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…そんな母に、小さな味方ができたのは、私が七歳の時。
そして、九歳の時。
妹が二人生まれて、その妹が成長すると、母は妹二人だけ連れて遠くにいってしまおうかな、と呟くようになります。
あんたはもうこの家に染まって、私の味方じゃないし、と。
…中学、高校になると、私は次第に母と心理的な距離を置くようになっていましたから、確かにそうなんです。
当時の私は、母を冷たい眼差しで眺めていました。
それでも、他の家族がいる時や外にいる時の母が天使のように優しかったのは相変わらずで、だから、こういうことに気づく人はいませんでした。
私も誰にも言わなかった。
言えなかった。
母を蔑む気持ちと、母を愛する気持ちがせめぎあっていたような感じもします。
ただ、正直、私自身も、外で笑顔で振る舞うのに疲れていました(頬の筋肉が)。
理想の母親と、礼儀正しい子。
そんな外面を保つ日々は、ぬるま湯につかっているようで…
密かに、綻びを願っていました。
…母の怒りは凄まじさを増していて、アイロンをかけている時に激昂した母は、それを力任せにぶつけたはずみで、自らの手に火傷を負ってしまったりして。
呆然と見ていた私は、急いでアイロンを台に戻しながら、母の手を冷却しました。
痛々しい傷痕は、母の手からなくなりませんでした。
…また別の日には、今も焼き付いて離れない出来事があって。
いつものように激怒してガラス棚に私を追い込んだ母の手は、私の襟首を掴んで…
母は鋭い眼差しのまま泣きながら、力を加えました。
ああ、これはさすがにまずいかも、と思った矢先、母は私から手を離して階下におりて…
私は、何が何やらよく把握できないまま、とりあえず呼吸を落ち着かせて、次の日には何事もなかったかのように振る舞いました。
この時は何故か体が動かなくて、抵抗もしなかった。
たぶん、私はこのとき…それで母の気が済むのなら、と。