第8話 エピローグ
私が奇跡的に一命を取り留め、ウォルフ様の『命の共有』によって硝子化の呪いから完全に解放されてから、数日の時が過ぎた。
「……奥様。いえ、ロザリア様。私共は、万死に値する罪を犯しました」
重厚な主寝室の絨毯の上。
そこには、メイド長のアンナをはじめとする城の使用人たちと、第一騎士団長のライハルトが、床に額を擦り付けるようにして深く平伏していた。
彼らの顔は一様に青ざめ、特にアンナは、この数日で十歳は老け込んだのではないかと思うほど、深い疲労と絶望、そして凄まじい後悔に打ちひしがれていた。
「私共は、旦那様の命の恩人であり、この上なく気高く優しいあなた様に対し……あろうことか、北塔への幽閉と、数々の非道な虐待を行いました。旦那様をお守りするためなどという傲慢な思い込みで、あなた様を死の淵まで追い詰めたのです。……もはや、いかなる弁明も立ちません」
震える声で懺悔するアンナの目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ち、絨毯に濃い染みを作っていく。
かつて私を『豚小屋がお似合いだ』と冷酷に嘲笑った彼女の姿は、そこにはもうなかった。
真実を知った彼らは、自分たちが「主君が世界で一番愛し、探し求めていた恩人」を、あわや殺しかけたという取り返しのつかない事実に、精神を完全に打ち砕かれていたのだ。
「こいつらは、俺が極刑に処す」
ベッドの傍らで私の肩を抱き寄せているウォルフ様が、絶対零度の声で言い放った。
その氷青色の瞳には、彼らに対する容赦のない怒りが渦巻いている。
「俺が北塔から出すなと命じたのをいいことに、食事も与えず、極寒の回廊を素手で磨かせただと? ……お前たちが彼女に与えた苦痛を思えば、生きたまま氷漬けにして砕いてもまだ足りん」
殺気を放つウォルフ様の言葉に、使用人たちは誰一人反論せず、ただ静かに死を受け入れるように目を閉じた。
彼らもまた、己の罪の重さを痛いほど理解しているのだ。
「……お待ちください、ウォルフ様」
私は、彼の大きな手を両手でそっと包み込んだ。
驚いて私を見るウォルフ様に、私は静かに首を振って微笑んだ。
「アンナたちを、罰しないでください。彼女たちが私に厳しく当たったのは、十年前の事件で傷ついたあなたを、二度と裏切り者から傷つけさせまいとする『深い忠誠心』ゆえのことです。……あなたを心から大切に思う気持ちを、私は決して恨んだりいたしません」
「ロザリア……だが、こいつらはお前を……っ!」
「それに、私が真実を黙っていたのがいけないのです。どうか、私のために誰も傷つけないで」
私の言葉に、床に平伏していたアンナが「あぁ……っ」と呻き声を上げ、ついに声を上げて泣き崩れた。
屈強な騎士であるライハルトまでもが、己の浅はかさを恥じるように強く拳を握りしめ、肩を震わせている。
ウォルフ様はギリッと奥歯を噛み締め、忌々しげに舌打ちをした後、深い溜息をついた。
「……お前たちが生き長らえたのは、ひとえに俺の妻の海よりも深い慈悲によるものだ。その命、今日からすべて彼女のために使え。彼女の歩く道に塵一つ残さず、彼女の吐く息が白くならないよう、常に城を温めろ。……次に彼女を悲しませるようなことがあれば、その時は必ず命で購わせる」
「「「ははっ!! 命に代えましても!!」」」
使用人たちは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、私に向かって、まるで女神を崇めるかのような深い深い最敬礼を行った。
彼らが部屋を退室していくと、寝室には再び、暖炉のパチパチとはぜる音だけが残された。
「……お前は、本当に甘すぎる」
ウォルフ様が、困ったような、けれどどうしようもなく愛おしいものを見るような目で私を見つめ、そっと私の体を抱き上げた。
「きゃっ……! ウォルフ様?」
「床はまだ冷たい。裸足で歩くなど許さん。お前の体はまだ完全に回復したわけではないのだから」
そう言って、彼は私を自分の膝の上に乗せ、毛布でぐるぐると厚く包み込んだ。
「硝子化の呪い」が解けた私の体は、以前よりもずっと健康になっていたというのに、彼の中では、あの日の『私が砕け散った光景』が深いトラウマとして刻み込まれてしまっているらしい。
彼は私の冷え性の手を取り、自分の頬にすり寄せながら、心配そうに眉を下げる。
「痛むところはないか? 喉は渇いていないか? ……少しでも苦しいなら、すぐに言ってくれ」
「ふふっ、大丈夫です。もう硝子の軋む音もしませんし、息をするのもまったく痛くありません。……それに、何より」
私は、自分の胸の奥――トクン、と力強く脈打つ心臓のあたりに手を当てた。
「ウォルフ様の温かい魔力が、ずっと私の中で守ってくれていますから」
あの命懸けの治癒によって、私たちの魔力回路は完全に繋ぎ合わされている。
私が彼を想うと、彼にもその温かさが伝わり、彼が私を愛おしいと思うと、私の胸の奥が甘く熱くなる。文字通り、私たちは一つの命を共有する存在になったのだ。
「……ああ、そうだ。お前の命は俺のものだ」
ウォルフ様は、たまらないというように顔を歪め、私の首筋に顔を埋めた。
彼の長い銀糸の髪が、私の頬をくすぐる。
「もう二度と、お前をあの暗く冷たい塔には戻さない。これからは、俺の執務室でも、図書室でも、どこへでもついて来い。いや……俺がお前を片時も離さない。お前が鬱陶しいと泣いて拒絶しても、絶対に俺の視界から逃がしてはやらないからな」
「鬱陶しいだなんて、絶対に思いません。……私も、ずっとウォルフ様の側にいたいです」
私が彼の背中に腕を回して抱きしめ返すと、彼は低く、甘い吐息を漏らし、そのまま私の唇を深く、熱く塞いだ。
息が止まるほどの、強烈で重い口付け。
彼がこれまでに溜め込んでいた後悔と、十年分の狂おしいほどの愛情が、津波のように私の内側へと注ぎ込まれてくる。
外の世界はまだ、深い氷雪に閉ざされた極寒の北の領地だ。
けれど、この分厚い氷の城の中で、私の心臓が寒さに凍えることはもう二度とない。
(どうか、この幸せな魔法が、いつまでも解けませんように)
私は、私だけに向けて向けられる彼の不器用で重すぎる愛に溺れながら、彼に繋がれた命の温もりを、いつまでも深く味わっていた。
『お前のような悪女は愛さない』と冷遇する氷雪の公爵様へ。過去にあなたを庇って余命わずかなことなど、このまま黙ってあの世へ逝きます




