第一の問い Ⅰ
「【さて、そろそろ、頭の中の整理は終わったかな? では、本題に入ろう。一言で言うと、君を我が世界の内側へ入れてやる気にはなれない。今は、な。つまり、これからの君の行動次第という訳だ】」
「何が本題に入るだ。とっとと言えぇぇ」
「【ふっ。ふはははははは。君がそんなにも感情らしき感情を身につけることになるとは夢にも思わなかったよ。最初見た君は、知識だけを与えられた、一切の経験を持たない、そう、君のその周りの人形たちと大差無い存在だったというのに】」
こいつは、見ていたのだ。最初から。私がこの世界に現れてから。庭園に降り立ったときからずっと、私を観ていたのだ。
【相変わらず察しがいい。とはいえ、素体からして、そうなるのは当然か】
まるで、私の心の内側まで、見通されているような、そんな感覚。全て知られて、そして、思うがままに誘導され、操られている。奴の意図に私は絡まって……。
「何……だ……。お前は……。以前の私を……お前は、知って……」
体の芯が冷えていくような感覚。だから声も満足に出なくなっていき、途切れてしまった。
脅威ではなく、恐怖。これは、純然たる、心の震え。深淵から覗き込まれるかのような。一方的で、無防備な、そんな状態が、堪らなく、恐ろしいのだ……。
「……」
言葉が出ない。口が動かなかった。
先ほど投げかけようとした問いの答え何ぞ、期待してはいない。それを言い終えた後に、こう言おうと思っていたのだ。
早いとこ、どうすれば私の前に姿を現すか条件を言えよ、と。そうして、この心を逆撫でされるかのような遣り取りを終わらせたかった。
「【条件は2つ。1つ。目の前の存在を、軍対軍の戦いで無力化せよ。尚、今回は引き分けは許さない。彼を無力化できても、君が致命傷を負っていればそこで終わり。得意の捨て身は使えない。そして、2つ目。それは、君に以前出した問に対して答えよ。この、1つ目の条件を達成できたら君の答えを聞くとしよう。では、精々、足掻きたまえ】」
奴は私の心を読み取ったかのように、全く口にできなかった方の疑問にだけ答えたのだった。
そして、それは紫の化け物の稼働の開始の合図でもあったらしい。
50メートル先の私の打つべき相手が、紫の光を点滅させながら名乗りを上げた。
「わ”で、"軍略の悪魔"。ある"じでぃのめぃに"じだがぎぃぃ、おばべぼぉ、あ"っどぉうずぅでぶぅぅぅ」
自身の名称だけ、はっきりと、靄の悪魔と同じ声で述べ、あとは、元のぐちゃぐちゃな声だ。
そして、言っている台詞は至極、その見掛けとは違ってまともなものだった。
恐らくこう言っているのだろう。
『我、"軍略の悪魔"。主の命に従い、お前を、圧倒する』
脳筋の、知性なき獣の類ではなく、知の一分野の名を冠する悪魔。そんな、悪魔との、軍略合戦が、今、始まるようだ。
開幕と同時に、悪魔がその身に宿す目がけたたましく点滅し始め、私は自軍の駒に呼び掛けを行うために、息を大きく吸う。
間に合うかは分からない。だが、やるしかない。
このような平地では、純粋に、武略、戦術が物を言う。勝てる筈はない。兵数は同数。装備も同水準。互いに、兵は見たところ500程度。
なら、指揮官の采配の差が勝敗を決める。つまり、このままではどう足掻いたところで私に勝ち目はない。そう。こ《・》のままでは。
それ以外のところで、勝負するしかない。つまり、盤外で。勝負が形になる前に、成立してしまう前に終わらすしかない。
だが、一つ前の世界での最後のようなパターンは許されていない。今回は条件があるのだから。
仕切り直しなんてやられてしまえば、終わり。奇襲、不意打ちの類とは、それが常道ではないからこそ通じるのだから。そして、きっと、軍略なんて二つ名を持つ存在にとって、それは結局常道の範疇だろう。
本当に、唯、勝つ為に仕掛ける奇襲なら、な。
悪魔の命令伝達方法は、きっと、強出力の紫の光。だから、猶予期間の点滅が終わる前に!
「こんな、平坦な地で大軍によるぶつかり合いぃかぁぁ? そんな、下らない、単調な、争い、何になるというのだ? 地形を形成し直せ、今すぐに。山あり谷あり、森あり、川あり、崖あり、荒野あり、沼地あり、熱々しい熱帯域あり、じめじめしい湿地帯あり、寒々しい寒帯域あり、湖あり、全部! 全部だ、全部。ありとあらゆる多種多様の地形へここを変えるのだ」
大仰に、体全体を使って、煽るように叫ぶように訴える。空の向こうにいる靄の悪魔へと。
そして、すぐさま顔を下ろし、前を向く。
少々きついが、声を張り上げる。
「"軍略の悪魔"とやら。君も、この地形に不満を感じていないのか? こんな場所では、軍略の勝負にはならないぞ。兵数は同じ。装備も同じ。練度も同じ。そして、この平地。分かるだろう? これだと、唯の駆け引き一つで、終わるぞ。一瞬だ、一瞬。たった一つの単調な命令一つで、それを先に命じるか命じないかだけで、全て終わってしまうぞ。そう。全軍、突撃ぃぃぃぃ」
間に合え、間に合ってくれ。先に動けなくては、欠片の勝機すら無い。勝率ゼロからの私の負けが待っているだけ。
私の後ろに正方形の初期陣形で並んでいた人形兵士たちが、全員、私を避けつつ、真っ直ぐ、敵軍へ向かっていく。
そして、私側の兵はすり潰されるように減っていく。至極当然の結果が紡がれていく。
200を切った、か。無駄にご親切に、壊れて無力化された人形は、赤い靄で数字を浮かべてくれるようだ。残り兵数の残数を数字として浮かべ、消えていくのだ。
敵側の兵が溶けたときに浮かぶ数字の色は緑色。丁度今、敵側は残兵力450になったか。
当然の結果。勝負にすらならない。それでも私は止めない。命令を撤回しない。このまま、私側の全兵を私は溶かすつもりでいる。
そして、戦いが始まって、数分もしないうちに、私の兵は全て溶けた。私側の残兵力0。敵側の残兵力449。
そう。自滅。計画的自滅。それが、私が今回取った、奇策。
「お"どがぼどべぇ"。だでぃがい"い"どごずごどばぁだい"ばぁ"」
私は彼の駒たちに槍を突きつけられていた。その後方の彼が今、聞き取れないほどひどく濁った声で、私に何か言ったところである。
分からない。全く。何と言われたのか。そして、私の奇策の成否も。
今の彼の声はとても、言葉として認識できなかった。とはいえ、この場面で言う言葉など、限られているだろう。
だから、こういうことにしておこう。どっちにしろ、彼の言葉が何であるかなど、関係ないのだから。
『愚か者め。最後に言い残すことはあるか? 言えぇぇ!』
煮詰まらない、つまらない私に対し、そう言ったということにとりあえずして、私は口を開く。これさえ通れば、何とでもなる。私の持つ、至高の武器それは、その知恵から発想から紡ぎ出される言葉だ。
「少々長くなるが、最後まで聞けよ」
私は空ではなく、私の正面10メートルほど。私から見て敵兵を挟んで立つ、軍略の悪魔そのものに向かって私は声を投げかける。
それでも気付いている様子ではないため、私は直接的に、
「お前に言っているのだ。お前に。お前の主ではなく、お前に。"軍略の悪魔"」
名指しした。すると、彼は少々動揺したようで、その体中の眼を不規則に点滅させ、その肉体を、スライムのようにくねくねと、うねり変形させ、やがて、元通りに落ち着く。
反応がいちいち分かりにくい。やりにくいものだ。
「お前の主にではなく、お前自身に言いたい。こんな結果で満足か? これが、軍略といえるか? 軍略の悪魔の仕事と、誇れるか? この結果は、お前の負け、だ。何故なら、お前は最後まで私の企みに気付かなかった。軍略とは、軍の運用における、戦闘前の諮り事。お前は、私の企みに気付けなかった。思う通りに動かされた。その結果がこれだ。このざまだ。私のこの状態ではない。お前のことだ。一見すると、お前は勝負には勝った。だが、諮り事で負けたのだ。軍略の悪魔たるお前は。ふははははは。無様だな。何が、主の命に従う、だ。口だけではないか。お前は、お前の主の真意すら気付いていない。聞いてみろよ、なあ。『主よ、私は勝ったのですか?』と。勝敗はお前が決めるものではないからな。お前の主が決めることだ。私には分かる。お前は失敗ぁ……げほぉぉ……」
串刺し。
私は刺されていた。だが、それは、軍略の悪魔の兵によるものではない。私の体を貫通し、露出しているのは、軍略の悪魔の刺々《とげとげ》しい角々だ。
跳ねるようにひとっ飛び、音を立てることなく、砂を巻き上げることなく、跳ね、私の後ろに一瞬で移動し、背後から私を、頭頂部とその付近のその禍々《まがまが》しい角という角で、串刺し、滅多刺しにしたようだ。
私に最後まで言わせることなく。
ふは、は……。こ、の、愚……か、者、め。掛か……、った、な。
私は心の中でそう呟いた。体を貫く鋭い熱のような痛みに抗うように意識を何とか保ちながら。
覚悟していれば、痛みなど、耐えられないものではない。まして、この世界。物理的な損傷で死ぬことはないのだ。心さえ折れなければ。
なら、これまで通り、やり通せばいいだけのこと。痛覚がどこか分からないタイミングからこの身に宿っていたとしても、何も変わりはない。