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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第四章第三節 砂砂漠 ~聳え立つ旧き巨大秤~
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砂砂漠 褐色混じり石竹色 常夜の砂漠と砂色石の巨大天秤 Ⅱ

私はまず、自分から見てそのとき右側である皿へと向かった。やはりまったく風は吹かない。これほどの高所だというのに。


 天秤は私が端へと向かっていく度に徐々に徐々に、傾き始めた。巨大過ぎるため、この、片辺への移動だけで天秤が傾くとは予想外だった。


 とはいえ、大きく揺れるわけでもない。とはいえ、不味い。しがみつける場所は遠い。あの石の鎖くらいだ。私がしがみつけそうなのは。


 だからゆっくりとゆっくりと進んだ。そのうち立っているのが怖くなって、ゆっくり這うように進んだ。


 ひどく汗をきながら。


 流石にこの高さから落ちたら……。否応なくそのイメージが頭に描かれてしまう。だから、先ほどまでの余裕は私にはもう無かった。


 何キロあるか分からない、目的地の直上地点までうように進み続ける。傾きによるわずかな揺れを感じるたびに、それが止むまでじっと耐える。


 たとえ小さな揺れだったとしても、この長さだ。遠心力により、蹴り上げられる振動がある。立っているとき、一度それを味わった。少しばかり、体が宙に浮くのを感じた。それは、心が無防備に冷たい風にさらされるような、生きた心地のしない気分。


 運よく体勢を崩すことなく、当然、落下しそうになることもなかった私だが、そこで恐怖がのしかかってきた。


 この世界に来て、特に暑さなんて感じなかったのに、不安になっただけで、()()、か。


 のどかわく。頭が熱い。視界が歪む。背筋を這う寒気。胸が締め付けられる。それは、これまでの世界で体験した恐怖の中で、最も、私の記憶の中の無様に苦しむ人々のサンプルに近かった。


 これが恐怖、か。保険が無いということが、終わりが見えない漠然とした不安が続くことが、これだけ恐ろしいことだったとは……。






 何時間掛かったか、いや、何十時間掛かったか、いや、数日掛かったかも知れない……。ようやく、渡り終えたのだ。


 私は自身を投げ出さなかった。無責任に楽になる方が、私にはずっとずっと辛く、おぞましいと思えたから。


 義務感でも無く、嫌悪感で私は成し遂げた。


 だから、達成感は無い……。


 それでも、頭を止める訳にはいかない。そんな感情を心の奥底に沈め、冷静沈着に考証を進める。


 石のくさりの強度は十分だろう。一本だけではなく、数本、ぶら下げられた皿のふちの輪っかにくさりつながれ、私の真下部分の横向き支柱終端に着している。


 けずり出して作ったのだろうか、この石のくさりは。


 これだけしっかりしているのだ。皿も当然しっかりとしていて、そしてかなり重いだろう。だが、数百メートル下へとくさりたるまずしっかり延びていた。


 私は覚悟してその一本にしがみついてみたが、千切れるなんてことはなく、それどころか、揺れることすらしなかった。


 さて、では、下へ向かうとしよう。立ち止まるという選択肢は無い。そんなことをすれば、また覚()を組み立てる時間が必要になる。また、それが上手くできるとも限らない。


 ゆっくり降りるのはかえって怖い。だから、私はしがみついたくさりから下へ、速度を調整しながら登り棒を下り下りる要領で危険を感じたらすぐ止まれそうな程度の速度で、すうっ、と、皿へ降りていった。


 そして、皿へ無事着地した瞬間、周囲の風景が変わった。






 延々と続く褐色ピンクの砂の地面。周囲の背景はテレビのノイズのような一面の砂(あらし)。それらに質感は感じられない。


 ああ、これは、幻影だ。


 ただ、ここに居るというよりも、ここを一人称視点で見ている、だけ。そんな感覚。とはいえ、私は自身の体がそこにあるのを視認できた。


 まあ……、これまでも何度かあったことだ。気にしないことにした。それよりも、今私が対処すべきは、あれ。


 はるか遠くにかすむ、蜃気楼しんきろう。歪み、空に浮かぶかのように見える巨大なクリーム(ねん)土色の石()。目視で映画のスクリーンくらいのサイズ。そんな縦長の石碑


 その場で少し見上げるように視線を上方へ向けるだけで容易に識別できる級の石()と、大きさで書かれている、人外の者共が私のもう膜に映し出した字幕位の大きさの符号による横書きで連ねられた暗号。


 というのも、私はその文字を知らず、読めないのだ……。


 どうしようかと考えているところで、石()は消え、ゆっくりと周囲の風景は消えていく。地面含めて。


 そして、見渡す限り、無色透明の景色となり果てたかと思うと――――、私は気づけば天(びん)の縦支柱、塔の頂上の中央に立っていた。両手に()()握って。






 それらは、ねん土でできた人形だった。生暖かく、柔らかさがあった。少しべとりとする、油っ気のある、赤黄色のねん土でできているらしい。


 そんな人形が計5つ。細部の造形はかなり適当だった。デフォルメされており、顔部分は、人そのものというより、なんと言えばいいのか……、――――そう、人の象徴しょうちょうを示しているかのように見えた。


 それらは皆、大きさ、姿勢、重さ、が違った。そして、特徴的なポーズを取っていた。男性型か女性型かは分からない。髪は省略されていた。服も省略されていた。はだの質感も再現されていない。あくまで、簡素なねん土人形。


 一つは、四つんいの赤ん坊だろうか。全ての人形の中で最も小さい。


 一つは、赤ん坊の人形より少し大きめの、楽しそうに駆ける場面を切り取ったかのような人形。


 一つは、腕と足が他と比べてがっちりとした、凛々《りり》しく見える人形。


 一つは、はだに切り傷やへこみなどが付いた、両手で重い何かを辛うじて支える姿勢の人形。


 一つは、こしが曲がり、両手両足に屈伸させることで刻んだしわがある老人のような人形。


 だから私はこれらが象徴だと考えた。人の一生の象徴しょうちょう。一生の内、通常物心あるであろう状態を抽出したものである、と。


 順に左から並べた。それぞれ、幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期。


 そのうち私は、赤ん坊の人形をつかんだ。私は気づけばこの、今の姿形だった。幼い頃の記憶は保持していない。つまり私は、これから先も、この状態がどんなものであるかは体感し、実感することはできない、といえる。


 だからこそ、それを最初に手に取ったのだ。






 私にもあったのだろう。正確には、今の私の身体には、か。精神たる私はその対象の外。

以前の私はきっと、これを経て、幼少期というものを知っている。


 私の精神は、意識というもの、自身というものを自覚したときから、この有り様だった。経験は無かった、実感は無かった、しかし自身を形成するより代である知識はあった。自分という基準を作る材料があった。


 だが、私は、真の意味での空っぽの状態、自身の初期状態というものを知らない。それは普通、あり得ぬことだ。無意識ながらでもそれは、人であれば、幼少期を過ぎて生きている者であれば、知っているものだ。


 その当たり前が、私には欠けている。そのことを実感する。だからこそ、私の有り様は、こんなにもいびつであるのでは無いか?


 だから、これはきっと、問いかけだ。人というものの本質を問われている。あの石()の文字は読めなかった。ヒントは、これらの人形とこの場所だけ。


 私は、自身に足りないものを自覚し、つかみ、補完しなくてはならない。それができるかどうかを、あいつは見ようとしているのでは無いか?


 私があいつに挑むに足らない、というのはそこでは無いか? ……。考え過ぎだろうか……。






 自省を切り上げ、私は再びなぞ解きに戻った。


 下り階段は然として消えたままなのだから、これを使って何か示せということだろうか? 天(びん)。そして、人形――――、そうか、おもりか、これらは。


 つまり、私を測る、見せる、示す、ということ。だが、何を? 心の有りようか、いや、違うだろう。


 これらの人形の姿、人の一生の象徴を示していることから考えると、答えに辿たどり着く。


 人とは何か、人の一生に沿って答えよ。


 私に投げかけられた問いはそれだ、と確信できた。






 だが、勢いに乗って突っ走るには早い。おもりとしてのこれらをどう扱うか、という肝心なところをめられていない。


 一つずつ載せる? 二つ? 三つ? 全部? 組み合わせは? 順序は?


 石()の文字が少しでもヒントとして使えればよかったのだが……。ヒントが欲しくて、すっと件の本を出そうとしていたが私は辛うじて思いとどまっていた。


 また神を名乗る者に糸を張られる、深い所まで干渉される……。そういった漠然とした不安が頭を過ぎる。それでも本を出そうとすると、今度は、頭の中に、誰かの低く威厳のある声が響くのだ。


『操られる、ぞ』


 それを聞いて、何とか思い留まる。


 どうするか自身の頭をひねる。助けに依存してはならない。相手が私を私に取っ手都合の良い形でだけ、デメリット無しに助けてくれるなんてことは無いのだ。


 うなりりながらも自身の頭で答えをひねり出さなくてはならない。自分を操るのは自分自身でなくてはならないのだから。


 それが受難だとしても、後ろ髪を引かれる後悔を残すような決断を自分一人ではしそうでも、自力ではどう足()いても失敗しか思い浮かばなくとも、流されてはならない。






 結局、こうすることにした。


 嫌なことを、ただ愚直にやる……。それが自身の考えであることは間違いないのだから、苦しくとも実行する。


 人形は一つずつ、天(びん)の片方の皿に落とす。順番は、幼少期から老年期、という風に若い順に。そして私が反対側の皿に乗る。


 それで何か起こるだろう。そうでなければ困る。


 私は行動に移り、びくびく震えながら曖昧あいまいな予想にすがる。


 無駄に何度も何度も、天秤の上で揺れに怯えるのは御免だった。きっとあれに私は慣れることはないだろうから。それでもやるしかないのだ……。






 やっとのことで天(びん)の片端に到達した。二度目だというのに全く慣れない。先ほどよりもおびえながら渡る羽目になったような気がする……。


 片皿に赤ん坊の人形を上から落とそうとしたが、ぐちゃりと潰れそうな気がしてはばかられてしまった。


 なんでこんなことになる……。別に潰れようとも問題無いのではないか? そう思いたい、思いたいが、無理だった。


 人形が生暖かいせいだ。まるで生きているかのように生暖かいのだ……。そう思うと途端にそれを投げ捨てたくなったが、何とかえた。


 一時的な恐怖と、取り返しの付かない失敗。どちらを取るべきかなど、明白……。






 人形を片手で抱え、残った手と両足でやたら慎重に皿まで降りて人形を皿の中央に置き、ゆっくりゆっくり、大きな揺れがこないように石のくさりをよじ登っていった。


 かごの世界の終辺りから強く自覚し始めていた、自分に生まれたおく病さ加減に辟易へきえきしつつ。


 そして、赤ん坊の人形をその皿の上に置いて、再び鎖を登っていき、再び長い時間恐怖と戦いながら、反対側の皿の上に到達した私は、鎖を伝ってそこへと着地した。


 再び世界は透明になる。そして、様々な色の混ざり合ったモザイク状の巨大な波のように見える広大な光が私のずっと向こうから突如現れ、ごう音とともに押し寄せてくる。私はそれに包まれていく。


 あくまでそれは視覚効果、聴覚効果、という幻。私は押し潰されることもなく、流されることもなく、全くの影響を受けず、そこにそのまま立っていた。


 数分続いた、流れる様々なモザイク状の光はやがて収まり、新たな世界がそこには有った。


 どうやら、試練を受ける条件は当たっていたらしい。この苦行に、意味はあったのだ。少しばかり、かたが軽くなった気がした。

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