第一の問い Ⅱ
「【この、愚か者めぇぇぇ】」
響き渡る靄の悪魔の声。だが、それが私に向けられたものか、あの軍略の悪魔に向けられたものかは分からない。
もう、何も見えないから。
思っていたよりも痛みの影響というものは大きなものであるらしい……。
私の両目は、軍略の悪魔の角によって傷つけられ、光を失っていた。先ほどまでは、貫かれていた状態でもどういう訳か何とか視界の3割程度は残っていた。だが、それはもう消えてしまっている。
そして、酷い寒気と、吐き気が押し寄せてきているかのように感じていたが、それでいて、喉からも、胃から、実際には何も湧き上がってくる訳でもでもない。
軍略の悪魔は見掛け通り、毒を持っていたということか、それとも、私に空いた貫き傷から漏れ出ているのだろうか。
何れにせよ、思考できているのだ。問題は何もない。視力もそのうち回復するだろう。
だから、私の心が折れる要素は、今回の戦いには無い。それを分かっていて私はけしかけたのだ。
この奇策の根底には、ある種の、靄の悪魔への歪な信頼がある。
奴は、私を殺すつもりは無いのだ。私がどうしようもない愚行でもしない限り。
本当に私を殺すつもりなら、もっと確実な方法は幾らでもある。例えば、思考に干渉し、弱らせ、手折る、等。そうされれば、私は、死ぬ。消える。本当に。抗う術は無いのだから。
最初から観ていたと言っていて、私以上に、色々と私に関わる事情を知っていそうな奴がそのことに気付いていないなんてことはあり得ない。
とはいえ、この展開は予想できていたかな? 一見無謀な自滅でしかない、この展開を。どうだ、どうだ、どうだ!
私の理屈は、届いた筈だ。私は勝ったのだ。なら、ここでの死は、あり得ない。
私は勝ち誇ったまま、意識を失おうと、思考を止めようとしたが、ズサァァ。
落ちた。いや、違う。落とされた。角々を抜かれ、落とされたのだ。
この感触は、砂。地面に落ちたようだ。
こうされるまでもう少し時間が掛かると思っていたが、まあいい。なら、今意識を手放す訳にはいかなくなった。
私のこの奇策。それは三段階に分かれていた。
第一段階。軍略の悪魔に直接、私に対して手を下させる。一見、舐め腐ったかのように見える自爆戦略で煽り、軍略なんてもの関係ない形で私に直接手を下させる。
第二段階。何とか致命傷に耐える。そして、第一段階で軍略の悪魔が取った手段は、この勝負形式での明らかな負けに値すると、靄の悪魔に認めさせる。すると、私の串刺し状態は解除されるだろう。そして、私の心は全く揺らいでいないのだから、すぐさま何ともなくなる。
今はここの段階。
そして、第三段階。勝負の形を変えての、真っ向勝負。言い逃れの余地があれば、これを乗り切っても試練が増えるだけ。だから、この屁理屈的な私の勝ちから、どう見ても私の勝ち、という状況にしてしまわないといけない。それで、第一の試練の達成とする。
光が、徐々に、光が見えてくる。眩い中、浮かび上がってくる周囲の光景。幸い、毒の効果はそうえげつない類では無かったらしく、目も元通りだ。
強く強く、傷を負う前の自分を想像した甲斐があった。前の世界での青年期の人形の先の小世界での経験が活きた。
灰色の部屋。石の平らな、縦横50メートルほどの正方形のテーブル。石の、王座にも似た椅子。そして、正面に座っている、いや、立っている、軍略の悪魔。
意図した通りではないが、成功したらしい。奇策、ここに、成る! 明らかに戦いの形式は変わった。それが何かはまだ分からない。
「ごでぼぉ」
軍略の悪魔は、およそ一秒感覚で、正面側の目の頭頂部辺りの一つだけから紫の光を発し、机の上にいつの間にか現れていた紙片を指し示している。
これはさすがに分かる。『これを』、か。
私がそれを、身を乗り出して手にし、乗っかった灰色の石のテーブルからその体を退去させようとしたところで、
「ざぎぼどう"ぁ"……、ずばだがっだ」
翻訳なんてせずとも分かる。やけに弱弱しい紫色の点滅とともに、彼は私に対し、謝罪した。
半分体を起き上がらせた姿勢のまま静止していた私は、
「こちらこそ、済まなかった」
と、素直にそれに返し、体を起こして、椅子に掛け、その紙片の内容を確認する。
【私はこの問いの間、君に干渉するのは止めることにする。結果だけ、見せてもらうことにするよ。君にいいように使われるのは、少しばかり腹立たしかったからな。そう、少しばかり。君がやけに苛々《いらいら》を私に対して募らせていた理由がよく分かった。】
靄の悪魔がそんなことを言うのは私にとって、意外だった。
紙片の内容はまだ続いているので引き続き、目を通す。
【さて。それでだが。君は今から、彼と、純粋に軍対軍で、指揮で、勝負をして貰おう。尚これは、第一の試練の仕切り直しだ。条件は既に設定してある。少なくとも、君にも、彼にも、肩入れしていない条件だ。その石の机の上に、図が浮かぶ。地形図だ。そして、二人ともに、同じように駒が与えられる。500の兵の駒と、1の指揮官の駒。それを使って戦争だ。相手の指揮官の駒を潰した方の勝ちとする。】
成程。卓上でのボードゲームか。これなら純粋に、指揮で勝負が決まる。……。もしかして、最初から考えていたのではないか? 奴は。この展開を。
過程までそっくり推測されていたかどうかは分からないが、結果こうなることは予測されていたのではないか。
余りに準備が良過ぎる……。
準備するとしたらそれなりに手間の掛かるものだろう、これらは。ルールにしても、道具にしても。
ああ……、間違いない。
靄の悪魔は、私が何かしでかして、最初に用意した勝負をぶち壊すことを予測していたのだろう。そして、その通りになったが、そのとき私が取った手法だけは、予想の外だった。
そんなところだろう。
やけに気持ちがすっきりする。過程はきっと、読まれてはいなかった。つまり、してやった、一矢報いた、というやつだ、これは。成程。こんなにも爽快なものなのか。
相手の意の外をゆく策が通る、ということは。
私は肩の力を抜いて続きに目を通す。
【但し、指揮官の駒を潰すには、自身の兵の駒による攻撃が相手の指揮官の駒に当たるか、相手の兵の駒を全滅させる以外、無い。一見ルールの穴を突くような行為、レギュレーション違反に対しては、私の判断介さず、既にどう対処されるか全て決まっている。部屋の様子と、中での声、遣り取りは、全て見させて貰う。が、私はもう何があろうと、勝負が終わるまでは手を出さない。この紙片に書かれていることは、全て書かれた通りであると、我が名において保障しよう。ああ、そうだ。彼は既にこの紙片の内容を把握しているから、見せる必要は無いよ。】
少し、語尾に崩れがみられる。態度が軟化したのか?
最後まで読み終わって、そんなことを考えていると、紙片の文字が全て消え、一行の文章が浮かび上がってくる。
【さて、受けてくれるかな? もうごねられては堪らないからね。】
てっきり、もうこの競技で勝負させられることは強制だと思っていたが。それに、後半。思わず笑ってしまった。
今更、ごねはしない、さ。ある意味、私が叫んだ提案の通りの状況が用意されているのだから。
その一行の文章も先ほどのように消え、やたらに大きめな文字で書かれた二つの言葉と、紙片の端に、一本の黒い羽根ペンが生えてきていた。毛状部で紙片にくっついているらしい。その毛並みはやけに目を惹く。やたらと、甘く、良い香りがする。
【はい いいえ】
私は気分良く、それの"はい"の方に丸をつけた。