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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第四章第二節 掌の上
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書海 地上 終末の荒野 Ⅱ

 ……。


 特に夢を見るでもなく、ただ、意識を失っていただけ。先ほど起こったことすらまだ頭の中で整理できていなかった。


 それに加えて――――これ、だ……。知らぬうちに手に握り締められていた一枚の白い紙片。だが、それをすぐさま開いたりはしない。


 私はまだ晴れきっていない頭を落ち着かせる為に周囲を見渡した。

 

 目前に広がる、果て無き荒野。一周ぐるりと見渡してみても何一つ、無い。空は無く、荒野以外はただ、黒い空間が広がっているだけ。それでも周囲や荒野の表面の色や形を認識できている。荒野や私が光っているようにも見えないのに。私の周囲が照らされているようにも見えないのに。


 それでいて、荒野の終わりは消えてどこまでも続いており、この場所に来るときにわたってきた橋のようなあれも当然消えているのだから。


まるで、私の足元の荒野と、その上に立つ私以外は、()()()()()()()()、とでもいうように。


 これは、きっと、あの悪魔の、もやの悪魔の作り出した幻なのだ。そして、意識を失う前の話の内容からして、次の世界に行く前に、こいつを私に読ませたい。そういうことだろうか?


 だとすると、それが示しているのは、私がここから出る為の条件が整っていないということを示している。出る為の順路、誘導に乗っていないということを示している。この場合の誘導というのは、間違い無く、この紙片に目を通すこと。


 ここで読ませる。庭園ではなく、ここで。


 あいつがそう私にさせたいのだとすれば、これに書かれている内容は相当きな臭いものになるだろう。だがそれは、きっと、私にとって重要なものであるに違いない。私に伏せられた事情であるかも知れない。或いは、私を惑わす妄言の類?


 考えれば考えるだけ、惑うだけだ。どうせ開くしかないのだ。なら、後のことは、後で考えればいい。






 そうやって、一応心の準備を済ませた私は紙片を広げてみる。


 すると、その大きさは私の両手を合わせたてのひら程度しかなかった。やけに小さな、正方形に近いひし形だった。だが2ミリ程度の厚みがあった。厚紙といってしまっても問題ない程に。にも関わらず、この、紙粘土のような奇妙な柔らかさは一体、何だ……。


 だが、それ以上に今私が気にしないといけないのは、この紙の表にも裏にも、一切何も書かれていない、ということだった。


 また、か。


 面倒を掛けさせてくれる。未だ徒労は続くのか。無駄に知恵を試されるのか。私はめ息を吐く。


 とはいえ、もう、答えは予想できていた。


 もう紙片は固くなっていた。厚紙とまではいかないが、少々厚めの紙程度に。そして、厚さも半分程度になっていた。


 厚みの変化。つまり、側面に何か仕掛けがある。


 紙片の端に人差し指の爪を立てるように当てると、手応えを感じた。


 ペリリリリリ。


 ()()()()2枚の紙に分かれ、まるで圧着葉書の如く、その中身を私の前にあらわにする。


 文字の色はほとんどは青みの強い緑色、時々黄色、極一部赤色だった。まるで信号のような色分けがされている。


 割と読み飛ばしても大丈夫なところ、警戒けいかいすべきところ、絶対意識しなくてはならないところなどが強調されたその文章を読み進めていくうち、どんどん、気分が悪くなってきた。


 それはいら立ちによるものではない。私の心がひどく揺れて、えぐられて、押しつぶされていっていることによる、嗚咽おえつなのだ。私の心は赤い警報を鳴らしていた。






 ブゥオオオオオオオオオオ――――!


 熱気と赤い炎が私のいる場所以外の一帯を覆っていた。黄金色と虹色から成る植物を燃料にして。


 庭園へと戻った私は、燃え盛る庭園の木々を、ふん水のふちに座って見ていた。


 戻ってきたときからこうだった訳ではない。そう。火をつけたのは私だ。


 きらめく炎は、虹のような光を吸い込んだかのように、輝く。夜の星空のような庭園を、熱く、虹色をまとった燈火とうか色に照らす。


 こんなこと、本当はしたくはなかった。


 ……。


 一体、私は誰に、何に言い訳しているのだろうか……。やってしまった後、後悔してもどうにもならないではないか。それに、誰が準備した訳でもなく、これは最初からここにあったものだ。誰の物でもない。だから、誰がどうしようが問題無いのだ。


 ……。ああ、そうか。私は自身に言い訳しているのだ。本当にこうしてよかったのか、と。


 やらなくてはならなかった。やらないといけない気がした。いや、そうしないと、私が不安に押しつぶされそうだったから。


 認めよう。私は自身の心の安寧の為、こうしたのだ。


 甘美な誘因力を持つほたる色の液体が燃えて失われ、もうそれに無尽蔵にありつくことができなくなったのだということが、今更私は恐ろしくなっていた。


 もう、手持ちの布にみ込ませた分しか……。


 私はそれを空間から出した。それをつまむ手は震えていた。まるで中毒者の禁断症状ではないか……。


 ゴクッ。


 私はあふれてきた液を飲み込み、自覚した。ああ、これは、甘美な罠だったのだ、と。


 もう迷いはない。手の震えは止まった。


 火のそばまで寄る。ほたる色のしずくみたそのハンカチを、その中に投げ入れた。


 燃えるハンカチを私はぼうっとそばで眺めていた。ほたる色のしずくに最初に触れたときから、それに頼った機会のことを思い返しながら。


 一度はその警戒を、恐怖を緩め、受け入れたのに、その甘さにおぼれていた。


 そして、そんなにも心(つか)まれていたものを、あ《・》()()()()()()()()|……、あっさり自身の心境が変わり、こんなことをした。


 それが、自分でも信じられなかった。


 目の前の炎は明らかに光と熱を持っているというのに。






 庭園の木々は、一つ残らず、灰(じん)と化した。化して、すうっ、と、消えた。


 命綱はもう失った。それでも、やるべきことは変わらない。変わってはくれない。緩まってはくれない。


 光を放つのは、地面を構成する石材だけ。


 その光も、これまでよりも弱弱しくなったように見える。今にも消えてしまいそうなような程に。


 もやの悪魔からの置き手紙は、ちりとなってあの荒野で消えた。だから今は手にない。


 あの無限に続くかに見えた荒野の領域のふちが手紙の読了と共に砕け、現れた終端とそこから伸びる一本の道が現れ、そこに私が足を踏み入れたとき、紫色の炎に包まれてちりとなって消えた。


 それでも、そこに書かれていたことは覚えている。


 神を名乗る者から持たされた件の本の真意、ほたる色の液体の正体、気絶がもたらすもの、私が次訪れるべき世界のこれまでの世界とは異なる事情。


 その中で私を震え上がらせたのは、蛍色の液体の正体、気絶がもたらすもの。この2つだった。


【蛍色の液体と君が呼ぶあれ。あれは、いわば、借金だ。特定の奇跡、再生を引き起こす代わりに、君は、自由意志を代価として差し出している。徐々に徐々に、君の意志は、君に対して神を名乗ったあれの意向に無意識に従うようになる。やがて、君は、あれの従僕、いや、絶対服従の駒となるわけだ。既に奪われた権利は今は奪い返せない。進行を止めることだけが、今できる対処法。君ならもうこれ以上言わなくとも分かるだろう。】


【君は度々気絶している。先ほども私が君を気絶させた。気絶というのは、一般的には非常に都合が悪い機構といえるだろう。通常ならば。だが、今の君にとってはそうではない。ただ、都合が悪いだけではない。利点がある。無視できない大きな利点が。気絶という機構を積極的に働かせるべき利点が。】


【君は気絶することで、得た経験を自身の精神に埋め込み、処理し、無垢の精神を急速に成長させていく。それによって、君は気絶前と後とで、状況に対する対応力が上がっていったはずだ。思い上がる節は幾つもあるだろう。だが、それにも、代(しょう)は存在する。この、いじられた君の機構は、君をむしばむ。君の命をむしばむ。君の精神の耐久力を削る。肥大した精神はやがて、その重みに耐えきれず、自壊する。】


【そして、君の気絶を促進していたのは、君ではない。神を名乗る者だ。あれは、君をそうさせたかった。気絶による君自身の利点は、その為の甘いえさに過ぎない。君は気絶を避けなくてはならない。だが、必要あらば、気絶しなくてはならない。多大なリスクを背負っても、それによる成長は無視できない。そうして、君は困難を乗り越えるに当たり、最低限必要なものを確保していかなくてはならない。多過ぎても少な過ぎてもいけない。】


 そして、手紙の最後の段落。


【君は、メリットがデメリットを上回る境界を常に見定め、自身の意志だけを信じて動かなければならない。私の言葉もその例外ではない。君はおろかであることを許されない。救いの手など、君に伸ばされることはないのだと心することだ。失敗は数回は許されるだろう。だが、ゆう予はそう無い。君はここから出れば、また神を名乗る者に常に見られることになるのだから。だから君の全てがあれにつつ抜けになることはもう無い。】


【だが、そうなったということをさとられてはいけない。私も君を引き続き見させてもらう。あれは君を監視している。私は君を見定めようとしている。そのことを君は意識しておくべきだろう。今は私は純然たる君の味方では無いのだから。それでも私は、君がこの独り旅を成し遂げ、何かをつかむことを切に願っている。今はそれしか、私にはできないのだから。】


 私は立ち上がり、ほの暗い庭園から、立ち去った。


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