砂砂漠 褐色混じり石竹色 常夜の砂漠と砂色石の巨大天秤 Ⅰ
やがて――――辿り着いた。足音が変わったのを感じ、私は足元を見た。地面から1センチほど飛び出た、クリーム色の砂色の石の地面の上に私は足を踏み入れていた。
私が最初立っていた地点であるあの円盤とは違い、それは表面に全く砂を被っていなかった。そして、空を見上げる。
その上部が伺い知れないほど遠い、巨大な天秤が、聳え立っていた。
この足場に踏み入れるまで、大きさは一切変わらなかったというのに……。
ごくり。
私は生唾を飲み込んだ。興奮のせいか、息一つ、上がっていなかった。
天秤は、高さ数百階にも及ぶ高層ビルの如く、巨大に見えた。きっとこれが本当の大きさ。 ある一定以上の距離から見なくては実際の大きさを視認できないといった、視覚への干渉効果でもあったのだろう。
私の記憶によれば、これは旧い様式の天秤に相当する。電子の力を使わない、原始的な、しかし、それでいて、天秤としての役割は十全と果たしそうな、そんな古代エジプトの壁画に書かれた天秤に似ていた。壁画の人外が人を試す際に使った秤に。
私の位置は丁度、天秤の片側の皿の下。その巨大な影から分かる。
皿の上は遠望状態だった先ほどでも見えはしなかった。だから当然今も見えはしない。上にあるものは、上まで登らなくては確認しようがない。この周囲一帯に、あの皿の上を見ることができるだけの高さのある砂の丘は存在していないのだから。
つまり――――、登るしかない、という訳だ。
その為には、まず、あの根元まで行かなくては。
私はまた、勢いよく駆け出した。
私は天秤の中央支柱の根元に到達した。巨大天秤の支柱はまさに、塔であった。というのも、この巨大天秤、信じられないことに、石の積み重ねでできているように見えるのだ。
存在するであろう入口を探す為にその周囲をぐるりと回りつつ、考証を続ける。
薄いクリーム色をしたその支柱の大きさは、半径数十メートルの、柱というには規模が大き過ぎるものだった。
触れてみると、それが間違いでないと実感できた。滑らかな、光沢を持った、繋ぎ目や、継ぎ目や、積み目のない、磨き上げられた一つの巨石から成るかのように見えた。
無論、そんな筈はない。この塔は古びている。長い年月そこに聳えていたのだと一目で分かる。光沢がきれいに残っている部分とそうでない部分がモザイク状に存在しているのだ。
凹みといえばいいのか、抉れといえばいいのか検討はつかないが、傷が存在している。深さ5ミリ程度の傷からは、少し色が濃い別の層が顔を覗かせていた。目につく限り、最も深い傷、深さ3センチ程度のものからは、褐色ピンクの層が顔を覗かせていた。
恐らくだが、この塔の外壁は、幾重もの土の層で形成されているのだ。水で湿らせた土か、粘土を含ませた土か、粘土そのものか。そういったものを均一に張り付けて層を作って磨き、さらにその上に別の組成の土で層を作って磨き、といった作業を繰り返したのだろう。
やはり、あったか。
存在を確信していた、その塔の入口が今、私の目の前にある。
私の背丈よりもだいぶ、そう、数十センチ程度高く、横幅は私の二倍程度。そんな長方形の入口の奥は、かなり暗く、よく見えない。
窓などは、外から見る限り存在していない。中は真っ暗なのだろうか?
取り敢えず私は足を踏み入れてみることにした。
バクバク、バクバク――――!
私の心臓は、興奮で高鳴っていた。
塔の内部は、同じ大きさの直方体の、磨き上げられた赤鉄色の石が積み上げられた階段になっていた。一本の太い柱と、その周囲に巻き付くように昇り階段が延々と続いている。
ひたすら続く、螺旋の階段。それは、塔の入口すぐ右横から始まっていた。この石は僅かばかり光を発しており、そのおかげで私は先へと進んでいくことができた。
石の光はかなり弱い。外からは感知できない程に。しかし目が慣れてくれば、足元程度は確認できるくらいには強度はあった。
昇り階段だけが延々と続く。途中で部屋などはなく、どこまで登ったかの目印もない。それでも私は昇り続けた。
昇っていて気付いたのだが、この階段、全くすり減っていない。昇降による摩耗が見られないのだ。階段だけでなく、内部全体が。
これだけ長い階段だ。壁にもたれかかったり、壁に手で体を預けながら昇ることになってもおかしくない。
これだけの大きさの建造物だ。きっと、大層な量の人の出入りがあったのではないかと、最初は思っていた。
だが、そうではないらしい。
この階段は、全くといっていいほど使われていない。埃などはないのだが、そうだと私は判断した。
そういう維持機構が備わっているからなのか、私の為だけに用意された建造物だからなのか、答えは出ない。
よくよく考えると、その問いに意味は無い。
私は速度を早めた。
恐らく数十時間は経過しているだろう。
階段は終わっていた。
頂上。
風は吹いていない。
私は塔の頂点に立っていた。ぼやけて地上はよく見えない。雲なんて存在しないのに。視程ははるか遠くまでのびているというのに。
それだけ高いところに私はいる、ということなのだろう。
私が立つ、この屋上。私が今昇ってきた階段の出口以外は平坦であり、半径数十メートルの、そう、地上部分と径の変わらない真円状の平面であり、淵に柵の類は一切なかった。
地上が霞む程の高さの高層建造物、天秤。にも関わらず、地上部からこの屋上部まで、その径は一定だった。
それはきっと、私の理解の及ばない高度な技術に拠るものだろう。
……。
そもそも、ここへ昇る前から薄々、そんな感じはしていた。予備知識があるというのはいい。目の前に現れた事象を、比較して、その位階を分析できるのだから。
そんなこと、考えるようになるなんて思ってもみなかったが。私は成長しているのだ。知性が、好奇心が、感性が。
ただ、見た・聞いた・感じたものを受け入れるだけでなく、その構造・背景・意味を考えずにはいられないようになったのだから。
だから、これが如何に偉大な建造物であるのか、どれだけの隔絶した、磨き上げられた、技術と工夫と想像力によって造られたのか、背景を想像しようとしてしまうのだ。
それは、浪漫の極み。
私は息を呑みつつ、塔の天辺からの眺めを堪能し、感じ、背景を想像した。どのような人々がこれに、どのような想いで関わり、何を目指したのかを。
天秤。そんなものを求めるのは人だけ。様々なものに価値を感じつつも、その基準がまばらで、不安定で。神霊などの超常の類はそのような不安は抱きはしない。
きっとこれは、渇望の手なのだ。天へと伸ばす手。翳し、示す、価値を図る絶対的な指標。
これに関わった人々はどこへと消えたのだろうか?
私は侘しさを感じ、塔の淵で踵を返す。
天秤の両辺の皿には何も乗っていなかった。乗せるものは無いのだ。人がいなければ、秤に価値はない。それは人だけが求めるものなのだから。
ここは廃墟だ。朽ちていなくとも、意味を失っているのだから。
そう思い、階段を下ろうとすると、私の目前の階段は、すっと消えた。階段なぞ、無かったかのように、ただの平坦な足場に置き換わるかのように。
もう慣れた。こういったことには。
以前よりもだいぶ、心に余裕ができた気がする。靄の悪魔が私にした処理のおかげなのか、私の精神の成長なのか、それとも、私のまだ気づいていない何かのせいなのか。まあ、どれでも構いはしない。
さて、ここで何をさせたいのだろうか?
やはり、この天秤というモチーフこそ、最大のヒントなのだろうか? 何かを測るにこれほど相応しい概念は無いだろう。
ここから私が移動できそうなのは、天秤の両皿、両皿を吊るす鎖、両辺を繋ぐ横向きの一本支柱。都合がいいことに、横向き支柱はその上を歩いて安定して渡れるくらい平らであり、今のところ傾いていなかった。道幅もかなりある。今私が立っている真円部の直径とほぼ同じくらいの長さだ。
今立っている場所と比べて、低い位置にあり、落差は数十メートル、一度降りたら登れないほどあるのだが、その隔たりを解決してくれる足場がついていた。一定の間隔、15センチおきの、厚さ2センチほどの、私の両足の裏の前半分両方を乗せられる程度の四角い石もしくは岩の、しっかりした足場がついていたのだ。
だから私は、天秤の片皿に乗ってみることにした。それくらいしか思いつかなかった。天秤に乗せるものなど、特に何も持っていない。
これだけ巨大な天秤だ。私がどちらかに乗っかってもびくともしないと考えるのが普通だろう。私の所持品の中で最も重さを持つのは私の肉体になる。
だがそんなものには意味はない。これは普通の場合では無いのだから。測るものが唯の質量とは到底思えない。
天秤は何かを測る為に存在する。とにかく、測る対象が無い限り、何の意味もなさない。今回の場合、私がその対象になるのだから、私の何かを測る筈だ。私が乗れば、私の中の何かを、天秤が感知し、その傾きを変える筈だ。
天秤の向きは判別できない。通常左側に基準となるもの、錘という指標となる重さを持つ物体を乗せるのだが。天秤においての基準となるのがそれだ。
地上の風景を見ても、向きを仮に決めることすらできそうにない。この上でぐるぐる回ればきっともう区別がつかなくなっているだろう。