唯人天秤則 少年錘問 Ⅲ
多少なりとも、怪しいと、普通、思うだろうに……。
分かっている、当然。その短絡さから、今、支配者たる少年が取ろうとしている手緩い手段からして、明らか。
こういった、苦境に立ったことが、無いのだ。彼も、その周りの者たちも。
持てる力の全てを以て、最短で不安要素を潰さないことは、油断でしかない。ほんの僅かでも、考える時間、休む時間、余力を与えることの危険を、理解していないのだ。
これまで私が戦ってきた者たちと比べ、所詮、子供、ということだ。それも、平和な世界で、危険などとは縁のないところで育った、精神的に未熟な子供。彼らの着ている服の痛みの無さと、手入れされている様子からしてそれは明らか。
支配者たる彼だけではない。ここにいる彼ら全員、狡猾さや危機感が足りない。
これまで私が原始の世界で、籠の世界で悪意や狂気塗れの者たちから飲まされた苦渋に比べればなんということもないというのに。
どうして、これでもうこいつは終わりだと私を判断し、もしもを考えないのだろうか……。
椅子ごと転がれたすぐ後に私が見せた先ほどの目付きで、彼らにとって私は危険を孕んだ存在であることは見せた。そして彼も彼らもそれを意識した筈だ。
それでも彼らは、支配者といっしょになって私を始末しようとしない。周囲にいる数人だけでもいい。同時に攻めれば、確実に私を葬ることができるだろうに。この場の同調を崩す存在を消せただろうに。わざわざどうして1対1にする?
私には、支配者の少年含めた彼らのそんな甘さが、理解できない……。
向かってくる蹴り足は、やっと、私の顔面数十センチ、足の甲が横向きに変わりながら迫ってくるところに差し掛かった。
低めのローキック。一応少々残っていた踏みつけの目はこれで完全に消えたと見ていいだろう。
にしても、蹴り、か……。何でこんな半端な手段を使うのだろう? それは、痛めつけ、恐怖させる為に選んだ方法なのだとは分かる。
最も威圧させ、恐怖を与え、屈服させるために、虐げるために有効な、正面からの攻撃を、今度も支配者たる少年は選択した。
私なら、こんな安易で半端な真似は恐ろしくてできない……。
どうして、私が狙ってそうさせたのだと、疑わないのだろう……。何故、あんなにぺらぺら、虜囚のような立場でしかない相手が好き勝手に言葉を発したと思う? 目的も無しにそんな自滅するバカに見えたのか? そうすれば、ここで冷静に、蹴りでは脅しにならないと判断し、より確実な手段を使おうとできた筈だ。
恐怖させ、屈服させるなら、そうせざるを得ないような分かりやすいものが幾らでもあるではないか。例えば、銃や刃物、劇物や針など。銃以外なら学校内にあるだろう? この学校が、私の知識の中のそれに相当するなら、あるだろうに……。
私なら、足による、私の視覚正面からの攻撃なんて、隙だらけの手段は取らない。それでもやらないといけないなら、私以外の者たち数人掛かりで、囲ませ、やらせる。
道具を使わず自分の手でやらないといけないなら、死角から不定期に断続的に攻撃を加え続ける、もしくは、視覚に映る範囲から定期的に一定に繰り返し攻撃を加え続けるか。
つまり、攻撃に対して覚悟を合わせられないことによる恐怖を与え続けるか、機械的に交渉の余地なく手加減の余地なくどうしようもないと耐えきれないとどんどん強く抱かせることによる恐怖を与え続けるか。
そういった、抵抗不可の拷問的手法を私なら、取る。その方が効果は大きい。
見える、単発の攻撃など、覚悟できる。衝撃が来る、痛みが来る、破損が来る、と、覚悟し、耐えることができる。そして、一度耐えられれば、きっと、次も耐えられる。心に自信がつくから。
私は自身の中の記憶と、原始の世界と籠の世界で受けた恐怖を参考に、そう結論付けた。経験すれば、身を以て味わえば、きっと、誰でも分かることだ。
だから、以前の私がいた世界において、世界の様々な場所で行われていた拷問は、上記の2通りに帰結する。
だが、相手は子供。そういった真理には気付いていない。だから、こんなに半端なのだろう。
そして、そこまで全部とは言わなくとも、その半分、いや、四分の一程度だけでも分かっていれば、圧倒的不利な状態の私には、一切の反撃の手段は無かっただろう。
蹴り足は、私の口から10センチ程度の距離までやっと到達した。
最初から体を縛られた状態で、自由なのは口だけ。その口も、使用する際に、発した言葉によっては暴力を浴びる引き金になる為、実のところ自由ではない。辛い目に、ひたすら耐え続ける以外、道はない。
これは、そんな感じの、肉体的にというより、精神的に苦しい、そういう展開として用意されたものなのだろう。だがそれは、普通なら、だ。温い世界での普通。
私にはこんなものは、ぬるま湯に過ぎない。きっと、そう思うのは、この世界に来てからが、ただ、酷過ぎただけだ……。
さて、蹴り足は……。まだ、か? まだ、なのか……。
少年の足の甲が私の口、2~3センチとなったところで、動き始めれば丁度いい具合になりそうなのだが、思索に没頭してしまうとそれに遅れてしまうことも有りうる。
だから、そうならない程度に浅く考えつつ、機が来るのを待たなくてはならなかった。
集中し過ぎることによる時間の流れのスローモーションに、これほどまで効果があるとは思わなかった。子供の肉体だからだろうか? こういった、出鱈目な集中力は、大人である頃よりも、幼い頃の方が働きやすいというのは私の中の知識から知ってはいたが、これは幾ら何でも長過ぎるような気がする……。
短いよりはいいが、これでは、意識の緊張を保てないのではないかと不安にすらなる。
ああ……、そうか……。
答えはまたしても単純なものだった。
これは、試練。問いかけ。だから、正答することが不可能であってはならない。正答の目が存在していなくてはならない。そうでなければ、それは問いとして矛盾し、成立しない。
天秤に乗せられる錘は、正確でなくてはならないというのと、全く同じ、普遍的な理屈だ。
この状態は脳の過剰な集中状態ともいえるのだから、こういった疑問が考え込む問題にならない……。
……。時間が余った。
過度な集中により、時間感覚の鋭敏化。それによるスローモーションの世界。コントロールできれば素晴らしいのだろうが、私のそれは、ただ暴走しただけにも思える。
もう思考は済んだのだ。ならもう、こんな待ち時間は必要ない。やろうとする動作をするだけの、体の駆動を意識して実行する時間さえあればいいのだ。
だが、結局、私はそんないい加減にはなれなかった。それこそが、私が、この少年は周りの者たちを理解できても、納得できない理由なのだろう。
確実性を重視する為に、私はスローモーションを保ち、唯、待つ。
そうして、私は、待つ。待って待って待って、……、待った。気を抜いたらそれはそれで、体感時間は元に戻り、どうしようもなくなったりするかも知れないから、そういう手も使えなかった。
そうして、時が今にも満ちようとするところで、今一度、動きを復習する。
私は口を開きにかかった。あとは、タイミングを合わせるだけ。
スローな今であれば、それは容易なことである。
後2センチというところか。
もっと限り限りまで引きつけることもできただろう。2~3ミリ、もしくは、唇の皮に触れた瞬間でも良かったかもしれない。
だが、そうはしなかった。
スローの世界。私はそれに慣れていない。この世界の中で動く感覚に慣れていない。だから、少々早めに動き始めた。
それでも、少年は気付かない。
そうして、少年は最後の、退くチャンスを、逃した。
ゴキィィィィィィィィィィィィィ!
ゴリゴリゴリゴリ、ギリギリギリギリ、
メリメリメリ、バキバキビキ、
ブチィィィ!
私は歯に、口に集中し、引きちぎるように、噛み切った。
思っていたよりも、ずっと脆い、な。彼の足の甲の皮、骨、筋。そして、私の、歯も。四本も、持っていかれる、か。
私の前歯上下、つまり、向かい合う2本組、計四本は、彼の足の脛の肉片と共に、私の口から吐き出された。
彼はたった一つ、気付くだけでよかったというのに。私がわざわざ言葉を発して、蹴りという動作と狙う場所を誘導されたのだ、と。