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幼い頃の私にとっての母のイメージは、とにかく「力強い人」。


母方の祖父には柔道の心得があって、母も簡単な心得はあったようです。

やあ、どうりであの腕力(笑)


小学生の低学年の頃、投げ技をかけられてぐるんとなって敷き布団の上に落ちたとき、驚く暇もなかったのを覚えています。


あ、布団があったのと驚きとで痛みは全くなかったですよ。


母は怒ると(いつ怒り出すかもわからない)まず手が出る人だったので、一緒に暮らしていたときは臨戦態勢に入れるようにアンテナを立てていましたが、だいたいは間に合わなかったですね。


さすがに遠慮してくれたのか、あれ以来投げ技はなかったけれど、拳のパワー連打で追い回されたらひとたまりもなかったです。

色々鍛えてくれました(笑)


その辺のティッシュ箱から灰皿、辞典、小物。

色々ひゅんひゅん投げてくることも多かったんで、避けるのとキャッチが上達したみたい。

特に分厚い辞典と灰皿、当たると痛いし下手すると危ないから。

早くやまないかなー、とかぼんやり思いながら応戦(?)してました。

後片付けが面倒で、よく部屋が散らかっていたなあ…

片付けているとまた怒号が飛ぶっていう。


昔は一人部屋とかもなかったので、避難場所はトイレでした。

鍵があるのはそこくらいだったから、とりあえず逃げて鍵しめて背中でドアをおさえながら、鍵が動かないようにそっちも手でおさえて…

向こうが根負けするまでこもっていたこともありましたが、大抵は引きずり出されてお説教の嵐でした。


そんなわけで逃げても逃げ場はなくて、拡大家族だったけど、みんなのいる階下…一階に逃げようとしても激怒されてしまうから、結局はなりゆきまかせだったかな。


父がいる時は母はいわゆる「良妻賢母」だったので、ギャップに驚きつつも、ほっとしてました。


でもまた「怖い時間」がくるってわかっていたから、ほっとすることもしたくなかったような…うにょうにょでした。


…けど、母がどうして私に当たるのかも、またわかっていました。


母も母でつらかったし、今ならそれがどんなに心をえぐられることか、理解できます。


母には味方がいなかった…


やり場のない思いは、私に向けられた。


それだけのこと。

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