書海真名真姿 剥奪叡智の書海 簒奪蒐集の書庫 その意は汝に刻まれた Ⅲ
「【さすがに気付くか。それについては後ほど話してやろう】」
奴は急に普段通りの調子になってそう言って、
「【そんなことよりも、今は、ふっ、ふはははははあはは、ひゃはははははははは、これは、これは。やった、やったのだ、とうとう。とうとう。ふはははははははは……、あぁ……】」
今度は突然、涙を流し始めた。
悲しげな顔をしながら、その口は笑っており、涙を手で拭う様子は無く、感動なのか、悲しみなのか、喜びなのか、よく分からない。
三つが混在したかのような表情を浮かべながら、奴は黄昏ているかのように見えた。
すっ。
ヒラヒラヒラ、
っ!
私は震えながら、両手で掬い上げるかのように、空を舞うそれを両掌の上に乗せ、左手でその端を掴み、その表面に、右手人差し指の腹で、撫でるように触れて……、
「ティ……、ティア……」
私はそれを抱え込むように、床の上で、くるまった。
奴がすっとどこからともなく出したそれは、紛れもなく、彼女の遺骸の一部だった……。
「どうして……、彼女は、燃え尽きた……筈、じゃあ、無かった、の、か……」
私はそれを自身の横に優しく置いて、未だ震えで立ちあがれない自身の体を引き摺って、奴の左足にしがみついて、懇願した。
「お前なら、できるだろう……、なあ……。何でもする。何でも。だから、どうか、ティアともう、一度……くぅ、……会わせ……、て……」
ビッ!
奴の足を掴む手が、腕が、痺れ、力を失う。奴は足を私からすっぽ抜き、
「【できる筈はあるまい……。死者は戻らぬ】」
その声は、とてもとても、弱弱しくて……。
その事実を、奴自身が認めてしまっていても、受け入れられていない、しかし、どうしようもないという諦念。それが言葉の裏に見え隠れしている。
奴は私を、私の首後ろ根元を片手で掴んで、引っ張り、持ち上げる。
私はそれに抵抗する気にもなれない。奴の手も心なしか、乱暴さの欠片もなく、ゆっくりと私を地面に置いた。
「【座るがいい。そして、話をしよう……】」
奴はそう言って、その場にある椅子の残骸を私のすぐ傍に、掌から光を出したりせず、目から奇妙な眼光を出したりせず、再生させた。
そして、私から離れていき、対面にあるもう一つの椅子を掴み、私の傍にそれを持ってきて、座った。
「【それは、長い長い話だ。だが、必要な話だ。そこに、お前の知りたい答えの大体がある】」
「全部、とは言わないのか」
そう言いながら、私は用意された椅子に座った。
私と奴は、20センチ程度離れて向かい合っている。机は挟んでいない。私と奴の間には、何も遮るものはない。
「【肉体は再現できたとしても、その精神は再現できぬ。喩え、幼児の状態の肉体を生成し、そこに純白で無垢な状態の魂を入れたとしても、真に迫るどころか……】」
そうして、いきなり奴は早速言葉を詰まらせていた。そこには先ほどまでの、隔絶した存在感の差は無い。悪魔らしい悪辣さも無い。そんな風に、弱さを、悩みを、偽らず隠さず見せてくるさまは、まるで、同じ、人間を相手にしているかのよう。
「もしかして、以前、試したことがあったのか……?」
間違いない。そう思って尋ねた。奴の弱さがそこにあるかのような気がして。少しばかり気になったから。
死者の蘇生ならぬ、再生。死体すら、禄に残っていない状態からの、以前の生者の構築。
「【……、そうだ。私は何度も試した。そうしなければならない理由があったのだから。その理由というのは、……】」
また、奴は言い澱む。苦悩がその、悲哀が似合わぬ顔に浮かんでいる。靄越しのはっきりしないその顔が、明らかに、心の痛みを感じているのが、分かる。
「無理に聞くつもりは、無い……。悪かったな」
私はそう言って、少し奴が落ち着くのを待とうと、席から立ちあがり、少し離れておこうとしたところで、
ガシリッ。
「【待て】」
奴の体を覆った靄が晴れる。そして、その姿が露わとなった。
彼女と同じ肌をした、私と同じ体格をした、毛の無い、酷くやつれた男が私の手を掴んでいる。その感触は間違いなく彼女と同じと断定できる。幾つかの想像が浮かんだが、どれが答えであっても、きっと悲惨。
その何れだとしても、私が焼けていく塔から戻ってきて以降の奴の私への反応や対応に辻褄が合ってしまう……。
私は再び椅子に座って奴と向かい合い、それを口にした。奴はどちらにせよ、それを私に言うつもりだ。だが、それは奴自身の口から言わせるには余りにどうしようも無さすぎる。だから、私から、と、
「彼女は……、お前が人だった頃の娘……、か妻か。そして、人格がお前の想定の通りにならなかった、究極の、しかし、何処までも悲惨な再現という奇蹟の、罪の、証か……」
口にした。奴の返答を待たずして、それが当たっていることを私は知った……。
奴はそんな彼女ですら、犠牲にしてまで、私にして欲しい、叶えて欲しい何かが、ある、ということだ……。
「【……。もう、互いに聞いておくことは無いだろう。君はどちらにせよ、私を倒し、先へ進むしか無い】」
また、読んだか……。
私は黙って頷いた。
「【では、天井から差す日が消えた頃、最後の話し合いを始めよう。殺し合いのルールを、な】」
「待……――」
奴は呼び止めようとした私を取り残し、すっと消えた。一冊の灰色の、そう、彼女に似た本を残して……。
タイトルの無いその本を私は開いた。
置いていったということは、読め、ということだろう。奴のことだ、きっと、そうやって与えたなら、全部読み終わるまで再び姿を現すなんてことはあるまい……。
【昔々、あるところに、一つの庭園とそこから連なる多層世界から成る巨大な異世界へと転移して来た一人の男がいた。男は、自身の出身世界の叡智を能力として神を名乗る者から与えられ、世界を神の手に取り戻す為の冒険を始めた。】
いきなり、だな……。
その本には、開いた最初の頁から文字がぎっしり刻まれていた。
【庭園から提示される、自身の業に関わる四つの世界を神の手に収めれば、そこから世界の全てを、取り戻せる。男は四つの世界のうち、三つ目までを攻略した地点で、愚かにも考えた。『自身の手で願いを叶えることができるのではないか』と。】
どうやら、物語風の独白になっているらしい。
【男は最初から疑念を抱いていた。自身に能力を付与した神を名乗る者が、本当に、願いを叶えてくれるかどうか、ということに。代償を払い、願いを叶える。それではまるで、神ではなく、悪魔そのものではないか、と。だが、単純にそういう訳でも無さそうなのが事態を面倒にしている、と。】
……きな臭くなってきた。
【神を名乗る者は、最初からこちらの願いを知っていた。それを後払いで叶える変わりに、与える使命を、与える能力を駆使し、果たせと。そう見ると、それは悪魔の手法ではない。それは、神話の中の神が人を玩具のように動かすことと酷似している。】
ある意味、私の場合と状況が似ている。最初から、何から何まで用意され、定められた分岐を、選択させられるような、そんな限られた選択すら糸引かれているかのような……。
なら、確かに奴の考えは至極真っ当だ。
奴の嘗ていた世界のあらゆる知識を組み合わせ、発展させれば、届きうる、そっちの方が神を名乗る者の願い頼りより確実、と判断したのだろう。
【それから、紆余曲折を経て、悪魔になることに成功した。具体的には、保持していた、攻略した三つの世界の悪魔の核を、喰った。】
は……?
完全な意味で、神を名乗る者を裏切ったという意味にも取れる記述が出てきたことに驚きを隠さずにはいられない。
つまり、奴は今の地点では、神を名乗る者からの覗き見などの介入を完全に防いだ状態にできているということを示していた。
それでも、これは、少々大胆というか、粗過ぎないか?
【男一人での実験が何処までも上手くいかなかったからだ。そもそも男は、研究者ではない。だから、知識だけあっても、それを発展させていく術が無かった。男は焦った。時間が無限にあるとも思えなかったからだ。男は知っていた。神ですら滅びの例外ではない。だが、人の身よりもずっと、与えられる時間は長くなる。だから男は、悪魔になった。】
一見論理立てているようだが、狂い始めている。神を名乗る者。あれ程の力を持つ者を、裏切るということ自体、無謀だ。対抗策も無く、そうするということが。
【男は、得た力の使い方を最初から知っていた。神を名乗る者によって付与された能力の対象に、新たに得た力も対象となったのだ。つまり、使い方を知識として知っている。その中には力の隠蔽といったものも含まれていたのだ。】
【そうして、自身の力を使いこなし、名の無い成り立ての悪魔たる男は、見得ない障壁を壊して、四つ目の世界へと新たに得た浮遊能力を使い、侵入。そこの世界の悪魔を殺すのではなく、屈服させることによる、その世界の知的生物資源を残した状態でそれを手中に収めた。そのことは、神を名乗る者に気付かれない。そして、四つ目の世界の元の悪魔を、傀儡として、支配者の座に置いておきつつ、他の世界への干渉を始める。】
【男は考えていた。そもそも、庭園に立つ者の業によって選ばれる四つの世界。それが、どうやって選択され、庭園と繋がるのか。どのような世界が庭園と繋がるか神を名乗る者が知らなかったか。そもそも、異能と言えるほどの能力を付与された者が、唯の人間と呼べるか?】
【答えは簡単。庭園と繋がる世界側が、庭園に立った者の業が読み取られ、呼ばれるのだとしたら? なら、後は簡単。世界三つ分、悪魔三つ分の力を持った男は、その配分を、変化させ、見せかけの力を変化させることで、多種多様な世界を繋がせ、攻略し、その世界の悪魔の核を得、喰うことを繰り返した。】
【そうすることで、自身の力が、神と名乗るには余りに半端に思える、神を名乗る者のそれを超えると予想して。神や悪魔の力というのは、そういう力があると信じられると固まる。そうならないうちなら幾らでも大きくできる。そう考えて。そして、その宛ては当たった。】
【それと並行し、自身の変わりに、自身の統括された知識を活かして発展させていける者を、多くの世界からありったけ、集めた。男は、そうして、悪魔であるにも関わらず、他の悪魔とは違い、自身の国を拡張し、優れた人を増やし、魔法と科学を組み合わせ、何処までも発展させていく為の、知の王国を作り上げた。そうして、自身の名を"探究の悪魔"と、決め、男は人を率いての研究を始めた。奇蹟を叶える為の研究を。】
話が大きくなってきた。だが、これで凡そ半分位らしい。本の今開いてある頁が丁度、本の厚さの半分くらいであることから、それは確かだ。