊に等しい。それを、"夢想家"によって、志向性を持つ状態へ変動したとするなら――――"世捨て髑髏"は、神を名乗る者に等しいかそれに勝る力を持つ者、であるといえる。
元・原初の神様。その意味。それは、元の、この多層世界で、神であったのは、あそこで未だぶつぶつ呟いている"世捨て髑髏"であるとすれば?
短絡的だが、それで合っている。そうであれば、全て説明がついてしまうのだから。
さて、"夢想家"はどう答えてくれる?