唯人天秤則 青年錘問 一度垣間見たかのような未開 Ⅳ
「どうして我が元から離れる?」
父親(仮)となっているその男は余りに見掛けにミスマッチした、キーキーしたような声でそう私に凄む。凄むのだが……、その声で凄まれても……、と私は戸惑う。
それに、どうして弓を向けている? 母親(仮)……。
「どうして我が元から離れる?」
その図太い声、どうして貴方が出すのだ……。逆だろう、逆……。そんな母親(仮)から言葉と共に向けられた矢は、これまたゲテモノだった。
矢というよりも、バリスタの類にしか見えない巨大で重厚そうなそれを、到底女性とは思えないような筋肉特盛な体で目一杯引いているのだから。
そして、矢の形。
正直、これを矢といってしまっていいか、分からない。弓で引いているから矢と判断しただけであり……。いや、そんな逃避は止めるべきだ。
私の頭は受け入れたくないのだ。その光景を。どう見てもそれは、丸太というしかなかった。直径2メートル程度で、長さ5メートル程度の長さの。
一体どこから出したのだ、どうやって運んできたのだ、と突っ込みを入れたくなる。
突如それが現れたのだから。
そして、どうして、父親(仮)の言葉をそのまま、同じように繰り返す?
とまあ、ふざけた状況ではあるが、ある程度に危機的状況でもあった。
間違いなく、この両親(仮)は、この世界の悪魔が用意した人形の先の小世界の最大の脅威だ。
だが、スケールに、突拍子の無さに流されてはならない。あくまでやっていることの本質を見定めなくてはならない。
だから、こんな茶番に、用意された筋書きに、いつまでも付き合っているわけにはいかない。
眉間に皺が寄ったのを感じた。
簡単な話だ。誘導に乗るのが嫌なら、自分から動けばいい。ただそれだけのことだ。
「父上、母上。少々、何を言われているのか、理解しかねるのですが?」
だから私はそう言って、おどけてみせた。
余りに、この異様な二人についての情報が足りない。まだ、勝利条件の推測を立てることにすら足りない。だからこれは探りでもあった。
それを聞いたとたん、体色を真っ赤に変えた母親(仮)。突如焦り始め、母親(仮)に全力でしがみついて止めようとする父親(仮)。父親(仮)は即引き剥がされ、地面に転がされた。
しまった……。どうやら、私は選択を間違えたらしい……。
私は自身の軽率さを悔いた……。だが、後悔先に立たず。もう遅い。
膨れ上がる威圧感。時間の流れが極端に遅く見える。
スローモーションで、放たれる、丸太矢。それはブレることなく、弦に弾かれて発射し始め、スローモーションの世界だというのに、小走り程度の速度で、こちらへ向かって真っ直ぐ飛んでくる。
お、落ち着け、落ち着くのだ。これでは、無理やり、元の流れに乗せられたのと同義だ。予想される失敗への道筋の一つを確実に辿っている。
未だ、諦める、な……。こ、言葉、を、……。動け、口。絞り……出せ、声! ただ普通に発するだけでは駄目だ。叫ぶように、ぶつけるのだ。
だが……、
「まぁ"ぁぁぁぁ~~~~」
私は叫ぶつもりで声を上げたが、その声もスロー。大きさも足りない。言うつもりの頃場も、頭だけ出て、後は言葉になりやしない……。
どう足掻いても伝えられない。場を掌握するには到底足らない。今の態度は気の迷いだ、などと言い訳することすら叶いはしない。
脳筋……、これだから、困る……。
よりによって、二人のうち、強い側がそれなのだ。ならもう、察してなんて貰えはしない。父親(仮)にではなく、母親(仮)に察して貰えなければ、意味は無いのだから……。
跪いても無駄だ。それで事態は変わらない。なら、そんな惨めなやられ方は避けたかった。真っ直ぐ、真正面から、力及ばずやられるべきだ。
母親(仮)を私は睨む。
母親(仮)自身の行動がこのままでは無為になるということに、どうして気付けないのか、と。
頭で考えれば、この対応は、無い、と分かるだろうが……。こんなに沢山の兵士を動員し、私に会いに来たこの母親(仮)と父親(仮)の行動は一切の無駄で終わってしまうなんてことは。
そして、二人ともきっとこんなもの望んでいないだろうが。最初から兵士による包囲からの串刺しという展開にならなかったことからして、明らか。
全ての事情を直接知っている訳でもない私が推測だけでこれだけ分かるのだ。なら、二人はそんなこと、容易に分かっている筈だ。父親(仮)には多少なりともその気は垣間見える。
だから、母親(仮)の今の態度は、行動は、無い。私が彼女なら、こんな台無しは認めない。あり得ない。ん、あり得ない……?
そうか。これが余りにぶっ飛んだ、現実離れした一射だからこそ、何とかなる。
一見、関係無い話から浮かんだ状況を変える手段。それは決して無茶ではなく、自身の力で手繰り寄せられる範囲。
とはいえ、このスローの世界でこの速度だ。
チャンスは一度。
鮮明に思い浮かべるのだ。イメージ。鮮明なイメージ。尚且つ、この丸太矢以上のインパクトを放つ必要がある。そして、この場の空気を支配しなくては、第二射、第三射、があってもおかしくない。複数本の丸太が同時に飛んでくるなんてことも有りうるかもしれない。
兵士たちから槍が飛んでくる可能性もある。
この二人に与えられている役割は、私をこの、青年期の世界で敗北させることなのだから。
想像する。創造する。ここでは私は、ある種の制限はあるとはいえ、頭の中を具現化できるのだ。だからそれだけで、私は勝ちを掴める。
突如、丸太矢が一本、母親(仮)から飛ばされてきた。
だが、今の状態。スローの世界が続く限り、反応は確実に、間に合う。強く想像し、作り出す。空気の圧縮。不可視の壁のような、支える必要のない全身盾の生成。
急ブレーキを踏むように、丸田矢が私の直前で停止。
そして私はやり返す。丸田矢が通ってきた軌道を、5度程度角度を上げ、反射させるようにそっくりな軌道で返すように丸太矢を母親(仮)に向けて放つ。
これは攻撃ではない。唯の仕返しのようなものだ。それに私の手で直接触れた訳でもにない。それに、丸太矢の母親(仮)を向いている方向は、切り株のように平ら。殺傷性は、この母親(仮)に限っては無いといえるだろう。
ショックを与え、正気に戻す。そして、後は口でやりこめてしまえばいい。容易くはないだろう。それは困難だろう。分かっている。
勢いよく、飛んでいく矢。念のため、こちらへ飛んできたときの3倍程度の速度で飛んでいくようイメージした。それができたのは、まだスローモーションが解けていなかったから。この現象は私にはコントロールできない。危機に反応するだけ、だ。
つまり、スローモーションがまた解けていないのは、私はどこか、まだ、危険が去ったと判断できないでいるからだ。状況を打開できた、と確信していないからだ。
丸田によって母親(仮)を正気に戻すことができたとしても、そう私にとって都合の良い状況にはならないということも、スローモーションが解けていないことが証明しているのだ。
逆襲する丸太矢に反応され、あっさり躱される可能性がそれなりに残っているというのもあるだろうが。
飛んでいく矢の行方を私は見守る。
スローの世界。どうせ満足には動けない。それに動けたとして、動作速度は、あの二人の方が圧倒的に早い。それに、あの二人はあくまで、両親(仮)であるのだから、別に私の心は痛まない。そもそも、以前の私が授けてくれた記憶の中に、私の両親の存在についての記憶はないのだから、私は親というものについて、表面上の知識、常識的な言葉としての意味でしか知らないのだから。
そして、私の予想は今度はそう外れることなく形となった。
グゥォォォォォ、バァキブァァキィィィィビキビキビキ、メリメリメリメリ、ゴォォォォンンン!
反射するように放った丸太矢が、狙い通り、母親(仮)の手元の弓の弦から外れ、矢本体にぶち当たり、それを巨大質量と速度による強大な力によって粉々に破壊しながら突き進み、そのまま、母親(仮)の肉体にめり込み、その身を砕いていく。そのまま脇腹を貫通するには至らなかったが、それなりに大きなダメージを与えたことは間違いない。
彼女はその口から真っ青な血? を吐きながら後ろ向けに倒れていく。白目を向き、青い血とともに、吐瀉物を沸かせながら倒れていく。スローが徐々に解け、完全に解ける頃、彼女は地に堕ちた。
つまり、この上なく、上手くいった。そういうことだ。