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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第四章第二節 掌の上
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書海 中央柱塔 館長室 Ⅰ

「どうした? もっと奥まで、入ってくるがいい」


 壮厳そうげんなやたら重々しい、威圧感のある声が、踏み入れてわずか数歩で雰囲気に呑まれて縮し、先へ進めなくなった私を誘う。


 少しびくりとしつつも、私はその誘いへ乗り、部屋の中央まで歩を進めた。どうやらここは、円柱状の部屋であるようだ。私は今、その中央に立っているようだ。周囲は白く染まっていき、前の場所並みに明るくなる。


 足元には、先ほどの場所の地面と同じような、回路状の幾何学模様が浮かんでいる。そして、床面は透明ではなく、天井も床も白い。


 だが……、先ほどの声の主は、何処だ……。私以外、ここには誰もいない。この真っ白な、半径3メートル程度、高さ5メートル程度の、円柱状にくり抜かれたかのようなこの空間には。


「ほう、成程成程」


 突如耳元で聞こえた、温度と湿り気のある、実体があり、先ほどと同じ重々しさを持つ声がした。だが、私はそこで仰天したり、縮したりはしなかった。


 これ位、予測できた展開。だから乗ってはやらない。それだけの話。


 足元に見える、私のものとは違う影からも、それは確かに今、私の背後にいるのだ。


 私は冷静さを保っていた。このまますぐさま振り向いてなんてやらない。唯真っ直ぐ、壁際へと進み、かかとひるがして振り向く。


「もうすっかり恐怖の色は消えている、か」


「ああ。もうすっかりと、な」


 思わずぼそりと声が……出た? 私は驚きを浮かべつつ、目の前の相手へと焦点を合わせる。灰色のもやのようなものが、人の形をとっていた。曖昧な輪郭だけであるが。私と目線の高さは同じ。


「声の出し方は私から君への贈り物だ。早速役に立ったようで、何よりだ。名無しの利口な皮肉屋よ」


 相手の背丈は私とほぼ同じ。体格もそう変わらないように見える。私は実体を持つ体で、向こうはそうかどうかは分からないが。


「それも、その通りだ。私は幽体とでもいえばいいのか。まあ、そういう類の者だ。それでいて、」


 もやとどろき、姿を変える。


 背丈3メートルほどの、悪魔の影の姿にもやは変わった。私が気付かぬうちに、頭に金の王冠をいただいている。


「この世界、書界、書海と言うべきか、ここを司る悪魔なのだよ、私は。"叡智"の悪魔。かつてそう名乗っていた者だ。今は君と同じように、名は無い。ふふ」


 最後、不気味に笑い、悪魔は口を閉じ、元の人型のもやへと戻った。威厳に圧され、湧き上がるつばを零れないように飲み込み続ける必要は無くなった。今すぐひれ伏したくなる衝動も共に消えた。喉の奥へと、私はそれらをみこんだ。


「私独りのみ残った世界で、そんな名に意味は無いのだから。私独りの世界では、誰からも尊重されぬ、評価されぬ、価値を見出されぬ。だから、そんなものに価値はない。だから、今の私に名は無い。付け直す気にもならない。そんなもの、無意味で無価値なのだから」


 一方的に話は進む。未だ先ほど受けた威圧によるのどの震えが残っており、声は出せそうにない。


 思考は止まっていないのは不幸中の幸いではあるが、聞きたいことすら今のところ聞けはしない。この不定形な相手がそれをみ取ってくれることを期待するしかなかった。


「では、行くとしよう。見せたいものがあるのだ。君は私が用意した順番を無視し、予想した道程を破り、ここまで来たのだから。()()()()、待った甲()があった」


 長きに渡り、だと? その表現は、ずい分頭に引っ掛かる。だが、尋ねて意味の無い無駄話を一方的にされても堪らない。だから一旦飲み込むことにした。


その悪魔は私の返答など待たず、一方的に事を進めている。私に背を向けて、何かしているが、その様子はうかがえない。


 ガコン。


 何だ……?


 スゥゥゥゥゥ――――


 床面が、上昇している? いや、部屋全体がエレベーターのように浮上しているのか。


「その通りだ。前の空間で君が使わなかった、引っ掛からなかった徒労の仕掛けと同じものだ。あぁ、のど痙攣けいれんが未だ解けていないのか。これは悪かった。何とかしよう」


 もやの悪魔は、右手をかざし、人差し指を私の指に向けた。


 フゥアアアア!


 のどに暖かみを感じる。


「さて、これでいいだろう。ついでに尋ねてみるとしよう。私たちが今、何処へ向かっているのか、分かるか?」


 喉の震えは消えた。これなら問題無く声を出せるだろう。だが、面倒だ。答えることすら面倒だ。だってそれも、徒労、だろう。


「地上、だろう。流石にこれだけ手掛かりが散りばめられていれば分かる。徒労。そしてお前は私の答えられない質問はしない。だから他愛無い」


 気(だる)さを隠すことなく答えた。ここより上に位置するものなど、私はあのがけの上しか私は知らない。そしてそもそもあの上から飛び降りる意味すら無かったとするならば、そう。答えはこれしか無かった。


「少々やり過ぎたか。謝罪しよう。済まなかったな」


 もやの悪魔はどういう訳か、私にそう謝罪した。






 もやの悪魔は私の心を一方的に読み、一方的に心の中の疑問に答える。


「何故君を試したかというと、やはり、私も未だ少しばかり不安をぬぐい去れていない。唯、それだけの話だ。これくらい、君がここに来るまでに乗り越えてきたことと比べれば細なことだろう? 体や命の危険も、何かを失う危険も無いのだから。だからだろうか。この程度では君を測れはしなかった」


 いらっときた私は、


「つまりぃい? キリリリリ」


 思わず歯を鳴らし、らしくなく相手を威嚇いかくする。


「だから、もう少しばかり、君を試さずにはいられない。今度は謝らんよ」


 そして、それに対し、調子を変えずにもやの悪魔は飄々《ひょうひょう》としているのだった。


 そして、


「く、ふふ、はは、ふははははは、ふははははははは――――」


 悪魔は高笑いを始め、


「ははははは、はははははははは――――」


 どうしてか私もられるように笑い始めたのだった。






「少々悪巫山戯(わるふざけ)が過ぎたか。話を進めるとしよう」


 やりにくい。わざとやっているのか、素なのか、どうもつかめない。


 私も悪魔も、その笑い声が枯れ始めた頃、話は再び進み始めた。


 私は首を縦に振り、続きとやらを催促する。この悪魔は話がきちんと通じる。いら立たしい存在ではあるが、まあ、かごの世界の、黒羽根と比べると遥かにましだ。


 変に歯向かわず、この者の作る流れに乗った方が楽に話は進みそうだ。不都合なところが出てくれば、そのときは乗らなければいいだけの話。そう考えると、少しばかりか心の余裕もできるというものだ。


「先ほど君がぎこちなく口にした答え。あれは正解だ。君は相手の意図を掴むのが上手いな。よくあれだけの情報から的確に答えを打ち抜けるものだ」


 す、素直に喜んで……なるものか。そうして私は素面を何とか保っていたつもりだったのだが……、


「そこだ、そこ。君は余りに空気に流されやす過ぎるのだ。少しめるとすぐこれだ。そんなだから君は、籠の世界であの双子に翻弄ほんろうされたのだろう」


 続けて言われたその言葉で私の熱が冷める。


「見ていたのか、ずっと……。何処から、だ……? いや、()()()()、か」


 一歩、二歩、後ろへ引き、目線をらすことなく、私は尋ねた。だが悪魔は、答えない。


 沈黙と緊迫きんぱくが、場を占めた。






「お前が私に、あの問いを投げかけたのか? そう、あれだ、あれ。庭園の天球面に表示させた問い、四つの世界の序列」


 待っても答えは返ってこないと悟った私は話題を変えた。核心へと迫る。


「で、答えは持ってきたのか?」


 悪びれることなく、もやの悪魔はそう言った。やはり、こうすれば乗ってくるか。誘導に乗れ。そう言いたいのだろう。


 空気が変わる。重くなる。これまでになく、感じる重圧。


 私は再び、試される。


 気付けばひざは震え、手汗は止まらず、のどかわく。もやの悪魔が少し黒く、先ほどの巨大な悪魔形態の時程ではないが禍々《まがまが》しく見えた。


 唯の恐怖だけとは明らかに違う。黒羽根が私に浴びせたきょう威とは種類が違う。格が、違う……。


 こいつは、ただ、普通に私にたずねただけ。威圧感をぶつけようとしたのではない。唯、少し零れるようにれ出てきただけ。だが、それでもそれは、無視など到底できない程に重々しかった。


 沈黙すべき、では、ない。


 先ほどの奴の力の作用から、喉は動きそうだ。声を発することは何とかできそうだ。ひ弱な声が出るに違いないだろうが。


 そうと分かっていても、返答するしかない。そうしなければきっと、()()()威圧してくることになるに違いなく、私はきっと、それに耐えられない。平伏すしかない。


 かごの世界から()()上で、これか……。これでは到底、その上、最後に待っているであろう者に私は立ち向かえないではないか……。


 こごえる……。


 指先は青紫にかじかみ、動かなくなっていた。イメージしてしまっているのだ。まるで吹雪の中、立っている無防備な自分の様を。


 振り絞るようにして、


「ま、まだ、分からなっ、……ぅ」


 なんとか、答えた……。


 私の体に掛かっていた圧が消える。


「ああ、な、成程、わ、ざと、か……」


 弛緩し、そうぼそりと私が呟くと、


「……、そうだ」


 もやの悪魔は少し間を開けて、少しうつむくように、力無く答えた。その声には、様々な感情が乗っているように思えた。それは恐らく、失意、てい観、落胆の類。何か、大きなものへの期待が砕けた、消失した、霧散した。そんな、なんともさみしい感情。


 私はそれを聞いて、なぜか心が悲しくなった。今はただ、安心し、ほっとするだけの時間のはずなのに。






 ゴンッ!


「着いたぞ、地上だ」


 悪魔はそう、再び荘厳そうごんな声で私に向けて言った。だが、周囲は未だ、白いまま。私と悪魔は以前、円柱状の空間の中だ。


「ああ、成程。あんた、」


 私はふらついた体制を立て直しつつ、


「まだ諦めたくない、のか。それが何かは、知らない……が」


 真っ直ぐと立ち、


「雰囲気がまた、ぴりっと引き締まった。何かは分からないが、私を試すのは未だ止めないということか」


 悪魔に対峙たいじする。まみえただけで萎縮するなぞ、あってはならない。それは、辿たどってきた道程と、積み重ねた犠牲ぎせいを無為にするのだから。


「はは、ふはははは。それだ、それ。その目だ。その意思だ。矛盾と不確定さからどうしてか成るその強固な意志。それが本物かどうか、私は知りたいのだ」


 周囲の壁も天井も床もすっと消え、何もない荒野と黒い背景が延々と続く場所に、私ともやの悪魔は立っていた。

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