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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第四章第四節 砂砂漠 識別不能な問いと正誤不明の解答
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唯人天秤則 老年錘問 希薄五感幻浮水隔 Ⅰ

「ん……」


 開けてきた視界に映ったのは、開いた私の手。やけに大きい。それと、その隙間から見える、黒い空。


 そう、か。戻ってきたのだ。皿の上ではなく、中央支柱の上であるようだが。そして、失敗したのか、私は……。何が成功かも、分からないまま、ただ、何となく、失敗した。甦ってくる、終わりの光景。それは、私自身の軽率さが招いた、半ば自滅……。


 現に私はこうやって生きていて、失敗にも関わらず、消滅していない……。だから、これは、致命的な失敗では……、駄目、だ……。そうやって、自身をごまかそうとしても。


 私は目を覆って、叫んだ。


「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁっっっっ」


 初めて記憶した、痛みらしきものを反芻したからではない。恐ろしい光景が脳裏で再現されたからではない。ただ、こんなにも愚かな自分が、嫌だった……。


 だが……、終わっていないのだ。なら、続けなくてはならない……。今度は、同じことに……ならないように……。


 まだ、大丈……、うっ……、やはり、先ほどの最後によるダメージが精神に乗ったまま……か。


 私は頭を抑えながら、ゆっくりと体を起き上がらせた。


 だが、眠るには、まだ、早い……!


 気を引き締めつつ、周囲を見渡した。


 戻ってこれて、特にまだ、周りに大きな変化がないことからして、まだ終わりではないのだ。1回の失敗で終わる話ではなかったということだ。


 そうやって、再度確認し、心を強く保つ。そうすれば、精神も、先ほどよりまでは、ずっとまともに活動し始める。


 成功と失敗。どちらが多いかで判断されるということか?


 あの部屋に飛ぶ前に、床に私が並べておいた4つの人形を見る。そして――――幼年期の人形を置いた側の天秤を、見る。


 天秤の皿の周辺空域に、それは浮かんでいた。漆黒の靄を纏って。


 天秤は幼少期の人形を乗せた側に傾いていた。今は天秤の上に何一つ乗っていないにも関わらず……。






 凡そ、15度程度。それが天秤の傾きだった。この天秤は巨大。それ故に、15度数の傾きといっても、かなりのものに見える。


 きっと、この上に乗ると、更に傾くのだろう。何度まで、傾く? 45度にでも到達しようなら、きっと私は成す術もなく、滑落していくだろう。45度。坂の場合。傾斜がこの角度に相当すると、坂というより、壁に見えるそうである。


 となれば、逆側へ向かうしかない。幼少期の人形とは逆の側の天秤へ向かい、乗っかる。


 ……。いいのか、それで?


 達成条件が結局のところ、まだ分からないのだ。


 現状、途中経過を示しているのは、私がここに戻されてきた地点での、天秤の傾き。


 私が飛ばされた先の世界で失敗すると天秤は、人形の持つ重みの分だけ傾く。人形の持つ重みも、不明であるため、実質何も分かっていないにも等しいだろう。あの顛末だったのだから、最初の人形によって飛ばされた世界では私は失敗したと判断したが……。


 つまり、その結果が齎したものが何を示しているのかが、私には分からないのだ……。


 人形が飛ばす先々の世界で特定の条件を果たしていれば、さっきの世界のような終わり方であっても成功かも知れない。順当に失敗かも知れない。それどころか、この砂漠で試されていることには一切関係ないかも知れない。


 何が成功で、何が失敗か。そもそも、私に何がさせたいのか……。何なのだ、これは……。問いも、答えも、分からない……。


 私はそんな、問題の体をなさない問いに答えようとしているのだ……。そして、下手をすれば、出した答えが正しいか間違っているかすら、提示されないのではないのか……。


「私に、どうしろと、いうのだ……」


 そんな、どうしようもないことを考えながら、ひざまずきながら、うなり、両手をつく。


 唸ることすら、無駄に、無為に思え、そのまま力なく、地にした。






 上り坂になっている方の皿の上に私は乗ることにした。人形を、下り坂になっている方の皿の上に乗せるなんて恐ろしいことは到底できそうになかったから。


 上り坂をゆっくり、ゆっくり、慎重に進む。天秤は傾きを変えていくが、慎重に進んでいるため今のところは問題は生じていない。そして、横支柱の先へと到達した。


 ちょっと動くだけで、天秤が揺れ動くため、飛び降りるなんてこともできない。幼少期の人形を置くときはこんなことにはならなかったというのに……。


 これから先はもっと揺れは酷くなる。これくらいで、へこたれていては……。


 遥か下方へ広がる大地が見える。霞んで見える。


 砕け散って、飛び散るだろう。この高さから落ちれば。その前に心が折れるかもしれないが。まあ、落ちるまで保ったとしても、大して意味はない。


 砕け散って飛び散った地点で、きっと意識は保てはしない。自分というものをどうやって認識しろというのだ。そうなれば、さすがに私は露と消えるだろう。


 心が折れるかどうかの判定など、意味はない。折れるどころか、霧散するのだろうから。跡形もなく、尽きるように。






 で、酷く神経質になり、蛇のようにのっそりと、しっかりと鎖に両足を巻き付け、体重を鎖へと移し、揺れる天秤からの降り落とされそうになるほどの遠心力に耐える。


 数度しかきっと動いていない。だが、これだ。この揺れ、だ。こんなにも、大きく、揺れているように、体感しているのだ……。


 各人形ごとの世界潜入が進んでいけばいくほど、天秤に乗る錘の数は増える。なら、この先は、支柱間の移動はもっともっと、危険で恐ろしいものになる……。


 本来、人形が両皿に乗っていない段階で、揺れは僅かだった。それが、片方に錘が乗っただけで、揺れが増加している。


 私の重さでは大して反応しないはずだというのに……。


 この天秤は一体、何を測っているのだ?


 そうして思索を一旦締め括り、私は皿の上に降り立った。懐に老年期の人形を入れて。






 そうして、その人形によって送られた世界へ、ここへ至ったわけだ。


 椅子の上に座っている。


 体は動かない。


 瞬き一つできない。視線を動かすことすら、できない。


 息もしていない。だが、苦しくはない。


 心拍も感じない。


 無力に、ただ、人形のように、体の重みを椅子に預けている。


 首はそう傾いているわけでなく、正面少し上程度に私の視点は固定されていた。無色透明。そんな水の中にでもいるかのようだった。動かない体に、一切、重みを感じていないのだから。


 椅子にもう数時間はじっと座っているような気がする。


 耳に一切の音は入ってこない。耳に何か詰められているような感覚もない。時折、雑音のようなものが、途切れ途切れに、数分に数回程度、入ってくるだけ。


 それが何かは判別できそうにない。






 そう、か……。


 私は今、老人なのだろう。老人の体に、降り立っている。それも臨終間際の体に。視界左下に辛うじて映り込んでいる程度の、枯れ枝のような何かの一部。くすんだ肌色の何か。それが自身の今の腕なのだと、漸く気付いたのだから……。


 何もできない。行動は何一つ起こせはしない。端が欠け、所々白く曇った、視界に映る光景はずっと同じままだ……。


 できることは、唯、考えることだけ。これでもう確定したと言っても差し支えないだろう。各人形によって飛ばされた先では、私は、その人形の姿が示す人生の時期の人間の体に入れられるのだ。


 脳以外、何一つまともには動かないのだ……。口から言葉を零すことすらもできやしない。


 時間が限りなく遅く経過していっているように感じているから、世界がこう見えているのかも知れない。だが、それが、


 ここは、臨終間際の、幻想とも、現実とも、いえない、曖昧な、自我の世界。 






 できることが考えることしかないなら、思考は同じところを何度も逡巡することになるものだ……。


 答えのない問い。それについて、また私は考えていた。


 今の私のこの状況……。これに何の意味がある?


 何を測るというのだ? 行動を測るのではないのか? 幼児期の人形の世界ではそれを測られていたかと思ったが、違うのか?


 それとも。人形ごとに、違うものを測っているのか? だとすると、天秤を傾ける重みとなっているのは一体何だ?


 少なくとも、統合できるような、一つの物差しに変換できるような、重みへと、共通して、矛盾なく数値として変換できるものでなくては、一つの基準で合算できるものでなくては、この天秤も人形も、意味はなくなる。


 天秤の物差しは一つ。傾きだけだ。それが唯一無二の、天秤が示す指標。差。






 ここで私が示せるものなんて、だから決まっているといえる。精神。それ以外に無い。示すものの選択肢がそれしかないのだから、どうしようもない。


 あらゆる行動は選べない。


 だから、内向的なそれしか、示すことはできない。


 ここはきっと、老年期の人形の世界の中ではあるのだろうが、得られる情報が少なすぎる。変化が無さすぎる。


 ほぼ何も起こらない。


 そして、反応は返せない。


 何も示せない。


 ……。


 そうか。


 無力。


 幼少期の世界でもそのような気持ちは感じ取ったが、細かく言えば、違う。


 至らなくて、届かなくて、誰かに代弁してもらうにも、手を貸してもらうにも、伝える手段が無く、ただ、感情が渦巻くように伝染するだけ、そんな、意思無きに等しい同調しかなかった、あそことは違って――――ここでは、同調すらない。独り。孤独。


 断続的に入ってくる物音とともに、気配も感じていた。数人、手の届く範囲に居る。人が、居る。姿形は分からない。


 当然、彼らが何を思っているかも分からない。


 感じ取れない。


 実質、五感は死に体だ。文字通り。近くて遠い。遠い。どこまでも遠い。決して埋まることは無いであろう、断絶を感じる。


 そんな、途方もない距離を感じる。


 伝わらないし、受け取ることもできない。


 人は最後は独り。


 人は人の輪の中で生き、最後は孤独に終わる。


 どれだけ近くに人が居ようと、たとえ、暖かい目で見守ってくれているとしても、最後は独り。そういうものなのだろう。


 というのを、私は答えとする。


 眠気が襲ってきた。それはまどろんでしまうかのような、心地よい、体がふわふわ浮遊するような感覚。


 なるほど、正解……、か。


 私はそれに抗うことなく、心の目を閉じた。というのも、今までこの老年期の世界で目に映っていたのが、目前の風景ではなく、心象風景だと気付いたから。


 私の中の、年老いた人間についての記録からして、理解しつつも実感の沸かなかったそれを、そういうものなのだ、と受け入れる。


 達成感のせいだろうか。心に、少しずつ暖かさが広がっていくような。体を縛る重みが無くなるかのような。


 泡のように、私の意識は溶けていった。


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