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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第四章第四節 砂砂漠 識別不能な問いと正誤不明の解答
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唯人天秤則 壮年錘問 不可視心縛鎖 Ⅱ

 しまった……。言い終わって、そのことに気付いた。


 流された……。


 今回、彼にスーツについて解説する際の説明の手法。それにはサンプルがあった。以前の私が遺した、学者らしき女性が、学生に何か専門的なことを懇切丁寧こんせつていねいに説明する様子を第三者視点で見た映像だ。


 今回は、その情報を消化するだけの時間が無かったため、私はそれを頭の中で再生しながらしゃべっていた。


 それに流されるかのように、そこに出てきた学者らしき女性が最後に学生に向けて言った言葉、を私はそのまま、口にしてしまったのだ。


 それが不味いことなのは、考えるまでもなく、明らかだ。私は自身の名前を知らないままなのだから……。


 相手に名前を聞いたということは、聞き返されるということ。


 そのとき、私はどう答えればいい? どう名乗ればいい……? 仮名など、これまで必要なかったから考えすらしなかったというのに……。






「《ピィィィィー》という者です。私それなりに名は売れていると自負していたのですが、実はそんなことはなかったということですか……」


 しょんぼりとかたを落としながら、彼はそう言った。名前に相当する部分にモザイク音を掛けて……。


 どう返せばいいか分からない。名前にモザイクがかかるとは、どういうことだ……。それは、明らかに電子音であったが、この部屋に電子機器の存在は見当たらない。それに、その電子音に方向性は無かった。どこから聞こえてきたのか、全く分からなかった。


 それもすぐに気にならなくなる。


 頭の中で、反(すう)される。


 いよいよ、来るぞ。聞き返されるぞ、尋ねられるぞ、自身の知らない自身の名を……。もう、猶予は無い。私の名は一体、何だ……?


 だが――――彼は質問を返してこない。来るべき質問が飛んでこない。数十分程度、私は頭を悩ませながら、彼の返しの一言が振り下されるその時が来るのを恐れていたが、結局何も起こらない……。






 彼から、私に対して名前を尋ねることは無いと分かった。


 さらに、駄目押しで、彼の顔を再び覗き込む。反応は無い。


 沈黙は肯定。


 自身の中の緊迫感は霧散し、それに合わせて息をいた。そうして、落ち着くと、答えに行き着いた。非常に簡単な答え。


 分からないなら、取り敢えず、名乗る用に仮で構わないから名前を付ければいい。だが、以前の私の名を、自身が考えた安易な名で上書きもしたくない。


 だから、私から見て、明らかに仮名といえる名を自身に付けることにした。


 "権兵衛ごんべえ"


 それは、日本人であれば必ず知っている名。そして、古代ローマではおそらく使われていないであろう、古代ローマから見たら、未知の未来の異国でよく使われたとされる仮名。


 異国でよく使われる名であるとでも説明すれば、私にとっても彼にとっても、問題はない。


 余裕ができたところで、再び彼の顔をのぞき込む。彼にとってこの所作が無礼にあたるかどうかは私には分からない。彼の行動から、私が知る様々な所作との関連は今一つ見いだせないのだから。


 無礼かどうかわからない行動。だからこそ、危険。しかし、その価値はある。


 彼は、脳内で深く思考する癖があるように見受けられる。数十分は経過しているだろうというのに、彼は完全に、意識ここにあらず、といった顔をまだしているのだから。


 ひどく落ち込んでいる。何故だ? 何故……。何が彼をそうさせている……? 彼はてつ学者。古代ローマのてつ学者。そんな彼ががく然とすること。彼にとって、あり得ないこと。そういったことがあったとすれば?


 その直前にあったのは私の問いかけ。


 ……。いや、まさか……。


 彼の名を私が知らないことが、彼にとって、あり得ないこと、なのか……? つまり彼は、それだけ有名であり、異国の者であろうが知られていないなんて、あり得ないこと。


 私はしょんぼりしてうつむく彼の顔を、今一度記録された知識と照合する。彼に相当するちょう刻は無いか、と。


 ……。無かった。






 名前にモザイクがかかるということから、やはり、それなりに有名もしくは、ちょう刻やしょう像の残っていないてつ学者という線も十分にある。それか、てつ学者ではなく、政治家など、他の分野の著名人では?


 そう思って再び照合してみるが、かすりもしない……。


 初対面の者に名前を知られていないだけで、これだけ落ち込むなど、有名であることは間違いない。そして、これが演技にも見えない。


 となると、古代ローマの著名人の知識と人格を持たされた、別の誰か、ということか? そして、名前が知られると、私が安易に対策を取ることができる相手ということだろうか?


 意味無く隠し、私を迷わせる意図なのかも知れない。


 ……。


 結局のところ、余計に分からなくなっただけ。彼の正体がかすんだだけ……。


 異世界とか異次元とか平行世界とかのてつ学者であるかなぞは、考える意味すらないし、どうでもいい。知っても事前の対策は取れないのだからそういう場合は除外しても問題はない。


 私が絞り込まないといけないのは四つの中から一つを選ぶこと。彼が本物の古代ローマ人かつ名高い者であるか、誰かの演技か、変装か、そのどれでもない、か。


 そして、後に控えるここでの試練。


 彼が勝負を挑んでこないところからして、1対11という最も最悪の線は消えた。そして、恐らく、あと10人、ここに現れるだろう。


 こんな、形式ばった席。空きがあるまま戦いが始まるとは到底思えない。


 そして、この、1人目の彼のように、こんな感じでこの後続々と出てくるであろう異なる10人から、できる限り情報を読み取り、彼らの立ち位置を探らなくてはならない、ということだ。未知の試練に向けて。


 気が付いてみれば、これまでとはずい分違うしゅ向であるようだ。


 が、新鮮だ。心躍る。きっと、楽しいことになりそうだ。これまでとは違う、完全な意味での、純然たる口での、言葉での、頭脳での戦い。それも、場合によっては、私が誰かと組んだ上で挑む、複数人対複数人の戦い。


 それを想像し、私はにやりと口を歪ませた。






 時間は過ぎていく。予想通り、続く者たちが現れていきつつも、無為に。特段何もそれ以上情報を得られなかったからだ。最後の空席がまる寸前であり、恐らく、試練が始まる直前だというのに。だが、それよりも、私は別のものと心を戦わせていた。


 それは、いら立ち。


 私はそれを抑えることもせず、12の席の背の側面に手を掛けて立っている11人目をにらみ付ける。それは当然のことだった。


「貴方、奇妙なかっ好をしていますね? それどうなっているんです?」


 ……。


 私はその問いに、1人目からこの11人目まで続く、一言一句違わない全く同じ質問に、答えない。


 それでも大して影響が無いことは()()分かっている。






 1人目から11人目まで、ほぼ同じような容姿の年老いた、壮年の男たち。全く同じといっていい服装。似たような背格好。わずかな違いしかない、見分けがほぼつかない顔。同じ口調。同じ言葉選び。


 起こす行動が少し異なるのは、私が彼らにした対応による違いだろう。私がどのような質問をしたか、質問をしないという場合も含め、彼らはそれに対して、決まった対応を見せた。


 1人目との会話を終えてしばらくして現れた2人目を見た地点で、1人目とうり二つなことから双子かと思ったが、そうではないらしかった。赤の他人のようであり、2人目は1人目を一瞥いちべつすらしなかった。まるで、2の席に座った1人目を認識すらしていないかのように。


 少なくとも私にはそう見えた。


 それについて尋ねなかったので、実際のところどうなのかは分からない。それは今も続いている。


 彼らは、私以外認識していない、かのように振る舞っているのだから。


 2人目は1人目にではなく、私に話しかけ、1人目と同じように質問してきた。だから、双子でも知り合いでもなく、赤の他人、ということだと判断した。


 このときは偶々かと思っていたが、続く者が現れたところで、彼らが私しか認識していないという考えに至った。


 現れた3人目。既視感を覚えた。ローマな壮年である彼は、子を引いて立ち上がり、私に近づき、ぎょろりぎょろぎょろ、じぃぃ、っとめ回すかのように私を観察し、そして、こう言ったのだから。


「貴方、奇妙なかっ好をしていますね? それどうなっているんです?」


 私は二度目の遣り取りではあるが、それに対して丁寧に答える。2の椅子の1人目は、全くそれに反応を示さない。固まったかのように身動き一つしていないことに、このとき気付いた。


 そして。


 2人目は、1人目が座っている2の椅子を素通りして、3の椅子に座ったのだ。私の横の、彼にとって空いているように見えるはずの席ではなく、一つ空けた席に。


 3人目、4人目、と、重複することなく、時計回りに席についていく彼らを見て、こう思った。


 何か、おかしい……。














 で、最後の1人、11人目がやっと、今、席に着こうとしているのだ。


 1人目の後、2人目から11人目までほぼ同じ、会話というより、作業といったほうがいいような遣り取りが繰り返されることとなり、私の苛々はかなりのものとなっていたのだ。


 最初はわくわくだった私の気持ちは、既視感を感じ、違和感を感じ、それを何度も何度も味合わされ、それは薄れ、代わりに、苛々が募ってきた。


 とはいえ、消極的にしか、中途半端にしか、その怒りを出すことはできなかった。せいぜい私がした八つ当たりというのは、6人目の地点で、怒りが漏れ出て少し手が出たのだが、そのときに彼から感じた不気味さ、虚無感とでもいえばいいのか。そのせいで、手を出すのはやめた。その後は、彼らの問いを8人目以降、無視したことくらいで留めた。


 得体の知れない不気味さが、私の中で最も大きな感情だったのだから。






 そして、今に至る、というわけだ……。


 私は心の中で頭を抱えた。


 11人の同一の人間? そして、彼らとの議論? 何だ、これは……。こんなもの、意味が無いではないか……。


 議論するなら、どうして、同一の11人を用意した? いやそもそも、ここでこの後行われるのは本当に、議論、なのか……?


 違う!


 周囲を一瞥いちべつする。席に既についている1人目から10人目までは、真っ直ぐ背筋を伸ばして前を向いた状態のまま、相変わらず身動き一つしない。異様な光景……。


 異様……。そう確信し、不気味を通り越して、恐ろしくすら感じてきた私は、6人目の対処時。私は彼に突っかかった。


 彼の胸元をねじり上げるように絞め上げ、苛々《いらいら》をぶつけつつ、色々と尋ねたが、彼は苦しむことも、痛がることもなく、私に対して抵抗せず、不思議そうに私を見つめていた。


 そのひとみが不気味で、まるで自身の中をのぞかれているかのような気分になって、ぞっとして、私は手を放した。


 6人目に怒りをぶつけた後、動かない1人目から5人目までに一通り触れてみたり話しかけてみたりしてみてはいたが、反応は返ってこなかった。それについて、唯一動いている6人目に尋ねてもどういうわけか、無視される。


 そして、そのひとみには意思が籠もっていないことに気付いた。


 その地点で、彼らが意思を持った人というより、特定の役割を持たされた、演じさせられた、人形であるという仮説を立てたのだ。


 そして、それは12人目の対処中である今も変わらない。だから私は半ば、投げやりだった。


 この後にこれまでとは全く違う、入り乱れた、それでいて、徒党を組んだ頭脳戦が待っていると思っていたが、それは砕け散った。そんなものは、あり得ない。そう思えば、熱も冷める。もう、どうでもよくなる。唯、人の形をした全く同一の人形共の相手を、私はさせられているのだから。もう終わるとはいえ、欝々《うつうつ》しい。


 私は今、ひどく難しい顔をしている筈だ。苦しそうに、うなる心が、声になっているかも知れない。


 苦悩して。わざとらしいくらい、それを態度に出したのは、最後の、淡い希望。私からの彼らへの干渉。もしかして彼らが、最初に思い浮かべた通り、私を熱くさせてくれる障害なのかも知れない、と。


 だが、やはり事態は変わらない、か……。


 相変わらず何事も無さそうな彼を見て、虚しくなった……。


 11人目が12の席に着いた。これで、私を足して、12人。


 すると、目の前が急に真っ白になり、それが明けると――――私は同卓していた1()2()人と向かい合って立っていた。


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