出立
真珠が見つかった翌日、中庭が騒がしいことに気づく。廊下の窓から、馬車に荷を積んでいる兵士の影が見えた。民がよその町へ物を売りにいくのに同行するのも兵士の仕事だが。武器や鎧を積み込む姿は、平穏な空気とは遠い。私は階段を下り、中庭にいる彼らへ、何事かと聞いて回った。
口を揃えて言うのは、これから魔物討伐に行く旨だった。
つまり、聖騎士がオルグレイドに変わってから、初めての遠征だ。これがどれほど大事な討伐になることか。たとえ小物だろうと、結果が誠実さにつながる。
また、彼らにはオルグレイドの居場所を聞きだした。肝心の彼はどうやら馬小屋にいるらしい。城門のすぐそばにあるに厩舎へ行けば、男が馬を柵から出してやるところだった。
私が声をかけると、一瞬だけ彼は視線を向ける。だが、目を向けるだけで、取り出した馬具をつけることに、手が離せないでいた。私は鞍をつけるのを手伝おうと、馬の隣に立つ。
「魔物討伐に行かれると、兵士に聞いて参りました」
「ああ。しばらく城を空ける」
馬の向こうから彼が答えた。一際大きな鹿毛の馬にハミを噛ませ、革紐を馬の額にかけると、馬の耳が反り立つ。
「どのくらい、ですか」
「一週間ぐらいだ。村の自治は任せてあるし、お前は城にいる限り安全だ」
「あなた様が行くところは、安全ではないでしょう。一体どこで泊まるんです?」
一週間もあれば、馬を使って隣町に出かけられる。町となれば人はもっと増えた。それこそ、娼館が多くて有名な町を、機織りの時間に耳がうんざりするほど、女性たちから聞いている。
「どこだって良いだろ。どのみち俺さえいなくなれば、安らぐ時間も出てくる」
彼の手にある馬の綱がぴんと張る。前の晩に、あの噂を確かめたせい。彼はもはや、私に話すのも手間なようだ。
「もういいか。俺が出遅れては、兵士を待たせる」
「わかり……ました」
いなくなってくれれば、うっとうしい思いもせずに済む。日常の負担も軽くなる。でも、それで本当に心が安らぐのだろうか。せめて妻らしく、彼の帰りを待つとか、無事を祈るような言葉をかけられたら、良いのかもしれない。昨日の探し物で借りができてしまったから、尚のこと気にしてしまう。
「行ってらっしゃいませ、オルグレイド様」
その時、彼の足音が止まった。背を向けて立ち止まる彼に、馬が首を傾ける。
「……あの噂、誰に言われた」
馬の鼻息が白く立ち上る。冷えた空気に、彼の声だけが濃かった。
「知ってどうなさるのです」
「どうもしない。そいつの顔を覚えておくだけだ」
「何のために……?」
馬の首を軽く叩いた彼に、恐る恐る尋ねた。その横顔はものも言わずに佇んでいる。
「……知らねえ」
オルグレイドはそれ以上言わなかった。今は魔物討伐を優先させた方が、兵士たちも集中できる。私が心配しすぎても、民の方が不満を先に言うだろう。
やがて蹄と革靴の音が城から途絶えた。彼らの背が村の端に行き着くまで、私は城の窓から眺める。
気にしない。たとえ彼が噂通りの人だろうと。
気にしても、サフィラスは帰ってこない。
城の中がすっかり暗く沈んでいった後も、針穴に糸を通した。単純な作業だが、冷え固まった指に繊細な動きは難しい。息を止めて一思いに通そうとするが、糸の先がほつれてくる。
「ミア様がいてくれたら……お茶でも飲んだかしら」
クロリスは友達でも身分が違う。彼女に何もかもを話していては、どれだけ口が硬かろうと、民に知れ渡ってしまう恐れがある。けれどサフィラスの奥方だったミア様は、私の弱音も受け入れてくれた。
こんな時、彼女なら何と言ってくれただろう。初夜のことを密かに話してくれたあの時。
『最初は怖いわよね。でも、愛する人となら……』
恥ずかしそうに顔を赤らめていた彼女が、優しい笑みに変わっていく。私に見せてくれるには勿体無いほどの幸せそうな顔を、今でも覚えていた。
その愛する人のためになら、大きな旗もすぐ埋まる。
ミア様が紡いだのは、サフィラスが聖剣を握ってからの一生だった。私も同じように、人から素晴らしいと褒め称えられるような旗を作りたいが。針先は執拗に、額縁のような紋様を縫い込んでも、中心は真っ白のまま。
私は夫に対して、ミア様のような特別さはない。
「偽物でも良いのよ。みんなの理想を描くと思えば……完成できるはずでしょう」
自分にいくらそう聞かせても、針が旗の真ん中を刺すことはなかった。もう夢のひとつ浮かぶことはなく、暖炉の薪が無駄に燃えていく。




