唯人天秤則 壮年錘問 不可視心縛鎖 Ⅰ
また、このパターンか。
密室。閉鎖された空間。
そこは、白い壁が四方八方を囲う場所。
そこは、それなりに広い、1つの部屋。床から天井までの高さは4メートル程度、縦10メートル程度、横10メートル程度の、直方体の部屋。
出入り口はない。窓一つない。照明は見当たらない。周囲はくっきり明るく、その明るさにばらつきはない。一様にどこも明るい。
部屋の中央に置いてある半径2メートル程度のざらつきのある白い円卓と、やたらに背もたれの高い、白い岩石でできた椅子が並んでいる。
一見、そんな、白一色の明るいだけのこの部屋には、影が全く見当たらなかった。物影も、私の体の影も、一切。
そして、部屋には私以外誰もいない。
この場所は一体何処なのだろうか? 何のための場所だ?
最初に思いついたのは、ここは会議室ではないか、ということ。
円卓がその根拠である。机には一切の沁み・汚れはない。飲み物などは当然、置かれていない。どころか、何も乗っていない。
円卓。それは複数人で卓を囲むためのもの。食事をする場所でもないのならば、ここは会議室である、と私は判断したわけだ。
だが、すぐさま気付く。そう。この部屋には私一人。それでは、会議なぞ、起こりえない。私一人で、一人会議?
……。そんなもの、会議とは呼ばない。
他に考えも思いつかなかったので、もう少し詳しく部屋の中を調べてみることにした。最初に目についたのは、円卓。とはいっても、この部屋には円卓と椅子しかないが。
……。
上の面は先ほど調べたので、下に潜り込んで裏面を調べてみたが、特に何も無かった。
次に、椅子。
その個数は、12。12といえば、時計の数字の数、1ダース=12こ、1年=12ヶ月、トランプの女王、欧州旗、十指プラス足二本、十二支、十二単衣、1オクターブ=12音(平均律において)、オリュンポス十二神、十二使徒、聖数。
そして、あとこれか。"fully enough extra"。"余分なほどに完全に"、か。ダースや、月カウントなど、1から12までで一桁を現していた(12進法中心だった世界の)名残だろう。きりがいい、とか、そういった感じのものだろう。英語圏で10のことを2足らずというのも関連事項だろうか。手の指の数に足2本加えて、12。
"fully enough extra"。十分過ぎるという意味合いで使う、十二分、おそらく、これが対応する日本語だろう。
だがまあ、今はこう訳すべきだろう。
"過剰"。
人一人に椅子12個は過剰。
それと、この演出。これらの椅子の背もたれの裏側に横線状の傷が刻まれていることに私は気づいていたから。
時計回りに、私が今手を振れている椅子から、その傷の数は、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12。そういうことだ。
考え過ぎ、だろうか……。唯の椅子の数と、それに振られた番号。たったそれだけのものに意味を見出そうとし過ぎだ。何から何にまで、意味があるとは限らないのだから。
ついでに、部屋の壁面と床も調べ、隠し扉や隠し地下通路といった仕掛けも無いことを確かめ、それから私は、1の椅子に腰掛けた。
見掛けによらず、その椅子は軽かった。私が座った拍子に少しずれ動く程度には。そして、座面は見掛け通りに硬いにも関わらず、座り心地はどういう訳か悪くない。
私は背もたれに体を預け、何者かの来訪を、ただ、待つことにした。
きっと、誰か現れるだろう。誰かと呼べるものではないかも知れないが、何か、が。私を試す何か、が。
私が席に座ってから、数分程度しか経っていなかったが、何処かしらからか、忽然と、物音すら立てずに現れた、視界に映ったそれは、見たところ、人の範疇に収まっているように見えた。
「ん、ここは? あ、こんにちわ」
見掛けからも、声からも、人間の雄であるということが分かる。
体格や顔の造形などより、彼の服装と髪型に私の目はいった。それは、彼を見たときに浮かんだ印象によるものだ。
「こんにちわ」
私は、2の椅子の傍に、突如ほわりと現れた古代ローマの哲学者のような服装をした壮年の男にそう挨拶を返す。
古代ローマの哲学者の意匠・符号を、とってつけたかのような服装と髪型。それでいて、どういう訳か、彼の口から出る日本語。
色々と疑問も沸いてくるというものだ。
それを整理する時間が欲しかったが、彼が開幕発した疑問に対し、返答しないというのは、コミュニケーションとして、違和感あるものになってしまう。
ここがどこかは私にも分からないので、彼が最初に発した疑問にしっかりと答えられる訳もない。
「ここが何処かは私にも分かりかねます」
申し訳ないとか、そういった言葉は付け加えない。質問をこちらから投げかけたりもしない。そもそも、彼が、私に対して、敵対、中立、友好。どれを取るかはまだ分からないのだから。
ガタリッ。
ローマな壮年の男は椅子を引いて立ち上がり、私に近づき、ぎょろりぎょろぎょろ、じぃぃ、っと舐め回すかのように私を観察している。
それが不気味だった。椅子の音が、その見掛けとかけ離れているほど、軽いものだったということなど、すぐさま頭から薄れてしまうほどには、
私は身構えるが、
「貴方、奇妙な恰好をしていますね? それどうなっているんです?」
そんなことに意味はなかったらしい。唯の好奇心というわけか。情報を提示してくれたのはありがたい。
彼は首を傾げながら、年不相応な無邪気な顔をして、私の服装を観察している。
どうやら、私自体を観察していたのではなく、この服装が気になったということらしい。……。ん? スーツなんてものを知らないとか、まさか……、本物、か? 本物の古代ローマ人か? とはいえ、彼は日本語を使っているように聞こえるが……。
自動的に変換されているだけなのか、本当に彼が日本語を使っているのかは判断がつかない。
だが、彼が本当に古代ローマな、私の記憶の中にあるような哲学者像そのもののような存在だとすれば、ここで試されるであろうことからして、非常に不味い。
古代ローマ。そこは、哲学の、議論の、史上最大のメッカ。そして、彼が哲学者だとすれば、その道の、"達人"ということになる。
私以外の存在が現れたことから、ここで行われるのが議論であるという予想はより確実になったと見ていいだろう。とすれば、最悪、私対彼ら全員の連合との対決、1対11なんてどうしようもない展開も考えられる……。
……。確定した訳ではない、未だ。そう悪い方向に考え過ぎる必要は無いのだ。それに、そろそろ、された質問に答えておいた方が良さそうだ。
だから、説明することにした――――のだが、ふと、気づいた。どこからどこまでどう説明することを、私は求められている……?
スーツの原型となったものが出現し、今の形になるまでの歴史、他の派生形、そういった背景まで答えるべきなのだろうか? そして、彼がどれ位の深度での答えを求めているのか、どれ位の深度の答えを示すべきなのか、……、いや、そんなに考え込むようなことでは無い。
こうやって、考え込んで、彼を待たせる時間もそろそろ、限界。だから、こうしよう。
「スーツ、というものですよ。知りませんか?」
いきなり長々話し始めるのは会話の流れとして不自然。だから、短くでいい。そして、これなら、相手がどこまで詳しく答えを求めているかも分かる。
「全く、知りません。そんな奇妙な服装、見たこと自体初めてです。それ、どうなっているんですかっ! 脱いで、見せてくれませんか、お願いします!」
私に素早く近寄ってきて、私の両肩を持ち、彼は至近距離で、私に、目を輝かせて迫ってきた。
どうやら、唯の興味本位での質問。それ以外の意図はないと分かった。
彼の両手をさっと払い退け、距離を取る。1メートル程度。そして、
「では、解説しましょう。成り立ちから、変遷、そして、私が今着ている形のこの衣装、スーツが成立するまでの流れを」
そうして私は、彼に合わせ、笑顔を浮かべつつも、慎重に、丁寧に、スーツを概念として説明し始めた。
首を傾げる彼に、私はスーツについて、一から十まで、知っている限り説明している。起源、変遷、そして、今の形のスーツに至るまで。以前の私が遺した知識をほぼ《・》そのまま。
少し改変した部分がある。
歴史についてである。服装は世界の歴史と大きく関わりがある。以前の私の世界において、全世界的に標準となっていたその服装の説明は歴史と絡めたほうが手っ取り早いが、そうはできない理由がいくつかあった。
彼が古代ローマの人だとすると、ローマこそ、世界最強で、最も権威ある国、ということになる。ローマ以外の国が世界を制していることを説明するのはきっと、物凄く面倒くさい。
そうでないとしても、説明はだいぶ面倒くさい。相手が全く知らないことが、説明中に山のように出てきているのだから、補足を加えながら、話はかなり長くなっている。それがもっとややこしく、長ったらしくなるなんて、御免だ。
とはいえ、歴史を完全に無視しては説明できない。
彼の興味が説明中に別のことに移ることを繰り返し、私が話すことを控えたいような情報を話さなくてはならない可能性もある。文化の違いという奴は、どこが爆薬になるかなんて、想像もつかない。時代まで違うのだから尚更、だ。だからこそせめて、見える地雷は徹底的に避けなくてはならないのだ。
そして、違和感が無いように繕わなくてはならない。
遺された知識を読み上げながら、スーツについての造詣を得つつ、私は半分嘘、半分本当な説明を何とかやり遂げた。
あっけないほど、うまくいった。どっと疲れはしたが……。
彼が素直だったというのが大きいだろう。まるで、無垢な子供のように、私の話に耳を傾けていたからだ。そこにあったのは好奇心だけ。悪意なんて微塵も無かった。
このスーツという服装について彼が気にしたのは、縫いが施されていること、ムラのないしっかりとした黒の着色、体形に沿ったフォルム、ポケットの存在、重ね着、襟の存在、革でできた筒状に縫われた紐で奇妙に括られた靴、等々。
私は彼への説明の際、ジャケットや靴を脱いで、彼に手渡し観察させたりしつつ、説明していったのもあって、かなり長い時間、遣り取りを続けていたかのように思う。
それで、彼が危険な存在ではなさそうだと私は感じた。
だからだろうか。自然と、私の口からある言葉が零れた。それは自身がごまかしてきたスーツの歴史の不味い部分を零したとかではない。だが、それは、
「そういえば、貴方、お名前は?」
ある意味、スーツの歴史の不味い部分以上に、ずっとずっと、私にとって、面倒なことだった。