書海真名真姿 剥奪叡智の書海 雲上青空鏡 中央天蓋 Ⅲ
「【では、神擬きとの契約の書を出し、開かなくていいから、ティアの遺骸に触れされてくれるかな。契約の書が無害化されているのは既に確認してある。だからそう恐れる必要は無い】」
神を名乗る者に対する言い方が変化した。それに意味があるかは分からないが、私もそれに倣っておくことにする。
私は、ところどころ、焼けただれているように見える、神擬きとの契約の書を、久々にあの何も無い空間から所持品を取り出す仕組みを使い、取り出して、奴がこちらに向けている彼女の遺骸にそっと近づけていく。
ティア、最後の仕事、お願いするよ。
そして、二つが触れ合うと、契約の書の損傷部分を埋めるように灰色が溶け込んでいった。
「【これで、こちらが色々書き込むことができる。神擬きの記述は、消すことはできても、そこに新たに何か書き込むのは神擬き自体にしかできない。だから、私たちが記述をできる領域を契約書の中に、ティアの献身によって作り出したという仕組みだ】」
見せられた本の頁。神擬きとの契約の文言が記述されている筈のその頁は、灰色で塗りつぶされていた。
「【あれの呼び方を私が、神擬きにしたことは意味は無いよ】」
どうやら私は、心配のし過ぎかも知れない。
「【さて、では取り決めを記入してゆくぞ】」
奴がそう言うと、空になった二つのカップはすっと消える。上品な茶葉の香りはしたが、味が無かったのはどういうことなのだろうか……。
取り決めは全て決まっているから、これは確認作業も兼ねている。
「その前に些細なことだが、尋ねさせてもらう。紅茶に味が無かったのは、どうしてだ?」
「【私に味覚は無いからだ。もう、その味は忘れてしまった。匂いもかなり朧げでな。再現できていただろうか?】」
「たぶん、な。私は紅茶に関しての知識はそう持ち合わせていない」
些細なことですら、頭から雑念を取り払っておきたかったからの質問だったが、あしわられず答えて貰えて、良かった。
「【もう何も無ければ、記入を始めるが?】」
「頼む」
私がそう言うと、奴は本のその頁を開いたまま、テーブルの上に置き、そこに一つ一つ私に確認しながらルールの記入を始めた。
【『この書を創り出した者と戦う者を、以下のルールに則って行われる決闘によって定める』】
【『決闘ルール』】
【『決闘の場はこの、造り出された青空と雲の中の、一枚の広大な鏡の上。全ての周辺環境はその一切が両者を害さない、優遇しない』】
【『その身だけで勝負する』】
【『肉体、精神共に、回復はできない。消耗あるのみ。』】
【『逃げることはできない。何一つとして、避けることは許されない』】
【『不眠不休で決着が着くまで戦い続ける』】
【『心を読むのは禁止。推測するのは構わない』】
【『魔法使用禁止』】
【『指定された手段以外での攻撃禁止』】
【『指定された攻撃手段は以下の二つ。』】
【『一つ目。自身の肉体』】
【『二つ目。言葉』】
【『尚、反則判定は契約書自体が行う』】
【『勝利条件は、以下の二つのうち、それかを満たすこと』】
【『一つ目。相手の心が折れる』】
【『二つ目。相手が反則を犯す』】
【『三つ目。相手が降参もしくは、自身の全てを託すと決断した場合に、相手に引導を渡す』】
【『決着が着いた直後、勝者の損耗は回復する。但し、勝者が望んだものに限る』】
「では、決闘という名の殴り合いとでもいこうか」
私がそう言って立ち上がろうとすると、
【そう焦るな。まだ終わっていない。君は私の話を聞いていたか?】
引き止められる。
私はとりあえず再び席についた。
「【これだけだと、勝った後に、どちらも得るものが無い。それでは意味が無いだろう? そんなもの、唯の潰し合いに過ぎない。ティアを贄とさせてまでもやらないといけない、神擬きへの干渉を勝敗に落とし込むのさ】」
私は少々、その言葉の意味を捕えられずにいた。
「【分からないか。まあ、君のことだから、更に詳しく説明しなくとも、見れば分かるだろう】」
奴はそう言って、記入の続きを始めた。
【『勝者はそれに見合った報酬を得る』】
【『一つ目。精神干渉、肉体干渉を受けない。時空操作含む因果律干渉を受けない』】
【『二つ目。奇跡の対象に指定されない』】
【『三つ目。
【『四つ目。
なるほど、そういうことか。この後に待つ、神を名乗る者との対峙。おそらく戦いになるであろうそれにおいての対策として契約を利用してやるわけか。
さらに、奴にとってこれは、神を名乗る者に自ら会いにいくことができるようにするための道でもあるわけだ。
そして、私の頭に当然浮かぶ疑問について尋ねる。
「あと二つはどうして空欄にしている?」
「【決まっているだろう。君がそこに二つ、勝利した際の望む報酬を記入するのさ。そうすることで、勝者は、四つの願いを、契約書に書かれた契約の上位に配置できる。この後行う決闘は、そういう儀礼でもある訳だ。】」
「【好きに決めるといい。私は一応、君が勝った場合のことも考えて、君にも利があるように書いた。願わくば、君にもそうしてもらいたい。さて、考える時間が必要なら取るが?】」
「問題ない。すぐ書ける」
そうして私は奴が出したペンを受け取って、
【『勝者はそれに見合った報酬を得る』】
【『一つ目。精神干渉、肉体干渉を受けない。時間的干渉を含む因果律的干渉を受けない』】
【『二つ目。時間的干渉を受けない』】
【『三つ目。勝者は、この書を創り出した者と上記の決闘のルールで戦うことを選択できる。無視・妨害・改竄・先延ばしはできない。タイミングは勝者が自由に決められる』】
【『四つ目。この書を創り出した者がどのような存在であろうが、勝者と同等の存在まで引き摺り下される。その際失った力と、この書を創り出した者と先の決闘の勝者が競い負けた方の存在全てが、残った方の願いを叶えるために使用できる。自身の力とする選択も可能』】
そう、奴の書いた二つよりもだいぶ長くなったが小さな字で詰め込むように記入を済ませた。
「こうでもしておけば、どう転がっても同じ土俵で戦える。どちらも、この後の戦いに向けたものだ。神を名乗る者も、それにこれの内容に逆らえないとなれば、効くだろう、間違い無く、な。これなら、私でなく、そちらが勝った場合でも利はあるだろう」
「【四つ目だが、それは少々、自重し過ぎているのではないか?】」
奴はそう突っ込んできた。確かにそう見えるかもしれないが、そこには私として考えがあってのもの。
「神を名乗るあの者が、どうしようもない悪であるとは限らないだろう?奴なりの事情というものが実はあるということも考えられるわけなのだから」
「【それで?】」
「そして、そう考えると、向こうにも旨みがあった方がいい。それに、契約にも隙はあるかもしれない。そういった場合、それを突かれにくくするための文言でもある」
そう説明すると、
「【ふはははは、実に、君らしいな】」
奴は笑いながら大きく頷いた。
奴が本をその手に持つ。
そして、私と奴が席から立つと、茶会の席は天蓋含め、最初から無かったかのように消えた。
奴は、契約の書を空へと投げた。書は遥か上空へと浮かび上がり、その場で浮遊している。落ちてくる様子は無い。
「一応、聞いておく。決闘中にルールの書き換えとかはできないようになっているな?」
「【当然】」
「ならいい」
そして、奴も私も、下着一丁になり、互いに向かい合って、構える。
離れる意味などないからだ。ルールからして。
奴は別に筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》というわけでもない。私よりも遥かに大きいわけでもない。非常に私と似た体つきだ。
背も筋量もほぼ同じ。せいぜい、肌の色と顔が違うくらいのものだ。
「【心の準備はいいか?】」
「ああ」
「【では、私から行かせて貰うとしよう】」
「いや、私からだ」
私たちは同時に、拳ではなく、蹴りを繰り出していく。
そうして、やたらに男らしく、熱々しい決闘が始まった。