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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第五章第三節 その為唯けの贄の山
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書海真名真姿 剥奪叡智の書海 幻館仮想地下通路 その為唯けの彼女の空白 Ⅰ

 彼女から離れた私の左腕。だからその全(ぼう)あらわになる。


 先ほどは見えなかった、ひじから下。感覚は無いが、動かせるようだからかざしてそれを見る。


 赤黒く、表面を鉱物のように異形化、肥大化している。


 この見掛けではあるが、どうにか浸食されていない左肩根元辺りに感じる重さに浸食前と変化はない。腕力も上昇しているからという可能性もあるといえばあるが。恐らくは、私の左腕の表皮だったものが質量保存の法則に従って変化しただけなのかも知れない。


 右手で触れてみれば、答えは出るかも知れないが、止めておこう。


 そうして左腕を下ろす。


 彼女が見えた。苦しんでいる。明らかに。痛みに耐えている顔だ。


「ティア、どうした……。今は一体どういう状況なのだ! 隠さず、説明してくれ……」


 彼女の右(かた)を右手で掴み、さするように私は必死に尋ねた。


「うぅ、そ……れ」


 彼女は重々しそうに左手を動かしつつ、指差した。その原因を。


「……君が躊躇ためらった原因は、これ、か……。こうなると、分かっていたのか……。のろいの解除。その為の手順には、君が犠牲を、払わないといけない、か……」


 私の左手の先から、視認し難い、半透明な、血管のような脈打つ網目状の管が、彼女の右手人差し指の腹へと、繋がっていた……。


「じゃあ、どうして……、ここ……に飛ばし……たか、も、分か……る、わ、よね……。あっ、あぁぁ、ぅぅ……」


 私みたいにひどく浸食されているわけではないが、……、彼女の人差し指の腹とその管の癒合部分は、赤黒ずんでいた……。その上、徐々に徐々に、それが彼女の右腕の上へと進行していっているかのように見えるのだ……。赤黒い液体が、ペン先からじわりと広がるかのように……。彼女の肘下半分位までは赤黒く変色していた……。


 つい今まで、見えなかった……。管含めて。つまり、彼女はそれを隠(ぺい)していたのだ……。


 私が、あの本を、彼女の呼び止めに従わず、出してしまったからだ……。私の、せいだ……。


 隠していたということから、大体察した。彼女は口にした言葉に嘘を含まないのだとしたら、この呪いの私の体からの除去方法は、彼女にその全てを移すこと……。つまり、彼女を贄として、私は助かる、ということになる……。そして、別の場所に転移したということは、ここは、呪いに乗っ取られた後の彼女の檻、ということ……。


 何てことだ……、どうして、こんなことに、なってしまった、のだ……。


 余りに、悲しくて、苦しくて、自分がおろかしくて……、彼女の顔を真っ直ぐ、見れない。





 トン。


 彼女の左手が、私に優しく、触れた……。そして、彼女は私を私の右側から抱きめた。彼女は、私の右耳のそばで、消(もう)による大きな息を何度かしながら、私に言った。


「いい……はぁ、はぁ、……の。私は、貴方の……為に……はぁ、はぁ、……創られた、本。遅かれ早かれ……、こうなる……はぁ、はぁ、……ことは、織り込み……済み……だった……の。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、説明もない……まま、こんな……ことに……して……しまって、ごめん……なさい……、ふぅ、ふぅ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 彼女はそうして、私の体に体重を預けながら、少し休み始める。私はその間、じっとしていた。


 やがて、彼女は離れる。息を整えて。苦しさは収まったらしい。だが……、私に抱き着いていた、体を預けていた彼女は軽かった。とてもとても、軽かった……。少し力を込めて握れば壊れてしまいそうな位に、華奢きゃしゃだった……。だからこそ、余計に私は切なくなる……。


「大丈夫よ。収まったみたい。変に心配させて、ごめんなさい。それと一つ言っておくわ。これは貴方のせいじゃない。こうなるということは決まっていたの。どうしようも無かったの。それが早いか遅いか。たったそれだけ。それとね、ここに貴方共々来たのは、わたくしをにえにして、貴方を生かす為じゃない。のろいをね、やっつける為。手段は、あるの。でもその前にそののろいについて、貴方に知っておいてもらわないといけない。少し長い話になるわ」


「ああ……、済まない……」


 ぽとりと零れるどうしようもない自身の涙……。


「いいのよ……貴方は、何も悪くないのだから」


 られるように彼女も涙を、


 ぽとり……。


 それは、薄いが、赤黒かった……。


 床に落ちた液体。彼女の涙であるそれの色は、薄くだが赤黒く浸食されていて、"守護"、"防護"、それと"支配"、"呪縛じゅばく"といった、私を守る彼女の意志を示す文字と、私を害する筈であったが彼女が引き受けているのろいが示す文字が、地面で形になって、ひしめき合っていた……。


 今は、彼女の意志を示す文字が、のろいの暴威を示す文字を制しているようだが、それもいつまで続くかは分からない……。


「うぅ、あぁ……」


 このざまだ、この有り様だ……。私は一体、どうすればいい……。


 ぼと、ぼと。


 彼女の目から、今度は最初から文字の形で、それらが彼女のまぶたをこじ開けるようにこぼれ落ちていく……。彼女は、呪いの注ぎ口となっていない方の手で、目を抑える。


 それはとても痛々しくて、苦しそうで……。






 やがてそれも収まったようで、再び彼女は話し始める。


「いいの。言ったでしょう、最初から決まっていた。それに、わたくしは自分の意思で、こうするって決めたの。だって、貴方に触れてこうなったのは、わたくし。わたくしから、貴方のその《のろ》呪いに触れたんだから。私が創られたのは、貴方ののろい、契約という名ののろいを解くため。だからわたくしに名前は無かった。わたくしの大部分が白紙で、名前が無かったのは、そういうこと。だから、わたくしは、誓うわ。そんなわたくしに名前をくれた貴方を、私は絶対、助けて、みせる!」


 誓う、か……。まさしくそれは、覚悟だ。使命でなく、運命でなく、道具としての用途でなく、自発的な意志から、彼女が選び取った、選択だ。


 選ばせてしまったのは私であろうが、彼女は自らの意思で誓った。ならもう、うじうじ言うべきでない。それは、彼女の覚悟を拒絶する言葉だ。許されざる言葉だ。


 だから、私も決めよう、覚悟を。揺るがない、という覚悟を。


「ああ! 頼む、ティア」






「こののろい、"契約ののろい"は、心に作用するのろい。心の奥底に根付いて、契約が破られた際に発動する。非常に強力なのろいよ。その解(じゅ)用に主様に特化されたわたくしですら、緩衝・遅延するのがやっと。ねぇ、名無しさん。できるだけ強く心を持っていてね。そうしないと、呪いは強力になるわ。契約の呪いの力の源は負の心なのだから。本来、契約を破った者の罪悪感を利用した呪いだから。これはもう、そういう次元のものではない何かであるのだけれど、分類上は"契約の呪い"ということになるらしいわ」


 私はそう簡単に能天気になれるたちではないのだから、平静を保つ。それ位の感覚でいる方がいいだろう。彼女の話からして、私は最初からそのわなが仕込まれていたことになる。頼み事をする相手にこの仕打ち、あの神を名乗る者は一体何がしたいのだろうか……。


「だから、のろいを私に移すだけでは不完全。このまま放置していれば、何もしないでいれば、のろいはわたくしを支配するの。そして、のろいは、私という体を得て、再び貴方におそい掛かる。もっともっと強力なのろいになって」


 というのなら、


「君の主である、もやの悪魔が(のろ)いを解けばよかったのではないのか? 君を創り出せる程の存在なのだから、奴自身の解(じゅ)の力は君よりも上、だろう?」


 だが、彼女は目をつぶって、首を横に振った。そして、目を開いて説明を続ける。


「主様が直接(のろ)いを解こうとすれば、この呪《のろ》いを掛けた敵に、貴方に仕込んだ敵に届く切り札と、主様の存在がばれてしまうから。ばれれば、何もかもが終わる。貴方の夢も希望も、主様の望みも。主様は貴方の敵ではないの。寧ろ、味方。貴方に全てを託そうとしている。だって、貴方と主様の願いは、その過程に、この呪いをもたらした者をたおすことが必要になるから。


 訳が、分からない……。味方なのなら、そうと言えばいいではないか。いや、だが、できない理由があるのか? 恐らくはあの本、契約、その辺りか。なら、もう聞くまい。言えないということだ、今は。だから彼女もここまでしか言わないのだろう。


 信頼を得る為、全部言ってしまってもいいはずなのに、そうしないということは、そうできない事情があるということなのだろう。


 神を名乗る者はもう確実に信じられない。もやの悪魔はそれよりまだましとはいえ、信じられない。だが、彼女なら、嘘は言わない。彼女の役割からして、それは、のろいの解(じゅ)の率を下げる。役割上、彼女は嘘をつけないのだ。


「今はこの呪いを処理しないと。さもないと、全ての仕掛けが、準備が、無為になってしまうの。この呪いはわたくしには完全に消せない。だけど解く方法はある。それは、のろいの変質。それが終われば、問題無く、のろいは私の中で消えるわ。だけど、解けた、と敵に知られてもいけない。だから、敵をあざむく為に、貴方に偽ののろいを刻まないといけなかったの。貴方のしん食をすぐに止めなかったのは、そのせい。貴方ののろいをある程度引き出さないといけなかったから。わたくしがさっき消耗していたのは、呪いの変質を行っていたから」


 色々聞きたいことはある、少しどころではない、たくさんある。何から何まで、全てを聞きたい。しかし、その全ては、飲み込もう……。


 彼女は、私のために、私のせいで、不幸を決定づけられて生まれた存在。


 彼女は知っているのだろうか……? 誰かの為だけに存在して、その時が来れば犠牲ぎせいになる。そういう存在のことを、にえ、と言うのだ……。


 私は、彼女の言葉のほんの一部に、嘘が出ていることに気付いていた。それは、私を害する、騙す為の嘘ではない。優しい嘘だ。『問題無く、のろいは私の中で消える』。わたくし、ではなく、私……。よりによって、ここだ……。ここが、嘘……。


 覚悟の必要、誓う必要。それらがあった地点で、それは全てに矛盾する言葉。彼女の浸食は、先ほどよりも少しだが、進んでいる。肘の少し下辺りまで進んでしまっている……。


「色々、後出しになっちゃって、御免なさい……。でもこれで、解(じゅ)は成功よ。ここからは転移では出られないから、歩いて出口まで向かいましょう」


 そして、その場から歩き出した私と彼女の辿り着いた先は、――――救いようのない、くそったれな、離別ということを、この地点の私は未だ、知らない……。

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