閑話2:王太子殿下の休日前夜
キャス視点では色々限界があったので、急遽王子視点に変更しました。
キャスが女官達から解放された後のお話です。
閑話扱いですが、閑話1と同じくがっつり本編に絡んで来ます。
人々が寝静まった深夜。王太子宮の最奥にある私室で、宮の主たるレイヤードは五人の女官と向かい合っていた。
深夜に男女が向かい合うという状況は何とも艶めいているが、レイヤードと彼女達の間にそういった甘さは一欠片もない。むしろその逆で、今にも弾けそうな緊張感がその場を支配し、正に修羅場といった風である。
「殿下、どういうことですの?」
――それはこっちの台詞だ!
山のような書類を処理し疲れの溜まった体を引き摺るように帰って来たのに、何故自分は女官達に睨まれているのだろうか。しかも、一番心が休まる筈の自室で、だ。
レイヤードは重々しく溜め息を吐くと、開きたくない口を無理矢理抉じ開けた。
「……何の話だ?」
「とぼけないでくださいませ!」
「キャサリン様のことに決まってます!」
「今日という今日は、殿下のお気持ちをはっきりしていただかないと」
「気だけ持たせて放っておくなんて、殿方って本当に卑怯ですわ!」
「キャサリン様の優しさにつけこんで、恥ずかしくはありませんの」
「「「「「私達、キャサリン様以外の妃殿下は認めませんから」」」」」
……。
…………。
………………。
……………………。
話がおかしい。
女官達の主張は、どう婉曲に解釈しても、キャサリンを擁護しレイヤードの行いを非難するものだ。つまりキャサリンには何の非もなく、すべての責任はレイヤードにあると言いたいらしい。わかりやすく言えば、「自分を慕う専属の女騎士を手玉に取る鬼畜王太子」ということか。
何の間違いだと、鬼畜とされた王太子は嘆息した。手玉に取られているのは彼の方なのに。
レイヤードとて、立派な成人男子である。惚れた女が目の前にいれば抱き締めたいし、キスしたりそれ以上のことだってしたいと思う。
しかし、彼は「王太子」なのだ。
彼が手を出せば、どんな女性であれ必ず彼の女と見なされる。万が一その女が人妻であっても、多くの貴族は進んで離縁し、彼に喜んで差し出すだろう。それが“王族”の持つ権力というモノなのだから。
今キャサリンに手を出せば、間違いなく彼の妃として召し上げられる。――例え、キャサリンがそれを望まなかったとしても。
だから、レイヤードはキャサリンに手を出さない。彼が本当に欲しいのは、キャサリンの“心”。形だけじゃなく、自らの意志で隣にいて欲しいと思う。
なのに――
――何故、俺が怒られなければいけないんだ!
とばっちりも甚だしい。
第一、求婚なら七年も前にしているのだ。そして、その申し出を受け入れて貰ったと思っていたのだ、つい先日までは。想像して欲しい。両想いだと信じていた相手から臣下宣言される、その衝撃を。正直言って、再アタックする勇気はまだない。七年間幸せな誤解をしていたせいで、今度キャサリンの口からはっきりと断られたら立ち直れる気がしない。いや、確実に立ち直れない、絶対。
一人の世界に入ってしまったレイヤードに痺れを切らしたのか、女官長がすっと彼の前に立ちはだかった。
「殿下。この際、はっきりとさせてくださいませ。キャサリン様を正式にこの宮へ招き入れるおつもりはあるのですか?」
女官長の後ろで、他の女官達も厳しい顔でこちらを凝視していた。
何故、本命に言えずにいる言葉を、女官に伝えばならないのか。そもそも、何故女官達に怒られなければならないのか。
レイヤードはその理不尽さに嘆きながらも、平穏を一刻も早く手に入れるため、しぶしぶ自分の意志を表明した。
「俺の后はあいつだけだ。他にはいらん」
キャサリンがいればいい。争いを生む、側妃も愛妾もいらない。そのために、彼は七年間働いてきたのだ。
「だが、今すぐに動くつもりはない」
だったら一刻も早く后に迎えろと、視線で訴える女官達を制する。
女官長はレイヤードをじっと見詰めると、はあとわざとらしい溜め息を吐いた。
「文句を言いたいところですが、しょうがないですわね。――向こうの動きが不穏な今、キャサリン様のことを公に認めるのは得策ではありませんもの」
レイヤードにだけ届く声で付け足された言葉に、彼は胸中こっそり苦笑した。半分正解、半分誤解と言ったところだが、まあ黙っておいても良いだろう。他の女官達は未だ訝しげな顔をしているが、わざわざ説明する義理もない。
彼はそろそろ休みたい旨を伝え、退出するよう命じた。漸く休めると気を抜いたその時、彼にとてつもない爆弾が落とされた。
「そう言えば、殿下。明日はキャサリン様、おでかけなんですね」
「…………は?」
――出かける?
「明日は一日お休みだから、街で買い物をしてくると仰ってましたけど……。ご存知なかったんですか?」
「ああ……」
聞いていなかった。
明日がキャスの非番だとは知っていた。しかし、これまでの非番の時は自己鍛錬に勤しむか、自室で魔術書を読んでいるかだったので、城外に出かけるとは思いもよらなかったのだ。
城下町の治安が悪いわけではない。むしろこの街の治安の良さは、彼が誇りとするものの一つだ。――ただ、治安が良いことと安全であることは同義ではない。
「アリエット、近衛を呼べ」
「殿下?」
「執務室に戻る」
「お休みなられるのではなかったんですか」
「急用ができた。だから、早く呼んでくれ」
「……わかりました。呼んで参ります」
怪訝な顔で女官長が出ていくのを見送ると、レイヤードは崩した衣服を整え直した。急ぎの案件を反芻し、明日の謁見する筈だった人物を思い出す。急ぎの書類だけ片付ければ、明日一日ぐらいどうにかなるだろう。
「やってやれなくはないな」
ぱんと頬を打って気を引き締めると、レイヤードは近衛の待つ控えの間へと急いだ。
次回も王子視点です。