砂砂漠 蜃気楼鐘 骨魔女王の朽ちし夢想 Ⅲ
随分、悪趣味な趣向だ。
躊躇を押し殺して、手を下せるか。それを試す為の駒なのだろう、彼女は。
私と互角の知恵を持つ相手。そんな相手に勝て、ということは、躊躇を、同情を、捨てる必要がある。目的に徹しなくては勝ち目はない。
やっと分かった。それが私に提示した問い、か。これまでの世界で私が捨てられなかった、躊躇と同情。それを捨て、自身の目的を優先することを、奴は求めているのだ……。
……。
そこまで試される謂れは無い。だから、奴の用意したであろう見えない制約を利用し、嘲笑うかのような、奴の想定外の手段で、この場を終わらせてやる。
躊躇は捨ててやる。だが、同情は捨てられない。この後骨の女王を自身の礎にちゃんと入れる。
私のやり方で、綺麗に、終わらせてやる。お前の用意した、軍団対軍団の対決なんて、やってやるものか!
これまでと同じだ。覚悟さえ決まれば、方針は決まる。方法も決まる。後はやるだけ。
私は口を開く。祈りながら。どうか逆上せずに、あの部分までは聞いてくれ、と。
「そうして貴方は唯一人、この砂漠に取り残された。そんな日がいつまでも続くかと思われた最中、貴方を陥れた者である靄に覆われた悪魔は、貴方にこう持ち掛けた」
私が始めたのは、彼女の過去、靄の悪魔によって、全てを奪われたその時を想像し、まるで見てきたかのように話す、ということ。
今のところは上手くいっている。彼女は私の言葉に耳を傾けている。沈黙する彼女に私の言葉は届いている。
右手。彼女はその骨の右手を握り込み、僅かではあるが震わせている。腰の後ろ側に隠して、密かに。
右手尺骨に現れた僅かな震えに気付いた私は、言葉を紡ぎながら、その度合が変化しないか見ている。
次を通せば、恐らく、決着は着く。通れば勝ち、通らなければ、どこまでも泥臭い、奴の想定通りの戦いが始まるだけだ。
「『貴様の世界に一人の人間が迷い込む。その者を、試せ。私の用意した制約に従って。その制約に従う限りは、どのような手段を用いても良い。貴様がその者を打ち破ることができた暁には、貴様から奪いし物のうち何でも良い、一つ。唯一つだけ、返すこととしよう。』そう言われて、貴方が願ったのは、自身の力の源であり、命そのもの。"紫の水晶球(真)"」
力無く垂れた骨の右腕。あとは、理解を示し、心の距離を詰めれば終わり。
「民も、領土も、主権も、それさえあれば再び貴方は組み上げられる。今となっては唯の夢想でしかないものが全て、永遠の幻想として、続けていけるわけだ。」
文字を新たに彼女が表示しそうな感じがして、右手の掌をパーにして立て、前に付き出すようにして制止の意を示す。
武装解除、成ったようだ。
彼女がそれを汲み取り、静聴の意志を見せたところで、続く言葉を私は紡ぐ。
「貴方はそんな、夢から抜け出せずにいる。私はこの後貴方と戦うわけだが、それでも知っておきたい。貴方の思い描く、その夢想の形を。それを見せては貰えないだろうか。今の貴方はそれができる力を貸与されているのだろう?」
それまでとは違い、一際、柔らかく、包み込むように、暖かく、私はそう言った。
私はそうして、自身の隙を晒した。
私は自陣の兵士たちの操縦の仕方を知らない。物理的な操作の仕方も、指揮の仕方も、戦略の立て方も。
こちらの兵数と向こうの兵数の比率が、凡そ23:7であり、数的には私が圧倒的優位にどういう訳か立っていることも、ついさっき気付いた。彼女は並べ方を工夫し、数を大きく見せていた。つまり、それだけ運用能力に差があるということ。
なら、これくらいの差なら、容易に埋められてしまう。負けはだいぶ近くにある。
だから、唯一、一対一で決着を付ける機会を私は延ばし、更に私の手が彼女に届くように回りくどい仕込みをする必要があった。その過程で自身を危険に晒す必要があった。だが、別にそれは分の悪い賭けではない。
十中八九、私はこの隙の間にやられることは無いと自身を持って言える。
彼女が杖を翳し、私を黒い靄で包み込む。そして、私は目を瞑る。
直接網膜に浮かぶ映像。それは鮮明に認識できる。
中の映像の様子はどうでもいい。今だけはそう思わなくてはならなかった。手が鈍ってはならないのだから。この、目を背けられない映像に、心のピントを今は合わせてはならない。
だが、彼女に、視ていない、と悟られてもならない。
映る映像を、唯の光の集合体として見て、そこに意味なんてないと強く念じる。そして、映像なんてものは、それが意味を持つ、連続する絵の集合であるという認識をしなければ、唯の色鮮やかなモザイクの連続にそれらは変わりないのだ。
とはいえ、彼女の見せた映像の概要は分かっていないといけない。だから、ピントを合わせるタイミングとその頻度が重要になってくる。時折、断片的にであるが、しっかりと視なくてはならない。
選択を誤れば、視ていないことがばれる、もしくは、没入してしまい、後の動きに響く。
光の点滅が終わった。彼女の見せる映像はこれで終わり。だから私は目を開いて、彼女を見た。
数秒、見つめあって、そして、私は微笑みを浮かべた。
「ありがとう。信じて、貴方の抱く願いを見せてくれて。戦う前に知れて、よかった……。私にできることといえば、精々、正々堂々、貴方と対峙し、全力で戦うことだけだ」
そして私は、握手を求めるように右腕を彼女に差し出す。境界の先、黒の領域にいる彼女へ向かって。
さて、どうなるか。運命の瞬間。
とはいえ、気負ってはいけない。心臓が高鳴っては気付かれる。
そう。唯、描いた絵に従うだけ。それだけのこと。何と言うことはない。
心をそう、冷たく冷やしながらも私は微笑みを維持したまま、自身から漏れ出る雰囲気が変わらないように、自然な所作を心がける。
そして――――、ザッ。
何かが砂の地面に落ちる音。私はそれが何であるか確認したいという衝動を抑え殺す。それは不自然な仕草だから。気を許している、警戒を解いている者の仕草では決してないのだから。
ギシミシ、ギュッ。
彼女は、その、骨の手で、私の腕を掴んだ。それも、両手で。少々予想外。だが、私の敷いたレールの上だ。
私はそんな彼女を強引に抱き寄せ、自身の側の領域へ。そして――――、キギュイィ、バキボキ、ガッ、バキメキメキ、ガララララ……。
左手でその首を握り潰すかのように手折り、彼女を殺した。
地に臥す、頭を除いた彼女の残骸。それを見下ろしながら、思う。
「ほら。何ということはない」
左手に握ったままの彼女の骸骨に向けて、私はそう、冷たく言い放った。そして、声にはしないが、心の中で呟く。
骸の女王。貴方は拘り過ぎたのだ。そして、変わらず、愚かだったのだ。だから、こうなるのは当然のことだった。
だが、それでも、その気持ち、分からないでもない。私にもそういった、持つものがあれば、貴方のようになっていたかも知れないだろう。動くべきときに動けなかったかも知れないだろう。そう容易に想像できるのだから。
だからせめて、貴方の敵くらいは打とうではないか。貴方から頂いた情報、その為に活かさせて貰おう、と。駒となっていた貴方に、私が最後に意味を与えよう、と。
目の前に突如現れた、宙に浮かぶ"紫の水晶球(真)"を空いた右手で掴み、空間に収納し、急速に風化していく彼女の髑髏をそっと砂の上に、置いた。
決着が付いた途端、まるで自動的に現れたかのような、台座に嵌め込まれていた筈の"紫の水晶球(真)"。ひょっとしたら、靄の悪魔は、女王との契約を守るつもりだったのかも知れない。だがそれは、今気にしても、意味のないことだ。
王冠も、杖も、放っていく。持っていきはしない。
彼女の負けの確定と同時に、兵士たちとその装備は、自陣側も、彼女のいた側も例外なく砂に還っていた。
私は砂となった兵士たちに黙祷し、そして、何とか残っている彼女の骸骨に向けて、祈りを捧げつつ、こう呟いた。
「女王よ、貴方はもう、休むべきだ」
知らないうちに現れていた延々と続いていた筈の平坦な砂の地平の終わり。長さ数キロにも及ぶその道程を私は特に何の苦難にも遭うことなく踏破した。
砂漠の出口、庭園との接続部である半円状の足場へと足を踏み入れ、橋に足を掛ける。庭園中央部へ戻る途中、台座に刻まれた文字を見た。
"love/belongingness"
愛と所属。彼女の場合その二つを合わせ、人との関わりから生ずる愛着・妄執。それが示す世界の先での出来事から、私はそう解釈した。
"physiological"、"safety"、"love/belongingness"。そして残りは、いよいよ、"esteem"の台座の先、靄の悪魔だけ。こいつで最後だ。