書海真名真姿 剥奪叡智の書海 雲上青空鏡 時限茶番 Ⅰ
【文字だけで示すことにするよ。もう口から言葉を発することすら、心の声を響かせることすら、厳しいのだから。】
奴はすっかり、冷静になっていた。苦しそうなのに、熱が冷めたかのような、冷静な、真剣な顔をして、傍に座り込む私を、仰向けで寝そべって、肩で息をしながら少し虚ろな感じになりつつある目で、見つめて。
私は、契約の書に奴が割り込ませた文言により、肉体の損傷も、精神力の消耗も完全に回復していた。
だが、敗者たる奴はそうではない。満身創痍だ。いつ死が訪れて、塵になっても、おかしくはない。
【私はきっと、自身の綺麗な幕引きを探し求めていたのだと思う。自身の始まりが偽りであろうと、全てを半端にしてしまわない為に、君の言った、復讐を成しての平穏な日々というのも考えなかった訳ではなかったからさ。来訪者からも、その選択肢があることは指摘されていたし、私も気付いていた。】
私は慎重に読み飛ばし無いように、しかし、できる限り急いで読む。奴の話をできるだけ聞いておきたかったから。
【しかし、それはもう、新しい娘たちに、『君たちはもう要らない』、と言うことに等しいのだと私は気づいたから、それはしなかったのさ。娘たちは、私の、最初の、偽りの記憶の中の娘を再現する為に創られたのだから。それは、ある種の存在意義の否定だ。】
意味が分からない……。問いただしたかったが、我慢する。
【私は心の奥底に、それを封じ込めた。何故か、と言われたら答えは簡単だ。娘たちは、私が彼女たちを生み出した経緯を、知っていたのだから。ディアの反応から、明らか、だろう? だからといって、私が唯、全てを無為にして消えるという選択も、新しい娘たちに対する裏切りに他ならないのだから……取れない。こうやって、何か、別に意味を作って、他の何かの礎になって、それでいい、と心から思って、消える他、無かった。】
詰んでいたのか……。
【君という存在が現れるという話は、計画は、それに値すると思い、私は賭けたのだ。そして、その賭けに、私は、勝った。後はその上で、君が刃となり、あの神擬きに届くかどうか、だ。】
【君なら任せて問題ない。そう思って、私は、早めに折れた。君があの後、取っ組み合いを続けていても、私に間違い無く勝つ、と、悟ったからだ。君は、どう見てももう既に倒れているだけの出血量だった。なのに君は弱まらなかった。精神が肉体を大幅に凌駕した状態を、君は保てる。だから、私は君に託すと決め、折れた。】
【君が私に勝った後の、最後の勝負に勝つ確率を上げる為に、少々早めに切り上げたのさ。その為にこうやって、すぐさま死に、塵にならないように手を講じておいたのだから。それも、そう時間は無い訳だが、な。人に体を寄せて決闘に臨んだのはそういう理由でもある】
【私は、来訪者が訪れる直前辺り、足掻いても先に道が無いことを悟り始めており、身動きが取れなくなっていた。もう、私は唯、元の場所に留まり、唯、自らが生み出した全てを維持し続ける他なかった……。進歩の退歩も無い、唯の停滞。娘の再現の研究は前に進まなくなっていた。私は自身に失望して消えそうになった。だから……、その抜け道を探した】
【そしてとうとう、私はそれに気付いた。私にできないのなら、誰かに、主導権を委ね、託せばいい、と。それができれば、私の足掻きにも意味があるというものだ、と。それが、来訪者が来て、突拍子も無い真実を否応なく認めさせられつつも、選択ができた理由だ。】
意味。自身が存在する意味。存在した意味。それが残ること。常に意味を発揮し続けること。未来永劫は無理でも、できる限り、長く。
奴も私と同じく、結果と同じように、意味というものにも拘る者なのだ。
【実は、来訪者が来る前にも、そういう候補を探そうと足掻いていた時期もあったのさ。しかし、ね。実際、私の目に叶う者は全くいなかった。君という計画を聞くまでは。】
先ほどから、何度か出てきている、『君という計画』というのは何なのだ、一体……? そう言うなら、君という存在の出現、とか、君という存在が現れるという予告、等ではないのか?
【この、庭園と接続した、多重多層世界は、どれもこれも、人の心にとって、あまりに環境が悪かった。転生・転移してきた者たちは漏れなく折れ、現地の人間たちも、ディストピアを築く、滅びを再生するように繰り返す、完全に滅んだ、その世界の悪魔すら消えてしまった無命の世界だけが残る、例外なく、最終的には、各世界はそういう風に天秤が傾く風に、できていた。要するに、人の生の間に決して折れず、前へ進んでいける強い意思を持つに者が現れないように、世界はできていた。どうしようもなかった。】
庭園から繋がる世界がどれもこれも、どうしようもなく絶望的なのは、確定事実らしい。目の前の奴も、神を名乗る者の言うことと、それは一致している。
嘘をつく意味すらない事柄だから、あの神を名乗るものはそれを正直に私に教えただけかもしれないが……。
【だから、君という、神擬きによって創られたのではない、計画して創られ、旅によって折れそうになりつつも完全にへし折れることなく成長した存在なら、届く。そう思ったのだ。私が来訪者から見せられたのは、そういう未来、だったからだ。結末までは来訪者の力でも見れなかったが、そういう過程の未来だけでも、確信できた。】
私が創られた、存在? 以前の私が、私を定義したというのなら、確かにそうだ。だが、それには、神を名乗る者が関与しているのではないのか?
【以前の君は、今の君を、自力で創り出した。それを、この、多重多層世界の最初の、今はもう、名を失った神の協力で、今の実質的な神、今存在する存在としては神に何処までも近いが、決して、その欠けの無い頃の原初の神には届きえない神擬きを、騙し切った】
「ゲホッ、ゴホッ、ゴホォ……、はぁ、はぁ……」
【そろそろ、時間が切れそうだ。だから先に言うべきことを言うとしよう。私が事切れた後、私の頭が、虹色の小さな球に変わる。それが、四つ目の世界の攻略の証、神擬きへの対峙の資格、鍵となる。そして、この空間は崩れる。高所からの落下になるが、君は決して、それによって傷つきはしない。そう信じ、遥か下の、この私の世界の出口近くに落ちることになるから、駆け、橋を渡り、庭園へ向かえ。】
「ゲホッ、ぐほぉ……」
【庭園は姿を変える。所々崩れ落ちる。それから落ちないように君は気を付けようとするだろうが、敢えて、下へ向かえ。君向けの手段が用意されていたらそれを用いるといいが、そうでなければ、崩れに身を任せ、落下しろ。きちんと、底は、存在する。】
「はぁ、はぁ、ごほぉぉ……」
そうして、奴は目を閉じようとするので、
「しっかりしろ、まだ、明らかに途中だろうがぁああ!」
思わず叫んだ。
【……、ああ、分かって、いる……。いいか……、上へは向かわず……、先に絶対に、下へ……。そこにいる……零落した原初の神……、来訪者……、もう一人のき……、場所……は……、骨……、会……え。必要……だ、抗う……為……に……】
そうして奴は、振り絞るのように文字を表示しつつ、目を閉じ、塵になり始める。不完全な、穴開きの情報を、伝えて……。
「続きを、早く、言えぇぇ!!!」
だが、どうやら、私の声はもう、届かないようだ……。
奴の身を犯した呪いが、奴の全身に広がっていく……。彼女経由で、きっとそれは奴を浸食してきたのだろう。
結局、奴は、本当に微塵も勝つもりは無かったのだ。どう負けるかだけを、どう託すかだけを、追及し、儀礼のような、茶番のような決闘に臨んだ、ということだ……。
なら、手向けの言葉を、贈ろう。
「安心して、逝け。後は私が、やってやる」
私がそう言い終えると、奴の顔は、目を閉じたまま、一瞬だが、笑ったように見えた。そして、奴の頭は、
ザァァァ、ホォワァ!
虹色に光る、水晶球に変わった。
私がそれを手に収めると、
ペキペキピキィィイ!
遠くから聞こえる、音。そうして、奴の世界が、音を立て、罅割れ、終わりを始めた。