書海真名真姿 剥奪叡智の書海 簒奪蒐集の書庫 その意は汝に刻まれた Ⅴ
足りていないもの、か……。どうして、そんな簡単なことに気付かない……。
【それは、情報だ。娘に関する情報。男は娘を四六時中見ていた訳ではない。それに加え、娘の心中を常時全てズレ無く把握していた訳でもない。だから、男が娘の再現に使用する娘の情報。それは、男の目から見た、娘の一部でしかないのだ。とうとう、そのことに気付いたのだ。】
【多くの研究者たちがそのことに気付かなかったのは、その研究が、彼らにとって、神の愛娘、つまり、神から生まれし別の神の再生という、人一人の再生という、男の願いからかけ離れたものになっていたからだ。】
【それが神やそれに準ずるものなら、その人格に、人々は興味を寄せはしない。神というのは、存在することに意義があるのだ。後は、それを信じるだけ。男という実質神に近いような悪魔が神のような統治をしていて問題も起こっていない。なら、当然、そうなる。これもまた、認識のズレ。】
【それだけではない。どのような凄惨な出来事も、焦げ付くような熱量のあった掛けた年月も、いずれは過去になる。そういうことだ。】
【男の持っていた、娘についての記憶もそうだった。娘との思い出が、徐々に色褪せていって、そしてとうとう、それらが認識できなくなりつつあることに、男はやっと気づいたのだ。】
【年月を経るごとに、成功の確率は下がっていき、もう絶望的になったところだった……。もう今更、あの、神を名乗る者に頭を下げて、自身の全てを差し出してでも、娘の再生を願うなんとことはできはしない。あれより力と万能性を強く持つ自身ができなかったことを、あれができるとは到底思えなかった。】
奴は娘の生きた近似再生体しか作れない。奴の娘が死んだとき、奴は人間だった。だからこそ、奴は、どう足掻いても、外から見た第三者的な娘についての情報しか持っていない。娘の内面の全てを知らない。
そして、それは、娘が完全な復活でもしない限り、探りようがない。それに、同じ経路を辿らせるというのなら、娘の周りの環境も寸分違わず再現しなくてはならない。
そして、その中に娘の死を回避する要素を入れるとなると、それが、娘の年齢が小さい時期であればある程、どれ程小さな改変であっても、バタフライエフェクトによって、隔絶した差になる。
つまり、最初から、詰んでいる……。奴は願いを叶える為には四つのステップを踏まなくてはならなかった。
周囲の環境の完全再現、娘が受ける内面的外面的作用全ての開示。その上での、娘の復活。そして、後は、死の回避において発生するバタフライエフェクトの受容。
何処までも目的だけが専攻し、何もかもおざなりになったそんな状態で、上手くいく筈が無いのだ。
そして、自身が悪魔であるが故に、その自身の願いは、どう足掻いても、神を名乗る者をも超える程の奇蹟の類ですら、叶えられない。自身を対象に取れないから。そして、他に願って貰うにも、本気度が足りない。
それに何より……、奴は、娘の名前すら、これだけ長い文中に、一度も出していないではないか……。
それでも私は続きに目を通す。結論が出ても投げ出せないということが、こんなに辛いとは、思わなかった……。
【だが、男は未だ、諦めなかった。足掻き続けた。傍から見たら暴走、乱心。そういった風にしか見えないような行動に出始める。】
【知識と力の簒奪の方法を男は変えた。自身に協力的な世界すら、そこを統べる悪魔を滅ぼし、世界ごと滅ぼしつつ、これ以上人としての感覚を失うことを防ぐ為に止めていた核の吸収を始めた。それも確実にやり遂げる為に、分体ではなく、本体でそれをやった。】
【研究者たちも余りの暴挙に、男を止めようとした。男の統治する国出身以外の者たちが、次々に消滅していっていたからだ。だから、彼らを男は葬り、そして、統治の手間すら惜しくなり、自身の国を滅ぼした。知識も、発展の為のノウハウも、揃っているから、自分一人で十分だ、と。後は、娘さえ、あればいい、と。】
【そうして、最後の一つの別の世界、珍しくも全面抵抗を取った世界に手を掛けようとしたところで、創り出した数多の娘たちのうちの一人だけが、男を、止めてくれた……。】
まさか……。
【その、灰色の本のような肌をした、娘の顔をした、娘とは違う彼女は、それでも、娘の面影を色濃く持っていた。だが、別の存在だ。だが、その涙は、自身の為に流してくれた本物だ。涙ながらの彼女の言葉に、男は我にかえり、自身の世界に鍵を掛けるように、籠もった。その自身を止めてくれた娘以外を本の形態にし、停止状態にし、収め、その娘の不変状態を解いて。】
そう書かれている訳ではないが、やはり、間違い無い……。きっとそれは、ティアだ……。なら……、あそこにあった数多の本は……。
私は、それだけ多くの命を犠牲にし、ここに今、存在している、ということなのか……! なら、余計に、もう、塞ぎ込んでいる訳にはいかなくなった。
【そうして男は……失敗した。男は気付かなかったのだ。その願いは決して叶うものではないということを。願うべきではないということを。それは、無数の屍の上に、見せかけの奇蹟の成就というまやかしにも、慰めにもならないようなものしか生み出せないということを。】
【そして、娘の名は、あの神を名乗る者に、能力付与と、この世界で異世界からの異物として弾かれないでいる為の代価として払ってある。】
【つまり、最初から詰んでいたのだ……。】
【そうして、惨めな男の、物語は終わる。男が主役としての、執念と熱意と足掻きからの、狂気の終焉の物語は。】
そこで本は終わっている。それが最後の頁の最後の文章だった。色々と中途半端だが、奴の身の上話としては、あるいみ完結……いや、それすら、微妙だ。
バタン!
本を閉じ、靄の悪魔が現れるのを待つことにした。
ただ、ぼうっとしていたら、自然とティアのことを思い浮かべそうになるので、それを避ける為、先ほど引っ掛かった部分について考える。
なら、奴が私に願うこととは、何だ……? 名か? 娘の名を、神を名乗る者から取り戻すこと、か? だが、そうするなら、靄の悪魔を、私は斃さなくてはならない。
それに、私の、神を名乗る者からの契約の呪いを、自身の別の娘として認めたティアまで使って、解いたのは?
間違いなく、情報が足りない。
奴は、未だ、半分しか話していない。全容を、話していない。私とどうやら関わりが以前からあるような、そんな風であるが、それすら碌に明かしていない……。
フォン!
本が、白く、光った!
私は傍に置いたそれを拾い上げる。本にはタイトルがついていた。赤い血のような文字。
【"何もかもが嘘だと知れば、君はどうする?"】
不穏な気配が、周囲に漂い始めたような気がした。空気が重くなったかのような。澱んだかのような。つまり……、ここから先が、本題、ということらしい。
私はごくり、と唾を飲み込み、額から流れ出した冷や汗を拭い、その本を開いた。
【"というのが、私に与えられた、実体の無い設定だと知ったのは何時の頃だったか。外から来た、来訪者という、あり得ない存在から私はそれを知った。"】
【その者は、私の世界に、庭園からの橋を繋げて、侵入してきた。つまり、私の次の転生者ということだったらしい。】
急展開にも、程がある……。
【その者は、私に、私の過去が、願いが、偽りで実体の無いものだと言った。いきなりそんなことを言われて、しかも、隣に最初の願いとは違うとはいえ、まかりなりにも娘と断言できるその子が隣にいる場でそのようなことを言われ、私が腹立たないことなどある筈があるまい。】
【なに、私の力からして、その者を葬るのは容易い。どう足掻いてもオーバーキルだ。そう思っていたが、結果は逆。私は地に臥せ、屈していた。当時、その仕組みは分からなかったが、今なら分かる。その者はこの世界の真実を知っていて、私は知らなかった。】
【そして、名を名乗るように言われた私は、自身を"靄の悪魔"と称した。偽名として、そうしただけだったが、それが不味かった。私の力はその瞬間、庭園から繋がる数多の世界と同じクラスの、一つの世界規模の、一つの悪魔の核規模の力まで、抑えられてしまった。】
【その上で、私の最初のコアを私の体の中に残した上で、奴は言うのだ。『俺もあんたも、共に、あの糞ったれな、神を名乗る、神未満の何かに作られた設定に過ぎない。俺はそのことを知ってるから、今みたいなことができた。あんたは知らないからそうできなかった』と。】
【余りにもその動作は突然であったことから、私も娘も一切反応できず、そう制御されたしまった。だから私たちは抵抗の意志を捨てる。そのままその者の説明が続く。】
【『あんたに核残したのは、理由がある。協力して欲しいからさ。俺たちはこのままだと、あいつの玩具なままだ。世界は別に滅びなんてしない。あれが飽きたって放り投げない限りな。あんたに協力して欲しいと思ったのは、あんたは限りなく自身が望む奇蹟に、自力で近づいたからさ。あんたは望まない形の奇蹟を形にした』】
【『あんたの隣のお嬢ちゃんは、あんたが望む形とは違うとはいえ、ある種の奇蹟の結晶だ。だから、あんたに会わせたい人がいる。その上で、協力するかどうか、決めてくれ。俺がその人にあんたを会わせると、あんたは間違いなく、あんたという存在が設定からできた、フィクション的な、実体の無い存在だということを知ってしまうことになる。あんたは全くそれを現段階で信じていないからこそ、こうやって説明できるんだが。』】
【『さて、行くか行かないか、決めてくれ』】
【その者は、珍妙なことを言う。それに、私は負けた。なら、したがわなければ、私に先など無いだろう。この二人目の娘を再び失うなんてことにはしたくない。娘は泣きそうにしてた。だから私は彼女を撫で、会う、と了承した。この世界に分体を置いて。本体で会いに行った。その者に連れられて。】
【そうしてそれが、真実だと、否応なく私は見せつけられ、心がバラバラになりそうな思いになりながら、何とか戻ってきて、再び娘を抱き締めたよ。】
【その者が私を協力者に選んだ理由が分かった。私には、自身が虚構だと断じられても、砕けられない理由が既にあったからだ。私が渡れないだけで、他にも世界は無数に存在するのに、私のところにわざわざその者がスカウトに来たのはそういう理由だったようだ。そして私なら協力するだろうと見越した上での。】
【だが、それでも私はその計画に乗る。神を名乗る者を打ち倒すその計画に。】
【さて。今話せるのはここまでだ。これ以上は今は話せない。後は、私を斃し、計画の首謀者から聞いてくれたらいい。そうしないと、計画の最後の枷が解けないのだ。】
……。
展開が急過ぎて、頭がついていかない。
だが、一応、筋は通る。靄の悪魔が私を助け、挙句の果てに、自身を斃させようとすることに。それ位は何とか、分かる……。
そうして、そこが最後の頁だった。まだ全体の半分にも到達していない。だが、次の頁からは文字も絵も何も書かれていなかった。
だから私は、本を閉じた。