唯人天秤則 壮年錘問 罪状なき法廷 Ⅰ
私が下で、彼らが上。
私から数歩先、数センチの一段の段差があり、そこから先の領域は、私の立っている場所より平たく高くなっている。
そこは先ほどとは別の場所だろうが、同じような白い空間だった。
円卓と椅子は消えていて、何もない空間。私と向かい合うように、中央を開けて立つ12人。6人6人に別れている。彼らは正面を見ている。誰も私を見てはいない。
私と向かい合う彼らの中央後方数十メートル先に、三段だけの、一段の高さ20センチ程度、幅1メートル程度の階段が見える。その先は階段の幅と同じ一辺を持つ正方形の足場? らしきものになっている。
すると、その足場に、忽然と、透明だったのが実態化するかのように現れた、黒ずんだ木の壇。高さ2メートル、縦50センチ、横50センチ程度。
私がそれをそう視認すると、
ガシャリ……。
突如体に重みを感じた。立っていられないほどそれは強烈であり、私は地面に押し付けられるかのように突っ伏した。
ジャリ、ギリ。
金属音とともに胸元に感じた痛みと冷たさ。
手を伸ばすことで、私はその正体を把握する。
茶色の錆びがついた黒塗りの極太の鎖が私の胸から生えていた。そのもう片方の末端は、いつの間にか壇上に現れていた、顔のない性別不明の、誰のものかも知れぬ胸像の胴体と首に幾重にもぐるぐると巻き付いていた。
油断していた……が、割といつものことだ、この、程度……。私はそうやって、平静を保った。そして、考える。
並んでいた彼らのうち、私から見て左端にいた一人が消えていることに気付く。そういえば、どうして11人しかいない筈だった彼らが、いつの間にか1《・》2人になっていた? で、また、どうして11人になった? あの中に、消えた1人が入ったのだろうか?
が、そんなことはすぐさまどうでもよくなった。更なる衝撃が私を襲ったからだ。
【では、裁判を始める。】
視界が少しばかり暗くなり、大きく視界の下半分に、大きくそのような文字が表示された。
放たれる威圧感から、私の視界にそれを表示したのはあの胸像であると理解する。
押さえつけるような圧力が掛かっているのは、私の背中中央辺りであり、どうにか首だけ起こして、私は地面に突っ伏したまま、胸像を見上げていた。
文字が消え、掛かった暗いエフェクトが取れるとともに、周囲の地形が形成されていく。一面真っ白で、横に長い階段の3段の段差以外何もなかったこの場所に、壁が生え、木目色に色付き、真っ白な床に柔らかな感触とともに色付き、一つの部屋として形成されていく。
そこは紛れもなく、法廷だった。 壇の上、私から見て胸像の左横に置かれた打式の鈴がその証拠。
そして、この鎖を見れば、疑いようもなく、分かる。
被告人は、私だ……。
ひとりでに鳴る鈴。
すると、私の胸から生えた鎖はすっと消えた。とはいえ、背中から抑えつけられるような圧力は解けてはいない。
鈴が止むと、文字が浮かぶ。
【かの者が有罪であるか、無罪であるか、決を採る。】
私はそれを読み、顔を青くする。不味い。これは裁判ではない。唯の曝し上げだ。形だけの、弁明なき、唯の、私刑……。
それも、私対同質の存在11人。判決を下すのも、11人と同質の者。その先を考えたくはなかった。見たくなかった。迎えたくなかった。
必死になった私は、掛けられた圧力を、身をよじらせるようにして抜け、転がり逃れ、立ちあがり、叫びながら、駆ける。
「こんなこと、成立させはしない、私は、こんな理不尽、赦しはしないっっ!」
これまでの自分とは違う声。低く、周囲にどしりと浸透するかのような声が、その広い部屋の中に響き渡る。周囲が木であるためか、反芻するかのように響き渡る。
彼らは反応を示さないが、
「決を下す者は、第三者でなくてはならない。当事者であってはならない。さもなければ、それは裁判ではなく、一方的な通告、強制でしかない。君たちの時代の悪習を、私に振りかざすことなど、決して認めないっ!」
私はそう、力強く、続けた。何も述べなければ、なされるがままだ。
あの胸像さえ壊せば、判決を下す者は一時的かも知れないが、消える。
そう思って私は胸像に狙いを定めていた。
無理やり立ち上がり、駆け出す。胸像へ向かって。
私から見て、胸像の最も右側に立っている彼らの一人と目が合った。それでも私は構うことなく、通り過ぎていく。
彼以外の者たちは、相変わらず、無表情に前を、視点を一切動かすことなく、瞬き一つせず、見つめているのみ。
私を止めようともしない。右端の彼以外には。
だが……。一人でもいれば、十分だった。今の私を止めるには。
ジャラララ、ジャリッ!
突如、再び姿を現した鎖。私の胸元にその片端を繋げた鎖のもう一方の片端を、今度は胸像ではなく、いつの間にか老獪な雰囲気を纏い、深い皺から成る愉悦の笑みを浮かべた彼が、掴んで、引っ張ったのだ。
ジャラララ……。
私は胸元を中心に強く引っ張られ、体勢を崩し、階段手前で引き摺られるように倒れ込んだ。
その老獪そうな同質の壮年11人は、同じ服装をした、同じ背格好をした男たちは、その衣の上半身を脱ぎ捨てる。
やけに筋肉質な、コロッセオの剣闘士のような筋肉隆々とした、年不相応な筋肉の鎧を露わにする。
衣の上からは分からなかったが、力を籠めると、このような筋肉が隆起してきた、ということか?
こいつらの正体……、かの、プラトン、か……。いや、だが、何故だ? 肉体以外に、それらしさは見られない。どういうことだ……。
「【無駄だ。貴様は罪人。それは裁かれるべき罪だ。だが、貴様は自覚していない、その罪を。だからこそ、貴様は、今から我らによって裁かれるのだ】」
やたらに低く、腹に響くような声が右端の彼の口から字幕と共に発せられた。
私は首を上げ、くらくらする中、彼を見る。
いや……、違う。彼らはプラトンコピーでは、ない。ガワだけだ。そこに信念は無い。意志は無い。言わされているだけ。予め決められた通りに動いているだけ。
やはり、変わらない。人形のようだという印象。となると、こいつらの正体云々《うんぬん》は引っ掛けでしかない。こいつらの説得は課題ではない。この部屋には出口が見当たらないことからも、この部屋からの脱出が解かなければならない問題ではない。
これまでのものは、たった一つの気付き、それか、状況からの脱出。それが、達成すべき条件だった。
なら、今回はどうか? それに当て嵌まるのか。はたまた、完全に別の趣向なのか?
何れにせよ、こんな状態では何もできはしない。
先ずは、拘束から逃れなくては。
とはいえ、物理的な反抗によっての打破は叶わないだろう。機が訪れるのを待つしか、それまで耐えるしか、永らえるしか、ない。
胸元の鎖と、筋肉隆々の壮年共を交互に見ながら、取り敢えず、肉体的な抵抗はしないということだけでも示しておくことにした。
私は暫くじっと、筋肉質の壮年共と目を合わせたまま動かず、拳を振りかざす、立ち上がり駆け出すといった抵抗の意志がもう無いことを示した。
目つきも険しい状態から緩めた。諦めを演出したのだ。
どうやらそれは通じたようで、右端の彼は鎖を手放した。
ジャリリ……。
地面に音を立てて落ちた鎖は、すっと消えた。
「【元の位置に戻れ。そして、動くな。そうすれば、鎖は貴様を犬のように這いつくばらせはしない】」
それを聞き、閃く。ならば――――!
私は彼からのその指示に従い、後退した。
私が地面に伏せてからの初期位置まで移動すると、私のいる場所だけを除いて、地面は突如現れた薄褐色の絨毯で、一瞬で敷き詰められた。
わざとその場に平伏す姿勢になる為に、しゃがんだ姿勢になったところで即座に立ちあがり、
ジャラララララ!
来た、か! 分かっていれば、先手は取れる。この端は何処と繋がっていると思っている。バカめ。
勢いよく駆けだす姿勢になりながら、胸から生え、右端の男の手をぐるぐる巻くようにと繋がっている鎖を掴み、力一杯振り回しながら、左へと、振り回るように、
ブゥオオオオオオ、ベキチチチチァアアアアア、ゴォォォォンンンンンン!
全員薙ぎ払いつつ、胸像ごと、ぶっ飛ばした――――筈だったが、左から6人は、全員で協力し合うように、鎖の進行を受け止めていた。
目的の胸像は、左の壁面へ向けて吹き飛ばされ、砕け、赤黒い何かをだらりと流していた。右側6人も、その周囲に激突し、ぴくりとも動かず、起き上がってくる気配は無い。
「【貴様、ふざけているのかぁっ】」
左端の男から剣幕とともに、放出される、声と圧。強風のような圧が伏せた私のところまで飛んできて、それに触れた私は背筋にぞくりと何か冷たいものを感じずにはいられなかった。
慌てて立ち上がり、気を付けの姿勢で、直立不動となり、前を向く。視界に入る、傾いた何もない、壇。
ボゥッ!
その何かに炎が灯るような音と共に、左の壁近くの床で赤黒い液体を流していた胸像が、再び壇の上に乗った。
半壊状態のそれは、割れ目から赤黒い血のようなものをだらりと流し続けている。そうか、あった。この議論を終わらせる方法が。