徒労
毛布の中で目が覚めて起き上がる。彼の掛け布団はよく眠れた。彼はすでに起きていたみたいで。朝から街へ出かけて行ったと、マーヤが厨房で朝ご飯を作る間に教えてくれた。ついでに帰ってくるまで、刺繍を考えるよう背を押される。
言われなくてもそうするつもりでいたが、いざ廊下を歩いていると、奥から高い笑い声が聞こえてくる。ボニーといつもの仲間たちだ。
「ご機嫌いかが、お嬢サマ」
「あなたたち、手伝いに来てくれたの?」
村の女性がここに来る用といえば裁縫だ。けれどボニーは笑って言った。
「平気な顔で、村に溶け込んでるのがムカつくのよ。」
それに便乗した取り巻きたちが笑いだす。これでは何を言っても、私の言葉が悪く受け止められるだけだった。
「あなたの旗、踏むと柔らかいわね」
「手伝いなんて期待しないでよ。あたしたちは安くないんだから」
早口に切り上げたボニーたちが、すれ違って行った。急いで奥の部屋に行くと、今度はクロリスが呆然と立ち尽くしている。近くに行っても気づかない様子だから、私は「クロリス?」と話しかけた。すると彼女は、口を開けたまま、ぞっとしたような顔で首を回す。
「う、うちは……やっていないです」
何のことかと聞く前に、その光景が目に入った。
機織り部屋の床一面に、破片が散らばっている。
生成の布は踏み込まれ、足跡が残り。
赤い糸はほつれ、青い断片は影のように床に張り付いている。
風もないのに、細い糸が落ちてきた。それが出来事の新鮮さを物語る。機織り機のそばには、私が最後に通した針が一本だけ、輝いていた。その先の糸はぷつんと途切れている。自分の手で紡いだ日々が、足元で静かに崩れ落ちている。黙り込むクロリスの足音だけが遠ざかっていく。
「……私の旗は?」
頭が真っ白になった。引き裂かれた布の残骸を踏み、木箱から飛び出した糸玉を拾い直す。椅子の上に置いていたはずだった。もしかしたら、床に落ちただけで。祈るようにかき分ける。
ない。では、踏まれた布が、そうなのか。湿った足跡は、私よりも一回り小さい。悪い冗談だ。毛布を奪ったみたいに、ボニーが今度、旗を盗んだだけだとしたら。取り返せばいい。
私はボニーを追うように探した。しかし、中庭が見える窓に映ったのは、彼女が訓練終わりの兵士に、お菓子を配っているところだった。街に行っているオルグレイドはいない。だからといって、彼女たちが兵士とつるんでいる空気を割れはしない。
「ボニー、最高だよ。この蜂蜜で煮たリンゴも美味い」
「また俺の分も、きっちり持って来てくれよな」
そんな声が遠く、遠く。喉の奥で声が引っかかる。
私は寝室に足を運んだ。無意識に火バサミを持ち、壺から種火を取り上げる。暖炉の中にそれを入れると、まだ火は小さかった。息を拭きかけるものの、だんだんと吐く力が弱くなる。薪を入れ、ただその火が燃えてくるように待った。ただ待った。何も進んでないと、マーヤにせっつかれるのが目に見える。それでも旗は手元からなくなったのだ。
影が傾いて伸びた。もうすぐ日が暮れる。オルグレイドもそろそろ帰ってくる。私は階段を下りた。足が浮いているみたいで、下りている感覚と足音がそぐわない。廊下で話し声が聞こえた。
「まあ、わざわざ。おしめなんて頼んでもいませんでしたが」
「ロライトも、これから大きくなる。服を用意しないといけない」
「それはそうですが。世話はこのマーヤがいたしますので、むやみに仕入れることはございませんよ」
突き放しつつも、マーヤがおしめを受け取っているのが見えた。廊下でオルグレイドは革袋を肩からぶら下げている。
「ちょうど帰って来たところだ。壊れた防具は村の鍛冶屋で、武器の調達は街の店に頼んでな。一月後にはできる」
「そう……みたいですね」
言葉の意味が頭に入ってこない。来た理由も思い出せない。
「何かあったか」
「大丈夫です」
殻のような言葉を吐き、視線を逸らす。
「洗濯……あなた様が干しているのを、しまわないと」
そう言いながら、横切った。長々と廊下をひたすら歩く。一歩ごとに、部屋の光景が目に浮かぶ。旗は使い物にはならない。あれだけ徹底して千切られては、継ぎはぎで治せる範疇を超えている。
川辺に腰を下ろす。靴を乱暴に脱いで、足先を水に浸けた。冷たい。頭が少しだけ静かになる。
どうすれば良かったのだろう。
ボニーに謝ればよかったのか。でも何を?
上手く輪に入って、笑えなかったこと?
それとも、最初から村に来るべきではなかったこと?
わからない。考えても答えは見当たらない。
「サフィ……」
葬儀が終わって月が経てば、その名を耳にする機会も減った。静まり返る水面に、もう一つの波紋が広がる。




