砂砂漠 蜃気楼鐘 骨魔女王の朽ちし夢想 Ⅱ
1対、数千。この、骨の女王が命じれば、私の命は無い。蹂躙される。それは凌辱染みた暴力になるだろうと予想に難くない。心はきっと、無事では済まないだろう。
痛みが無くとも、そう容易く死なない体であろうと、心にくる拷問というのは数多く存在する。私がそれにどこまで耐えられるかは分からないが、そうなれば、終わりを待つしかないことは間違いない。
事実上の詰みが、見えてしまっているのだ……。それでも弱気は見せられないのだ。それにこのままやられてなどやる訳にはいかない。彼女なりにも何か事情があるようだが、私にも事情があるのだ。
「勝負の形式を教えて貰おうか。まさか、ここまで来て、数による一方的な蹂躙などではないだろう。そんなことできはしないだろう? 私は最後の人形の世界で勝ちを譲ってしまったとはいえ、天秤を白に、私の優勢に、傾けた。それが実質意味を成さず、唯の蹂躙なんてあっけない終わりは許されていない、だろう? 何度もそう同じ手は喰わないぞ、私は。杖を下ろして貰おうか、女王よ」
半分嘘だ。彼女が蹂躙の指示を出すことができるなら、代償はあるだろうが、私をそれで終わらせられ、決着を付けてしまえるということだ。
全ては彼女の匙次第。だから、私はそれを彼女に気付かれないように握っておかなくてはならないのだ。
【貴方が全てを見透かしているかどうか。私には今のままでは判断できそうにないわね。だから、こうしましょう。】
そうして、私の目の前に突如ひらりと舞い落ちた、一枚の紙片。拾い上げて目を通すと、こう書いてあった。
【幼年期 無し】
【少年期 三分の一】
【青年期 半分】
【中年期 全部】
【老年期 全部】
縦書きで書かれた五行の短文。
「なるほど。あの各世代の人形世界での勝敗か。私側から見て、完全な勝利2つ、引き分け1つ、劣勢敗北1つ。完全敗北1つ。ん? 青年期は私の負けでは無いのか?」
【あの天秤は中立。勝敗を判断するのはあれの役目だったの。そして貴方に私が勝ちを譲るように仕向けようとしたあの手紙。見せた地点ではもう全て決まった後だった。ルールの隙を突けるか色々試していたのは貴方だけではないの。私もそうだった。そういうこと。】
となると、あの、靄の悪魔。この空の白と黒の靄の配置も、天秤での勝敗の判断もルールの設定も審判も、奴によるもの。
つまり、私も骨の女王も、奴の掌の上、ということだ。
最初から厳密に、決められていたのだ。勝敗についての条件は。つまり、色々と穴があったのは、全て、そういう仕様だったということ。意図的なものだったということだ。
この、私の目の白骨女王は、奴の駒。意志を持ちながらも、自由には振る舞えない、奴の制御下の駒。その姿同様、死に体だ。
なら、彼女の周りの統一感ない兵たち。そして、あの天秤世界で出現した全ての登場人物が、彼女に貸し与えられた資源でしかないとすれば……。
【そう。私は奪われた。全てを。奴に。貴方の予想の通り、こちら側にいる私の兵たちも、貸し与えられただけ。元は私のものだったというのに。もう私の王国は存在しない。だけど、貴方を負かすことができれば、それらを返すと奴は私と契約した。奴の用意したやり方に従わないといけないけれど、貴方を斃せば、全ては返ってくる。】
その骸の姿同様に、彼女には最早、何一つ残されてはいないのだ。そもそも、彼女がやり遂げても、本当に彼女が失ったものは返ってくるのだろうか? 私にはそうは思えなかった。
あの靄の悪魔は、そんな奴では決してない。
【後ろを見てみるがいい。貴方が勝ち取った分の兵が、到着したみたいよ。】
その言葉を読み終えた直後。
やけに揃った足跡が聞こえた気がした。それも複数の。数人なんて規模ではない。数百以上のものだ、いや、千は超えているか、これは。
彼女の側にいた兵士たちと同じように規則性なく、バラバラ。いや……、幼児が紛れている様子が無い。
彼女に背を向けて何度か瞬きする程度の僅かな時間で確認とちょっとした仕込みを終え、私はすぐさま振り向き再び彼女と向かい合う。
「あの天秤の上での勝敗はこういうことだったわけか。兵の割り振り。どちらにどれだけの兵が配置されるか。互いの領域を決めるだけでなく、そういう仕組みでもあった訳だ」
にしても、遠回りなやり方だ。あの天秤の上での人形の見せる夢の中での勝敗が何を齎すか、別にそれは、私に伏せておく必要のない情報では無かったのではないか。
私に対して、何がしたいのか、今一つ靄の悪魔の意図が読めない。
私を必死にさせ、私の全てを覗き見たいというのなら、見極めたいというのなら、各人形の世界での結果が何を齎すか私に提示しておくべきだろう。
なら私は、もっと手段を選ばなかっただろうし、危険を冒してでもより多くの局面で勝ちを取りに行ったであろう。
しかし、伏せた。
何故だ……。
骨の女王に積極的に天秤での展開運びに関わらせるためか? それくらいしか思いつかない。
女王からははっきりとした一本の意志が見える。定められた規約の中で立ち回り、私という用意された敵対者を打ち滅ぼす、と。その最中、どれだけ負けを、屈辱を積もうとも。
まるで、これでは私は当て馬ではないか。結局、唯の当て馬には留まらず、私は彼女の敵対者足り得たようだが。
【……。私はとある者に生殺与奪を握られている。】
女王の、表情無き顔に影が差したかのように見えた。
女王がそれを握られていることは、奴の世界へと至る台座、"esteem"の台座に嵌め込められている、あの"紫の水晶球(真)"からも既に明らか。
それが彼女から抽出されたものだとするならば、生殺与奪を握られているというのは、言葉通りだ。
「それは私に話しても問題ない内容なのか?」
分かってはいるが、そう尋ねた。教えて貰えるなら知りたい。靄の悪魔について、少しでも多く。
先へ進むなら唯の通過点にしかならない彼女から、靄の悪魔の尖兵に成り果てた彼女から、思いもよらない情報を聞けるのならば、そこに靄の悪魔の思惑が乗っていようが構いはしない。
真実と嘘は、私の方で識別すればいい。何の判断材料も無いよりもずっとましだ。
【奴というのは、この世界の上位世界の一つを支配する悪魔のことだ。その世界とは、薀蓄の書庫、又の名を、剥奪叡智の書海と言うらしい。奴は私に名を告げることせず、奴は自身がどこから来たかだけを述べて、私の世界から、一切合切を奪い去っていった。私以外を残して……。】
やけに具体的だ。そして、今すぐに知る必要のない情報だ。にも関わらず、私に言うことが許されている。つまり、言わされている。
「それなら、貴方はどうして生かされている? それだと全て奪われたことにはならない筈だが?」
最後まで聞かせて貰うために私は考え込むようにしながら尋ねた。
【あの悪魔は、私から力と所有物の全てを奪った。そして、無為に生かし続けた。貴方を試す装置として。核を取り返せば、力は戻る。奴は破れない契約を私と結んだ。ここで貴方に勝ち、私は奴の操り人形を止め、女王に戻るの。その為に、貴方にはここで斃れて貰わなくてはならないわ。】
これも明らかに、言わされている……。