書海真名真姿 剥奪叡智の書海 簒奪蒐集の書庫 Ⅲ
それから数十秒掛けて、何とか私は、それに対する所感を頭の中で纏めた。
白と黒のモザイク模様に点滅する一枚布に覆われただけの、すらりと手足の長い、灰色の少女?
正確には、灰色の皮膚をした少女? 少女というべきか乙女というべきか判断に迷う。
……。少女、ということにしておこう。
そんな少女らしいものが横たわっていた。こちら側へ頭を、向こう側に足を向けて。
寝息は聞こえてこない。静かなこの空間で、聞き零しということは無いだろう。気絶しているのだろうか? 死体のようには見えない。人形という訳でもなさそうである。
だが……、いや……。また結論を出すのは早い。
口に出そうになった浮かんだ答えを掻き消すように喉の奥へと飲み込んだ。
彼女の顔から、視線を落とし、足へ。
裸足、か。靴下も履いていない。いや、そもそも……、この少女、下着すら付けていない。白と黒のモザイク模様に点滅する一枚布だけだ、本当に……。
視線を上げていく。
身長は足を少し曲げているが、おそらく160センチほど。七頭身はありそうだった。黄金比からは少し逸れてはいる。布がはだけそうなので、足を延ばす作業はやめておいたので正確ではない。
この感じだと年の頃は一桁ということはないだろう。10代であろう。15歳には届いていないだろう。10歳寄り。10歳~12歳程度、というところか? 背の割に薄い肉付きの体であることと、肌の艶の程度から、少々早熟な、見掛けよりも幼い少女ということになる。
なら、やはり、この格好は異常だ。普通でなら、あり得ない。こんな場所にいることからして普通なんて概念、そもそも持ち出すべきではないかも知れないが……。
少女が目を覚ます気配は今のところ全く無い。だが死んでいるようにも見えない。声を掛けるべきか迷ったが、私は結局観察を続けた。
少し焦点を遠くへ放し、全体を視界に入れる。
少女は、その年頃としては、最適化されたかのようなプロポーションをしていた。頭が非常に小さくまるで人形のようなプロポーションをしているように見える。
腕の皮膚や足の皮膚に見えている限りでは、僅かな体毛の存在すら見受けられないことと、関節の皺の薄さから私は彼女が少女であると判断した。
だが、彼女の整い過ぎていた。具体的には、顔において目が占める割合がそう大きそうでなく、鼻は高く、くるっと長い睫毛を持っている。
そんな大人びた顔を見ていると、自身の見立てに疑問が生じてくる。薄い肉付きをしているだけの少女ではない、もう少し年を経た、そう15~16歳程度の乙女ではないのか、と。
凝視すればする程、分からなくなってくる。
彼女の顔を数センチの至近距離でじっくり観察したわけでもないのに、俯瞰している状態であるとはいえ、何故、こんな矛盾が、ちぐはぐが、解けないどころか、どんどん酷くなっていくのだろうか……?
もっと近づいて、細かく見ていくこととしよう。至近距離で。まだまだこの少女が目を覚ます兆しは見られないのだから。
彼女は一見、そう危険そうな存在には見えないが、それでも、何かあれば先手を取れそうに、手足のリーチの長さなどやはり、正確に調べておきたい。
だが……、その為には恐らく、彼女の裸体をまじまじと見ることになってしまう。もし少女が目を覚まし、変な誤解でもされればきっと面倒なことになる。
私はそんな、微妙な躊躇によって、直接少女に触れたり、布を剥ぎ取ったりすることを思い留めていた。
私が少女に手を直接触れないで思い留まっているのは、他にも理由がある。
それは、このあり得ない体色をした少女の造形が、あの世界の黒羽根と白羽根の少女状態に似ているのだ。生き写しのように同じというわけではない。特に、目つきは違うだろうと予測できる。
あくまで、似せているかのように思える、という程度。記憶との些細なこじつけのような結びつき。本来、無視しても構わない程度のものだ。
とにかく、計算されたかのように、人形のように整っている、というところが、コンセプトとでもいえばいいのか。外見のコンセプトが同じ。
私はどうしてそんな、まるで物でも見るような見方をいつの間にかしているのかと、ふと疑問を感じたが、その答えは一瞬で出た。
この少女は、もしかして、あの本なのではないか。そう無意識に考えていたのだ。
そして一度それを意識してしまうと、もうそうにしか見えない、思えない。
それでも手が伸びそうになる……。何とか堪えるために、私は想像する。この少女が立ちあがって、先ほどの赤文字のような言葉遣いで、黒羽根の様な声で、棘を含んだ上品な口調で、私に言うのを。
『貴方、よくも、わたくしを捨てるように投げつけてくれましたわねぇぇ!』
ああ、言いそうだ。ありそうだ。あり得そうだ。
いろんな意味で、背中に寒気が走った。籠の世界のあの双子と、少し、被る……。
できれば、あの少女たちのことはあまり思い出したくない。あまりの救いのない展開を思い出さずにはいられない。胸が重くなるのだ。
他の世界の悪魔たちとは違って、彼女らは子供だった。彼女らに、行動全ての決定権があったわけではない。不幸になったというより、不幸にされた、落とされた。まるでそんな感じだったのだ。
彼女たちが多少自らの意思を含んで、取り返しのつかない行為をしたとはいえ、自業自得とは言い切れない。ある意味被害者なのだから。
この少女もそうなのだろうか、と、感じられずにはいられないのだ。この少女が本から姿を変えたものだというのなら、きっと、奴の都合によって、一方的に作られた、間に合わされた類であるということになるからだ。
自分ではどうしようもない、一方的な理不尽というのは、ただ、その対象を蹂躙するだけ。経験として糧になることはなく、ただ、害されるだけ。
私は再び、目の前の少女の顔に視線を落とす。この少女、あの本が変化した形であろうこの少女に私は理不尽を行ってしまった。
私の心を読んだかのような、本たる彼女の赤文字の使い方。それを思い出した。あれは明らかに、慣れていないから起きたことだ。人との関わりが、経験値が、彼女には余りなかったのではないか。彼女がそういうことをされると相手が嫌がるということを知らなかったのではないか。
なら、私の心を読んだことに悪意などなかったのかもしれない。
考え過ぎだろうか……?
……。分からない。籠の世界での感傷に引っ張られているのか、唯の考え過ぎなのか、それとも、これすら靄の悪魔の誘導なのか。
決めた。動く。進む。触れる。それで全ては明らかにできる。きっと彼女は起き上がりはしない。きっと大丈夫だ、大丈夫。それよりも、こんな不安な気持ちに、もやもやに、いつまでも包まれたままなのは、嫌だ!
踏み出した足。彼女の目前で足を止める。真下には彼女が横たわっている。視界を乱すような闇の遮蔽は見る影もなく消えている状態のままだ。
光が彼女を照らしている。
今一度、しっかりこの目で確認した。認識した。モザイクを放つ布1枚だけで、やけに整った造形の、薄い肉付きの灰色の少女が、全裸で横たわっている。
何と言う、危ない字面だ……。
だが、それが目前の現実なのだ。
寝息は全くしていない。呼吸をしていない。だが、死んでいるようには到底見えない。彼女の筋肉は硬直してはいない。
しかし……。びくりとも動いていない。時間でも止まっているかのように。
ただ、この少女、やはり人間ではなさそうである。こんな場所で見つかったからというだけではない。やはり、どう見ても、肌の色が灰色なのだ。
先ほどまでの状態では、偶々《たまたま》そう錯覚しているだけという無理やりに近い言い訳も辛うじて成立可能だったが、見間違いの可能性は完全に潰えた。
顔を近づけ、2~3センチ程度の距離から観察する。
どうも悪いことをしているような気がして、心臓が震えるように高鳴る。先ほどの想像がリフレインする。急に起き上がる少女。非常に気まずい光景が現実になるのではないかと、冷や冷やする。
大事な部分が隠れる程度に布を少しずらすように動かした。露出面積が増大する。
肌の色はどう見ても灰色だ。くどくどしくもその一番の不審点は頭から離れてくれることは当分なさそうだ。
腕や脚の見えている部分に体毛は見受けられない。顔は大人びているだけ。背も、ただ、年の割に高いだけ。見掛けより老けている説は消えた。寧ろ、10歳に満たない可能性すら出てきたような……。
以前の私が残してくれた常識的に、非常に駄目なことをしているのだ、私は。
黒子一つ、痣一つ、そばかす一つ、無い、整った肌。不自然に整った、肌。
というのもは……、その肌は、離れて見ていたときよりは滑らかそうには見えない。でも、ざらついているようにも荒れているようにも見えない。だが、艶や暖かみがある、この年頃の少女特有の柔らかでしなやかな皮膚であるようには、どういう訳か見えない。
むしろ、少しざらりとしてそうな……。
不思議、だ。
ごくり。
溢れる唾液を一気に飲み込んだ。